ティコ・ブラーエ


パパとママの視点から
子供と建築探訪
こどものおやつから考える体にやさしいレシピ

久保亮五

2009-12-27 | パパ
今日は、量子統計力学の父、久保亮五を紹介します。
物体の運動法則は大きく分けるとニュートン力学と量子力学に分類されることは前回説明しました。ニュートン力学は我々の身のまわりで見られる物体の運動を取り扱う巨視的な世界、量子力学は物質の内部構造に存在する目に見えない粒子の運動を取り扱う微視的な世界です。
ここで、少し物理の世界から離れて、社会に目を向けてみます。現在、雇用不安や収入減など個人が置かれている状況は概ねだれしも理解できることだと思います。そこで別の観点からアンケートをとることにします。たとえば、「結婚はするべきか?」と。すると、結果として若い世代で否定派が多いことが見て取れたとします。ここで、人は推論をたてます。若者の雇用不安が先行き不安につながり、結果として、晩婚化へとつながっていくのだと。この各個人のおかれた状況の総体がなにか傾向として時代の空気に現れてくるのではないかという研究をするのが社会学です。個々人のあり方を模索するのが哲学の分野だとすると、集団になったときにあわられる傾向をつかむのが社会学ということもできます。
話を物理学にもどすと、ニュートン力学も量子力学もともに個々の運動の法則を探る哲学的な視点なのです。個々の運動が集団として振舞った場合にどうなるかという社会学に相当する物理学はないのか?それが統計力学と呼ばれる分野なのです。実際おこる現象は単独であることのほうが珍しいので、統計力学は我々が実際受け取る現象への理解を深める学問だといえます。哲学者より社会学者がメディアにでる傾向が強いのもそのためです。
統計力学はマックスウェル、ボルツマン、そしてギッブスという物理学者の手によって完成されていきます。














ギッブスの方法は、ニュートン力学でも量子力学でも枠組みをほぼ修正することなく成立する崇高で永遠なる形式性を兼備えていたのです。

量子力学を統計力学に適用してミクロの世界(電子の振る舞い)をマクロの世界(物質の特性:たとえば金属の種類によって電気の流れやすさが異なること)へ橋渡しをし、そこに世紀の大問題解く一般式を導きだしたのが久保亮五だったのです。「西の湯川、東の久保」と、あの湯川秀樹と並び称された天才理論物理学者なのですが、理系の人にもあまり知られていないのが残念な限りです。



統計力学の古典的な名著「ゴム弾性」という久保の著書は、「ゴムは奇妙な物質である」という詩的な文章で始まる最先端の統計力学を駆使してゴムの性質を論じたユニークな本である。具体的な事物を通して、理論物理学を吸収できる魅力的な内容といえる。

彼は、物理学の理論研究だけではなく、科学者として国際政治に対する自身の意思を明確に述べた人でもある。ベルリンの壁崩壊の翌年には次のように述べている。

「純粋科学は本来、普遍的な科学真理を探究するものであるから、科学に国境はないことは自明とされる。しかし、科学者には祖国があることも明らかであり、しばしばこの二つの命題は矛盾あるいは対立し、科学を歪め、科学を苦しめた。科学が国のプレステージであるだけでなく、その経済力基盤が軍事に代わる国力と考えられる時代を迎えて、この矛盾は深刻化するでだろう。しかし、その対立を超えて、科学者の国際協力は進んできた。純粋な基礎物理学は恐らくあらゆる科学の諸分野の中で科学者のイニシアティブによる国際協力の最も古い歴史をもち、今日も最も活発な協力をおこなっているものであろう。」

核の全廃が世界的に合意されていない現実を考えると、このメッセージは今も人類に突きつけられた課題である。

その一方でもう少し肩肘はらない「老人研究所」と題する彼独自のユニークなアイデアを披露している。

「数年前になるが「老人研究所」なるものを提唱し折りに触れて幾分宣伝を試みたことがある。老人を研究するところではない。老人が研究する研究所の構想である。これには三つのすぐれたメリットがある。第一に、この研究所には老朽化の心配がない。第二にこの研究所は自由であり、独創性に富む。第三にコストパフォーマンスが良い。執着や俗縁がなくなると精神は自由になる。奔放なアイデア、透徹した批評は案外、老人のものかも知れない。欲が張ったり、ガムシャラな研究活動は壮年にまかせよう。無欲の境地にあって好学心をもちつづけられる老人方にはここで大いに頑張っていただきたい。老人研究所は、若い人々に大いに働いてもらう大学や研究所に対する一つのアンチテーゼである。これを勧告にもってゆくことは中々むずかしそうであるが、この提案には重要なものが含まれていると私は思っている。」

死ぬまで、好奇心を持ち続けた人間だからこそ言える言葉ですが、少子高齢化社会を迎える日本にとってこの思想は、ユートピア思想ではなく、現実を打開する具体的な方法論ではないでしょうか。

たとえば教育の現場ひとつとっても、人材不足による学力低下が叫ばれており、民主党も「全国学力テスト」「養成課程6年生」などの導入を検討している。しかし、それは実態に見合った対処法なのであろうか?元河合塾理事 丹羽健夫氏が言っていたことによると、人気講師の一コマ90分の授業になると、準備に7時間程度かけているのだそうだ。つまり、教員には時間が必要なのだ。制度が増えれば増えるほど、教員の時間は搾取され、資質は低下していく。ならば、好奇心旺盛で時間に余裕のある老人とタッグを組み、子供たちになにかを伝えることができないか?老人も孤独から解放され元気がでて、文化も次の世代に伝承できるのではないでしょうか?でもそのためには、アリストテレスが言うようにより良く生きていくことを努力してきた老人でなければならない。朝日新聞の声の欄に80代でもしっかりとした言葉と一般性をもって外部に批評しようとする老人の態度をみると、そういう人はもっと潜在的に世の中にいて、活躍できる場を求めているのではないかと思ったりします。
若い時しかできないこともあれば、年を重ねてからでないとできないこともあると思います。
世界的な建築家イオ・ミン・ペイ氏も言っています。
「事務所が大きい場合、つまり200人も300人もの人を使っているような場合、デザインに集中するというのは非常に難しいのです。大きなプロジェクトをやりたいとなると、オフィスの規模も大きくなっていく。しかし、それが出来上がった途端に、逆に事務所の奴隷になってしまう状況がどうしてもあります。・・・確かに現在、私は世界中でいろいろなプロジェクトをやっています。大きいものではなくて、小さいプロジェクトばかりですが、重要なのは、私が選んで、決めて、やっているということです。」
彼は、自身のデザインへの思いを実現できるのは、すべてのしがらみから解放された老年なのだと言っているようです。だから、彼は組織を引退し、数名のスタッフと個人の思想を反映できるプロジェクトに向かったのでしょう。



若くして日本の物理学界のプリンスと認められ、次のノーベル賞候補としてつねに世界の注目を集めてきた久保は、突然、脳梗塞に倒れ、平成7年不帰の客となる。享年75。
彼の墓碑には一行の久保公式が刻まれています。





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