最後に天皇制のこれからについて述べたいと思います。昭和天皇が亡くなって、戦後の新教育を受けられた明仁皇太子が即位したけど、その代替わりによって本質的には何も変わりはしませんでした。大喪の礼から践祚の儀式、神器承継の儀から即位の礼、大嘗祭と、10余の儀礼が行われましたが、それらはすべて天皇=現人神時代の明治時代に編成された「古式の伝統」にのっとったものでした。明治天皇制以来の神道的な本質は少しも改められず、新天皇によって継承されたのです。しかも、それらは一部の国民から違憲だという批判があり、論争になったにもかかわらず、政府はそれを無視して国家儀礼として盛大に実施してしまったのでした。その幻想的で美的なパフォーマンスがテレビなどで好意的に報道されると、多分に若者の心をとらえました。その分だけ天皇制の基礎は安泰となったと言えるでしょう。ただ、新天皇には昭和天皇のようなカリスマ性はなくなりましたので、それだけ「日本国憲法を守り」という誓いの言葉が現実味を増してきました。
しかし、その皇室をとりまく環境は、文部省による日の丸、君が代の実施の強制、靖国神社を特別扱いする問題などを見てもわかるように、依然、保守的傾向が強く、「平成」になったからといって改善されておりません。日本にはまだ「菊のタブー」という自由な言論への制約があり、朝日新聞記者が殺されたり、長崎市長が銃撃されたりして、世間に見えない恐怖をあたえています。彼らは主観的には天皇を日本民族の柱と考え、皇室を大切に思っているのでしょうが、客観的には彼らのそうした暴力的行動は、かえって天皇の意思にそむき、皇室を国民から引き離す結果をもたらしています。それでは本来の「天皇制擁護」の目的も達成できないでしょう。
それでは21世紀に向かって皇室はどうなればいいか、私なりの考えを述べてみます。
まず、天皇や皇室を利用しようとする、いかなる行為も止めるべきです。天皇にはこんどこそ完全に自由な人間、自由な市民になってほしい。そのためには憲法第一章の天皇条項の制約から解放され、皇族も人権を回復することが必要です。天皇は日本国民統合の象徴であることをやめ、その地位も世襲せず、第一章第七条に定められた国事行為からも解放されることがよいのです。今の憲法が天皇に課している煩瑣な国務、大臣や裁判官ら官吏の任免権、大赦、特赦、栄典授与の大権、外国の賓客や大公使らの接見の義務、その他、国の儀式の執行等々の義務を解除し、天皇や皇族を人権を尊重される一市民として自由に振舞えるように、国民大多数が認め、保障することです。それは当然、現憲法の改正をともなうでしょう。
例えば第一章第一条は簡潔に「日本国の主権は国民にある」だけでよいのです。天皇に対して日本国家の元首なみにするような重い義務を課すべきではありません。第二条以下第八条までの天皇条項はすべて不要です。とくに天皇や皇族を、国家枢要の国務である外交に利用するようなことは中止すべきです。また栄誉授与の大権を天皇に託して、その周辺に数万人の藩屏をきずかせるということを廃止すべきです。藩屏とは特権階級を意味し、それは国民平等の憲法の精神に反するからです。
私は、数十年にわたって日本の歴史を研究してきた人間として、天皇や皇室がわが国の歴史にとってどんなに重要な意義をもつ存在であったかを骨身にしみて知っています。とくに日本の文化伝統を維持・継承する面で非常に大きな役割を果たしてきた存在であることも知っています。だからといって、皇室を唯一特別なものと差別視するわけではありませんが、天皇制否定イコール天皇家の意味否定であってはいけないと思うのです。たとえこれまでの天皇の中に、政治、外交、軍事、民政の統治の面で大きな過失を犯した人があったとしても、そのことで天皇存在の意味を全否定することはできません。身近な問題でいえば日本全国にはいたる所に天皇や皇室と関係の深い史跡や文物があり、それを無視しては日本研究も観光を楽しむことも成り立たないという一例を挙げても分かりましょう。1500年もつづいた天皇家とこの国との関係を考えれば、日本文化を皇室と完全に切り離すことは不可能なのです。
私は天皇制の擁護論者ではなく、これまで述べてきたように批判論者ですが、だからといって日本史における天皇の意味を恣意的に軽く見るつもりはありません。私は、すでにそのような歴史的意味を持ってしまった皇室には、それにふさわしいあり方があるのではないかと考えるのです。率直にいえば、天皇には徳川家累代の居城から出て、一千年のふるさとである京都御所に戻ってもらいたい。私の知るかぎり、それはまた明治天皇の終生変わらぬ願いでもありました。その故郷の地で、天皇には自由な市民として、自由な生き方を楽しんでもらいたい。
どのような道を選ぶかは、特権を捨てた以上、皇族一人ひとりの自由ですが、たとえば次のような道も可能ではないでしょうか。つまり、一文化人として伝統芸術や日本文化の保存継承の仕事をしずかにつづけていくこと。たとえていえば、能楽や花道、茶道に家元があるように、天皇は日本の伝統文化の家元となって、これまでのキャリアを生かす。その結果として、その身辺に旧貴族や天皇信仰者や奉仕者らがあつまったとしても、それが文化の次元にとどまっているかぎり、だれもその平安を妨げることはできない。それどころか日本国民はおそらく、そうした天皇のあり方に好感を持ち、親愛の情を寄せるであろう。そしてこのことは、おそらく当の皇族が心中、もっとも強く願い、深く心に期していることではないだろうか。
繰り返していう。なんびとも天皇や皇室を、どのような理由、どのような形であれ、利用してはならない、と。
それが惨苦の思いで、昭和の全史を生き残ってきた人間の願いである。
(色川大吉『昭和史と天皇』岩波書店、1991年)