ティコ・ブラーエ


パパとママの視点から
子供と建築探訪
こどものおやつから考える体にやさしいレシピ

~みんな集まれ~ ロシアン曜日

2010-03-29 | 料理
久々に仲良しママ友達が我が家へ。
みんな元気に集まれました!

ちょっと会わないだけで成長している子供たち。
みんなの成長を喜び合い、話もはずむ。
子供たちも賑やかで楽しそう。

本日のメニューは
 アボガドポテトのディップ 
 ひよこ豆のサラダ
 初挑戦のボルシチ。

 

<ディップ>
1 アボガド、ポテトをマッシュ。
2 ブラックオリーブとピクルスを細かく切ってマッシュにまぜる。
3 マヨネーズ、オリーブオイル、クレイジーソルト、ブラックペッパー、ナツメグ、バジル等で味を整える。
サラダとしてはもちろんパンにつけて食べても美味しい。
いつもはアボガドだけで作るが、今日は熟れてなかったのでポテトも急遽参加。



食べたことのなかったボルシチ。
料理本を見てピンク色のスープに惹かれて初挑戦。
ピンクはビーツ(赤カブ)の色。
牛肉のすね肉が本当に柔らかくていい旨みを出してくれた。
これは定番メニューの仲間入りかな。
              (レシピは「世界のおいしいスープ」林 幸子著 参考)

そしてそして可愛い可愛い子供たち。

  

子供番組も大好き。
近い近い、離れてみようね!

  

知り合った頃はまだ本当に小さく赤ちゃんだったのに、みんなすっかり歩けるようになって、自己主張も立派立派。
近くにいながらこうやって一緒に成長を喜べるお友達はとても貴重です。
一番乱暴!?(力が強い)渉くんのこともあたたかく見守ってくれて本当に嬉しい。
みんな、いつもばしばしやってごめんね。。。
これからどんな子に育っていくか楽しみでしょうがない。
これからもよろしくお願いします。

今日はこんなミラクルが起こりました。
しばしゆっくりできたかな。



あ~可愛い。

パーティー前日

2010-03-26 | 料理
明日はパパさんの後輩カップルが御来家。
なので今日は仕込み日。
朝より買出し。
百貨店にはいつものスーパーにない食材が揃っていてわくわくする。
ブルーチーズ、生ハム、チョリソー、パーティーには欠かせない。
ゆっくり見たいけど渉くんが待っているのでダッシュで買い物。

  

おじいちゃんおばあちゃんといい子に待っててくれました。


明日のメニューは
  生だこのカルパッチョ
  ラタテューユ
  パンプキンスープ
  鯛のアクアパッツァ

まずはずっと作りたかったグリッシーニ。
そして渉くんには豆腐レモンパン。



グリッシーニとはクラッカーのような触感の細長いパン。
イタリアンレストランでは食前によく出される。
ちょっと塩味の効いたスティックをパリッとかじりながら飲むワイン。
考えただけでにやり。
渉くんにはちょっと硬いので、上新粉とお豆腐を使ったしっとりパン。


そして定番のラタテューユ。
野菜の甘みだけでとっても美味しいから大好き。
こんないっぱいの野菜もぺろりと食べれてしまう。

  

作り方も簡単。
さいの目切りのパプリカ、なす、ズッキーニを香りを出したにんにくオイルで炒める。
さいの目切りのトマトをいれて弱火でコトコト。
クレイジーソルトとナツメグで味付け。

野菜がくたくたになって味がしみ込んでいる感じがたまらない。
温かくそのままでも冷ましてバケットにつけても美味しい。

さ、続きは明日の朝に!


最近どんどん話が分かるようになってきた渉くん。
可愛くて可愛くてたまらない日々。
ギュっギュッと抱きしめて払いのけられながらもやっぱり抱きしめてしまうママ。
あ~可愛い。


都市は美術館

2010-03-22 | パパ
フランスにおける多くの中世建築の修復を手がけた建築家ヴィオレ=ル=デュク。




彼の修復への強い思いは、時に恣意的とも受け取られ、「歴史上でもっとも重大な罪を犯した一人である」とまで言われることもあった。
彼は、母方の画家である伯父に多大な影響を受けて、見たものを詳細にスケッチできるようになります。このスケッチ力が、後に修復という図面よりも実測を重視する世界へと彼を導いていったのかもしれません。
彼は、絵画・彫刻・建築の3分野にわたるフランスの国立の美術学校であるエコール・デ・ボザールへの入学を家族から勧められるが「建築家を型にはめこむ鋳型だ」として頑として受け止めず、イタリア旅行へと向かう。
イタリア共和国のシチリア島南岸の丘陵斜面にある大遺跡群アグリジェント(別名:神殿の谷)を訪れた彼は、次のように書き残している。

「アグリジェントの記念建造物とシャトル大聖堂にはホメーロスと福音書の間にある相違と同じものがあります。・・・前者は想像力をかき立て、視覚的な感動を与えてくれます。それに対してゴシック建築は、謙虚な気持ちを奮い立たせ、心を揺り動かします。」


  

このイタリア旅行によって、彼はゴシック建築への畏敬の念を抱くようになります。
そして、1840年にラ・マドレーヌ教会堂の修復を手始めに、パリ大聖堂、サン・セルナン教会堂などの修復工事を手掛けることになります。
彼は修復という行為に際して、次のような理念を述べています。

「建物を修復することは単にそれを保存することではなく、それを修理し、それを作り直すことであり、修復とは建物をいかなる時代にもあり得なかったほど完全な状態に復権させることである。」

ここで、彼の修復への恣意性というか創造性を嗅ぎつけて、強く批判をしたのがジョン・ラスキンであった。





彼は「建物の最大の栄光は、建物の経た時代のうちにあるのだ」
と主張しています。

ラスキンは、建物の中に歴史は凝縮されていくと考え、ヴィオレ=ル=デュクは建物の様式が歴史を反映するのだと確信していた。

骨の折れるような修復工事にもかかわらず、最後にはラスキンに次のように言われてしまう。

「修復とは、建物が被りうるもっとも完璧な破壊のことである」と。

しかしヴィオレ=ル=デュクの創造性とは、歴史を断絶し、個人の才能を都市に誇示するものではなかった。
芸術家の横尾忠則氏が新聞に書いているように、歴史の延長線上に乗ってこない天才というものは、非凡ゆえに理解されず、アマチュア芸術家とみなされる。プロになるためには、歴史を学び、そこから出発しなければならない。実際画家の学びの場は、ルーブルなどの美術館であり、そこで過去の巨匠の作品を模倣することであった。(日本の美術館は、余暇の場所や地域復興の場には、なりえても学びの場にはなりえないのではないか。)
話が横にそれましたが、そういう意味で、ヴィオレ=ル=デュクは、正式な教育は受けていないが、プロの建築家なのです。

そのことは、彼の次の言葉に端的に表現されています。

「当時の建築家の身になることであり、当時の工匠だったら如何に対処したかを仮定してみればいい」

「アプリオリに、ある配置を決定することは推定に陥ることであり、修復工事において、この推定ほど危険なものは他にない」

アプリオリとは、経験してはいないが、明らかであると考える認識や概念のことであり、彼がそれを否定しているということは、彼自身が修復を通して、歴史を正面から受け止め、そこに建物の合理性を見出し、都市に再生しようとしたことをうかがわせる。

そうして、彼は中世ゴシック建築の原理の解明を試み、1863年に「建築講話」を出版します。彼にとって、修復とは、建築を学びそれを理論へと発展させる行為であったともいえます。

「私たちがある建築物を眺めるとする。これは、すばらしい建築物だと思う。しかし、本能的な判断では十分でなく、この建築物はなぜ美しいのかを自問する。印象の原因を知ろうとし、そこで推論の力に頼る必要に迫られる。私たちは、私たちを魅了した建物のすべての部分を分析するが、この部分は将来、私たちが設計する立場になったとき、設計をまとめあげげられるようになるための訓練である。」

彼のこの言葉は、建築家にとって、都市は学びの空間であり美術館のようなものであるといっているように思える。

戦後の日本のモダニズム建築は常に保存か解体かの議論に晒される。それは、文化か経済かの論理の二項対立的な問いのたてかたであるといってもいい。修復という学びの場を通して、都市の美術館化を促し、建築物に刻まれた歴史や様式を広く一般に認知してもらうことから日本文化は蘇生していくのではないでしょうか。そろそろ問いのたてかた自体を問い直してみる時期にさしかかっているのではないかと思います。







わかりにくいこと

2010-03-20 | パパ
シェイクスピアの「ハムレット」に次のようなセリフがある。
To be, or not to be: that is the question

ネットで調べると
「世に在る、世に在らぬ、それが疑問じゃ」(坪内逍遥訳)
「生きるか、死ぬか、そこが問題なのだ」(市河三喜・松浦嘉一訳)
「やる、やらぬ、それが問題だ」(小津次郎訳)
「このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ」(小田島雄志訳)

名訳というものは、訳者が生きた時代の「時代精神」なるものが反映されているのかもしれない。そして、創造的な誤読による多様性と、時代を超えた永遠性をこの短いセンテンスに凝縮させたシェイクスピアはやはりすごい。だから、いつの時代も国境を越えて全世界的に読み込まれ、豊かな議論の場を提供していくのだろう。
古典と呼ばれるものは、誤読しながら読み解かれ、読者を芳醇な知の体系へと導いていくがゆえに尊いと思う。

知識というものが、生きていくための便利なツールとして薄っぺらい情報にまとめられ、社会に氾濫している。「○○の力」、「~の生き方」などの自己啓発本が売れるのは、そのような社会状況を反映しているものと思われる。悩めだとか、力を抜いて生きよなどと、適当なことばかりを並べ立てて、大衆を振り回して、利益を貪ろうとしている。○○の著者絶賛、50万部突破などの宣伝はそんな出版業界の思惑を如実に現していると思う。
わかりにくいものを、わからないまま受け止め続けることが、学びを不断のものとさせる。わかりにくいということが、古典がもつ永遠性の本質であり、多様な知の場を広げていく原動力なのだから。







近眼の世界

2010-03-19 | パパ
僕は、眼が疲れると、眼鏡を外してみる。
すると、今まで明確な輪郭をもってそこに独立して存在していたいっさいのものは、一つの色の塊として溶け合う。そして、今まで会話をしていた人たちは、一つの色の塊となって、揺れ動きながら、会話の音だけが、僕の耳に響いてくる。
イギリスのロマン主義の画家で印象派の先駆とも言える作品を残したウィリアム・ターナーの世界のようだ。


   


この状態だけで生きていけるのだとすれば、近眼というのもさほど悪くないと思う。特に帰りの夜道で眼鏡を外して歩くと、いままで機能的に辺りを照らしていた照明たちが、巨大な花火の光のように目の前にものとして現れる。そして、奥行きは消失し、2次元の平面になる。驚くのは、その2次元平面から突然、何かの光の渦がこちらに近づいてくることだ。それは、アバターとは違う新しい3D体験といってもいい。(危険ですが・・・)
しかし、近眼のロマンにわれわれは、浸ってばかりはいられない。他者という自身と明確に分離された世界で生きていかなければならないのが現実だから。そう、すべてが融合した近眼という眼の特性がもたらした世界は、非日常なのである。
「見る」という行動は、頭を使う行為を伴う。つまり、眼で捉えた映像に解釈を加えていくことによって、世界を構成していく。だから、疲れるのだ。「見ない」という行為もある。眼をつぶれば、それは実現される。しかし、耳から不気味なノイズが忍び寄ってくるので、孤独感に苛まれ、これはこれで疲れる。その間を行くのが近眼の世界だ。頭から開放された光の塊とノイズが重ねられた世界はわれわれを日常という倦怠から救い出してくれる。そこは、真面目さを少しずらして、ほっとできる空間だ。
近眼の人もそうでない人もたまには、「見る」ことをやめ、ただ世界を「見える」状態でそのまま感じてみてはいかがでしょうか。