ティコ・ブラーエ


パパとママの視点から
子供と建築探訪
こどものおやつから考える体にやさしいレシピ

インド曜日

2010-02-27 | 料理
昔から好きだったインド料理。
あのスパイスの効いたカレーとナンの組み合わせはたまらない。
あ~食べたい!けど渉くんにはまだ早いし、、、と思っていた今日この頃。
ちょうどパパの誕生日があるので、食べにいけないなら作っちゃおう!ということで、本日のパーティーメニューはインド料理に決定。
時間が限られているので、メニューはキーマカレーとタンドリーチキン、ナンとチャパティーに。
レシピはインド人の方のHPを参考に。

メインのキーマカレーのレシピをみてびっくり。
こんなにたくさんのしょうがとにんにくを入れるのははじめて!
スパイスもパプリカ、ターメリック、カイエンペッパー、ガラムマサラ。



でもお鍋から何とも言えないいい香り。
お店に入ったときにいつも香るあの匂い、あ~美味しそう。
タンドリーチキンは前日より仕込み開始。
様々な材料、スパイスに漬け込んで一晩寝かす。
と、AM6:30渉くんに起こされてはっと気がついた。
昨日買ったお肉って黒豚!
チキンって鶏だ!
寝ているパパを起こして一大事を告げると、「タンドリーピッグかぁ」との返事が。
なんてお間抜けなママ。
そういえば昔、酢鶏を作ったことがあるなぁと思い出した。
思い込みって怖い。
昨日豚の種類まで聞かれたのに、なんで気づかなかったのだろう、、、、。



でも全部本当に美味しかった。
なかなか気合いを入れないと作れないけど、たまにはこんなのもありだね。
みんな喜んでくれて良い一日でした。

渉くんはまた食べないモードになっちゃったけど、、、様子をみよう。

夢から学びへ

2010-02-27 | パパ
フィギュアスケート女子のフリーで韓国のキムヨナが世界歴代最高得点で金を獲得したとの記事を読んだ。
キムヨナの母校の石碑には

「夢を持つ者は学ぶことを怠らない」と記されているようだ。

この言葉を逆にすると

「学びを怠る者は夢をもたない」となる。

どことなくニュアンスが変化したような気がする。

われわれは小さいときから、とにかく色々な知識を乱暴に詰め込まれ、有無を言わさず、大人へと追いやられる。
それは、ひょっとすると「学びを怠る者は夢をもたない」ということが、子を持つ親にとって恐怖観念になったせいかもしれない。(ミシェル・フーコが言うように、国家、社会のひとつのパーツとして正しく動作するように仕組まれた管理体制の一つの結果かもしれませんが・・)
しかし、皮肉にも学べば学ぶほど、夢は苦痛へと流れだし、安易な現実へと自覚なしに向かう。そして、顔のない匿名の人間が社会の歯車の中に回収され、一生が過ぎていってしまうのではないか。

石原慎太郎知事は28日に行われる東京マラソンの関連式典で次のように述べている。

「国家という重いものを背負わない人間が早く走れるわけがない、高く飛べるわけがない、いい成績を出せるわけがない」と。

なんとも乱暴な話で、機械仕掛けの国家の部品のごとく人間を扱う時代錯誤の論理ではないでしょうか。人間はそんなちっぽけなことで動く生き物ではなくて、もっと深いところの何かに突き動かされて、意味のないことに、自分にとっての価値を見出し、苦悩を自由へと昇華させていく動物ではないかと思う。

現代は夢を持たない子供が多くなったといわれるが、ではほんとうに昔は夢を持った人間が多かったのでしょうか?もし、それがほんとうなら、夢を次の世代に引き継がせることができたはずだ。実は、多くの人間が「夢」と思っていたものが、単なる欠乏からくる「欲望」でしかなかったのではないか。だからこそ、満たされた途端に、思惑に反して、空虚しか残らなかったのではないでしょうか?

夢が学びを導くのか、学びが結果として夢につながるのかは、分かりませんが、本当の夢を持ちえた人間によって、社会が下から築き上げられた時代というのは、まだだれも経験したことがないのかもしれません。

われわれ大人は、何かを教える前にまず、自身に問い直してみる必要がある。
「自分には本当の夢があるか?そして、学ぶことを怠っていないか?」と。

19歳のキムヨナはそのことを、演技を通じてわれわれに語りかけようとしているのではないでしょうか。








家族と社会

2010-02-25 | パパ
日頃の子育てによる疲れのせいか、先週彼女が熱を出してダウンしてしまった。僕もどうしても仕事を外せなかったので、近くにすむ母親に急遽お願いして、渉一を散歩に連れ出したりと一日面倒を見てもらった。
こんなとき、気兼ねなく頼むことのできる親類が近くにいる環境というものは家族にとって非常に大事だなと感じた。
しかし、現実の社会に目を転じると、何らかの事情で都市での生活を余儀なくされ、家族だけで社会に立ち向かわなければならない家族が多く存在するのも確かだ。
「親切」が「お節介」と受け取られ、「共生」が「面倒」にすりかえられる風潮にあって社会のコミュニティは希薄化し、家族はますます孤立化していく。
一昔まえは、家族の中で済ませていたいろいろな「コト」は、お金を払って外部に委託し済ませてしまう「モノ」へと追いやられるなかで、家族の機能はどんどん社会へと分化していく。機能を奪われ孤立化していく家族は、もはや日本の伝統や文化を次の世代に継承する社会の装置ではなくなった。すべてを学校教育に押し付ける親、死の場面が家から病院に移されることによる死の忘却と生への無関心、老人の孤独死、怒る前にきれてしまう若者の増加は、すべてその反動といえるかもしれない。

ドイツの社会学者フェルディナント・テンニース は人間社会が工業化、近代化するにつれて、地縁や血縁、友情で深く結びついた伝統的社会形態である「ゲマインシャフト」は会社や都会の欲望によって結びついた関係が支配している社会形態「ゲゼルシャフト」へと変遷していくと考えた。

社会がどんどん便利になることで、わずらわしい関係を迂回しても見かけ上は、生きていくうえでなんら困ることはないようにみえる。しかし、時とともに、本当に大事なものまでが、周りからなくなってしまうことになる。そのことに気づき、もとに戻ろうとしても、そこには帰る場所がもはやないのである。迂回と思っていたものが実は、崩壊という痛みをともなう欲望への道だったのだ。
近代化の終着点まできてしまった現代人は、「ゲゼルシャフト」から「ゲマインシャフト」への回帰を望んでいる。そのためには、崩壊したものの意義を考え、再構築しながら前に進んでいくしかないように思う。

挨拶しましょ

2010-02-24 | ママ
先日友達との話の中で、最近の(!?)子供たちはよく挨拶してくれるという話題がもちあがった。
確かに子供の挨拶にはっとさせられたことが幾度となくあったことを思い出す。
エレベーターで一緒になったときはもちろん、登下校中の小学生も挨拶してくれたりする。
知っている知らないということは関係なく、人と会うときには挨拶をする。
当たり前と言えばそうだが、大人になるほどなかなかできないでいるのが情けない。

今日も夕方砂場遊びをしていると、小学生の女の子が三人、「それ貸してください」と笑顔で寄ってきた。
どうぞどうぞと道具を渡して一緒に遊んだ。
自転車に興味津々の渉くん。
触りたそうにしている様子を見て、「いいですよ」と声をかけてくれた男前くん。
こんな子供たちの何気ない挨拶にはっとしたりほっとしたり、心があったかくなる。
最近はママも子供たちを見習って、どこでも顔を合わせた人には挨拶するように心がけてます。
挨拶されて嫌な気のする人はいないはず、、、。


子供のための公園

2010-02-23 | ママ
春を想わせるぽかぽか陽気。
さぁ今日も朝から公園で遊びましょ。

いつもの公園にいくと、あらあら一部の遊具の周りが工事中。
点検でもしてるのかな~と思ったら、ベンチや飛び石が地面に転がっている。
話によると、遊具をなくして休憩所にするとか。
「公園遊び」のブログの写真に載っていた、ジャングルジムもタイヤも飛び石もあっという間になくなった。
朝は小さな子供たちが、夕方からは小学生たちも集まってみんな楽しそうに遊んでいた。
休憩するところなら他にたくさんあるのになぜ!?

公園遊びをし出して間もないが、目の前で遊具が壊されていくのを見るとなんだか切なくなった。
実家に帰ったとき、昔遊んでいた公園に行くと、ほとんどそのまま残っていた。
まわりからは子供たちの笑い声が聞こえてくる。
変わっていないことに驚いたと同時に、懐かしく、嬉しくなったものだ。
子供にとって公園はいつも変わらないものであるはずだ。
成長とともに遊び方も変わりながら集う公園。
そういう存在のものを大切にしたい。

新しくなるこのスペースがどうか子供のためにあることを願う。



お昼寝15分しかしなった渉くん、、、。
よし!午後も公園めぐりだ!
お外が大好きな渉くん、嬉しそう。