畑倉山の忘備録

日々気ままに

差別の胴元を「千代に八千代に」

2019年01月27日 | 天皇
天皇裕仁が死の病床にあった1988年10月、台湾の反日デモのプラカードに「天皇が一言も謝罪しないのは、(主権者)日本人の恥」と書かれていた事実は、戦争責任意識を欠落、放置した戦後日本の民主化路線の本質を見事に射抜いたものである。

ほんらい戦争責任意識と国民主権の確立は不可分の関係にあるのに、民主化推進の担い手たちは、民主化が自動的に過去の克服・贖罪につながるものと漠然と考えるだけにとどまっていた。

しかも、戦後日本の民主化といっても、それは「皇室典範」で身分差別・女性差別・障害者差別を規定した象徴天皇制との共存であり、この日本社会の差別の総元締めには一指も触れることは出来なかった。

それどころか、日本は21世紀に向けてこの差別の胴元をなお「千代に八千代に」保持しようというのである。

(安川寿之輔『福沢諭吉のアジア認識』高文研、2000年)