ティコ・ブラーエ


パパとママの視点から
子供と建築探訪
こどものおやつから考える体にやさしいレシピ

2歳の誕生日プレゼント

2010-12-20 | パパ
早いもので、渉一も2歳の誕生日を迎えた。今年は、どんなCDと本を未来の渉一のために贈ろうかと考えた。
色々考えてみた結果、CDは最近発売されたマイケル・ジャクソンのアルバム「MICHAEL」にすることにした。「THIS IS IT」を前に見て、世界の子供たちに向ける眼差しに感動したからだ。マイケルの本質は、大人の現実からは見えにくい。だからこそ、一瞬のうちに理屈抜きに魅了されてしまうのかもしれない。ジャケットには、マイケルの次のメッセージが書いてあった。

「世界中の誰もが歌え 聞いた人が勇気づけられる そんな歌を歌っていたい」

CDの内容はあえて問わないことにして、渉一が中学になったら一緒に初めて聞いてみようと思う。







本は、昨年亡くなられた動物行動学者 日高敏隆先生の「ぼくの生物学講義」にした。晩年の先生の講義録をまとめられたもので、人間とはいかに奇妙な生き物であるかということを具体例で説明しながら、人間の本質に迫ろうとするユニークなものである。







先生の著書は他にも色々おもしろいものがあるが、「人間は遺伝か環境か?遺伝的プログラム論」は特に、教育論としても読めて興味深い。


「人間は子供から大人になる。これは誰にでも共通した、人間という動物の種としての遺伝的プログラムである。けれども、どんな大人になっていくか。それは各々の個人に委ねられている。」

「学びは本来、楽しいもののはずである。だから、どういう場を作るかといったことは、あまり考えなくてよいように思う。良い子供を育てるために場を作ってあげようという発想は、すでに支配・管理の思想になってしまっている。そういう押しつけは、かえって子供たちの好奇心をそぐだけではないだろうか」

「社会保障と教育ほど難しい政策はない」と前に何かで読んだことがある。誰もが、自分の経験をもとに強い価値観を持っているからだそうだ。国際学習到達度調査(PISA)の結果に揺れる各国の事情もそのようなところにあるのかもしれない。しかし、オーストラリア教育所のスー・トムソン博士のPISAへの次の提言には真理があるように思える。

「21世紀は生涯学習の時代だ。学習する信念、意欲の強さも、重要な要素になってくる。」


少子化の時代には、こどもは国からも家族からも過度の期待を背負わされて、大人になっていく。マイケルの理想郷であったピーターパンのネバーランド。日高先生の「わからないこと」への探究心と謙虚な態度。どちらも、大人になる過程で見失いがちなものだ。渉一がCDと本を手にとった時、何かを感じてくれたら、そして僕自身、その時になっても今の気持ちに変わりがないことを願っている。





尖閣諸島を日中友好関係のシンボルへ

2010-10-05 | パパ
尖閣諸島をはさんで、日本と中国の関係が揺らいでいる。
人類の歴史が、領土を奪い合う民族の闘争の歴史であるとするならば、両者一歩も譲り合わないのは当然なのかもしれない。
だからこそ、船長釈放という譲歩の行為に憤りを感じる人も少なくなかったのではないか。
しかし、リーマンショック以後の日本経済が内需の先細りから抜け出せないことを考慮すると、巨大な市場をもつ中国の需要は避けて通れない現実であり、真っ向対決は避けなければならない。
そこで、尖閣諸島という資源豊富な領域を奪い合うという発想から抜け出し、日中友好関係のシンボルと位置づけ共生の道を模索することを提案したい。
日本の歴史と中国の歴史を平行して学べる歴史博物館や学生どうしの交流を深める施設を作り、両国が互いの文化を自身の文化を問い直しつつ理解していく真の友好関係を構築する場所になるのではと思う。
ユートピア的発想に思えるかもしれないが、理想なくして明るい未来は開けない。
遠い未来の世界から眺めたとき、今回の問題が日中関係を闘争の歴史へと導いたスプリングボード(契機)であったという悲劇だけは避けなければばならない。

マイケル・ジャクソン
「地球を愛している。でも我々は、暴走列車だ。」






日本の未来

2010-08-18 | パパ
オーストリアの詩人リルケは「マルテの手記」の冒頭で次のように書いている。

「人々は生きるためにこの都会へ集まって来るらしい。しかし、僕はむしろ、ここではみんなが死んでゆくとしか思えないのだ。」




詩人の鋭い感性がとらえた都市の印象だ。それは孤独だったのではないか?

人は人を求めて都市に集う。そこに都市の魅力がある。しかし、一方で人は集団となることで匿名となり孤立化していくのも事実だ。

今、日本では都市の砂漠化が進んでいる。毎年増え続ける自殺者の数、幼児虐待や行方不明老人の問題など弱者が孤独の中で、都市に消えていく。
本当の砂漠が食料の欠乏という状態で目に見えるのに対して、都市の砂漠化は人々の無意識の生活の中に水面下で広がっていく。砂漠が限りなく無に近い孤独であるとするなら、都市は密集した人と人の間に生じる無関心による見えない孤独であると言い換えてもいい。

戦後の経済成長によって、家族という共同体は、個人の自由と引き換えに機能を縮小しながら大都市に点在していった。自由は快適な反面、共同体がもつ相互扶助という強い絆を断ち切ってしまった。その断ち切れた絆を補うかのように人は都市をさまよい、その途中で社会の片隅に消えていく。それは、誰もが無関心でも快適でさえあれば生きていけると信じきってしまったせいかもしれない。
ニーチェは言う。

「お前たちに言ってやろう。我々が神を殺したのだと。お前たちと俺が!」

日本の現在の状況は、まさに神なき時代なのかもしれない。

世界はグローバル化の波で、ますます膨れあがり、社会の孤立化がますます進んでいくのだとすれば、我々を繋ぎとめる神を今こそこの手に掴み取らなければならないのではないか。国家によるセーフティネットの強化も大事であるが、前提として我々が殺してしまった「神」とは何であったのかを問いなおす必要があるのではないでしょうか。


「何のために生きるのかと言う確固たる意識がなければ、そのまわりにたとえパンの山を積まれても、人間は…この地上にとどまるよりは、むしろ自殺の道を選ぶに違いない。」
        フョードル・ドストエフスキー 「カラマーゾフの兄弟」


大事なこと

2010-08-18 | パパ
世界的な数学者であった岡潔は学ぶ行為について次のように書いている。

「頭で学問をするものだという一般の観念に対して、私は情緒が中心になっているといいたい。」






高度に抽象化された記号で概念を構築していく数学の世界に一生を捧げた人間は、頭だけでは、数学の美は見えてこないことを強く感じとったのかもしれない。

では情緒とはどのようにして育まれるのだろうか?
情緒という言葉について辞書を紐解けば
「事に触れて起こるさまざまの微妙な感情。また、その感情を起こさせる特殊な雰囲気。」
とある。

つまり情緒とは、人間の内面と人間の外部に存在する環境とが出会う過程で生まれる微妙な空間ということになる。

環境の整備だけでも内面のケアだけでもだめで、内部と外部が同時に成熟する中で出会い反応する場が情緒を育むのである。

親には、家族を通して子供に内面の環境を整える努力と社会という外部へと突き放す勇気が、そして社会にはそれを受け止める精神的な余裕が必要だと思う。
それなくして、次の時代を担う子供というものは育っていかないだろう。







子育てはアート

2010-07-07 | パパ
子供の行動を見ていると、そこには目的がない。モノ自体との戯れがあるだけのように思える。大人になると、どんなことにも目的があって、それに対して行動を起こす。それは、モノが持つ機能で縛られた世界の中でしか、モノを見れなくなっているからだと思う。だから、子供の行動と親の予測には、ずれが生じる。
ピカソや岡本太郎が子供の絵に興味を強く引かれたのは、子供が生きるもう一つの世界に人間の本質を見たからかもしれない。予定調和的な大人の世界を素のままで乗り越えていく子供のパワーに芸術の根源的なものを見出し、自身の作品の恣意性からの脱却を試みようとしたのではないか。

「子供は誰でも芸術家だ。問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかだ。」

食べる行為、排泄の行為すべては、先にその行為があって後に、意味を大人が教えていく。それによって子供は社会的な動物になっていく。栄養を取るため、排泄物は汚いものであるといった具合に・・・。

社会性は他人と生きていく上で必要な事だとは思う。しかし、だれもが、かつて名も無いモノのみの存在に取り囲まれたもう一つの世界で生きていたことを思い出さなければならないとも思う。子育てとは、その脳の奥深くに潜り込んだ記憶を刺激するアートなのかもしれない。