八濱漂泊傳

ダラシナイデラシネ記

シジミ と 「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」

2008-09-30 23:40:25 | 京都

 

本日は!

本日も シジミ の話。

 

本日、仕入れた話。

 

 

みやこ として、

千数百年の歴史を誇る京都では・・・

 

鬼ごっこをして、

 

捕まったにもかかわらず、泣き出して

次の鬼の役がツトまらない子のことを

 

シジミ というらしい。

 

 

姉御な子がみんなに

 

 「○○ちゃんは シジミ やしなあ~」 と言って

 

暗に、

  

 「○○ちゃんを本気で追いかけるなよ」 という意味で 

 

弱者保護の精神が確立していたらしい。

 

 

さすが、

千数百年の歴史を誇る みやこ である。

 

常に、

他者への配慮が行き届いている。

 

子供のころから

暗に弱者を気づかう心が身についている。

 

 

 

同じ、鬼ごっこでも

 

岡山の田舎 だとぜんぜん違う。

 

捕まって鬼になったら、

泣いてもわめいても、その子は鬼である。

 

鬼がツトまらなければ、

 

 「○○ちゃんが、鬼せんけー

 おもしろうねえがあー、帰ろ、帰ろう!」 となる。

 

鬼になった子は、いっそう泣きべそをかく。

 

他者への 配慮の  の字もないところが

かなしい田舎モン の証である。

 

 

京都の洗練された文化には

日本全国、どんな都市もかなわない。

 

料理、芸能、建築、庭・・・・

 

どれをとっても、

京都には隠された配慮がある。

 

その、気づくか気づかないかの

繊細な配慮の技に キラリ とした美学がある。

 

配慮の努力をまったく見せず、

さりげなくふるまうところが京都なのである。

 

 

京都の シジミ特別ルール こそ

 

 

世阿弥の言う 

 「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」

                      なのかもしれない。

 

 

 

 


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