限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

沂風詠録:(第286回目)『ブローデルの大著「物質文明」読書メモ・その4』

2017-04-16 22:09:55 | 日記
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【6】ハンカチ(1-1、P.237)

以前、ドイツへ留学した時に、"Im Bus soll man nicht Trumpet blasen." (バスの中でトランペットを吹くべからず)という(ような)句を聞かされたことがあった。「トランペットを吹く」とは文字通りの意味ではなく、鼻をかむことである。日本人と違って鼻が高い(大きい)人が多いドイツ人の中にはトランペットのような豪快な音をたてて鼻をかむ人がいる。それで、エチケットとしてバス(や公共機関)の中では鼻をかまないようにという忠告なのである。

ドイツでは当時(1977年)も(多分、今でも)鼻をかむ時は鼻かみではなく、ハンカチを使う。それも、一回つづ取り換えるのではなく、何回もかむ。そうして、かんだ後はポケットに突っ込んでおくと、体温(と乾燥している)おかげで、その内に乾いてくるので何度も使える。初めは、下品でバッチイと思っていたが、そのうち私自身もドイツ式にハンカチを使うようになった。

ハンカチで鼻をかむのは、日本人の清潔感からすると納得できないが、ヨーロッパではかなり上品だと考えられていたと、ルネッサンス期の文人・エラスムスの言を引用しながら、ブローデルは次のように述べる。

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ハンカチも贅沢品であった。エラスムスはその著作『礼儀作法集』のなかでこう説明している。―「帽子や袖を使って鼻をかむことは田舎者のすることである。腕や肘で鼻をかむのは菓子屋のすることである。また手鼻をかんで、ひょっとして同時に自分の服にその手を持っていったりしたら、不作法な点では五十歩百歩である。しかし、貴人からやや顔をそむけながら、ハンカチで鼻の排泄物を受けとめるのは礼儀にかなったことである。」
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このように、ハンカチで鼻をかむのは至って上品なマナーであるというが、 17世紀の初め、慶長遣欧使節でヨーロッパに行った支倉常長の一行が懐紙で鼻をかんだことに当時のヨーロッパ人は非常に驚いたようである。紙が安価に出回っていた日本と異なり、ヨーロッパではハンカチ以外の手段がなかったのであろう。もっとも、片方の鼻の穴を抑えて、もう一つの穴から空気を思い切り吹出すことでハンカチどころか手も汚すことなく手際よく鼻水を取り去る方法もある。当然のことながら、ハンカチ業界や鼻紙業界からは、営業妨害と指弾されている方法ではあろうが。。。



これらの記述を通して、ブローデルは、ヨーロッパが先進的になったのは、たかだかここ300年の、極めて最近の現象にすぎないことを述べようとしたのだと私は考える。逆の観点からいうと、現代の世界において、文明的と考えられているさまざまな思想は物質的には至って粗末な状況のヨーロッパにおいて育まれたのだということを知っておく必要がある。

日本では「和魂洋才」という言葉があらわすように、ヨーロッパの物質文明に対して、日本の精神文明があると誇る。幕末の学者・佐久間象山はもっと端的に「東洋道徳、西洋芸術」と述べた。この点においては、中国や朝鮮も同じように考えていたことは、「中体西用」(中国)、「東道西器」(朝鮮)という単語からでも分かる。しかし、ブローデルの指摘からもわかるように、歴史的にみれば、ヨーロッパが物質文明の恩恵に浴したのは、最近(300年前)だったことを思い至ると、東西文明の本質的な差は物質文明のある/なしではないことが分かる。表層的ではなく、物事に対する観点・考え方の根本的な差をつかむには、膨大なバックグラウンドの知識を必要とする。

【参照ブログ】
 想溢筆翔:(第13回目)『下駄履きのシンデレラ』

続く。。。
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