獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅠ:ブログの開始 (16)

2021-09-25 01:42:00 | 対話ブログ

■創価学会本部職員のみなさまへ       投稿日: 2012年1月3日
創価学会本部職員のみなさまへ
私は創価学会員です。両親が草創期の幹部であったこともあり、生まれたときから創価学会の正義を信じてこれまで活動もしてきました。しかし53年の月日を経た今になって、ようやくその間違いに気づいたものです。おそらく創価学会本部職員のみなさまの多くも、私と同じように創価学会の正義を信じて、広布の役に立っている自分の仕事に誇りを持ってこられたと思います。また一部にはすでに学会の矛盾に気づきはしたけれども、いまさら自分の人生を否定し、家族を路頭に迷わせることに不安を感じながら、毎日を過ごしている職員の方もいらっしゃると思います。おそらく上の役職に就けば就くほど、そのジレンマは大きなものだと察します。
聖教新聞を見ても、そこにあるのは池田氏の今の姿を見せることができない学会本部の悪あがきとしか見えません。洗脳され続けてきた末端会員であっても、私がそうであるように、もはや目先のごまかしは通用しません。あなたがたの言う平和や正義がいったい社会に対してどれだけのものなのか、あなたがた自身に問いかけたいものです。会員に対する洗脳と企業や政治団体との金銭的利害だけで人の心を幸せにできるのですか…と。そうしたことで自分の人生を費やすことに疑問を感じないのですか?自分の一生を人々を騙し続けることで終わらせていいのですか…と。あなたは自分の子供や孫に対して自分の人生を胸をはって語ることができますか…と。
私は学会本部職員の上層部に至っては特に、末端会員とちがって学会の正義を信じていないと思います。学会が崩壊すれば自分の行き場がなくなるから、そして自分のこれまでの人生を否定しなくてはならなくなるから、それが怖くて何が何でも必死にとりつくろうとしているようです。学会本部職員のみなさん、あなたがたに少しでも自分や自分の家族を本当に守りたいと思う気持ちが残っているのであれば、自ら学会の真実を社会に示していただきたいと思います。自分も含めた多くの人を救うことになるのだと気づいていただきたいと思います。
創価学会は日本における戦後最大の病理現象です。それは池田大作という一人のとてつもないコンプレックスから始まりました。それは大陸、半島、日本を含めた歴史がつくりだしてきた複雑な国際関係の歪みであったのかもしれません。ここでは多くは語れませんが、私はそう解釈しています。学会の問題は、単に組織それだけでは見えてきません。極めて政治的な側面もあり、これまでの日本の政治政党の成り立ちと複雑に絡み合っています。彼と同じように出処不明の人物が日本の政治経済を操作しているという現実。これは日本という国だけの問題ではありません。学会本部職員の中でも、そうしたことをどこまで知って働いているのかはわかりませんが、あなたがたが確実に日本の巨悪に加担していることは間違いないのです。いまでこそ学会の権力や資金源にすり寄ってくる有象無象はいるかもしれませんが、ひとたび学会の真実が世に出れば、誰もあなたがたを弁護するものはいません。たとえ自分たちは何も知らない被害者だったとしても、それでは済まされないのです。すべてをあなたがたの責任に仕立て上げ話を終わらせてしまう。それが巨悪のやり方です。使い物にならなくなれば、すべての責任を負わせて葬られる。つまりあなた方も最終的には使い捨てにされるのです。今一度、そうした見方であなたの周りを見回してみてください。あなたが抱いていた様々な疑問が綺麗さっぱり見えてくるはずです。そのあまりにも反社会的な巨大組織の側面が見えてくるはずです。見えなければ仕方ありません。そのまま巨悪の捨て駒として使われ続けてください。これはあなたがた一人ひとりにとっての人生の問題です。そして家族の問題であり、日本という国の問題でもあります。

●シニフィエ 
2012年1月3日 05:00 
旃陀羅の子さんのコメントです。
___________________
はじめまして。ざっとブログを読みました。シニフィエさんも、これからゆっくりと考えていけば良いのだと思います。私の場合は、2世として仏教を学ぶ過程で、創価学会の教義に疑問を持ちました(真面目て仏教の成り立ちから学んでしまったのです)。そこで本部職員に創価学会の公式見解を問うたのですが、彼はまともに答えずに逃げました(創価学会の考えるカルトの定義と宗教の定義を尋ねたのが原因かもしれません)。それが創価学会と決別するキッカケでした(退会届を出しておらず、破門の通知も届いていないので、籍はあると思います)。仏教には、偽経の問題があります(法華教の成立は、釈尊入滅200年後と言われていますから偽経と言えます。もっとも大乗非仏説への反論で、大乗仏教は偽経を肯定する立場ともなります)。また御書も偽筆・偽選の問題があり、創価学会版の御書にも含まれています。これを整理しなければなりません。また宗門との決別後、創価学会は御書根本主義を掲げたわけですが、一方で釈尊の頃はといって、友人葬を正当化しました。これは日蓮に立ち戻るのか、釈尊に立ち戻るのか、という問題でもあります(一つの考えとして、釈尊に帰るということであれば、法華教も捨て、上座部仏教になるという選択もあります)。牧口の価値論は、価値・善・美の順に上位の規範としました(価値が最高)。元ネタのカントは、真・善・美の順に人間の成長と共に規範が変わっていくとしました(美が最高)。勘違いからスターとしています。また戸田の生命論は、池田の宇宙生命論と発展しますが、どちらも宇宙即我、我即宇宙なる梵我一如思想となり、バラモン思想です(仏教ではありません)。とまあ創価学会の教学は、文献学的にも、歴代会長の教えにも、問題を含んでおり、どう整理していくのかという問題があると考えています。これについての公式見解を尋ねたら、本部職員は、まともに答えずに逃げたわけけれど。それで疑問の目で見るようになりました。宗門の坊主は職業坊主という批判について、本部職員も職業坊主ではないか(イスラム教では、宗教的指導者は宗教活動では金を受け取らない)。宗教革命と言っていたが、キリスト教のそれは、神-教会-信者の関係を、神-聖書-信者の関係にするものだった。ならば創価学会のそれは、日蓮-宗門-信者の関係を、日蓮-御書-信者の関係にするもののはずです(創価学会はあえて言えばいらないわけで、日蓮-創価学会-信者の関係に固執している現状は、革命でもなんでもない。だからこそ創価学会を変えるのか、創価学会から離れるのかという選択となります)。私の立場ですが、偽経にも意義があると考えます(釈尊から弟子が法を継ぐ過程で、自分はこうして悟りを拓いたということが経となったと考えます。天台智顗が中国で成立したわけで、偽経を肯定しなければ、日蓮を肯定できません)。そしてどの経を重視するかで宗派ができたわけで、それぞれの宗派で釈尊から現在までの変遷について整理できていれば良いと考えます(釈尊は人を見て法を説いたのであれば、法華経で悟る人もいれば、般若心経で悟る人もいても良いと思うのです)。日蓮の他宗批判は四箇の格言ですが、日蓮は排他的だったか(http://senmon.fateback.com/soukagakkai/shukyou/nichiren_4ka.html/朝日新聞夕刊)を読むと、解釈は色々とできるのかもしれません(当時の他宗派の現状批判であり、法華経を先鋭的に肯定したという解釈もありでしょう。つまり他宗派も、まともな僧侶が出て、改革すれば肯定できるということです)。最後に、コメント全てに返事をしなくてもいいと思います(時間的制約もありますし、次のエントリで、選んだテーマについて書くのもありかと)。私は一つの結論を出しましたが、シニフィエさんも良き結論・選択が出せることを祈ります。

 


解説
旃陀羅の子さんのコメントは共感するところが多かったです。
ちなみに、朝日新聞夕刊の記事を収録しておきます。

池田大作 「四箇の格言」を否定 

 朝日新聞の8月12日付けの夕刊によると、池田大作はついに日蓮大聖人様の「四箇の格言」を否定した。以下朝日新聞の当該箇所を長くなるが引用する。(【 】部分)       

【創価学会の機関誌「大白蓮華」は三月号で、池田大作名誉会長と斎藤克司教学部長の対談を掲載し、「四箇格言」読み直しを提唱している。
「四箇格言」とは日蓮が他宗を「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」と批判した四句を言う。それぞれ順に、浄土宗、禅宗、真言宗、律宗を指しており、名指しされた側は、日蓮の排他性を示すものとして反発してきた。
 二年前に発刊された創価学会編『宗教哲学大辞典』は念仏信仰について、「来世に極楽浄土に生まれることを目指し、娑婆世界を穢土として嫌った」とし、法華経を誹謗したことを理由に「無間地獄に堕ちる」と述べていた。
 今回の対談では、各宗の態度が日蓮の時代と違うことを強調する。池田氏は「当時の念仏宗は権力と結託し、独善的で排他的だった」としながらも、

①浄土教を「どんな疲れ病む衆生をも仏界の生命力で包み、絶対の安心感を与える」とする。
②「自力のみによる悟りの獲得と安住を説く」という「天魔」の禅は「自分の中に自分を変革する力のあることを信じ、それを実感していける」とした。
③「呪術による現世利益を説く護国宗教」の「亡国真言」も「現実の変革に勇気をもって邁進していける」存在となった。

 日蓮が激しく他宗派を非難した背景には、新興宗教団を当時の有力教団が迫害した歴史的背景もある。斎藤氏は経緯をこう説明した。
 「創価学会にも、似たような事情から他宗派を反撃した過去がある。しかし、今後は攻撃されないかぎりは協調していきたい。そのために組織内の意識改革を狙った試論です。時代の変化を無視して今の世に『四箇格言』をそのままにしておくことは、かえってこちらが独善的と批判されかねませんから」
 いまのところ、伝統教団の反応は冷ややかだ。「政治的ポーズだろう。排他的体質は変わっていない」との声が強い。】  
〈朝日新聞十四年八月十二日夕刊  ※①②③は編者〉

私は、この記事の内容は、創価学会と日蓮正宗が過去の強引な折伏を反省し社会に謝罪するきっかけになりうる重要なものだったと考えます。
この件は、一昨年立ち上げた私のホームページ(「よりよい創価学会をつくるために」の解説)でも取り上げました。


解説(つづき)
5)「四箇の格言」について
(中略)
ちなみに、記事の中に出てくる斎藤克司氏は平成3年11月に教学部長に就任し、「宗門独立」後の教学の改変を主導する立場にあったわけだが、何をどのような方向に持っていこうとしたのだろうか。
その流れが、今の創価学会の指導部の目指す流れに通じるのだろうか。
斎藤克司氏は、東大の法華経研究会の先輩にあたり、私と面識がある。だから、私が大学生のときに配ったパンフレットの内容も知っていたと思われる。
私のように「四箇の格言」につまづく学会員の不満を解消するため、時代にそぐわない教学の見直しを進めていこうとしたのかもしれない。
熱心な創価学会員だった私の母がまだ生きているころ、実家に帰ると、こんなことを言っていた。
「学会に反逆した○○(私の名前)のことが心配で学会本部まで指導を受けに行った。そうしたら、斎藤克司教学部長が相手をしてくれて、○○は心配ないと言っていた」と。
そのときは、あまり気にも留めていなかったが、もしかしたら、学生時代の私の不満が、(もちろんその他にも同じような不満を持つ会員がたくさんいたのだろう)創価学会の教学の見直しにつながっていたのかもしれない。
残念ながら斎藤克司氏は平成25年2月に64歳という若さで亡くなったという。
ご存命なら、お話を伺いたかった。
__あなたは、創価学会をどういう姿にしたかったのですか?
__アンチブログに大量に書き込まれているような創価学会員の抱える悩みにどう答えていくのですか?
__敵対者に対する、創価学会の攻撃のしかたをどう考えるのですか?
かつて創価学会と池田先生は、古臭い日蓮教学から脱却するために努力したのかもしれないが、その手段が悪かった。そして、池田先生の健康がすぐれず、斎藤克司氏のような有力なブレーンがいなくなった現在は、教学面での見直しを誰も責任を持って、ひっぱっていけないのではないか。
宗門と時間をかけて教学面での見直しを話し合うのではなく、けんか別れをふっかけて、相手を貶めるような攻撃をしかけ、そのことによって会員の離反を防ぐというような方法をとったのが、そもそもの間違いだったと私は思う。
日蓮教学の見直しという池田先生と斎藤克司氏の志を受け継ぐのは、いったい誰なのだろう。
もし、そんな人が現在の創価学会にいるなら、話をしてみたい。

対話ブログの早い時期に、朝日新聞のこの記事を紹介してくれた旃陀羅の子さんは、かなり意識の高い人でした。
是非、対話してみたいです。
元気でいらっしゃいますか。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅠ:ブログの開始 (15)

2021-09-24 01:18:58 | 対話ブログ

■2012年元旦                 投稿日: 2012年1月1日
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
昨年は私にとってほんとうに激動の年でした。これからいよいよ脱創価へ向けて行動を起こさなければなりません。しかし前途はそうそう開けているわけではなさそうです。
今年は新年勤行会に参加するつもりでしたが、結局行かないことにしました。MCから抜け出た目で、あらためて学会の姿を見てみようと思っていましたが、今さら会館の仏壇の前で勤行をする気にはなれませんでした。今の私にとって、創価学会は完全に「異物」であり「遺物」となりました。これまでの53年間の私の人生の中での創価学会は、「まちがいでした」と心身ともに認めることができたように思います。これから、聖教新聞等の機関誌購読を中止し、脱会の手続きをとるための作業をしていくつもりです。ただ残念なことに、それが単に事務的な手続きで済むとは思っていません。おそらく面倒なことが待っているでしょう。はじめは組織から引き止めがあるでしょう。新聞を断ったら、それだけで「どうしたんですか」と様子伺いに来るでしょうし、はっきり理由を言うものなら、私の親兄弟に連絡が行くでしょう。たぶん私が親兄弟には伝えないでほしいと言っても無駄でしょう。そこで兄夫婦との一悶着が予想されます。組織の人とはどんなに討論になったとしても、毅然として自分の意思をつらぬく自信はありますが、兄夫婦はもしかしたら兄弟の縁を切るとまで言い出す可能性もないではないのです。また今では認知症が見られる母親は悲しむだけで、説明のしようがありません。どんなに話をしたとしても、翌日にはすっかり忘れて「息子が退転する」という衝撃と悲しみを毎日経験させてしまうと思うと、なかなか切り出せません。
きのう、つまり大晦日の日、私が仕事に出かけようとした時に、妻が言いました。
妻「このごろ勤行しないよね」
私「うん」
妻「鏡餅だって買っておいたのに、ぜんぜん飾る気配もないし、いったいどうしたの?」
私「じつはね、気づいたんだよ」
妻「何に?」
私「学会のまちがいに」
妻「え???!」
私「今ね、自分の中でたいへんなことになってる。間違いだったんだ。それに今になって気づいたんだよ。僕は生まれたときから創価学会員として育てられた。何も疑う余地なんてない環境で育てられた。両親も真面目に学会活動をする自分をとても喜んでくれたし、僕はそれに応えたいと思ってきた。大人になっても学会を疑っちゃダメなんだと自分に言い聞かせてきた。他の哲学や宗教や芸術を学んでいく中で、学会の矛盾は感じてはいたけど、でも最終的に学会に間違いはないと言い聞かせてきた。だから少々変なことがあっても、それは自分の考えが変なんだと思い込ませてきたんだ。今思えば思考停止してた。でも、この歳になってもうどうしようもないと思った瞬間に全てが見えてきたんだよ。信じられないかもしれないけど、この巨大な宗教団体は、宗教団体でさえない汚い営利集団だということが、きれいに見えた。そしてこれまで何十年も抱いてきた矛盾が見事に解明できた。だから僕は創価学会を脱会する。」
妻「私は学会にも変な人がいるとは持ってたけど、それはごく一部の特別な人で、もともとはちゃんとした宗教だと思ってた。だから自分は積極的に活動はしなかったけど、そこまでとは思わないけど。」
私「うん、そうだろうね。僕はネットに出回っている学会バッシングの情報もこれまでは相手にしなかった。多くの学会員が教えられているように、ネットの情報はデマばかりだという指導を真に受けてたんだ。それにネットのそれらしいサイトをたまに覗いても、相変わらず互いに口汚く罵りあうネット上のやりとりばかりで反吐が出そうだった。だけど、学会のおかしさに気づいてから見たアンチ学会の人の言ってることは、きちんとしているんだよ。何もおかしなことを言ってるわけじゃない。そして学会員であることで大変な被害を受けてきたし、今も取り返しのつかない被害を受けている人が大勢いることがわかったんだ。僕がバカだったよ。大変な人生を送ってきてしまったと思ってる。僕はそのことに気づきはじめたとき、とある学会員のサイトにコメントを送ったんだ。そこは真面目すぎるほどまじめな末端会員のブログで、100%学会組織の言いなりになっていることがよくわかるブログだった。それで、ちょっと学会に批判的な発言があっても、ものすごい勢いでバッシングする。そこには理屈も何もなく、ただただ感情的に「哀れだ」とか「最低」だとか言うだけで、何ひとつ対話をしようとしない。最後は一方的に僕のことを学会を貶めるのが目的のナリスマシだと決めつけてアクセス禁止にする始末。これが宗教を信じる人間のやることだと思えるかい?それで僕はそうとうあきれかえったんだけど、僕はまだ創価学会員だし、ナリスマシでもなければ学会を印象悪くしたいと思っているわけでもない。むしろあんなサイトがあることのほうが、よっぽど学会のイメージを悪くすると思った。それに途中で話を打ち切られて我慢ができなかったので、そのサイトに腰巾着のようについて回っている別の会員の挙動不審なサイトにコメントをしたんだ。挙動不審というのは、ちょっとした他人の言葉にすぐに動揺して考えを簡単に変えてしまうような、そして満足に日本語も書けないような会員のサイトだった。『あなたが仲良くしているサイトの管理人に、私がナリスマシではなく創価学会の同志として忠告しているだけだということを伝えてください』ってね。そしたら、わけのわからない言葉で話にも何もならなかった。そのうちなぜかそのサイトは突然消滅してたんだよ。まったくわけがわからなかったよ。そこであらためて思ったんだ。創価学会はこうした何も知らない末端会員を都合のいいように洗脳させて、新聞の営業をさせたり、選挙で無理矢理投票をさせたり、人を呼びつけておいて大勢で囲んで契約させるような悪徳霊感商法と同じ手口で会員を増やしてきた。疑問を感じて脱会しようとする会員に対しては「地獄に堕ちる」と脅して精神をボロボロにさせてきた。そんなことがやっとのことで見えてきた。」
昨日の大晦日、妻とそんな話をしました。私はまだ妻に何も話していませんでした。特に学会のことをある程度知っている親しい友人に話をしただけで、特に身内に関して話を持ち出すのは、そうとう下準備やシュミレーションをしてからではないと取り返しのつかないことになると思っていたからです。しかし毎日いっしょに生活している妻には隠しようもないわけで、妻もなんとなくおかしいなとは思っているみたいでした。
これから、私がどうやって脱会に向けて行動して行くのかの一部始終をここでお知らせして行きたいと思います。学会に疑問を持ちかけているみなさん。少しでもここでの話が参考になればと思います。そしてこんな現役学会員のサイトがあることをまわりの人に教えてあげてください。また、少しでもいいですので、ここに感想をお寄せいただけると嬉しいです。よろしくお願いします。


解説
学会に疑問を持ったシニフィエさんと奥さんの会話が紹介されています。
興味深いですね。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅠ:ブログの開始 (14)

2021-09-23 01:16:23 | 対話ブログ

■初めてコメントを削除しました。             投稿日: 2011年12月29日
昨夜の対話はさすがにこたえました(笑)。話をしているのに言葉が通じないというのは、とても消耗するものです。でもそんなこともあるんだなと勉強させていただきました。
このブログをはじめてから23日が経ちました。最初から1日1000を超えるアクセスがあり驚いたのですが、今では1日約1500となっており、これからも次第に増えていくでしょう。ですからこれから先はますますいろんな方にこのブログを見ていただく機会が増えるものと思いますし、中にはこちらの予想外のこともあると思います。これまで、ブログをはじめたばかりということもあって、すべての方にきちんとお返事をしなければ対話のブログとして成り立っていかないと思っていましたし、それなりに頑張ってきました。しかしこれから先のことを考えると、今までのような形では無理がありすぎるということもわかってきました。全国から寄せられる見知らぬ方々のお話のすべてを私一人が受け答えしていくことは、やはり遅かれ早かれ困難になると思われます。またこのブログに応援してくださる方も多くいらっしゃいます。そこで、どうしたらいいかを考え中です。これから二ヶ月ほど、私のリアルでの仕事がとても忙しい時期になります。少なくとも毎日このブログの対応はできないと思います。


 ・すべてのコメントに対してのお礼やお返事はできない。
 ・システムの不具合でコメントがアップされない場合もある。
 ・PRのための特定のページへのリンクは許可しない。
 ・コメントを管理者が削除しても抗議しない。


とりあえず上記のことを了解していただいた上でコメントしてください。
もちろん私ができるかぎりのことはした上でということです。
どうかよろしくお願いします。
 
本日、12月29日 木曜日 午後12:58にこのブログの「創価学会のみなさんへ」のページに匿名で下記のようなコメントをいただきました。
_____________________


>もう皆さんご存じかも知れませんが、一応、URLを貼り付けておきます。
>□□□□□□□□□□□□□□□
>ここでは、法華講の有志と学会幹部や顕正会幹部との対論・法論の最前線が
>You Tubeに映像としてアップされています。かなりショッキングな映像の数々ですが、
>これがカルトと呼ばれる実態です。
_____________________


コメントはこれがすべてです。
このコメントを削除した理由を以下に述べます。
□□□□□□□□□□□□のところはYouTubeではなく法華講のPRのサイトのアドレスが記載されていました。こうしたことをひとつでも見逃していますとあとで大変なことになりますので、私の判断で削除させていただきました。また、ハンドルネームすら書かないで、挨拶もなく、自己紹介もなく、自分の考えを述べることもなく、単に創価学会の反社会的な面を訴える法華講のPRページのアドレスをいきなり他人のブログに書くのはいかがなものかと思います。これでは子供たちを出会い系サイトに引きずり込む悪質なモバイルゲーム業者と同じです。匿名さんは自己紹介すらないので、これが法華講員さんのコメントかどうかもわかりません。というかこの行為はかえって法華講を貶めるものです。はたしてこれが宗教家のモラルなのか私には理解できません。私は創価学会の真実を明らかにしようとする立場でこのブログを立ち上げましたが、だからといって法華講を応援しているものでもありません。以前も書きましたが、私は法華講について何も知りません。私は未活といえどもまだ創価学会員で、これまで客観的に法華講について知る機会はありませんでした。まだこれから勉強しないといけないなと思っていた矢先にこれです。知らない私が最初に知ることになったのが、この匿名さんによるコメントです。いきなりこういったコメントをされると、それなりの判断をせざるをえなくなります。匿名さんが誘導しようとしているのは法華講の樋田昌志氏のサイトのようですが、こういった匿名さんの行動は樋田昌志氏の指示によるものでしょうか。ほかのブログでも同じようなことをされているのでしょうか。創価学会の反社会的なところを訴えたいという気持ちはわからないわけではありませんが、もし匿名さんがほ法華講の方であるなら、相手(この場合ブログ管理者である私のことですが)の身になって考えていただきたいと思います。上に書きましたように、私は普通に働く社会人です。四六時中ブログを書いているわけではありません。サラリーマンではありませんので、昼夜を問わず働いています。文字通り寝る間を惜しんでこのブログの運営をしていて、それだけでも大変なのに、こうした心ないコメントの対応までもしなくてはなりません。これまでこのブログには削除するほどの悪質なコメントがありませんでしたので、そのことは私も誇りに感じていました。残念ながら今回の匿名さんのコメントが、初めて削除が必要なコメントとなってしまいました。しかし私が匿名さんのコメントを削除したことに対して、さらに匿名さんは自分が誰かを言うことなく、削除した理由を聞かせてほしいとのコメントを書かれています。このように。
___________________


ちょっと映像がショッキング過ぎて、投稿を削除されてしまったのでしょうか。それとも、エラーが生じたのでしょうか。もし、敢えて削除されたのでしたら、そのご理由の開示していただければと存じます。決して、悪意があっての投稿ではありません。悪意が満ち満ちているカルト教団の実態をお知らせしたかっただけです。「百聞は一見に如かず」ですからね。
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つまりなぜ自分のコメントが削除されたのか理由が分からないと言ってきました。もう一度言いますが、はじめて他人のブログにコメントするときには、まず名前を名乗り、挨拶をして、ご自分の考えを述べ、だから自分はこの映像をみなさんに見てほしいんだけどもどうでしょうかと打診するのが最低限のマナーではないでしょうか。ちがいますか?厳しい言い方かもしれませんが、他人の家に黙って入り込んで、いきなり「これを見ろ、これが創価学会の実態だ」と言われたほうはどう感じると思いますか?「なるほどこれが創価の実態なのか、ひどいなあ。教えてくれてありがとう」って感謝すると思いますか?おそらく誰もが「あなた誰?いきなり人の家にあがりこんで何を言ってるんですか?」って言うのが普通だと思います。
それから今回の削除の件に関しては、法華講の方がコメントされたかどうかはわかりません。もしかしたらまったく関係のない人が、法華講のサイトに創価の真実がわかる動画が載っていることを知らせたい一心での行動かもしれません。その可能性もないではないので、もし濡れ衣であれば法華講の方にもご意見をうかがえればと思います。
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このあとしばらくして、次のようなコメントを匿名さんからいただきました。
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シニフェイ様
 ・PRのための特定のページへのリンクは許可しない。
 ・コメントを管理者が削除しても抗議しない。
明快なご開示、改めて理解させていただきました。
確かに挨拶言葉もなく、いきなり書き込みしたことに対しては,深くお詫びいたします。単に、このようなブログが心ある学会員の方から生まれたことに驚き、ロムしていました。因みに、私は法華講員(日蓮正宗は応援していますが)でもなく、学会員(元学会員でした)でもありません。ただ、貼り付けたURLに、おぞましいYouTube映像が多くリンクされていたのでご紹介させていただいただけです。お仕事が大変な最中、大変心煩わしきとこに巻き込んでしまい申し訳ありませんでした。 
__________________
 
どうやら今回の匿名さんは法華講の方ではなく、元学会員の方のようです。
法華講のみなさん、申し訳ありませんでした。
数分間とはいえ、私も法華講に対して疑いをもって書いてしまいました。
上記のことについてはまったくの濡れ衣でした。お詫び申し上げます。
すみませんでした。
 
それから匿名さん、素直に謝られたことに関して感謝します。
こういったとき知らぬフリをする人もいますので、匿名さんに悪気はなかったのだということを信じています。顔の見えないバーチャルなネットといえども、逆に顔が見えないからこそ、軽はずみな行動は、自分の知らないところで多くの人を不快にしたり人間関係を壊してしまうものだということをよく反省していただきたいと思います。
やみくもに攻撃するのは愚かです。勝った負けたと言ってること自体が愚かだと思います。
ここでは論争ではなく対話をしたいのです。
あんな書き込みは、小学生が「おまえの母さんデーベーソー」って悔しまぎれに言ってるのとひとつも変わりません。小学生が言うのであれば可愛いものですが、大の大人がまじめな顔をして言うのを聞いておれないのと同じことだと思います。
匿名さんも、ハンドルネームで学会員だったときと今の気持ちをここにコメントしていただけるとありがたいです。そのときは挨拶や自己紹介もしてね(笑)

●シニフィエ (2011年12月29日 17:51 )
いやあ、今夜も大変でした(笑)。後半の顛末をコメント欄ではなく本文に書いたのは、可能性の範囲ではあっても法華講の方に濡れ衣を着せてしまうことになりましたので、本文を読むだけで完結できるようにしました。申し訳ない。それにしても活字の羅列だけで何かを伝えるということは、ほんとうに難しく、まどろっこしいものです。声や身振り手振り、また言葉の早さや感覚がまったく失われた字列から、人間の気持ちを受け取ることは、どだい無理なことなのかもしれません。しかし「無理だから」といって諦めるわけにはいきません。どんなに遠回りになろうとも、創価学会の真実を一人でも多くここで語っていただくことは、決して無意味なことではないと信じています。その途中に思いもしない壁が立ちふさがることもある程度想定しなければいけないでしょうし、想定外なんてどこかの誰かみたいに人を食った言い訳などしたくはありません。みなさん、気軽にとはいかないでしょうけど、創価学会についての思いを少しでもいいですので、ここに記してください。どんなことでもいいです。そこから真実の対話が生まれてくれば素晴らしいではないですか。もちろん、これまでコメントしていただいた方でも、何度でもお話を聞かせてください。よろしくお願いします。

●寒苦鳥 
2011年12月30日 02:35 
匿名改め、寒苦鳥です。改めてご挨拶させていただきます。昨夜は大変な思いをさせてしまい心苦しく思います。私は学会2世ですが、たび重なる宗門や僧侶攻撃、本尊取替要請に、帰って日蓮正宗の存在に興味を持ち始めました。そして、知れば知るほど、「学会は、先生はおかしい」と気が付き、十年ほど前から一切の学会活動を停止しました。ですから脱会はしていないので、「元学会員」というのは正確ではないですね。もちろん、毎日ではありませんが(懈怠誹謗ですね)、五座三座の勤行は行っています。今では、ご本尊様をあんなカラー印刷物に替えなくて良かったと胸を撫で下ろしていますが、もう組織活動はウンザリですので、法華講にも、どこにも属していません。YouTubeの映像は、フジテレビ抗議デモを観ていて、たまたま樋田さんと学会幹部の対論が関連映像としてあったので、夏ごろからアレコレ観ていました。そこで、2ちゃんねるの乗りで書き込んでしまったものです。「不適切でしたら、削除をお願いします」という文言を入れ忘れ、ちょっと気をもんでいたのですが、貴殿が別のコネント欄にあった私の投稿を、わざわざ最新のコメント欄に貼付けて下さったので、「ああ、大丈夫だったんだな」と思っている矢先に、いきなり削除されたのに驚き、理由をお聞きしたくて再度書き込みました。しかし、確かにこのような個人色の強いブログに対し、失礼な内容であったと反省し、お詫びした次第です。長文になり、申し訳ありませんした。


解説
可能性の範囲ではあっても法華講の方に濡れ衣を着せてしまうことになりましたので、本文を読むだけで完結できるようにしました。申し訳ない。

このころは、シニフィエさんは、しでかしたミスについてはちゃんと謝ることができたようです。


対話ブログ・ステージⅠ:ブログの開始 (13)

2021-09-22 01:12:57 | 対話ブログ

■一万人の声を                    投稿日: 2011年12月28日
このブログの「正義は勝たない その2」のコメント欄に匿名でコメントをいただきました。さきほどそのコメントに対してお返事させていただきました。ここの一番下のコメントです。二つ前の記事になりますので、みなさん見逃すかもしれませんからここでお知らせしておきます。私の言葉足らずなところが、いろいろと誤解を生むのかもしれません。批判は真摯に受け止めるつもりですし、それに対して思うこともできるだけ書かせていただきたいとも思っています。ここは最初に書きましたように、正邪を決める戦いではなく、いろんなかたの考えや体験を語っていただく対話の場としてやっていきたいと思っています。とくに創価学会についての思いや経験を書いていただけるとありがたいです。私は学者や宗教家ではありませんので、誰かに何かを教えるようなことはできません。学会幹部が尻尾を巻いて逃げ出すようなすごい秘密を知っているわけでもありませんから、本部幹部の方、安心してください(笑)。ただ創価学会の真実の声を徹底的に集めたいと思います。もし本当に創価学会が正しい宗教であれば、それはそれで学会にとってもありがたいブログということにもなるでしょう。そうなれば私の両親のように創価功労賞をもらえるかもしれません(笑)。包み隠さず、一切の脚色をすることなく、53年間の創価学会員としての自分の思いや経験をここに書き、それをきっかけとして、他の方との意義ある対話が広がっていければと願うだけです。
そういうことで、ここをご覧になっていて、まだ何も書いてないけど、ちょっとは言いたいなとか、私はどこまでも学会を信じて死ぬまでやっていくぞという方も、自分の思いを伝えてください。悪意がなければ削除はしません。幸い、いままでどなたも削除していません。これってけっこうびっくりなことかもしれません。きっとみなさんの真剣さが変な書き込みを拒絶する力になっているのだと思います。ありがたいです。ここに載るのは真実の声であれば、学会でもアンチでも外部でもかまいません。右でも左でも法華講でも幸福の科学でも真言密教の行者さんでも四国のお遍路さんでもカトリックでもプロテスタントでもフロイト派でもユング派でも神道でも気功師でもプラグマティストでもニヒリストでもオタクでもかまいません(笑)。北海道のアイヌの方でも、沖縄のナンクルナイサーな方でも、キムチがきらいな韓国の人でも、カレーが苦手なインド人でも、リズム感のない黒人でも、いっこうにかまいません(笑)。いろんな方がいて当然ですし、先にお返事させていただいた匿名さんもそうした中のお一人ですので、ここから対話が広がっていけばいいなと思っています。
みなさま、私は創価学会に関する一万人の真実の声がここに集まる日まで頑張ります。その結果がどういったものになるのか、学会本部の幹部の方をはじめ、しっかりと見届けていただきたいと思います。できれば創価ネットのトップページにリンクバナーを貼っていただきたいぐらいです(笑)。ある意味、聖教新聞より学会のことがよくわかるブログになると思いますがいかがでしょうか。

●ラピスラズリ (2011年12月28日 12:41 )
正義は勝たない。。とは、そういう意味だったのですね。卵と壁ですか~。。たしかに、いまの日本で真の民主主義はないように感じています。でも、わたしはただ壁にぶち当たる卵の存在にはなりたくないですね。無意味なことは最初からしたくない人なので。。シニフィエさんが、創価学会に長くいたことがありながら、それを悪であると言い切る所に、正直わたしは疑問を感じてしまうんですね。そして、1万人の声を集めて何がしたいのか、よく見えません。。わたしは脱会して4年、身近な創価学会の人と交流はナッシングですが、敢えて創価学会の事実を知らせようとか、在る意味目覚めさせようとか、そういう気持ちは初めからなくて。。ただ、運ちゃんさんのサイトに出会い、そこに想いを書き込みながら、自身の気持ちを整理させてきた部分から、このシニフィエさんのブログへと至っただけで、なにも創価学会の方に積極的に脱会を勧める気持ちもあまりないんですね。皆さん、ご家族やしがらみもあり、今さら面倒なことはしたくない人も多いでしょうし。
ただ、創価学会で悩み苦しんでいる人に、こういう生き方もあるよ~という気持ちからですね。。基本的には。。そもそも、正義なんて価値観、人により国により、宗教により、様々なモノに思い込みと言うか、そんな曖昧なモノに価値を見出そうなんて気持ちもないです。何故、シニフィエさんは、そんなに性急にされようとしているのか、その真意も分かり兼ねます。また、自分と違う考えの方に対するコメントの反論が半端なくて、正直わたしは引いてしまいます。また、ここにどんどん書き込んでくださいと言えばいうほど、正直、なんか怪しげに感じてしまうわたし。。おかしいでしょうか?また、勇気だして書いたコメントが、いままで何度も消えてしまうと、正直、無言の圧力のようなものを感じてしまうわたしは考えすぎでしょうか?サイトの不具合で在るのならば、リニューアルするのもいいかと。。右寄りであるか左よりであるか、その書き込む内容を読めば誰でも薄々わかるものです。今日は、ここまでにします。

●ラピスラズリ (2011年12月28日 13:44 )
めげずに書きますね。。わたしは、すでに脱会して4年、戻ろうなんて気持ちもさらさらないし、辞めたコトを後悔する気持ちも微塵もないです。ただ、純粋なアンチブログならいいのですが、在る意味、よくわからないような権力に飲み込まれてしまう感じがするモノには近づきたくないんです。わたしの思い込みかもしれませんが、シニフィエさんには、そのような匂いを感じてしまいました。もし、創価学会に幻滅を感じて脱会したいなら、なにもここで断るコトなく、サッサとやめればいいだけなのに、何故?と不思議なんです。。また、消えてしまうかもしれないので、ここまでにします。。

●シニフィエ (2011年12月28日 14:57 )
ラピスラズリさん、コメントありがとうございます。これまでのラピスラズリさんと随分感じが変わったので驚いています。といいますか、ラピスラズリさんのコメントは書かれるたびにスタンスが違いすぎて驚いてしまいます。いや、べつに批判しているのではないので誤解しないでくださいね。ラピスラズリさんが先日YOUTUBEの動画を紹介してくださいました。お返事をと思ったのですが、正直あの物語にあまり共感できませんでした。なんとか意を汲もうと努力しました。人と人とのつながりとか、ヒューマニズムがテーマだったのでしょうが、物語の設定にあまりに無理がありすぎて、違和感ばかりが心に残ったのです。人間の心の機微をこんなにも凡庸に扱われたのではたまらないなといった感じです。怒らないでくださいね。正直に言ってるだけです。だからあれからなかなか返事ができないままになってました。日本における創価学会の存在は、世界に君臨する巨悪の「壁」に比べればチンケなものでしょう。でも学会によって不幸になっている人がこれだけいる。幸福になりたいという思いを逆手に取って搾取してきた組織は、村上春樹氏が言う「システム」であり「壁」のミニチュア版であると思います。>1万人の声を集めて何がしたいのか、よく見えません。。このラピスラズリさんの感想に対して、私はこれまで述べてきた言葉でわかってもらえていないことを考えたときに、これ以外にわかってもらえそうな言葉を見つけ出すことができません。ですので先に取り上げさせていただきました村上春樹氏のエルサレムでのスピーチを抜粋します。
(後略)

●シニフィエ (2011年12月28日 15:44 )
ごめんなさい。書くか書くまいか迷いましたが、このままでは眠れなくなるので書くことにします。それはラピスラズリさんに対して大変失礼なことを訊くことになると思いますがお許しください。ただこれ以上の食い違いは私もどうかなりそうです。どこかではっきりしなければならないと思います。ラピスラズリさんのコメントを最初から読み返してみました。そこで思ったのは、ラピスラズリさんは、自分に入ってくる何らかの意思にとても過敏に影響されすぎてしまう方のように思われます。私の書き込みに対しても、私があたかも命令しているかのような反応です。それからご自分のコメントが意図的に消されているのではないか、自分は否定されているのではないか、無視されているのではないかと言った猜疑心さえうかがえます。最初にコメントがアップされない自体があったときに、別のブログの方へ相談のコメントをされました。その後、私がシステム上の単なる不具合であることをお話ししたところ、丁寧にお詫びのコメントもいただきました。それはそこで解決したと思っていました。しかしその後、先にも言いましたように、コメントのたびにラピスラズリさんのスタンスがまるで違う。またあまりこちらのことを聞かずに自分を主張される。なにかとても不安定なものを感じます。
>よくわからないような権力に飲み込まれてしまう感じがするモノには近づきたくないんです。といいながら、私に近づいているのはあなたの方ではないのでしょうか?先にも言いましたとおり、ここはネット上のどこの誰かも分からない他人のブログなのですから、近づく近づかないはあなたの判断でしかありません。私はあなたに対しても誰に対してもなにひとつ強制した覚えはありません。私はあなたの言動のちぐはぐさにどう対応していいのか分からないでいます。ここが嫌な「匂い」がするのであれば、そんな思いまでしてきていただかなくていいんですよ。私はあなたにぜひともここに来て何かしら書きなさいと言っているわけではありません。ここにいらっしゃる方に、その気があったら何か思うことを書いてくださいませんかとお願いしているのですが、そうしたことも理解していただけてないようで残念です。あなたのことをなんとか理解しようとしましたが、残念ながら精神的に消耗するばかりです。できればこれで終わりにするか、まともな対話ができるようなスタンスでお願いしたいです。よろしくお願いします。

●シニフィエ 
2011年12月28日 16:30 
以下、ラピスラズリさんの最後のコメントだそうです。
________________________
わたしは創価学会を離れ自身の心の変化を自分でも不思議なくらいに感じています。いま、正直変化途中なので、他人からみると、大きく違うコトを言っているように思われるかもしれませんね。。ここに書き込むコトも最期になると思いますが、正直、いまのわたしには創価学会問題は、もう自分の問題ではなくなっているんです。もう、そんなことはどうでもいいんですね。。一時、母にだけは創価学会の事実を伝えようとしましたが。。最期の言葉でなにもそれ以上言えなくなってしまったんです。。「もう言わないでよ。。分かっているけれど、いろいろめんどくさいからほっといてよ」また、創価学会すべてを悪と言い切れることにも疑問です。なにが善でなにが悪か、いまもってわかりません。正直わたしは、在る意味、絶望感からかもしれません。。卵をぶつける人になるよりも、自分の人生を眈々と生きていく。。それだけです。わたしは、創価学会で成長できたことも事実ですし、そのときの自分には必要だったと思うし、そういう自分を否定したくないんですね。思いっきり頑張って卒業した。感謝の気持ちで。。また怒りや、批判で世の中は変えられないと心底感じたからです。『すべての出逢いは良き出逢い。すべての出来事は良きできごと』軽薄なヒューマニズムと言われても、これから先もわたしは魂の進化をし続けて行くつもりでいます。どうせなら人生、わくわくすることを選択し楽しく生きて行きたいですから。。思ったよりも人生は短い。。怨みつらみを言い続けて生きたくないですから。。ゴメンなさい。。最後に。。 
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大変失礼かとは思いますが、ラピスラズリさんはきっとおひとりではないのかもしれないと思いました。そしてそのときそのときで思いついたことを口走ってしまうので話に一貫性がない。でもそんなことは気にしないので、逆に聞かされているほうがどうかなってしまいそうです。こちらからのいくつかの質問に対しても最初から答える気がなかったようです。視点の見えない話は対話になりませんでした。今考えてみると最初から対話ではなかったです。お元気で。

●シニフィエ(2011年12月28日 18:30 )
いやあ、びっくりしました。こんなことだってあるんだなあと勉強になりました。正直動揺しました。とても深い闇が見えました。闇というより虚といったらいいのでしょうか。上の対話を見ている方もちょっと怖くなったんじゃないでしょうか。もう少し私が冷静になるべきでした。コミュニケーションが破綻すると、一見会話のようで会話にならない恐ろしい空間が生まれるのですね。さ、気持ちを切り替えて明日も頑張ります!

 


解説
>何故、シニフィエさんは、そんなに性急にされようとしているのか、その真意も分かり兼ねます。また、自分と違う考えの方に対するコメントの反論が半端なくて、正直わたしは引いてしまいます。
>わたしは、すでに脱会して4年、戻ろうなんて気持ちもさらさらないし、辞めたコトを後悔する気持ちも微塵もないです。ただ、純粋なアンチブログならいいのですが、在る意味、よくわからないような権力に飲み込まれてしまう感じがするモノには近づきたくないんです。わたしの思い込みかもしれませんが、シニフィエさんには、そのような匂いを感じてしまいました。

ラピスラズリさんの指摘、するどいですね。
こんな初期の頃から、シニフィエさんの気質を見抜いていますね。

それに対するシニフィエさんのことば。
>いやあ、びっくりしました。こんなことだってあるんだなあと勉強になりました。正直動揺しました。とても深い闇が見えました。闇というより虚といったらいいのでしょうか。上の対話を見ている方もちょっと怖くなったんじゃないでしょうか。もう少し私が冷静になるべきでした。コミュニケーションが破綻すると、一見会話のようで会話にならない恐ろしい空間が生まれるのですね。さ、気持ちを切り替えて明日も頑張ります!

なんだか、HOPEさんを冷たく切り捨てた時の姿勢と共通するものを感じました。
ラピスラズリさんの発言のどこに「とても深い闇」が見えたというのでしょう。
これも印象操作でしょうかね。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅠ:ブログの開始 (12)

2021-09-21 01:09:38 | 対話ブログ

■創価学会員のみなさんへ               投稿日: 2011年12月25日
申しわけありませんが、個人的な仕事の都合でコメントをいただいている方全員にすぐにお返事ができる状態ではありません。コメントしたのに返事がないからといって無視したり軽視したりしているわけではありませんので、くれぐれも誤解のないようにお願いいたします。また、まれにですがコメントしてもアップされない不具合が見られます。こちらではできるだけのことはやっていますが、まったくコメントしている痕跡がない場合はこちらで対処のしようがありません。もう何度もお知らせしていますが、このブログの開設以来、一度もどなたのコメントも削除してはいません。もしご自分のコメントが表示されないといった場合には、こちらでは何の反応もないのだと判断してください。どうかよろしくお願いいたします。
 
今年もあとわずかとなりました。今年は日本にとって大変な年でした。もちろん今もその大変さは続いていますし、原発事故の問題は、いよいよ取り返しのつかないところまで拡大してきました。また私個人にとっても精神的にものすごい激動の年となりました。まだそれは始まったばかりです。これからひとつずついろんなことを整理していかなければいけないなと思っています。もちろんそれは私が生まれてこのかた創価学会員としての人生を歩んできてしまったことに対する、なんらかのけじめみたいなものです。すぐに脱会届を出せば済むといった問題ではありません。思い返しただけでも目眩がするくらい、自分の人生って何だったんだろうという何とも言えない虚しさが襲ってきます。
考えてみると、私は自分の中の創価学会員である部分とそうでない部分を、どこかで切り離しながら生きて来たような気もします。学会の部分は学会として、そうでない部分、つまり「これは自分の考えでの判断だ」と自分に言い聞かせながら判断し行動してきた部分があります。そして創価学会自体が間違いだったことにはっきりと気づいた今、なるほどなぜ自分は自分の中の学会である部分とそうでない部分を切り離さないと生きてこれなかったのかの理由がはっきりしました。
詳しくは話せませんが、私は芸術系の仕事に携わっています。芸術を理解しようとするとき、日蓮仏法や創価学会の思想では捉えられない部分が大きいのです。いや、日蓮仏法や創価学会の思想で芸術文化を語ることは不可能です。それは日蓮仏法も創価学会の思想も自分たちの思想以外を認めないからです。真言亡国、念仏無限と日蓮正宗以外の宗教を不幸の根源とし、仏教以外の宗教、つまり神道や儒教はもちろんキリスト教やイスラム教に至っては宗教の類いにも入らない低俗なものとされています。(にもかかわらず池田氏はガンディやキング牧師と肩を並べたがる(笑))ではそうした世界の宗教を基盤に生み出された芸術作品をどう見るのかということです。そしてさらに自分たちの都合だけで日蓮正宗をも貶める創価学会に芸術文化を語る資格などありません。総体革命が聞いてあきれます。
そんな私自身が携わっている芸術文化の部分と創価学会の部分との矛盾は、創価学会がとんでもないカルト集団であると見えた瞬間にはっきりしたのです。目から鱗とはこのことです。自分の中のこれまでの矛盾のすべてがすっきりと見えました。創価学会は宗教団体などではない。今はそうはっきり言えます。これは間違いない!(笑)。だから今までなんとなく思ってきたことをはっきりと確信をもってこのブログに書くことができるのです。
昔は、クリスマスケーキを買うことさえ法謗なんじゃないかなどとビクビクしたりしてました。でもだからといって学会がおかしいとは思わなかったんですね。仕事で他宗のお寺に足を踏み入れたりすることも、なにかしら後ろめたさを感じていたものです。なにかあとで悪いことでも起きるんじゃないかと、やはり常に恐怖心がありました。たまたまいいことがあったら信心のおかげだと思っていましたし、悪いことがあったら仏壇の前に座っていました。「ご本尊様、助けてください。心を入れ替えて信心に励みます!」って(笑)苦しいときの神頼みなんですが。全国の創価学会の皆さん、はっきり言いましょう。関係ないです。このあいだも書きましたが、私は約ひと月前から全く勤行をしなくなりました。今まで旅行したりして自宅に帰れないとき以外はきちんと勤行をしていたのですが、今回のことで仏壇の前に座ることの意味がきれいさっぱりなくなりました。いままでずっとバラバラでほったらかしだったジグソーパズルがピタッと収まって、いろんなものが見えてしまったのだと思います。だからといってこれからの人生をどうすればいいのかは、これから考えていかなければなりません。こんな歳になってしまいましたけどね(笑)。ただ私などまだまだ被害は最小限だと思います。創価学会に入ったばっかりに、ほんとうに一生をめちゃくちゃにされてしまった家族がたくさんいらっしゃいます。私の友人で、芸術と学会の教義の矛盾に悩んで鬱病で苦しんだり夫婦仲が壊滅的になっている芸術家の友人もいます。近所の学会員のデタラメな行動によって結果的に親を早くに亡くしてしまった友人もいます。今になって私はそれらの友人たちの苦悩が「そういうことだったのか」と理解できました。というか学会のせいでそんなことになるわけがないと本気で思っていたのです。
創価学会員のみなさん、もう一度言いましょう。いや何度でも言います。創価学会は人を不幸にして金と権力を独り占めにするカルト集団でしかありません。これが私の53年間の創価学会員としての結論です。いいですか、私は今でも現役の創価学会員です。ナリスマシでもなんでもありません。ひと月前まで勤行をきちんとしていた正真正銘の学会員です。今度の新年勤行会は参加しようと思います。もう一度この目で学会のカルトぶりを確認しようと思っています。おそらく「青年学会拡大の年、おめでとうございます!池田先生のご指導のもと、われわれ創価学会は…」と幹部が同じようなスピーチをして、「ここで池田先生よりメッセージがあります!」で大拍手。ちゃんと元気なら同時中継で顔を見せたらどうなんだと…学会員のみなさんは思わないか、思っていても口に出せないどこかの北の国と同じ。そしておそらくそれが私が体験する最後の創価学会の会合となるでしょう。
私はとくに創価学会によって壊滅的な被害を受けたわけではありません。両親や兄夫婦がやってきたように家が何軒か建つほど財務をしてきたわけでもありません。ただ、これまでの私が創価学会員として経験してきたことに対する疑問が、創価学会がカルト集団であると考えると、すべての辻褄が見事に合うのです。このことに対してもし反論があるのであれば、ここにコメントくださって大いに結構です。ただし対話を前提とします。このブログのはじめに書きましたように、対話とは互いを認めあった上での話です。相手を罵倒し貶めることが目的の人のコメントは受け付けません。以前、ひとりだけアオキさんという方が、ここに学会擁護の立場でコメントされました。しかしそれは対話をしようという姿勢を感じることができませんでしたが、私も思うところをはっきりとお返事させていただきました。その後何も返答がありません。おそらく軽口をたたくぐらいのつもりだったのでしょう。しかしそのアオキさんにしても学会から騙されているクチなのです。私だってそうだったのですから、仕方のないことかもしれません。
創価学会の皆さん、もしあなたの心の片隅に、学会に対する矛盾を詰め込んで鍵をしてしまっている箱があるのであれば、その鍵をためしにちょっとだけ開けてみませんか?そしたら自分の中の見ないようにしてきたモヤモヤが少しだけ見えてきて、それをきちんと箱から取り出すことで、そのモヤモヤがはっきりと見えてきて、そのモヤモヤが何なのかをきちんと自分で考えることができたときに、そのモヤモヤはきれいサッパリとなくなるでしょう。そしてはじめて人間らしい自分の生き方を見つけることができるのだと思います。
人間にとっての宗教は素晴らしいものです。全ての宗教がとは言えませんが、一部の宗教がダメだから全ての宗教を否定する理由にはなりません。イスラム教は闘いを望みません。なのにイスラムの国が常に戦闘状態にあるのは、宗教が闘いの理由に利用されているからです。ただし創価学会は宗教ではないから人を不幸にするし、不幸になっていることに気づかされないでいるだけなのです。あなたはお金と労働力を創価学会に捧げ続けて何を期待しているのでしょうか。功徳ですか?それは自分の人生に対する甘い考えではなかったですか?何も考えずに言われた通りにこの信仰をしていれば幸せになれる。そんな美味い話がこの世の中に本気であると思っているのですか?そういう私もいままで信じてきたわけですから、あなたの思いはよくわかります。でも違うんです。間違った人生の選択なんです。そう、それが事実なら大変なことなんです。でもこの大変なことが戦後の日本に起こってしまっているのです。フランスやドイツでは創価学会はオム真理教と同じ扱いを受けています。当然です。学会内部では語られることはないでしょうが、それが事実です。あれだけ個人主義が徹底して、個人の思想信条に介入することを極端に嫌がる国民性であるフランスとドイツが創価学会を危険なカルト集団として認定していることの意味を学会員はもっと知らなければいけません。
 
このブログは始まったばかりです。私も客観的な学会の姿はほとんど知りません。でもいったん気づけばこれくらいのことは語れます。逆に今まで学会の中にいたからこそ語ることができると思うのです。これからいろんなことを学び直しながら、学会に疑問を持っている学会員や、すでに脱会された方との対話をはじめとして、もし対話になるようであれば活動家の方との対話もやっていければと思っています。私のブログ立ち位置はそうしたところです。
私はこの機会に1万人を目標に内部外部も含めた学会に対する評価をコメントとして残していきたいと思っています。一日に数十人の方が真摯にコメントしていただけるようなブログになればと思っています。社会に通用する創価学会に対する1万人の具体的な声を集約していきたい。このブログをはじめてから今日で20日。おかげさまで2万のアクセス数となりましたが、実際に1万人のコメントが集まるまではまだ時間がかかると思います。数が問題ではないとの見方もあるでしょうが、実際に創価学会に対する1万人の体験や疑問がネット上にあがるとすればどうでしょう。また、この行為が学会にとって脅威であると判断されたなら、もしかしたら何らかの圧力がかかるかもしれません。しかし、私からこのブログを何の予告もなしに閉じることは絶対にありませんし、もし強制的に閉じられるようなことがあれば、別の形で何度でもつくります。そうしたときにさらに学会の実態を社会に示すことができると考えます。
学会本部のみなさん。創価学会がほんとうに世界の人々を救っていける力のある宗教団体であるのであれば、真実を公開することが本来の姿であると思いませんか?今の創価学会の一般会員がどのような扱いを受けているのかはご存知でしょう。そうした矛盾にあなたがた自身が自分の人生を関わらせておいて耐えられるのでしょうか。目の前の汚い金と権力にひれ伏す人生で終っていいのでしょうか。あなたがたの誰か一人でも、ここにそっと真実を語ってくれさえすれば、どれだけ多くの人を救うことができるかを考えていただきたいと思います。「対話を求めて」はそうした真に勇気ある行動の受け皿となっていきたいと思っています。


解説
詳しくは話せませんが、私は芸術系の仕事に携わっています。

ふむふむ、シニフィエさんは飲食店を経営する傍ら、芸術系の仕事に携わっているわけですね。
やり手の実業家といった感じでしょうか。
なおかつ芸術系の仕事。
かっこいいですね。

獅子風蓮