限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

沂風詠録:(第348回目)『読者からの質問 ― アラビア語からラテン語への翻訳書の運命』

2022-11-13 10:04:09 | 日記
先日(2022/11/7日)林哲也さんから、下記の 4点について質問を頂いた。
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1. トレドでギリシア/ローマの著作がラテン語に翻訳されたが、その後、その翻訳がヨーロッパでどの程度活用されたか。

2.現代の西洋古典学の研究者は、イスラム圏で付加された注釈をどの程度参照しているか。

3.ギリシア語/ラテン語の現代の辞書で動詞の見出し語が1人称単数なのに、西洋近代語の辞書の見出し語ははなぜ1人称単数ではなく不定形なのか。

4.アラビア語の辞書が3人称男性単数を見出し語としているのか。
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質問の順序とは異なるが、3. と 4.に関しては、はっきりとは分からないが、少しだけ返答したい。

3.この点に関して、文法書を見ても記述が見当たらない。それで、専門的に調べたわけではないので責任は持てないが、次のような事情ではないかと私は考える。
「古典ギリシャ語もラテン語も、1人称・単数・現在形tから不定形は必ず一意的に(間違いなく)作れるが、逆はできない」

申し訳ないが、実際のケースが思い浮かばないので、架空のケースとして挙げることにする。(尚、単語の記述には、アクセント、気息記号は省き、ギリシャ語にローマ字表記を併記する)

能動態の不定詞 λεγειν (legein) からは λεγω (lego) という形のほかに λεγεω (legeo)も可能だ。同様に、中動態の不定詞 εποσεσθαι (eposesthai) からは επομαι (epomai) という形のほかに、επομι (epomi) も可能だ。これと同じことはラテン語についても言える。(例:同じく架空のケース、不定詞 canere から canoと caneo の可能性がある)

4.に関しては、アラビア語の入門書を読むと、「3人称、男性、単数、完了形」がもっとも簡単な形である、と書いてある。それで、辞書の見出し語にした、ということのようだ。

【ラテン語への翻訳書の運命】

さて、本題である上記1、2のテーマについて述べることにしよう。

そもそも、アラビア人というのは、現在の国名でいうサウジアラビアに住む遊牧の民(ベドウィン)を指す。彼らは、本来、哲学のような形而上学的興味を全く持たなかった。ところが、ムハンマドが 613年にイスラム教を創始して以降、アラブ人は次第にイスラム教徒に宗旨替えした。そして、750年に文化興隆に熱心なアッバース朝が始まると文明の先達であるシリア、ギリシャから外来の学問として、哲学、論理学、医学、薬学、天文学、数学、化学、錬金術など、多くの学術を受け入れた。これから逆算するに、アラブ土着にはこれらの学問分野が全く欠落していたことが分かる。そして、実質150年ほどの間に、これら先進文明国のうち、彼らが重要とした学問、つまり哲学と科学、に関する書物をアラビア語に翻訳した。この時、ラテン語の文献は(私の知る限りでは、ほとんど)翻訳対象とはならなかった。これによって、急に文化大国になったイスラム圏(中東、北アフリカ、スペイン)は、文化的に遅れていたヨーロッパ人の憧れの的となったのである。

それゆえ、8世紀から15世紀にかけてスペインで行われたレコンキスタによって、スペインのアラビア文化をそっくり手に入れたヨーロッパ人はアラビア語に翻訳されたギリシャの書物を手にして驚いた。これらの書物に魅せられたヨーロッパ人は、 12世紀から13世紀にかけてアラビア語、あるいは原典のギリシャ語の書物をラテン語に翻訳した。その一覧を下にしめす。




【出典】『十二世紀ルネサンス』伊東俊太郎 講談社学術文庫 P.200- 203

上で述べたようにギリシャの書物の内、アラブ人が関心を示したは哲学と科学であり、同時にアラブでもこの分野、とりわけ科学が発達した。それゆえ、ヨーロッパ人がアラビア語原典の書物を訳したのも、コーランを除けば、哲学と科学に限定されていたといっていいであろう。

以下、多くの文献を紹介するが、文献が多いことを「自分の知識をひけらかすために、わざと数多くの文献を挙げている」ととらえる御仁もいるようだが、私の意図はそれではない。たとえば、監視カメラのない街中で傷害事件が発生し、犯人が逃走したとしよう。早速、警察は現場近くにいた複数の目撃者に犯人の人相を聞き、モンタージュ写真を作る。ここでのポイントは一人の意見から犯人像を作るのではなく、複数の人を集積するということだ。つまり、多面的、多角的な視点からの像の方がより真実に近くなるという経験則がある。これと同様、今回のように複数の文献にはそれぞれ視点が異なる意見が述べられている。それをすこしずつ取り込みながら自分の中でこれらをつなぎ合わせて、なるべく実態に近い像を作業することが求められる。それ故、数多くの文献を調べる必要があるというのが私の観点である。

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【文献リスト一覧】17点
【1】『十二世紀ルネサンス』伊東俊太郎 講談社学術文庫
【2】『近代科学の源流』伊東俊太郎 中央公論社
【3】『科学思想のあゆみ』シンガー 岩波書店
【4】『岩波講座 世界歴史 8』《中世 2》岩波書店
【5】『地中海世界のイスラム』W.モンゴメリ・ワット ちくま学芸文庫
【6】『アラビア文化の遺産』ジクリト・フンケ みすず書房
【7】『イスラームの哲学者たち』ナスル 岩波書店
【8】『アラブの歴史 上・下』フィリップ・ヒッティ 講談社学術文庫
【9】『イスラーム思想史』井筒俊彦 中公文庫
【10】『ヨーロッパとイスラム世界』サザーン 岩波現代選書
【11】『ファーラービーの哲学』ファフレッティン・オルグネル 幻冬舎ルネッサンス
【12】『イスラーム・スペイン史』 W.M.ワット 岩波書店
【13】『アラビアの数学』アリー・アル=ダッファ サイエンス叢書
【14】『アリストテレス』 G.E.R.ロイド みすず書房
【15】『アリストテレス』 ジャン・ブラン 白水社(文庫クセジュ)
【16】『中世の覚醒』リチャード・ルーベンスタイン 紀伊國屋書店
【17】『世界の名著 トマス・アクィナス』中央公論社

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【回答概要】

【質問1.】トレドでギリシア/ローマの著作がラテン語に翻訳されたが、その後、その翻訳がヨーロッパでどの程度活用されたか。

【回答】以下の【参考文献の参照個所】に示すように、ギリシャの著作は数多く利用されたことが言える。ローマの著作はそもそも(私の知るかぎりでは)ほとんどアラビア語に翻訳されなかった。ヨーロッパ人は、アラビア語に翻訳されたギリシャの古典を当初はアラビア語からラテン語に翻訳して大いに利用していた。それだけではなく、イスラム(アラブ)で独自に発展した、数学、天文学、医学はギリシャより一層高度なレベルに達し、その成果を取り入れたおかげでヨーロッパの科学は大きな飛躍を遂げた。アラビア語に翻訳されたギリシャ哲学は、ほぼアリストテレスに尽きるといってもいいだろう。そこからラテン語に翻訳されたアリストテレスは、それぞれアヴィセンナ・アリストテレス、あるいはアヴェロエス・アリストテレスというように、イスラムの哲学者の解釈の色に染まったものであった。当初は、それに満足していたが、次第にアリストテレスその人に肉薄するようになった。

【質問2.】現代の西洋古典学の研究者は、イスラム圏で付加された注釈をどの程度参照しているか。

【回答】これに対して直接的に答えてくれている文献はまだ目にしていない。それで、私の推論になるが、次のような事情ではないだろうか:

イスラム圏でのギリシャ哲学への注釈は、つきつめればアリストテレスだけしかない。それらの注釈が活用されたのは13世紀のトマス・アクィナスごろが最後といえよう。というのは、14世紀以降はヨーロッパ人はギリシャ語原典が読めるようになったので、イスラム教的な色をもつアラビアの注釈を嫌い直接ギリシャ原典に向かったからだ。従って現代の西洋古典の研究者は、イスラム圏で付加されたアリストテレスの注釈は歴史的観点から参照することはあっても、本義を理解する上では、もはや参照していないのではないだろうか。

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【参考文献の参照個所】

【1】『十二世紀ルネサンス』伊東俊太郎 講談社学術文庫
P.172―P.188 トレドだけでなく、合計で南ヨーロッパの4個所で翻訳事業があったこと説明。
P189―P.199 ここに、ラテン語訳された図書がどのように活用されたかについて説明されている。

【2】『近代科学の源流』伊東俊太郎 中央公論社
この本は【1】と著者が同じなので、内容はほぼ似ている。 P.219― P.233に12、13世紀のラテン語への翻訳事業の様子が書かれている。
P234―P.256 第9章 西洋ラテン科学の興隆に、ラテン語訳された図書がどのように活用されたかについて説明されている。

【3】『科学思想のあゆみ』シンガー 岩波書店
P.155―176 イスラムの科学者たちの業績の説明がメインで、若干西洋への影響にもふれる。
P.176―191 翻訳に関しては、ユダヤ人も参加したと述べる。スペインではアラビア語とラテン語の両言語に堪能なユダヤ人が多くいたからだという。
P.181 数学と天文学に関して、アラビア語からラテン語訳された本が大いに影響した。
P.183 アリストテレスの生物学に関して、アラビア語からラテン語訳された本が大いに影響した。

【4】『岩波講座 世界歴史 8』《中世 2》岩波書店
P241―245 ギリシャ語の原典が失われアラビア語訳でしか伝わらないものがあった。つまりアラビア語からラテン語に訳されたものの価値が非常に高かったということになる。

【5】『地中海世界のイスラム』W.モンゴメリ・ワット ちくま学芸文庫
P.68―91 著者のワットのアラビア・イスラムびいきを差し引いても、アラビア科学とアラビア哲学は近代ヨーロッパの科学発展の引き金となった。
P.87 イスラム思想に大きな影響を与えたのはギリシャ哲学であった。
P.120―142 科学と哲学両面でのアラビア語訳によってヨーロッパ人が始めてギリシャ科学と哲学を知るに至った。
P.140 ヨーロッパの学者のアリストテレスの理解は、アヴェロエス(本名、イブン・ルシュド)の注釈による。

【6】『イスラーム・スペイン史』 W.M.ワット 岩波書店
P.177 …アヴェロエスの偉大な功績の一つは、真のアリストテレスを再発見し、その思想を西欧につたえたことにある。この功績はスペインのキリスト教とユダヤ教の学者が、アヴェロエスの諸注釈をラテン語またはヘブライ語に翻訳した時に現実化された。西欧へのアリストテレスの移入は、トマス主義という大きな成果を産むために貢献した主要な要因の一つである。

【7】『アラビア文化の遺産』ジクリト・フンケ みすず書房

一冊全てが【回答 1.】に対応する内容の重要な本。

P.64 現在使われている星の名前のほとんどがアラビア起源。つまり、ギリシャの天文学書がアラビア語に訳される時にアラビア名をつけたため。
P.91 アラビア人はギリシャ数学を受け、更に発展させて、最終的にルネッサンスの数学の教師となった。
P.137―138 (中世の)優秀なキリスト教徒はアラビア語しかしらない、と。…アラビア人の(医学)書はヨーロッパのあらゆる大学において教科書とされた。(麻生川注:アヴィセンナの『医学の正典』やアヴェロエスの『医学大全』のこと)
P.152 中世ヨーロッパ人は、医学に関してはギリシャ人の書物よりアラビア人の書物から医学知識を得た。
…などなど

【8】『イスラームの哲学者たち』ナスル 岩波書店

著者のナスルはイラン人。この本は、欧米人向けの講演の書籍化。
P.50―54 ラテン世界に、アヴィセンナの影響があり、「アヴィセンナ化したアウグスティヌス主義」と言われる。

【9】『アラブの歴史 上・下』フィリップ・ヒッティ 講談社学術文庫

著者のヒッティはシリア人。この本は、今でもアラブの歴史の名著の誉れあり。

下巻 P.414―48440章《知的貢献》の章には、イスラムの学者の業績とヨーロッパ文化への影響が多くの分野ごとに詳細に述べられている。
下巻 P.472 …かくしてスペイン=アラブの学芸は全西欧に浸透したのである。

【10】『イスラーム思想史』井筒俊彦 中公文庫
P.327―406 第4の《スコラ哲学―西方イスラーム哲学の発展》にイスラム哲学の発展と西欧への影響についての記述が多くみられる。
P.327 イスラム哲学を理解するには、東(ペルシャ)のアヴィセンナと西(スペイン)のアヴェロエスの2人を知ればよい。
P.386 イスラム哲学はアヴィセンナの系統で発展した。一方、アヴェロエスはイスラムの思想にほとんど影響を与えなかった。アヴェロエスは13世紀以降、西欧(特にパリ大学)で多くの信奉者を輩出した。

【11】『ヨーロッパとイスラム世界』サザーン 岩波現代選書
P.75 「13世紀の神学の中にイスラムの著作家の影響の跡を広範囲に見つけ出しております。しかも、調べれば調べるほどその範囲はますます広がっていくのです。… ラテン・アヴェロエス主義は、 13世紀後半では大きな影響力をもち…」

【12】『ファーラービーの哲学』ファフレッティン・オルグネル 幻冬舎ルネッサンス

著者のオルグネルはトルコ人。
P.187 ファーラービーの著『学問の数』は 12世紀に西欧にラテン語訳されて紹介された。13世紀には英語、ドイツ語などに翻訳され、ベーコンなどのルネサンス期の文人が参照した。

【13】『アラビアの数学』アリー・アル=ダッファ サイエンス叢書

著者のアリー・アル=ダッファはサウジアラビアの大学教授。

数学に特化して、ギリシャ数学を受けたイスラム数学の発達と西洋への還流についてのべる。とりわけ、イスラムで高度に発達した数学によってはじめて近代西洋の数学があるという論調。

以下の4冊は、イスラムで熱狂的に支持されたギリシャ哲学、およびその影響をうけた中世ヨーロッパを理解する上で必読の書。

【14】『アリストテレス』 G.E.R.ロイド みすず書房
イギリスの哲学者、ロイドが本書を出版したのは、35歳の時であるが、内容は日本の碩学ですら及びもつかない程、広く深い。学説を羅列するのではなく、種々の著作からアリストテレスの思想の全体像をみせてくれる。

【15】『アリストテレス』 ジャン・ブラン 白水社(文庫クセジュ)
私はアリストテレスの解説書をかなり読んだが、なぜアリストテレスがまずはイスラムで、継いで中世ヨーロッパで熱狂的に支持されたのかの根本理由が分からなかったが、この本によって始めて納得した。アリストテレスの哲学関連の書物だけでなく、自然科学の本に関しても総合的見地から、アリストテレスがヨーロッパとイスラムの神学の基礎的概念を提供したことが分かる。

【16】『中世の覚醒』リチャード・ルーベンスタイン(小沢千重子 )紀伊國屋書店 2008
本題の「中世の覚醒」とは「イスラム世界で受け継がれてきたアリストテレスが 12世紀にアラビア語からラテン語に翻訳されることで、中世ヨーロッパが終わり、近代ヨーロッパが目覚めた」という意味である。中世ヨーロッパが主テーマでありながら、イスラムの役割も公平に評価している。結局、中世ヨーロッパの文化人たちがアリストテレスを求めたのは、イスラム同様、宗教論争に打ち勝つための論理の精緻化と知識の拡充ためであると分かる。ヨーロッパ文明を理解する上では、アリストテレスの理解が必須だということがよく分かる。

【17】『世界の名著 トマス・アクィナス』中央公論社
イスラム哲学の西欧哲学に対する最大の貢献は、トマス・アクィナスの『神学大全』を産んだことであろうと私は思っている。トマスがアリストテレスを短期間に正しく理解しえたのもイスラム哲学者たちの(多少は歪曲もあったが)アリストテレス理解がベースになっていると私には思える。

以上
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2 コメント

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まことにありがとうございました (林哲也)
2022-11-23 12:35:35
ご教示いただいた本をこれから読んでみます。西洋近代語の辞書の見出し語がなぜ1人称単数ではなく不定形になったのか、辞書の歴史の類の本を見ても理由が見当たらず、かねてから素朴な疑問でした。
心の奥底からの好奇心 (麻生川静男)
2022-11-24 21:34:07
林様、
見栄や体裁ではなく、心の奥底から湧き上がる好奇心が本物のリベラルアーツを会得するには必須不可欠です。
これからもこのような質の高い質問をお待ちしています。

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