限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

沂風詠録:(第350回目)『冷酷非情な曹操 ― 弱兵を踏み越えて退却』

2023-01-22 11:03:30 | 日記
日本の大河ドラマはここ暫く戦記物が続く。戦記物でないと視聴率が取れないのだろう。私が好んでみる、中国の宮廷ドラマはむしろ文人が登場したり、活躍する場面が多くみられる。『孤城閉 ~仁宗、その愛と大義~』などはまさにその典型で、登場人物のほとんどがフィクションではなく、私の愛読書である『宋名臣言行録』に名前が載っている実在の政治家・文人である。あたかも『宋名臣言行録』の現場に居あわわせているような臨場感豊かなドラマだ!

そのドラマの台詞には有名な故事成句や古詩がふんだんに織り込まれている。つまり、このような時代背景や引用句が分からないと筋立ては分かっても、もう一段の理解が届かないことになる。こういう風に述べると、「文の中国、武の日本」という対立構造をイメージし、「文の中国の方が人間的だよな」と思われるかもしれないが、なかなか、本当の中国は「武」の面では相当えげつないことをしている。その話をしよう。


 【出典】清平楽

『三国志』(正確には『三国志演義』)は中国だけでなく日本でも大人気であり、当時の中国の実態を分かったつもりになっている人が多い。しかし、いうまでもなく『三国志演義』はフィクションであり、実態を歪めたり、あるいは『三国志』に記載されていてもプロット展開の上で不要な部分はカットされていて、中国の歴史、および当時の中国人の生活の実態を知るには不完全な書物である。ありがたいことに『三国志』は現在、ちくま学芸文庫から全訳がでているが、全部で13,200円と少々値が張る。しかし、流石に正史の一つだけあった、歴史的記述は読み応えがある。

その中から、曹操が孫権と劉備に攻められて、大敗して退却した場面をみてみよう。《三国志・魏書、武帝記第一》(尚、この場面は三国志演義には記述が見当たらない。)

曹操は乗っていた船艦が焼かれてしまったので、陸路を退却した。軍を率いて華容道を歩いて戻ったが、たまたまぬかるみの場所に出くわした。道はどこにも通じていないし、風も強く吹く悪天候だった。羸兵(弱りきった兵士)全員にそこらにある枯草を集めさせ、背負ってぬかるみを埋めよ、と命じた。それでようやく騎兵がぬかるみを通過できたが、羸兵たちはぬかるみの中で立ち往生し、軍馬や屈強な兵士たちに踏まれて泥中に埋もれ、多数の死者がでた。
公船艦為備所焼、引軍従華容道歩帰、遇泥濘、道不通、天又大風、悉使羸兵負草填之、騎乃得過。羸兵為人馬所蹈藉、陥泥中、死者甚衆。)

ここで、「羸兵たちに草を背負わせた」という点に曹操の非情さと同時に計算高い点が見られる。まず、「羸兵・ルイヘイ」という言葉は「役立たず者」というニュアンスがぷんぷんとする。戦時においては戦闘にも参加できないし、兵站の作業員としても使えない羸兵、つまり老兵や傷病兵、は穀潰しでしかない。ぬかるみに出くわした時に、曹操は脱出と穀潰し解消の一挙両得の妙案を思いつき、一人、心の中で喜んだに違いない。

以前出版した『日本人が知らないアジア人の本質』(ウェッジ)で中国に関する一節《人命はゴミより軽い》に、近代における欧米人の旅行記や滞在記からの実例を幾つかあげた。今回紹介した曹操の例から《人命はゴミより軽い》のは何も最近の鄧小平が天安門に戦車を導入した時だけでなく、中国古来の価値判断であるということだ。歴史は民族のベースの価値判断を知るのに最適だな資料だと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする