畑倉山の忘備録

日々気ままに

戦前の財閥(1)

2019年01月27日 | 天皇
第三の特徴は、財閥と皇室との親密な結びつきである。天皇自身も現在「等身大の財閥」といわれている。彼は確かに日本最大の金持である。13週間前、日本政府はマックアーサー元帥への報告において皇室財産を17億円たらずと評価している。

用いられた算定方法のゆえにこの数字はアメリカの通貨に換算することはできない。が、ある総司令部の専門家はこう言った、「天皇の財産は5億ドルから10億ドルのあいだだろう。このひらきは、われわれの到着直前に彼の財産のどれだけが隠匿されたかというわれわれの知らない、またたぶん将来も知りえない事実によって生じるものである」

皇室は、三井住友を含む財閥の銀行への一大投資家だった。また永年にわたって郵船会社の最大の株主で、同社を支配する三菱よりも多くの株数をひとまとめにして所有していた。が、見事な公平さをもってNYKの随一の競争相手、大阪商船株式会社の莫大な株数も所有していた。

天皇は三菱信託、その保険会社、三井炭坑、製紙会社、台湾製糖および同海運、北海道拓殖銀行、勧銀、などへの投資家で、また今はアメリカの「高級将校」の宿舎になっている帝国ホテルにまで投資していた。

皇室は日本銀行の発行株数の60パーセントを所有する最大の株主で、残りは当然財閥が所有していた。財閥と同様に皇室も、征服の儲けの分け前にあずかっている。開戦の前夜、皇室は横浜正金銀行の株の22パーセントをもっていたが、同銀行の主たる関心は、日本の占領地域ないしは狙いをつけた地域の搾取にあった。そしてその政策は財閥を代表する人々で構成する取締役会で決せられるのであった。

財閥とともに皇室はまた、南満洲鉄道株式会社の大株主だった。これは往年の英国の東インド貿易会社の日本版として悪名高いものだった。朝鮮銀行や台湾銀行のような植民地搾取機関にも皇室の円がたくさん投下されていた。

(マーク・ゲイン『ニッポン日記』ちくま学芸文庫、1998年)