皇室は財閥の同一型の一部であった。したがって財閥とともに掠奪事業の哲学を共有していた。天皇の側近が内閣総理大臣を選ぶのだったから、封建的全体系は国策がこの哲学に順応せしめられるとの保証を与えられていた。これに対して財閥は、皇室の神話のもっとも熱心な製作者だった。この神話こそ、彼らの政策を国民の抗議から保護するもっとも有効な手段の一つだった。
財閥をふとらせるためにアジア大陸の戦野に赴こうと志すものはおそらくいなかったろう。しかし、天皇のためといわれれば、何百万かの人が敢然として戦いに赴いた。かくて、何百万円という財閥の金が、神道の神社に、プロパガンダの費用に、また日本の「使命」という破壊的な観念を売りつける運動に注ぎこまれたのであった。
が、この皇室と財閥の結合は、もっと緊密なものがあった。住友は皇族の連枝の後裔であると主張し、三井は天皇を献じた封建貴族の末裔であると主張している。友好と婚姻を通じて、財閥は天皇の側近たちや全封建制度網と固く同盟した。
住友は、60年にわたる「内閣製造者」西園寺公と結びつき、三井は一連の宮廷政治家とかたく結合した。その中には、最近の宮内大臣二人も入っている。三菱は幸いにも、ある天皇の顧問の支援を得て、自分の代表を天皇の最側近におくことができた。
(マーク・ゲイン『ニッポン日記』ちくま学芸文庫、1998年)
財閥をふとらせるためにアジア大陸の戦野に赴こうと志すものはおそらくいなかったろう。しかし、天皇のためといわれれば、何百万かの人が敢然として戦いに赴いた。かくて、何百万円という財閥の金が、神道の神社に、プロパガンダの費用に、また日本の「使命」という破壊的な観念を売りつける運動に注ぎこまれたのであった。
が、この皇室と財閥の結合は、もっと緊密なものがあった。住友は皇族の連枝の後裔であると主張し、三井は天皇を献じた封建貴族の末裔であると主張している。友好と婚姻を通じて、財閥は天皇の側近たちや全封建制度網と固く同盟した。
住友は、60年にわたる「内閣製造者」西園寺公と結びつき、三井は一連の宮廷政治家とかたく結合した。その中には、最近の宮内大臣二人も入っている。三菱は幸いにも、ある天皇の顧問の支援を得て、自分の代表を天皇の最側近におくことができた。
(マーク・ゲイン『ニッポン日記』ちくま学芸文庫、1998年)