獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅠ:ブログの開始 (8)

2021-09-17 01:19:14 | 対話ブログ

■これからのこと へのコメント(つづき)

●野口英明 (2015年4月10日 14:42 )
初めまして。私、フリーで書籍の編集者をしているものです。これまでさまざまなジャンルの本を企画編集してきましたが、なかでも創価学会とはなんなのであろうか、というテーマがあり、2014年、『創価学会あるある』という本を、編集しました。外部の人間ではなく、学会員の方に、さまざまな質問をして、タブーなしで、意見を伺いまとめました。そして、同書に協力してくれた方から、貴ブログを紹介いただき拝見しました。不躾ではございますが、当方の仕事歴を送らせていたくことは可能でしょうか。連絡をとらせていただくことが許されたら、ご提案させていただきたいことがあります。ご検討のほどよろしくお願いいたします。


●signifie (2015年4月10日 15:39 )
野口英明さん、はじめまして。コメントありがとうございます。
どういう経緯で3年前のスレッドになぜコメントされたのかわかりませんが、私がどこの誰なのかがわからないというネットの環境があればこそ、こういったブログをたちあげて、創価によって大変な被害を被っている多くの方の話を聞ける場所をつくっています。したがって今後も私がどこの誰かわかるようなことは一切致しません。また、野口英明さんが出されている「創価学会あるある」のアマゾンのページを拝見したところ、どうやら野口さんは創価側の立場のようですので、私が野口さんに協力できるようなことがあるとも思えません。せっかくですが、私の個人的な連絡先を教えるわけにはいきませんのでご理解下さい。よろしくお願いします。


●野口英明 (2015年4月11日 10:59 )
ご連絡いただきありがとうございました。アプローチのしかたがこれしか思いつかず、また、当方の連絡先は、コメントフォームに記載してあるので、手続き自体は問題ないかと思ったのですが。また、当方の立場がどのようであるのか、というのは仕事歴をみていただいたり、本を最後までみていただければわかるかと思ったのですが、残念です。本の受け止め方はいろいろありますが、あるやり方のなかでなにかを伝えるというのはなかなか難しいものです。それはさておき、お立場を考えると、警戒にも警戒をされるのはよくわかりますので、このような返信をいただくのも仕方がないかなと。ますますのご健筆を念じております。

●野口英明 (2015年4月11日 16:02 )
怪しさマックスとのコメント拝見しましたので、ひと言述べさせていただきます。当方は自身の好奇心と問題意識でさまざまな書籍の刊行に取り組んでおります。そのうちのひとつのテーマが学会であったということです。当方のネットワークを駆使して直接お会いした学会員には、シニフィエさんと同じように真摯に学会とはなにか考えている方がたくさんいることがわかり、、そのような方たちとつくりました。学会員には、こんな悩みがあるのか、二世、三世ならではの悩みとはこういうものなのか、このような会話が、こんな用語を使って多くなされているのか、創価カルチャーとはなにか、いったいどこから創価に変化がおきたのか、学会タレントとはどのような存在で、どのようなパターンのタレントがいるのか、これからの創価学会はどうなりそうか、世間の評価に対してどのように考えているのかなどなど、本音を語っていただきました。本とはどのようなものであれ、面白くてためになるものであってほしいという願いから、エンタメ色を強く出してはおりますが、いずれにせよ白か黒かというような、単純な本にはなっていないと自負しておりますので、決めつけるのではなく、読んでみていただけると幸甚です。勝手なことを述べてしまい恐縮ではございますが、ご検討のほどよろしくお願いいたします。

●signifie (2015年4月11日 17:16 )
野口英明さん、怪しさMAXが気に触ったようでしたらすみません。でもそれくらいあなたのコメントは気に触るものだったんですよ。
まず野口さんは初めてのコメントであるにもかかわらず、肝心な自己紹介もないままに連絡をくれと言ってきたんです。どこの誰ともわからない人に自分の身元がわかるよな情報を流しますか?とくにここで問題にしているのが創価学会です。そうとうヤバいですよ。その意味すらわかっていないんだろうなと判断しました。あなたが創価学会の立場の人間なのか、あるいはかつて創価で、ある程度内情がわかっていて今は脱会したのか、もともとまったく外部の人間なのかもわからない人に「ご提案させていただきたいことがあります」と言われて「はいそうですか」と自分の素性を明かすような人はいないと思いますよ。そういう意味で「怪しさMAX」だという意見に賛同しました。
野口さんはどういう立場かもわからない創価関連の人に「ご提案させていただきたいことがあります」と言われて「はい、私が創価を徹底的に批判している人間です」とのこのこ出て行きますか?自分の実績のわかる書籍の紹介ぐらいするべきではないですか。私は書籍や情報誌などの取材・編集も仕事としてやっているので、取材依頼のノウハウは心得ているつもりです。自民党の議員関係の仕事も多く手がけてきて、ヤバい世界もそれなりに承知でやっています。野口さんのコメントは、いきなり相手を警戒させるだけで、あなたの仕事に対しての興味を起こさせるようなことが皆無でした。なのであっさり断られたんですよ。
自分が何歳くらいのどういうキャリアがあって、どのような立場での編集を心がけているのかぐらい最初に説明すれば、まだ考える余地もあったでしょうけど、いきなり「連絡をとらせていただくことが許されたら、ご提案させていただきたいことがあります」はないと思います。それから「創価学会あるある」に関してはアマゾンの書籍紹介のページを見ただけですが、取材した学会員がどの程度の話をしたかぐらい想像がつきますよ。問題はそれをあなたがどのような立場と視点で捉えたて編集したものかによってその本の価値が決まってくると思います。ちょっと世間の感覚とは違った不思議な世界としてまとめてしまったものであれば、はっきり言って何の意味もないと思います。創価問題はそんなものではありません。戦後日本における重大な基本的人権の侵害行為が堂々とまかりとおっている大変なことなんです。あなたが他にどのようなテーマで本を編集されたのかは知りませんが、数ある面白ネタシリーズのひとつとして創価問題を扱われたのでは、創価の被害者はたまったものではありません。
問題意識がなさ過ぎるのではないでしょうか。そしてアプローチがまず過ぎます。たとえば北朝鮮拉致被害者の家族の方へたいした自己紹介も編集方針も告げないままに「『北朝鮮あるある』という本を出そうと思いますので、なんか面白ネタを思いつくまましゃべってください」なんて面と向かって言えますか?私は言えません。あなたのいう数ある「好奇心と問題意識」のなかのほんの一つとして創価問題はあまりに大きすぎると思います。手に負えるものではありません。『創価学会あるある』に対するアマゾンのレビューを見ただけで、問題意識の希薄さが伝わってきます。タイトルに創価学会とつけて、批判的な内容でもなく、学会員が面白おかしく読めるものであるなら、あるていど学会員さんが買うのも見込めます。それが何になるのでしょう。はっきり言えば創価をネタにした単なる暇つぶしの本でしょう。
野口さんは「それは言い過ぎだろ」と思うかもしれませんが、実際のところ「創価学会あるある」を載せるとすれば、
・学会員にはうつ病や統合失調症の患者の割合がとても多い
・学会員の過程の子どもは不登校や引きこもりがとても多い
・サラ金に借金してでも財務をしろと脅される
・聖教新聞の多部数購読はあたりまえ
・脱会などしようものなら、近所にあることないこと言いふらされる
・父親はすべてを創価に捧げたあげく自殺した
・うちの支部男子部長は事業に失敗して夜逃げした
野口さんはこんな話を載せてますか?学会員からこんな話が出ましたか?
いくらぶっちゃけ話をしたとしても笑って済ませるようなことしか言わないでしょう。
こんな話を野口さん名義の本で出版するというのであれば協力も考えますが、そんなことしたらあなた潰されますよ。出版を通してそうか問題の実態と本質をあからさまにするといった問題意識と覚悟があるのであれば協力も考えますが、あの本のレビューとあなたのコメントを見る限りでは、とてもそのようには思えませんので、お断りさせていただいた次第です。どうかご理解ください。

●野口英明 (2015年4月12日 00:54 )
アプローチの仕方にについてだけ述べます。コメントのフォームにメールアドレスの記載があったので、そこに記入させていただきました。おっしゃるとおり、なにかお願いするときには、私はこれこれこういうものですと名乗るべきです。それをしたかったのですが、この投稿で私の全履歴をのせるのはさすがにちょっとと思いまして、投稿フォームの当方のアドレスをのせましたので、それで連絡がとれたら、当方がいったいなにもので、なぜアプローチさせていただき、なにがしたかったのか、ご説明させていただければと思っておりました。たいへんなリスクを背負ってブログを運営されていると察しますので、警戒されているのは十分わかるのですが、どうやってアプローチするべきか、こちらも悩ましく、それで、当方の履歴にかんしては、個人的に送らせていただき、また、アプローチの動機なども吟味していただければいいなと思っておりました。このような、ブログでのアプローチはやはりなかなか難しいですね。投稿フォームに当方のアドレスをのせたので、シニフィエさんは匿名のまま、当方に、あなたはいったい何者で、何のようなの?と問い合わせしてくれたらいいなと、そんな勝手なことを考えておりました。たいへん失礼いたしました。今後ともご健筆を念じております。

●野口英明 (2015年4月12日 01:08 )
追記 公の投稿の場でどの程度ものをいうべきか迷ったところもあり、その点で、不快、もしくは疑念を喚起させてしまったこと、たいへん申し訳ございませんでした。段階をへて、やりとりができたらとは思っていたのですが、アドバイスに従うと、公の投稿の場で、履歴を公表し、どんな意図でなにをしたかったのかを、最初に全部公開するしかなかったのかと思うと、さすがにそれは当方も勇気いる、もしくはあまりにも最初から情報てんこもりでおしつけがましいのではないかとか、いろいろ考えてできませんでした。とはいえ、アプローチが不快であったことにかんしては変わりませんから、当方のいたらなさです。失礼いたしました。

●signifie (2015年4月12日 03:28 )
野口さん、あなたが怪しいものではないことはわかりました。最初にメールアドレスの記載は確認しましたから、メールを送って連絡を取り合うことは可能でしたよ。しかしもしあなたが怪しい人であれば、私のアドレスから身元がバレることもあります。そうしたことも警戒しなければならないほど創価問題はヤバい世界なのです。ご理解ください。たとえばブログのコメント欄に書けないようなことで依頼したいことがあるのであれば、アプローチの仕方をこのコメント欄に「非承認でお願いします」として、簡単でも自己紹介や実績の記載のあるリンクを載せて見てもらった上で「不明な点はこちらのアドレスまでお尋ねください」とすればよかったのではないでしょうか。とにかくあのコメントでは、私の立場上、身元を探られることを極力警戒していることに察しがつかないような方だと判断されてもおかしくないですよね。ですから私もあのような厳しい態度をとらなくてはいけませんでした。今はあなたが警戒しなくてもいい人だということがわかりました。しかし創価問題に絡んでくるネット上の魑魅魍魎がどんなにおぞましいものか、おそらく野口さんは知らないのだと思います。だから「問題意識が希薄だ」と判断したんです。そういうことです。気を悪くさせてすみませんでした。

●野口英明 (2015年4月12日 10:50 )
アドバイスありがとうございます。コメント欄に「非承認でお願いします」とし、こちらから警戒をとくだけの発信をさせていただき、ご判断をおまちすればよかったすればよかったのですね。書き方のいたらなさも含め、こちらこそすいませんでした。底知れない問題を長きにわたって真摯に発信されていることから、さまざまなことを想像します。ご自愛ください。ますますのご健筆を念じております。


解説
本スレッドが立てられてから3年以上もたってから、フリー編集者の野口英明という人からコメントが寄せられました。シニフィエさんに出版を勧めるような話が持ち掛けられたようです。
シニフィエさんにしてみれば、メールのやり取りなどすればそのメールから身バレすることになると恐れ、相手の意図も分からず、不信感を持ったようです。
極度に身バレをおそれるのは、創価学会批判のブログを運営する以上やむを得ないのでしょうが、職業上このブログに関心を持って、好意から出版を持ちかけた野口英明さんには、少し気の毒だったような印象を受けました。

なんだか、私自身の経験と重なるような気がしたのです。
私が対話ブログの仲間に入りたくてはじめてコメントを書いたとき、シニフィエさんからものすごく胡散臭い奴扱いされたことを思い出しました。

今回の、野口英明さんとシニフィエさんのやり取りを読んで分かったことは、シニフィエさんは自分のメールアドレスを相手に知られることを極度に恐れているということです。

私などは、自分のブログを立ち上げたのは今年の1月で、対話ブログにお邪魔したのもそのすぐあとくらいでしたから、ブログというものがよく分かっていなくて、脇が甘いところがあります。
私の場合、対話ブログに投稿するときのメールアドレスは、本名をアルファベット表記したものですので、メールアドレスを見れば簡単に本人特定ができます。
アメブロのIDも本名の一部が組み込まれています。途中で、まずかったかなと思ったのですが、直しようがなかったので、そのままにしています。
まあ、意識が低いと言われればその通りなのですが、私のような人も少なくないのではないでしょうか。

ところで、シニフィエさんは、対話ブログにコメントする参加者のメールアドレスを全て把握しています。
その一方、参加者の方は、誰もシニフィエさんのメールアドレスを知りません。
それがいけないという訳ではないのですが、シニフィエさん一人が参加者全員のメールアドレスを把握し、参加者は誰もシニフィエさんのメールアドレスを知らないという、きわめて非対称的かつ一方通行の「構造」にあることは確かです。
シニフィエさんは、本当の意味で、参加者一人一人のことを信用してはいないのかもしれません。
私なら、気心のしれた相手なら、メールアドレスを交換して情報を交換したいと考えます。
また、将来、自分の考えをまとめて本を出したいという気持ちもありますので、出版社の方とは、メールアドレスを交換して、関係をつなげておきたいと思うでしょう。
脇の甘いところのある私と、厳しく身バレを警戒するシニフィエさん。
どちらが正しいとか間違っているということではないのですが……

ちなみに、対話ブログ開始のころの柔らかな口調と、それから3年余りたった時期の野口英明さんとのやり取りの厳しい口調の違いは、何を意味するのでしょうか。
3年余りの間に、何があったのでしょうか。
興味はつきません。

獅子風蓮