『6.03 死刑判決を聞いても、悠々を碁を打ち終えてから毒杯を飲む。』
どこに書いてあったのか思い出せないが、中世(あるいは近世)ドイツの死刑囚は処刑の数日前(あるいは前日)の飲食に関してはどんな要求でも拒まれることがなかったそうだ。当然のことながら、とびっきり上等のワインを頼んだに違いないが、人生の最後をこのように送ることができるなら、一度ならず何度でも死にたい!と思うだろう。
一度きりの人生の最後を自分の意思で存分に楽しんでからあの世に旅立った人もいた。
その昔、悪名高いローマ皇帝・ネロの側近で放蕩ざんまいで有名なペトロニウスという遊び人がいた。彼が書いた小説『サティリコン』の一章の『トリマルキオの宴会』には贅沢を通りこしたド派手な宴会の様子がまるで映画のように活写されている。しかし、享楽的な生活を送っていたペトロニウスはネロに妬まれ自殺を強いられた。その知らせを受けたペトロニウスは死の門出に友人を呼んで宴会を開き、漫談に腹をかかえて笑いつつ、思う存分ネロの悪業を書きなぐり、わざわざ当人宛てに届けさせた。まるで生きているより、理不尽な死の方が愉快だとも言わんばかりのフィニッシュぶりだ。
【参照ブログ】
想溢筆翔:(第30回目)『♪ロウ板に書いたラブレター♪』
ペトロニウスとは少し趣を異にするが、理不尽な死を淡々と受け入れた貴紳が中国にはいた。宋(劉宋)の王景文がその人だ。
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資治通鑑(中華書局):巻133・宋紀15(P.4169)
宋の明帝の病気が重くなった。帝は死後に皇后が政治を執ることを考えると、必ずや皇后の兄である江安懿侯の王景文が宰相となり実権を握り、王室が脅かされるのを恐れた。それで、使者を派遣して、王景文に賜薬(毒薬)を贈り、自ら敕の文章を書いてこういった、『あなたとはいろいろとあったが、あなたの一門の人を安全にするためにこの処分を決めた。』この敕が届いた時は、王景文はちょうど客と碁を打っていた最中だった。敕の入っている箱を開いて中の文章を読んでから、また顔色を変じることなく碁に向かった。ちょうど局面は劫を争っているところであった。碁の勝負が終わり、碁石をなおしてからおもむろに、『皇帝から死ねとの仰せがあった』と客に敕を見せていった。中直兵の焦度や趙智略が怒って『立派な大人ががそうむざむざと死の命令を受け入れるのですか!この州に呼びかければ、将兵の数百人はすぐに集まります。一旗挙げてから死んでも遅くはないのではないでしょうか?』と激昂して言った。それに対して王景文は『あなた達の真心はよ~く分かった。もし本当にわしのことを思うのであれば、わしの親戚の連中が生き延びることを考えて欲しい。』 こういって王景文は、墨をすり、明帝に謹んで敕をお受けする旨を述べてから下された毒薬を飲んで死んだ。死後に開府儀同三司を贈られた。
上疾篤,慮晏駕之後,皇后臨朝,江安懿侯王景文以元舅之勢,必爲宰相,門族強盛,或有異圖。己未,遣使齎藥賜景文死,手敕曰:「與卿周旋,欲全卿門戸,故有此處分。」敕至,景文正與客棋,叩函看已,復置局下,神色不變,方與客思行爭劫。局竟,斂子内奩畢,徐曰:「奉敕見賜以死。」方以敕示客。中直兵焦度趙智略憤怒,曰:「大丈夫安能坐受死!州中文武數百,足以一奮。」景文曰:「知卿至心;若見念者,爲我百口計。」乃作墨啓答敕致謝,飲藥而卒。贈開府儀同三司。
上の疾、篤し。晏駕の後に、皇后の朝に臨み、江安の懿侯・王景文の元舅の勢をもって、必ずや宰相になり、門族の強盛にして、あるいは(帝位を伺う)異図のあらんことを慮んばかる。己未、使いを遣わし、薬を齎(もたら)し、景文に死を賜う。手づから敕して曰く:「卿とは周旋す。卿の門戸をまっとうせんとす。故に、この処分あり。」敕至るに、景文、まさに客と棋す。函を叩き、すでに看て、また置きて局をくだす。神色、変ぜす。まさに客と劫を争わんことを思う。局おわり、子を斂(まい)ておさめおわり、おもむろに曰く:「敕を奉ずるに、賜うに死をもってせらる。」まさに敕を客に示す。ただちに直兵焦度、趙智略、憤怒して曰く:「大丈夫、いずくんぞよく坐して死を受けんや!州中の文武・数百、もって一奮に足る。」景文、曰く:「卿の至心は知れり。もし、念ずるあらば、我がために百口を計れ。」すなわち、墨をなし、啓して敕に答え、謝を致し、薬を飲みて卒す。開府儀同三司を贈らる。
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以前のブログ、『観相のこつ、八観六験と九徴』で述べたように喜怒哀楽の情を抑制できることは人の品性を評価する上では重要なポイントであるようだ。とりわけ、落ち込んでいる時の処し方がポイントだ。
懼之以驗其特(これを懼れしめて、その特を験す)
哀之以驗其人(これを哀しまして、その人を験す)
苦之以驗其志(これを苦しめて、その志を験す)
死刑判決を聞いても、悠々を碁を打ち終えてから毒杯を飲む、この王景文の最後はまるでプラトンが Phaidon(パイドン)で描写したソクラテスの臨終さながらだ。
これもまたどこに書いてあったか思い出せないので本当かどうか保証しかねるが、長年いろいろな人の死をみとってきた医師が次のように漏らしたそうだ。
『高僧といっても死ぬ前に随分見苦しい振る舞いをする方が少なからずおられました。』
死に際してもとり乱さない、洋の東西を問わず士の器量が問われる瞬間だ。
(目次『資治通鑑に学ぶリーダーシップ(序)』)
どこに書いてあったのか思い出せないが、中世(あるいは近世)ドイツの死刑囚は処刑の数日前(あるいは前日)の飲食に関してはどんな要求でも拒まれることがなかったそうだ。当然のことながら、とびっきり上等のワインを頼んだに違いないが、人生の最後をこのように送ることができるなら、一度ならず何度でも死にたい!と思うだろう。
一度きりの人生の最後を自分の意思で存分に楽しんでからあの世に旅立った人もいた。
その昔、悪名高いローマ皇帝・ネロの側近で放蕩ざんまいで有名なペトロニウスという遊び人がいた。彼が書いた小説『サティリコン』の一章の『トリマルキオの宴会』には贅沢を通りこしたド派手な宴会の様子がまるで映画のように活写されている。しかし、享楽的な生活を送っていたペトロニウスはネロに妬まれ自殺を強いられた。その知らせを受けたペトロニウスは死の門出に友人を呼んで宴会を開き、漫談に腹をかかえて笑いつつ、思う存分ネロの悪業を書きなぐり、わざわざ当人宛てに届けさせた。まるで生きているより、理不尽な死の方が愉快だとも言わんばかりのフィニッシュぶりだ。
【参照ブログ】
想溢筆翔:(第30回目)『♪ロウ板に書いたラブレター♪』
ペトロニウスとは少し趣を異にするが、理不尽な死を淡々と受け入れた貴紳が中国にはいた。宋(劉宋)の王景文がその人だ。
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資治通鑑(中華書局):巻133・宋紀15(P.4169)
宋の明帝の病気が重くなった。帝は死後に皇后が政治を執ることを考えると、必ずや皇后の兄である江安懿侯の王景文が宰相となり実権を握り、王室が脅かされるのを恐れた。それで、使者を派遣して、王景文に賜薬(毒薬)を贈り、自ら敕の文章を書いてこういった、『あなたとはいろいろとあったが、あなたの一門の人を安全にするためにこの処分を決めた。』この敕が届いた時は、王景文はちょうど客と碁を打っていた最中だった。敕の入っている箱を開いて中の文章を読んでから、また顔色を変じることなく碁に向かった。ちょうど局面は劫を争っているところであった。碁の勝負が終わり、碁石をなおしてからおもむろに、『皇帝から死ねとの仰せがあった』と客に敕を見せていった。中直兵の焦度や趙智略が怒って『立派な大人ががそうむざむざと死の命令を受け入れるのですか!この州に呼びかければ、将兵の数百人はすぐに集まります。一旗挙げてから死んでも遅くはないのではないでしょうか?』と激昂して言った。それに対して王景文は『あなた達の真心はよ~く分かった。もし本当にわしのことを思うのであれば、わしの親戚の連中が生き延びることを考えて欲しい。』 こういって王景文は、墨をすり、明帝に謹んで敕をお受けする旨を述べてから下された毒薬を飲んで死んだ。死後に開府儀同三司を贈られた。
上疾篤,慮晏駕之後,皇后臨朝,江安懿侯王景文以元舅之勢,必爲宰相,門族強盛,或有異圖。己未,遣使齎藥賜景文死,手敕曰:「與卿周旋,欲全卿門戸,故有此處分。」敕至,景文正與客棋,叩函看已,復置局下,神色不變,方與客思行爭劫。局竟,斂子内奩畢,徐曰:「奉敕見賜以死。」方以敕示客。中直兵焦度趙智略憤怒,曰:「大丈夫安能坐受死!州中文武數百,足以一奮。」景文曰:「知卿至心;若見念者,爲我百口計。」乃作墨啓答敕致謝,飲藥而卒。贈開府儀同三司。
上の疾、篤し。晏駕の後に、皇后の朝に臨み、江安の懿侯・王景文の元舅の勢をもって、必ずや宰相になり、門族の強盛にして、あるいは(帝位を伺う)異図のあらんことを慮んばかる。己未、使いを遣わし、薬を齎(もたら)し、景文に死を賜う。手づから敕して曰く:「卿とは周旋す。卿の門戸をまっとうせんとす。故に、この処分あり。」敕至るに、景文、まさに客と棋す。函を叩き、すでに看て、また置きて局をくだす。神色、変ぜす。まさに客と劫を争わんことを思う。局おわり、子を斂(まい)ておさめおわり、おもむろに曰く:「敕を奉ずるに、賜うに死をもってせらる。」まさに敕を客に示す。ただちに直兵焦度、趙智略、憤怒して曰く:「大丈夫、いずくんぞよく坐して死を受けんや!州中の文武・数百、もって一奮に足る。」景文、曰く:「卿の至心は知れり。もし、念ずるあらば、我がために百口を計れ。」すなわち、墨をなし、啓して敕に答え、謝を致し、薬を飲みて卒す。開府儀同三司を贈らる。
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以前のブログ、『観相のこつ、八観六験と九徴』で述べたように喜怒哀楽の情を抑制できることは人の品性を評価する上では重要なポイントであるようだ。とりわけ、落ち込んでいる時の処し方がポイントだ。
懼之以驗其特(これを懼れしめて、その特を験す)
哀之以驗其人(これを哀しまして、その人を験す)
苦之以驗其志(これを苦しめて、その志を験す)
死刑判決を聞いても、悠々を碁を打ち終えてから毒杯を飲む、この王景文の最後はまるでプラトンが Phaidon(パイドン)で描写したソクラテスの臨終さながらだ。
これもまたどこに書いてあったか思い出せないので本当かどうか保証しかねるが、長年いろいろな人の死をみとってきた医師が次のように漏らしたそうだ。
『高僧といっても死ぬ前に随分見苦しい振る舞いをする方が少なからずおられました。』
死に際してもとり乱さない、洋の東西を問わず士の器量が問われる瞬間だ。
(目次『資治通鑑に学ぶリーダーシップ(序)』)
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