限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

智嚢聚銘:(第8回目)『中国四千年の策略大全(その8)』

2022-06-12 15:03:20 | 日記
前回

「将来を予測できればいいなあ」と誰もがひそかに思っていることであろう。将来がバラ色であればいう事ないが、逆にたとえ将来に不幸が起こると分かっても、それでも不幸に備えて何らかの準備や心構えができるので、不意打ちよりはましであろう。しかし、未来を予測するのは難しいからこそ、未来を予測するという怪しげな稼業がそこかしこで繁盛するのだ。

しかし、戦国策に「愚者闇於成事、智者見於未萌」(愚者は成事に闇く、智者は未萌に見る)という言葉がある。その昔、商鞅が新たな法律を作り、秦の孝公に「新しい政策は、たとえ良い政策であったも、世人にはなかなか理解してもらえないものだ」と説明して、強引に法律を施行した。この法律によって、秦は一躍戦国の強国になり、のちに始皇帝が天下を統一を成し遂げた。

今回取り上げる2つの話は、いづれも「智者見於未萌」の類で、普通の人なら見過ごしてしまう些細な出来事から智者は未来を察知して危機を切り抜けたという話だ。

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 馮夢龍『智嚢』【巻 5 / 242 / 万二】(私訳・原文)

明が成立した頃、洪武年間に嘉定の安亭に万二という人がいた。元朝の官僚であったが、明になってから出仕しなかったが、それでも財産は郡内ではナンバーワンであった。以前、都(南京)に行った人が村に戻ってきたので、何か面白いことはなかったかと聞くと、皇帝(朱元璋)が詠んだ詩を教えてくれた。

 百僚未起朕先起 (百官がまだ起きないのに、朕が先に起きる)
 百僚已睡朕未睡 (百官がもう寝ているのに、朕はまだ寝ていない)
 不如江南富足翁 (これでは、江南の金持ちの年よりの方がよい)
 日高丈五猶披被 (陽が昇っても、まだ布団の中にいることができる)

万二はこの詩を聞くと、「これは大乱の前触れだ」と予感した。そしてすぐさま家財を信頼できる家僕に処分させて、大きな船を買い入れ、妻子を載せて川を下って去っていった。それから 2年もしないうちに、江南の大きな氏族は乱に巻き込まれ次々と没落したが、万二だけは助かった。

洪武初、嘉定安亭万二、元之遺民也、富甲一郡。嘗有人自京回、問其何所見聞、其人曰:「皇帝近日有詩曰:『百僚未起朕先起、百僚已睡朕未睡。不如江南富足翁、日高丈五猶披被。』」二歎曰:「兆已萌矣。」即以家貲付托諸僕乾掌之、買巨航、載妻子、泛游湖湘而去。不二年、江南大族以次籍沒、独此人獲令終。
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朱元璋の詩は一見、皇帝の身分でありながら政治に忙殺されているつらさの嘆き節であるようだが、天下統一が未完成であり、それを成し遂げようという強い意志が隠されていた。世人には朱元璋の意図が読み取れなかったが、一人、万二だけはこれから天下統一の大決戦が行われると悟って、いち早く対処した。先見の明、危険察知能力、が優れていないと生き残れないのが伝統的な中国社会であったし、多分現在もそう変わっていないであろう。




次は、清談が流行した晋代の話。三国時代もそうだが、それに続く晋の時代も政変が絶えなかった。(もっとも、『資治通鑑』のような中国の歴史を読むと、中国に政変がない時代というのは皆目見当たらない。つまり、政変に継ぐ政変が中国の常態だといえる。)

そういった中で、政変に巻き込まれずに無事に生き延びるには、頭の切れ(才)より洞察力(識)が必要だというのが次の話だ。

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 馮夢龍『智嚢』【巻 6 / 276 / 陸遜孫登】(私訳・原文)

嵇康が孫登に3年間師事したが、自分に対する評価を聞かされたことがなかった。別れる日に意を決して「先生、何か一言おっしゃってください」と頼んだ。孫登がしぶしぶ口を開いた「お前は火を知っているか?光はあっても使い方を知らなければ、光がないのと同じだ。人も才能があっても使い方を知らないのなら才能がないのと同じだ。光を使おうとすれば、光を生む材料の薪を集める必要がある。才能を使おうとすれば物の理(ことわり)を知ることだ。そうでないと、非命に倒れ寿命をまっとうできない。お前は、才は多いが識は少ない。現在のような政治が混乱している時代には生き延びるのは難しいだろうな。」嵇康は孫登の言ったことが理解できなかったので、とうとう呂安の難に遭って処刑された。

嵇康従孫登游三年、問終不答。康将別、曰:「先生竟無言耶?」登乃曰:「子識火乎?生而有光、而不用其光、果然枉於用光;人生有才、而不用其才、果然枉於用才。故用光在乎得薪、所以保其曜;用才在乎識物、所以全其年。今子才多識寡、難乎免於今之世矣!」康不能用、卒死呂安之難。
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この文の前には陸遜が諸葛恪に傲慢になるなよ、と戒めた話が載せられている。忠告を無視した諸葛恪は殺される破目に陥った。それと同様の運命を辿ったのが、竹林の七賢人の一人、嵇康である。嵇康は自らの才能に溺れて自分より劣る人を蔑視したため、多くの敵を作ってしまった。それで、嵇康自身には罪はなかったが、友人の呂安の訴訟に巻き込まれて処刑されてしまった。人間は「才より識(徳)」が重要だという時に決まって引用される話である。(尚、嵇康の文の出典は『晋書』巻94 )

続く。。。
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