その後、シニフィエさんは久々にブログ更新しました。
●「また久しぶりに書きます。」(2021年6月23日)
シニフィエさんがブログを休止したのは「ブログ内での思わぬゴタゴタがあったことが原因なのはもちろんなのですが、それに加えて創価脳の兄に末期癌が見つかって急死したことも大きかったのです」と書いて、現在の心境を綴っています。
●「兄を見送って思うこと」(2021年7月1日)
シニフィエさんは身内で唯一の学会員だった兄の突然の病死が、ブログ中断の大きな要因だったと打ち明けます。
>そこで私はこのブログを続ける理由とモチベーションの多くを失ったのだろうと思います。ときどき、何か書かなければと思う時もありますが、何を書けばいいんだろう?とわからなくなるんです。
(中略)
>皆さんは自分の考えで創価学会や自分の歩んできた人生に真剣に向き合うことで、創価は詐欺だということに気づいて行動を起こしたのです。私は単に自分で思っていることを書き連ねたことで、それに共感してくれた人が、それぞれの意思で創価の実体に気がついて、創価から離れるという選択をしたんだと思っています。私が何かをしたというのでは決してないということはわかってほしいと思います。
シニフィエさんは、自分は背中を押したわけではない。各人が自己責任で創価から離れるという選択をしたのだと言いたいようです。
ちょっとズルいと思いました。
シニフィエさんは、自分に責任が降りかからないようにしながら、撤退の準備を始めたのでしょうか。
かつての信奉者が雪崩を打って、シニフィエさんに裏切られたと言って来ないように予防線を張っているのでしょうか。
その後は、また面白みのない記事が続きます。
●「都議選に見る公明党創価学会の現実」(2021年7月7日)
●「聖教新聞の発行部数に見る創価学会の現実」(2021年7月8日)
●「創価学会の人ってどれくらいいるの?」(2021年7月13日)
●「女子部が消滅した次は当然男子部消滅」(2021年7月15日)
●「創価学会は世界に広まっているという思い込み」(2021年8月24日)
シニフィエさんは、いったいどうしたいのでしょうか。
獅子風蓮でした。