限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

【座右之銘・93】『ego vero bona mea mecum porto』

2016-04-24 21:10:08 | 日記
『古事記』に、兄と夫の板挟みになった女性の哀しい話が載っている。

沙本毘売命(狭穂姫命ともいう)は垂仁天皇の皇后であったが、兄の狭穂毘古が垂仁天皇を殺して帝位を奪おうと企み、妹に短剣を渡して、昼寝している間に刺せと命じた。垂仁天皇が沙本毘売命のひざまくらで昼寝をしている時に刺そうとしたが、どうしても刺し殺すことができず、涙を流してしまった。その涙で昼寝から醒めた垂仁天皇は事情を聞いて、狭穂毘古の館を攻めた。妹の沙本毘売命は、兄の館に逃げ込んだ。垂仁天皇は戻ってくるよう説得したが、沙本毘売命の兄と運命を共にする決心は変わらなかった。結局、館は火に包まれて燃え、兄妹とも焼死してしまった。自分の子供や夫より兄を大切にしたのだ。



話は変わるが、古代のギリシャやローマの戦いでは、決まって大きな町が狙われる。町を何万にも兵で包囲し、食糧攻めにする。籠城している側の食糧が尽きるか、あるいは戦意を無くすまで待つのが攻め手の常套手段であった。陥落すると、町は略奪され、町の住人は殺されるか、命は助かるものの奴隷として売り飛ばされるか、どちらかであった。

どの町の出来事は記憶が定かでないが、あるギリシャかローマの町が陥落した時、攻撃した側の将軍が人情味あふれ太っ腹で、男どもは皆殺しにするが、女達は自由に町から出て行ってよいとの許可を与えた。その上、自分の力で持てるだけのものを持ち出してもよいとまで言った。その時、女たちはみな、力を振り絞り、それぞれの夫を背負って行ったという。(ただし、未婚の女達が誰を背負ったのかは、確かではないが。。。)

古代、ヨーロッパの女たちは、沙本毘売命と違い、兄よりも夫を大切にしたということだ。

さて、本題の『ego vero bona mea mecum porto』とは、紀元前後のローマの文人、ウァレリウス・マクシムス(Valerius Maximus)の『著名言行録』(Facta et dicta memorabilia)の巻7-2 に載せられている。

その昔、ギリシャの都市、プリエネ(Priene)が敵に攻められた時、市民は皆、家財道具や金銀財宝を山と積んで逃げたが、ただ一人、ビアス(Bias)だけは手ぶらで逃げた。その様子をみた人が、ビアスに「あなたはどうして何も持っていないのですか?」と尋ねた。
するとビアスが
 "ego vero bona mea mecum porto"
 「とんでもない、財産は全て持っていますよ!」
と答えた。ビアスにとって唯一の財産とは、金銀財宝でも、他の誰でもなく、彼自身であったのだ。流石にビアスはギリシャの七賢人の一人と言われるだけのことはある。
コメント
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