八濱漂泊傳

ダラシナイデラシネ記

『54帖の中庭』のその後

2016-03-23 15:34:02 | 54帖の中庭

まだまだ使える物が大量に廃棄される社会に
胸を痛めて精神を分裂させてしまった人たちが、
ゴミ屋敷の主人たちだと思う。私もそのひとり。

私はゴミ屋敷の主人と同じ位相に立っている。
ただ、ゴミ屋敷の主人と違う点は、
建築家として表現手段を持っている点だ。

表現という武器の無いまま、精神の分裂を進行させると、
相当にひどい結果が待っている。

ゴミ屋敷の主人たちは、
社会との関係性を拒絶するほど、
悲壮な疾患を抱えているのだ。

テレビカメラに追い回される、
ゴミ屋敷の主人を見るたび、
大衆の残酷な仕打ちに哀しくなる。

住宅は消費の中でも、
もっとも不毛な商品の代表格である。

自然破壊と宅地開発。
流通過程で排出される膨大な無駄。
不可解な原価と売値と利潤。
終身刑のような住宅ローン。

住宅という商品をよくよく考えてみると、
消費の洗脳の手口が透けて見えてくる。

そんなマイホームは・・・夢なのか?

というわけで、

消費に逆行すべく、
拾ったもの、もらったもの、先祖が使っていたもの、
流通に乗り遅れたもの、格安で手に入れたもの・・・

等々の材料を試行錯誤を繰り返して構成し、
調子を整えながら、自力建設作品『54帖の中庭』の3棟が完成した。

狂っているのは、
ゴミ屋敷の主人なのか? 異常な消費社会なのか?

この家にゆっくりと暮らし、
できるだけ消費をせず、できるだけ仕事もせず、
精神の安定を図りながら、よくよくこの時代を考えてみたい。

 

 

  


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