獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅠ:ブログの開始 (16)

2021-09-25 01:42:00 | 対話ブログ

■創価学会本部職員のみなさまへ       投稿日: 2012年1月3日
創価学会本部職員のみなさまへ
私は創価学会員です。両親が草創期の幹部であったこともあり、生まれたときから創価学会の正義を信じてこれまで活動もしてきました。しかし53年の月日を経た今になって、ようやくその間違いに気づいたものです。おそらく創価学会本部職員のみなさまの多くも、私と同じように創価学会の正義を信じて、広布の役に立っている自分の仕事に誇りを持ってこられたと思います。また一部にはすでに学会の矛盾に気づきはしたけれども、いまさら自分の人生を否定し、家族を路頭に迷わせることに不安を感じながら、毎日を過ごしている職員の方もいらっしゃると思います。おそらく上の役職に就けば就くほど、そのジレンマは大きなものだと察します。
聖教新聞を見ても、そこにあるのは池田氏の今の姿を見せることができない学会本部の悪あがきとしか見えません。洗脳され続けてきた末端会員であっても、私がそうであるように、もはや目先のごまかしは通用しません。あなたがたの言う平和や正義がいったい社会に対してどれだけのものなのか、あなたがた自身に問いかけたいものです。会員に対する洗脳と企業や政治団体との金銭的利害だけで人の心を幸せにできるのですか…と。そうしたことで自分の人生を費やすことに疑問を感じないのですか?自分の一生を人々を騙し続けることで終わらせていいのですか…と。あなたは自分の子供や孫に対して自分の人生を胸をはって語ることができますか…と。
私は学会本部職員の上層部に至っては特に、末端会員とちがって学会の正義を信じていないと思います。学会が崩壊すれば自分の行き場がなくなるから、そして自分のこれまでの人生を否定しなくてはならなくなるから、それが怖くて何が何でも必死にとりつくろうとしているようです。学会本部職員のみなさん、あなたがたに少しでも自分や自分の家族を本当に守りたいと思う気持ちが残っているのであれば、自ら学会の真実を社会に示していただきたいと思います。自分も含めた多くの人を救うことになるのだと気づいていただきたいと思います。
創価学会は日本における戦後最大の病理現象です。それは池田大作という一人のとてつもないコンプレックスから始まりました。それは大陸、半島、日本を含めた歴史がつくりだしてきた複雑な国際関係の歪みであったのかもしれません。ここでは多くは語れませんが、私はそう解釈しています。学会の問題は、単に組織それだけでは見えてきません。極めて政治的な側面もあり、これまでの日本の政治政党の成り立ちと複雑に絡み合っています。彼と同じように出処不明の人物が日本の政治経済を操作しているという現実。これは日本という国だけの問題ではありません。学会本部職員の中でも、そうしたことをどこまで知って働いているのかはわかりませんが、あなたがたが確実に日本の巨悪に加担していることは間違いないのです。いまでこそ学会の権力や資金源にすり寄ってくる有象無象はいるかもしれませんが、ひとたび学会の真実が世に出れば、誰もあなたがたを弁護するものはいません。たとえ自分たちは何も知らない被害者だったとしても、それでは済まされないのです。すべてをあなたがたの責任に仕立て上げ話を終わらせてしまう。それが巨悪のやり方です。使い物にならなくなれば、すべての責任を負わせて葬られる。つまりあなた方も最終的には使い捨てにされるのです。今一度、そうした見方であなたの周りを見回してみてください。あなたが抱いていた様々な疑問が綺麗さっぱり見えてくるはずです。そのあまりにも反社会的な巨大組織の側面が見えてくるはずです。見えなければ仕方ありません。そのまま巨悪の捨て駒として使われ続けてください。これはあなたがた一人ひとりにとっての人生の問題です。そして家族の問題であり、日本という国の問題でもあります。

●シニフィエ 
2012年1月3日 05:00 
旃陀羅の子さんのコメントです。
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はじめまして。ざっとブログを読みました。シニフィエさんも、これからゆっくりと考えていけば良いのだと思います。私の場合は、2世として仏教を学ぶ過程で、創価学会の教義に疑問を持ちました(真面目て仏教の成り立ちから学んでしまったのです)。そこで本部職員に創価学会の公式見解を問うたのですが、彼はまともに答えずに逃げました(創価学会の考えるカルトの定義と宗教の定義を尋ねたのが原因かもしれません)。それが創価学会と決別するキッカケでした(退会届を出しておらず、破門の通知も届いていないので、籍はあると思います)。仏教には、偽経の問題があります(法華教の成立は、釈尊入滅200年後と言われていますから偽経と言えます。もっとも大乗非仏説への反論で、大乗仏教は偽経を肯定する立場ともなります)。また御書も偽筆・偽選の問題があり、創価学会版の御書にも含まれています。これを整理しなければなりません。また宗門との決別後、創価学会は御書根本主義を掲げたわけですが、一方で釈尊の頃はといって、友人葬を正当化しました。これは日蓮に立ち戻るのか、釈尊に立ち戻るのか、という問題でもあります(一つの考えとして、釈尊に帰るということであれば、法華教も捨て、上座部仏教になるという選択もあります)。牧口の価値論は、価値・善・美の順に上位の規範としました(価値が最高)。元ネタのカントは、真・善・美の順に人間の成長と共に規範が変わっていくとしました(美が最高)。勘違いからスターとしています。また戸田の生命論は、池田の宇宙生命論と発展しますが、どちらも宇宙即我、我即宇宙なる梵我一如思想となり、バラモン思想です(仏教ではありません)。とまあ創価学会の教学は、文献学的にも、歴代会長の教えにも、問題を含んでおり、どう整理していくのかという問題があると考えています。これについての公式見解を尋ねたら、本部職員は、まともに答えずに逃げたわけけれど。それで疑問の目で見るようになりました。宗門の坊主は職業坊主という批判について、本部職員も職業坊主ではないか(イスラム教では、宗教的指導者は宗教活動では金を受け取らない)。宗教革命と言っていたが、キリスト教のそれは、神-教会-信者の関係を、神-聖書-信者の関係にするものだった。ならば創価学会のそれは、日蓮-宗門-信者の関係を、日蓮-御書-信者の関係にするもののはずです(創価学会はあえて言えばいらないわけで、日蓮-創価学会-信者の関係に固執している現状は、革命でもなんでもない。だからこそ創価学会を変えるのか、創価学会から離れるのかという選択となります)。私の立場ですが、偽経にも意義があると考えます(釈尊から弟子が法を継ぐ過程で、自分はこうして悟りを拓いたということが経となったと考えます。天台智顗が中国で成立したわけで、偽経を肯定しなければ、日蓮を肯定できません)。そしてどの経を重視するかで宗派ができたわけで、それぞれの宗派で釈尊から現在までの変遷について整理できていれば良いと考えます(釈尊は人を見て法を説いたのであれば、法華経で悟る人もいれば、般若心経で悟る人もいても良いと思うのです)。日蓮の他宗批判は四箇の格言ですが、日蓮は排他的だったか(http://senmon.fateback.com/soukagakkai/shukyou/nichiren_4ka.html/朝日新聞夕刊)を読むと、解釈は色々とできるのかもしれません(当時の他宗派の現状批判であり、法華経を先鋭的に肯定したという解釈もありでしょう。つまり他宗派も、まともな僧侶が出て、改革すれば肯定できるということです)。最後に、コメント全てに返事をしなくてもいいと思います(時間的制約もありますし、次のエントリで、選んだテーマについて書くのもありかと)。私は一つの結論を出しましたが、シニフィエさんも良き結論・選択が出せることを祈ります。

 


解説
旃陀羅の子さんのコメントは共感するところが多かったです。
ちなみに、朝日新聞夕刊の記事を収録しておきます。

池田大作 「四箇の格言」を否定 

 朝日新聞の8月12日付けの夕刊によると、池田大作はついに日蓮大聖人様の「四箇の格言」を否定した。以下朝日新聞の当該箇所を長くなるが引用する。(【 】部分)       

【創価学会の機関誌「大白蓮華」は三月号で、池田大作名誉会長と斎藤克司教学部長の対談を掲載し、「四箇格言」読み直しを提唱している。
「四箇格言」とは日蓮が他宗を「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」と批判した四句を言う。それぞれ順に、浄土宗、禅宗、真言宗、律宗を指しており、名指しされた側は、日蓮の排他性を示すものとして反発してきた。
 二年前に発刊された創価学会編『宗教哲学大辞典』は念仏信仰について、「来世に極楽浄土に生まれることを目指し、娑婆世界を穢土として嫌った」とし、法華経を誹謗したことを理由に「無間地獄に堕ちる」と述べていた。
 今回の対談では、各宗の態度が日蓮の時代と違うことを強調する。池田氏は「当時の念仏宗は権力と結託し、独善的で排他的だった」としながらも、

①浄土教を「どんな疲れ病む衆生をも仏界の生命力で包み、絶対の安心感を与える」とする。
②「自力のみによる悟りの獲得と安住を説く」という「天魔」の禅は「自分の中に自分を変革する力のあることを信じ、それを実感していける」とした。
③「呪術による現世利益を説く護国宗教」の「亡国真言」も「現実の変革に勇気をもって邁進していける」存在となった。

 日蓮が激しく他宗派を非難した背景には、新興宗教団を当時の有力教団が迫害した歴史的背景もある。斎藤氏は経緯をこう説明した。
 「創価学会にも、似たような事情から他宗派を反撃した過去がある。しかし、今後は攻撃されないかぎりは協調していきたい。そのために組織内の意識改革を狙った試論です。時代の変化を無視して今の世に『四箇格言』をそのままにしておくことは、かえってこちらが独善的と批判されかねませんから」
 いまのところ、伝統教団の反応は冷ややかだ。「政治的ポーズだろう。排他的体質は変わっていない」との声が強い。】  
〈朝日新聞十四年八月十二日夕刊  ※①②③は編者〉

私は、この記事の内容は、創価学会と日蓮正宗が過去の強引な折伏を反省し社会に謝罪するきっかけになりうる重要なものだったと考えます。
この件は、一昨年立ち上げた私のホームページ(「よりよい創価学会をつくるために」の解説)でも取り上げました。


解説(つづき)
5)「四箇の格言」について
(中略)
ちなみに、記事の中に出てくる斎藤克司氏は平成3年11月に教学部長に就任し、「宗門独立」後の教学の改変を主導する立場にあったわけだが、何をどのような方向に持っていこうとしたのだろうか。
その流れが、今の創価学会の指導部の目指す流れに通じるのだろうか。
斎藤克司氏は、東大の法華経研究会の先輩にあたり、私と面識がある。だから、私が大学生のときに配ったパンフレットの内容も知っていたと思われる。
私のように「四箇の格言」につまづく学会員の不満を解消するため、時代にそぐわない教学の見直しを進めていこうとしたのかもしれない。
熱心な創価学会員だった私の母がまだ生きているころ、実家に帰ると、こんなことを言っていた。
「学会に反逆した○○(私の名前)のことが心配で学会本部まで指導を受けに行った。そうしたら、斎藤克司教学部長が相手をしてくれて、○○は心配ないと言っていた」と。
そのときは、あまり気にも留めていなかったが、もしかしたら、学生時代の私の不満が、(もちろんその他にも同じような不満を持つ会員がたくさんいたのだろう)創価学会の教学の見直しにつながっていたのかもしれない。
残念ながら斎藤克司氏は平成25年2月に64歳という若さで亡くなったという。
ご存命なら、お話を伺いたかった。
__あなたは、創価学会をどういう姿にしたかったのですか?
__アンチブログに大量に書き込まれているような創価学会員の抱える悩みにどう答えていくのですか?
__敵対者に対する、創価学会の攻撃のしかたをどう考えるのですか?
かつて創価学会と池田先生は、古臭い日蓮教学から脱却するために努力したのかもしれないが、その手段が悪かった。そして、池田先生の健康がすぐれず、斎藤克司氏のような有力なブレーンがいなくなった現在は、教学面での見直しを誰も責任を持って、ひっぱっていけないのではないか。
宗門と時間をかけて教学面での見直しを話し合うのではなく、けんか別れをふっかけて、相手を貶めるような攻撃をしかけ、そのことによって会員の離反を防ぐというような方法をとったのが、そもそもの間違いだったと私は思う。
日蓮教学の見直しという池田先生と斎藤克司氏の志を受け継ぐのは、いったい誰なのだろう。
もし、そんな人が現在の創価学会にいるなら、話をしてみたい。

対話ブログの早い時期に、朝日新聞のこの記事を紹介してくれた旃陀羅の子さんは、かなり意識の高い人でした。
是非、対話してみたいです。
元気でいらっしゃいますか。

獅子風蓮