ティコ・ブラーエ


パパとママの視点から
子供と建築探訪
こどものおやつから考える体にやさしいレシピ

母と子

2010-05-12 | パパ
特別養子縁組によって生まれる家族のドキュメンタリー番組を見た。親が異なる3人の子供を育てた夫婦と養子縁組を結びこれから家族を築いていこうとする夫婦を重ね合わせることで、時間の蓄積が築き上げる家族の深みを見せられた思いがした。
特別養子縁組を仲介するこのNPOは、受け入れを望む夫婦に対して、本当の親の存在を包み隠さず子供に告白することを求める。
NPOの代表は言う。
「隠し通せるならして欲しい。でも隠し通せないでしょう。それは、子供に誠意を尽くすことであって、本人のルーツだから伝えてあげてほしい」と。
しかし、誠意によって築き上げられた家族は、その誠意によって生産的な苦しみを経験していくことになる。
3人の兄弟の長男長女は思春期を向かえ、自分の生い立ちについて考えるようになり、本当の母親に会いたいと思うようになる。
涙を浮かべながら語る少女の姿には、あどけなさと苦悩が複雑に絡み合っているように思えた。

「やっぱり自分のお母さんにあってみたい。なんだろうな。不安なのかな。そばにいてほしいのかな。自分の親がここにいないのに、なぜ他の家はそこにいるのかなって。でも逆に考えると、一人しかいない母親が二人いるのは幸せなのかな。いろいろだね。」

でも長女の思いは一本のNPOの電話によって無残にも引き裂かれる。生みの母親(一般に生みの親には複雑な状況を背負っている者が多く、会うことは難しいようだ。)から会うことを拒否されたのだ。長女は、母親に抱かれながらストレートに悲しみを訴える。母親の複雑な心境を思うと胸が痛くなる。でも、誠意はすべてを洗い流してくれる。そこには母親の姿がある。


一方で、長男のほうも生みの親に会いたいとNPOに申し出る。彼は、生みの親の母子手帳を手に持って、恥ずかしそうに眺めながら悲しそうに答える。

「なんであってみたいのかって聞かれると困っちゃうんだよね。だけど会って見たいんだよね一回。どういう人なのかなって?生んでくれたおっかあだから、おしゃべりなんかしなくても一回だけでも会ってみたい。」

しかし、長男も生みの母親からの返事がこない。でも、長女の気持ちを察してなのか、家族に笑顔を振りまきながら、強くたくましく生きている。

養子縁組を求める夫婦のほうは、NPOの面接を繰り返し受けながら、子供を受け入れるに適正であるかを審査される。
そして、ある日、NPOからある保育施設に赤ちゃんを迎えに言って欲しいとの電話が入る。
「ミルク瓶・・・大き目の・・・」とメモを書き留める夫婦の姿には、子供を授けられた喜びがしみじみと伝わってきた。
しかし、この後、複雑な場をNPOは夫婦に強いる。それは、生みの親と対面し、直接生みの親から赤ちゃんを手渡されるという状況である。まだ幼く見える生みの親はなかなか子を託せない、そしてそれは夫婦にとって忍びない。なぜこんな残酷な試練を与えなければならないのか?
数日後、夫婦と赤ちゃんの3人家族はNPOを訪れる。そして、母親は涙ながらに語る。

「生みの母親は、子供の将来のことを心配して、そしてぜんぶそれだった。それは、ちゃんとやらないとね。・・・ほんとつらいと思うんですよ。私は生んだことはないですけど、こんな可愛い子を手放すのはね。・・・」

僕は甘かった。他人の子を育てるのは並大抵のことではないのだ。この悲しい状況を受け止め、赤ちゃんの中に生みの母親の思いを刻み込む行為、それによって、ほんとうの母親になるのだ。だから、名前も生みの親が付けてくれたものでいい。
ちっぽけなささいな事は、もうどうでもいいように思えた。















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