限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

【座右之銘・92】『tam malorum quam bonorum longa conversatio amorem induit』

2016-04-10 20:25:36 | 日記
今を去ること数十年前の学生の頃、ジャーナリズム志望の友人がいたが、部屋に入ると、いつも畳の床に新聞の山がいくつもあった。私は、当時から新聞をあまり真剣に読まない性格(たち)で、古い新聞などは図書館で読めばよいと思っていたので、大事に保存する意味が理解できなかった。というのは、私には本質的に近年のジャーナリズムに対する不信感があるからである。

この傾向がさらに強まったのは、以前のブログ
 【麻生川語録・38】『新聞の逆さ読み』
で述べたように、アメリカ留学中に、新聞の記事を1ヶ月分まとめて、最新のものから読んだ時に、貴重な教訓を得たからでもあった。誤解されると困るのだが、私はジャーナリズムそのものの価値を否定している訳ではない。ジャーナリストが高い職業意識をもって情報収集することは立派なことであるのは言うまでもない。ただ、一般人である我々までそのディテールに巻き込まれる必要がないと言いたい。例えば、自家用車を購入しようとするとき、車の値段や、性能について、購入者が必要とする情報は収集するが、もし、車の開発者の苦労話を延々と聞かなければ買えないとしたら、一体どれぐらいの人が成約にまで至るであろうか?先方(車の開発者)の情報の全てを必要としていないのと同様のことがジャーナリズムについても言える。

現在のジャーナリズムが流す特ダネ記事や、事件の微に入り細を穿つ情報との付き合い方に気をつけないといけない。とりわけ、リベラルアーツのように、人類の長い歴史を俯瞰して生きる知恵を学び取ろうというのに、ジャーナリストばりにディテールを追いかけることに精力を費やしているのでは、要点を見失ってしまう。最も良い例が、最近の日中間、日韓間の問題であろう。常に、最近 100年の両国との関係ばかりが取沙汰されている。富士山を見上げている時に、蝶々がすぐ目の前に飛んでくれば、視界が遮られるが、それは何も蝶々が富士山より大きいからでないのは言うまでもない。それと同様、日中間、日韓間は百年ではなく、もっともっと時間的にも空間的にも長く広いスパンで眺める必要がある。中国、韓国、北朝鮮がことさら近代の問題をしつこく取り上げるのは、彼らの内政上の理由からだと割り切って考えるのがよい。

ついでに言うと、ジャーナリズムの度を越した大量の情報提供を非難するのと同じ論理で、Web、SNAやスマートフォンなどによる情報洪水についても私はかなり批判的な見方をしている。確かにこれらの器具は便利であり、必要な情報を手軽に入手できるという利点は認める。私自身も、普段の情報検索には多大な恩恵を蒙っている。しかしながら、自分が主体となり、必要な時にだけ、必要な情報を能動的に取りにいくのと、駄々漏れの情報を受動的に浴び続けているのとでは天地の差がある。残念ながら、現在の世の中、電車、バス、路上は言うまでもなく、自動車や自転車の運転中においても情報を浴びていないと不安になる人が非常に多い。立派な『情報のアヘン中毒』患者だ。



ローマの哲人・セネカが現在のSNSやスマートフォンの流行を二千年も前に、すでに見越していたかの如く、次の言葉を『心の平静について』に書き残している。

 【原文】tam malorum quam bonorum longa conversatio amorem induit
  (Seneca "De Tranquillitate Animi", 1.3.).

 【私訳】長く付き合うと、良きにつけ悪しきにつけ、愛(いと)おしくなるものだ。
 【英訳】Of things evil as well as good long intercourse induces love.
 【独訳】Langes Vertrautsein macht uns zuletzt das Böse und das Gute gleich lieb.

セネカは「悪いと分かっていても、長い間、それと付き合っていると、次第にその悪さにマヒしてしまう」と警鐘を鳴らしているのだ。かつては、テレビゲームが年少者の脳に悪影響を与えるので、遊ぶ時間を制限しないといけないと、保護者や教育者たちが騒いでいたが、今や大人たちも同じようにSNS、スマートフォン中毒にかかっている。何ってことはない、ミイラ取りがミイラとなってしまったので、もはや子供に対して小言を言える立場にない。我々が戦争記録映画でヒトラーの煽情的なジェスチャーと言葉にドイツの民衆が熱狂する場面を見ると「何とバカな!」と呆れる。翻(ひるがえ)って、現在の人々がスマートフォンに夢中になっている姿が記録映画に残されて、数百年後に未来の人々が見ると、きっと同じように呆れかえることであろうと私は想像する。
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想溢筆翔:(第250回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その93)』

2016-04-07 22:23:35 | 日記
前回

【192.水道 】P.975、BC27年

漢文の『水道』には、自然および人工の「水運路」の他に日本でいう「上水道」の2つの意味がある。もっとも古代中国の「上水道」は、ローマのように、鉛や石、瓦で管を作って、数十キロメートルにわたって敷設したようなものでなく、単に小川のような水路を指したものと想像される。


【出典】貴州・西江千戸苗寨

前漢は武帝以来、各方面に勢力を広げていたが、中国から遠い所では漢の威光が届かない地域もあったようだ。「夜郎自大」の故事で知られる夜郎もその一つで、夜郎王・興は漢の牂柯太守(郡長官)の陳立に逆らったために首を斬られてしまった。興の一家は、復讐に燃え、反旗を翻した。

 +++++++++++++++++++++++++++
夜郎王・興の妻の父、翁指は息子の邪務を生き残った兵を集めて、近隣の二十二村を脅して反乱に加わらせた。冬が来て、陳立は周辺の遊牧民から兵を募って都尉と長史と共に、ほうぼうから翁指らを攻めたいと奏上した。翁指たちは険しい崖の上に砦を築いた。陳立は奇兵を放ってその食糧運搬道を封鎖し、また敵陣にスパイを潜入させて敵兵を投降させようとした。都尉の万年が「長期戦になると戦費がもたない」といって、単独で敵を攻めたが、負けて、陳立の陣地に逃げて戻ってきた。陳立は怒って、部下に、万年を縛るよう命じたので、万年は、恐れてまた戦線に戻って戦った。陳立は救援に駆け付けた。その時、たまたま日照り続きの日が続いたので、陳立は敵の水道を断ち切った。蛮夷たちは、翁指を裏切って首を斬り、投降した。そうして遂に西夷を平らぐことができた。

興妻父翁指、与子邪務収余兵、迫脅旁二十二邑反。至冬、立奏募諸夷、与都尉、長史分将攻翁指等。翁指拠阸為塁、立使奇兵絶其饟道、縦反間以誘其衆。都尉万年曰:「兵久不決、費不可共。」引兵独進;敗走,趨立営。立怒、叱戯下令格之。都尉復還戦、立救之。時天大旱、立攻絶其水道。蛮夷共斬翁指、持首出降、西夷遂平。
 +++++++++++++++++++++++++++

夜郎というのは、現在の貴州省で、苗族が多く住んでいる地帯である。この地域の王を陳立が暗殺し、無理やりに漢の領土とした。漢の立場から言えば、陳立は領土を広げた功労者であるが、夜郎(苗族)の立場から言えば、陳立は侵略者でありテロリストでもある。しかし、この記述でもあるように、諸部族が内部分裂によって自滅するケースは多い。

続く。。。
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沂風詠録:(第270回目)『中・欧の印刷産業発展のきっかけ』

2016-04-03 23:35:31 | 日記
晋の時代というのは、日本人(および中国人)が大好きな三国志の次の時代である。残念ながら、晋代には三国志に登場するような、超メガ級の有名人に乏しいので、一般には至って影の薄い時代であろう。そのような世間の意向とは逆に、私は大学入学と同時に、晋の時代にはまってしまった。それについては、以前のブログ 想溢筆翔:(第20回目)『その時歴史が、ズッコケた』に書いた通りである。

晋代のことを知りたくて『世説新語』を平凡社の古典文学大系にある現代語訳で通読した。ストーリーが面白いので、すぐに読んでしまった。その後、漢文を標点式でも読めるようになって中華書局の標点本を手に入れた。そして、真打ちとして、昭和初期に発行された有朋堂の『漢文叢書・世説新語』を入手したのが、前世紀も終わろうとしていたころだ。つまり『世説新語』の存在を知ってから 20年たってようやく、この本にまつわるフルセット(原文、読み下し文、現代語訳)が揃い、何回か通読した。このように『世説新語』はいわば私にとっては愛読書であるのだ。

晋代の人物だけでなく、三国志の人物も登場する。たとえば魏の曹操などは、20回も登場する。それに対し、諸葛孔明(諸葛亮)はわずか4回しか見えない。三国志の人気ぶりとは逆転している。

さて、曹操であるが、部下に頭の回転が滅法早い楊脩という才人が居た。流石の曹操も IQでは彼にかなわなかった。たとえば次のような話がある。

ある時、石碑の上部に「黄絹幼婦、外孫齏臼」という謎めいた文字が彫ってあった。それを見た楊脩は瞬時に意味が分ったが、曹操は分からなかった。それで馬に揺られながら、30里(十数 Km)行ったところでようやく、意味が分かった。この謎の文字は『絶妙好辞』と言う意味だと。曹操は楊脩に「ワシの才能は君より30里劣る」といったそうな。

【原文】魏武嘗過曹娥碑下、楊脩従、碑背上見題作「黄絹幼婦、外孫齏臼」八字。魏武謂脩曰:「解不?」答曰:「解。」魏武曰:「卿未可言、待我思之。」行三十里、魏武乃曰:「吾已得。」令脩別記所知。脩曰:「黄絹、色糸也、於字為絶。幼婦、少女也、於字為妙。外孫、女子也、於字為好。齏臼、受辛也、於字為辞。所謂『絶妙好辞』也。」魏武亦記之、与脩同、乃嘆曰:「我才不及卿、乃覚三十里。」(『世説新語』捷悟)



全く話はかわるが、昨日(2016年4月2日)東京で第16回『リベラルアーツ教育によるグローバルリーダー育成フォーラム』を開催した。

私は『整版印刷・活字印刷 日本と朝鮮の比較』というテーマで話をした。内容としては、日本の木版印刷と朝鮮の活字印刷の実物を見ながら、それを作った技術を通して社会の実態を知る、ということで、私としては話の主眼を朝鮮(韓国)に置いたつもりであった。

ところが、講演のあと、会場からの質問で、守備範囲の日本+朝鮮ではなく、ヨーロッパと中国に関するものがあった。それも、印刷業がなぜ盛んになったのか、という量的拡大の理由を問うものであった。

当日の私の話しには確かに主役の日本と朝鮮以外に、脇役としてヨーロッパと中国の印刷の歴史も話をしたが、それは私にとってはあくまでも参考のためという位置づけだった。しかし、そこが質問された。とっさに頭に浮かんだのは、中国では科挙制度の確立で、参考書としての儒教の教科書(いわゆる、四書五経)の需要の増大があったことだった。ヨーロッパはルネッサンスの発展によるものだと思い、そのように答えたが、自分自身でもあまり納得のいく答ではなかった。

私が答えたあとで、出口さん(ライフネット生命・出口治明会長兼CEO)がヨーロッパでは、ルターの宗教改革により、アジびらのパンフレットの印刷需要が増大した旨、などいくつかの点を指摘された。

帰り道、電車の中で中国の事情に関して考えていて、ようやくあることを思い出した。それは、宋の直前、五代十国の末期の宰相・馮道(ふうどう)が起こした一大文化事業であった。

その文化事業とは、九経(つまり、儒教の模範テキスト)を厳密に文字校訂して、木版にて印刷したことだ。(五代十国は戦乱の世でありながら、軍備ではなく文化方面に国家予算を割くなどとは、肝っ玉のちいさい某国の文化相など足元にも及ばない慧眼だと言っていいだろう)

それまでは、たいていの本は写本で流通していたので、写し間違いが多かった。たとえば、
 『魚を3回写したら、魯になるし、同じく、虚は虎となる』
 (猶尚写之多誤。故諺曰、書三写、魚成魯、虚成虎、此之謂也)

という諺もある位だと、『抱朴子』(巻19・遐覧)はいう。

このような状況だったので、厳密な校訂テキストが簡便な形で出版されたことは非常に意義深かった。馮道が始めた儒教テキストの出版事業が結果的に宋代の印刷産業の隆盛の礎となった。

一方ヨーロッパでは、グーテンベルクの活字印刷(1445年頃)から 1500年までの間に出版されたものは、インキュナブラとして特別な取扱いを受ける。この時代の出版の中心はイタリアとドイツで、ある。そして出版物も、ドイツでは宗教関係が大部分である一方で、イタリアではギリシャやラテンの古典の出版が大部分であるという。さらに言語的には3/4がラテン語であったようだ。(『本の五千年史』P.223)

16世紀に入りルターの宗教改革があってからは、当日出口さんが述べられたように、宗教のパンフレットなど宗教関連のものが刷られた。つまりルターの聖書および宗教プロパガンダ文書に印刷がフルに活用された。何しろ一社だけで、15年間に10万部以上のルターの聖書を印刷した会社もあったほどだ。(『書物の本』P.99)このような経緯を経て、中国やヨーロッパの印刷業は発展したということがいえる。

これを以て、昨日の質問の答えとしたい。曹操はたかだか15Km(30里)で見事答えを見つけたが、私はその倍以上かかってしまったという次第。昨日のフォーラムの席では、質問に正しく答えることができなかったが、このような困った質問は実は歓迎しなければいけないと、戦国末の儒者・荀子は次のように言う。
 『私の弱点を突いてくる人は、我が師だ』
 (非我而当者、吾師也)


当日の質問された方の名前を伺うのを失念したが、「困らせてくれてありがとう!」と感謝申し上げたい。

【参考資料】
 『中国の書物と印刷』(日本エディタースクール出版部)、張紹 (高津孝訳)
 『馮道』(中公文庫)砺波護
 『中国の印刷術』(平凡社東洋文庫)T・F・カーター (薮内清・訳)
 『定本 庄司淺水著作集 書誌編 第12巻・本の五千年史』(出版ニュース社)庄司淺水
 『書物の本』(叢書・ウニベルシタス)ヘルムート・プレッサー (轡田収・訳)
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