獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅠ:ブログの開始 (12)

2021-09-21 01:09:38 | 対話ブログ

■創価学会員のみなさんへ               投稿日: 2011年12月25日
申しわけありませんが、個人的な仕事の都合でコメントをいただいている方全員にすぐにお返事ができる状態ではありません。コメントしたのに返事がないからといって無視したり軽視したりしているわけではありませんので、くれぐれも誤解のないようにお願いいたします。また、まれにですがコメントしてもアップされない不具合が見られます。こちらではできるだけのことはやっていますが、まったくコメントしている痕跡がない場合はこちらで対処のしようがありません。もう何度もお知らせしていますが、このブログの開設以来、一度もどなたのコメントも削除してはいません。もしご自分のコメントが表示されないといった場合には、こちらでは何の反応もないのだと判断してください。どうかよろしくお願いいたします。
 
今年もあとわずかとなりました。今年は日本にとって大変な年でした。もちろん今もその大変さは続いていますし、原発事故の問題は、いよいよ取り返しのつかないところまで拡大してきました。また私個人にとっても精神的にものすごい激動の年となりました。まだそれは始まったばかりです。これからひとつずついろんなことを整理していかなければいけないなと思っています。もちろんそれは私が生まれてこのかた創価学会員としての人生を歩んできてしまったことに対する、なんらかのけじめみたいなものです。すぐに脱会届を出せば済むといった問題ではありません。思い返しただけでも目眩がするくらい、自分の人生って何だったんだろうという何とも言えない虚しさが襲ってきます。
考えてみると、私は自分の中の創価学会員である部分とそうでない部分を、どこかで切り離しながら生きて来たような気もします。学会の部分は学会として、そうでない部分、つまり「これは自分の考えでの判断だ」と自分に言い聞かせながら判断し行動してきた部分があります。そして創価学会自体が間違いだったことにはっきりと気づいた今、なるほどなぜ自分は自分の中の学会である部分とそうでない部分を切り離さないと生きてこれなかったのかの理由がはっきりしました。
詳しくは話せませんが、私は芸術系の仕事に携わっています。芸術を理解しようとするとき、日蓮仏法や創価学会の思想では捉えられない部分が大きいのです。いや、日蓮仏法や創価学会の思想で芸術文化を語ることは不可能です。それは日蓮仏法も創価学会の思想も自分たちの思想以外を認めないからです。真言亡国、念仏無限と日蓮正宗以外の宗教を不幸の根源とし、仏教以外の宗教、つまり神道や儒教はもちろんキリスト教やイスラム教に至っては宗教の類いにも入らない低俗なものとされています。(にもかかわらず池田氏はガンディやキング牧師と肩を並べたがる(笑))ではそうした世界の宗教を基盤に生み出された芸術作品をどう見るのかということです。そしてさらに自分たちの都合だけで日蓮正宗をも貶める創価学会に芸術文化を語る資格などありません。総体革命が聞いてあきれます。
そんな私自身が携わっている芸術文化の部分と創価学会の部分との矛盾は、創価学会がとんでもないカルト集団であると見えた瞬間にはっきりしたのです。目から鱗とはこのことです。自分の中のこれまでの矛盾のすべてがすっきりと見えました。創価学会は宗教団体などではない。今はそうはっきり言えます。これは間違いない!(笑)。だから今までなんとなく思ってきたことをはっきりと確信をもってこのブログに書くことができるのです。
昔は、クリスマスケーキを買うことさえ法謗なんじゃないかなどとビクビクしたりしてました。でもだからといって学会がおかしいとは思わなかったんですね。仕事で他宗のお寺に足を踏み入れたりすることも、なにかしら後ろめたさを感じていたものです。なにかあとで悪いことでも起きるんじゃないかと、やはり常に恐怖心がありました。たまたまいいことがあったら信心のおかげだと思っていましたし、悪いことがあったら仏壇の前に座っていました。「ご本尊様、助けてください。心を入れ替えて信心に励みます!」って(笑)苦しいときの神頼みなんですが。全国の創価学会の皆さん、はっきり言いましょう。関係ないです。このあいだも書きましたが、私は約ひと月前から全く勤行をしなくなりました。今まで旅行したりして自宅に帰れないとき以外はきちんと勤行をしていたのですが、今回のことで仏壇の前に座ることの意味がきれいさっぱりなくなりました。いままでずっとバラバラでほったらかしだったジグソーパズルがピタッと収まって、いろんなものが見えてしまったのだと思います。だからといってこれからの人生をどうすればいいのかは、これから考えていかなければなりません。こんな歳になってしまいましたけどね(笑)。ただ私などまだまだ被害は最小限だと思います。創価学会に入ったばっかりに、ほんとうに一生をめちゃくちゃにされてしまった家族がたくさんいらっしゃいます。私の友人で、芸術と学会の教義の矛盾に悩んで鬱病で苦しんだり夫婦仲が壊滅的になっている芸術家の友人もいます。近所の学会員のデタラメな行動によって結果的に親を早くに亡くしてしまった友人もいます。今になって私はそれらの友人たちの苦悩が「そういうことだったのか」と理解できました。というか学会のせいでそんなことになるわけがないと本気で思っていたのです。
創価学会員のみなさん、もう一度言いましょう。いや何度でも言います。創価学会は人を不幸にして金と権力を独り占めにするカルト集団でしかありません。これが私の53年間の創価学会員としての結論です。いいですか、私は今でも現役の創価学会員です。ナリスマシでもなんでもありません。ひと月前まで勤行をきちんとしていた正真正銘の学会員です。今度の新年勤行会は参加しようと思います。もう一度この目で学会のカルトぶりを確認しようと思っています。おそらく「青年学会拡大の年、おめでとうございます!池田先生のご指導のもと、われわれ創価学会は…」と幹部が同じようなスピーチをして、「ここで池田先生よりメッセージがあります!」で大拍手。ちゃんと元気なら同時中継で顔を見せたらどうなんだと…学会員のみなさんは思わないか、思っていても口に出せないどこかの北の国と同じ。そしておそらくそれが私が体験する最後の創価学会の会合となるでしょう。
私はとくに創価学会によって壊滅的な被害を受けたわけではありません。両親や兄夫婦がやってきたように家が何軒か建つほど財務をしてきたわけでもありません。ただ、これまでの私が創価学会員として経験してきたことに対する疑問が、創価学会がカルト集団であると考えると、すべての辻褄が見事に合うのです。このことに対してもし反論があるのであれば、ここにコメントくださって大いに結構です。ただし対話を前提とします。このブログのはじめに書きましたように、対話とは互いを認めあった上での話です。相手を罵倒し貶めることが目的の人のコメントは受け付けません。以前、ひとりだけアオキさんという方が、ここに学会擁護の立場でコメントされました。しかしそれは対話をしようという姿勢を感じることができませんでしたが、私も思うところをはっきりとお返事させていただきました。その後何も返答がありません。おそらく軽口をたたくぐらいのつもりだったのでしょう。しかしそのアオキさんにしても学会から騙されているクチなのです。私だってそうだったのですから、仕方のないことかもしれません。
創価学会の皆さん、もしあなたの心の片隅に、学会に対する矛盾を詰め込んで鍵をしてしまっている箱があるのであれば、その鍵をためしにちょっとだけ開けてみませんか?そしたら自分の中の見ないようにしてきたモヤモヤが少しだけ見えてきて、それをきちんと箱から取り出すことで、そのモヤモヤがはっきりと見えてきて、そのモヤモヤが何なのかをきちんと自分で考えることができたときに、そのモヤモヤはきれいサッパリとなくなるでしょう。そしてはじめて人間らしい自分の生き方を見つけることができるのだと思います。
人間にとっての宗教は素晴らしいものです。全ての宗教がとは言えませんが、一部の宗教がダメだから全ての宗教を否定する理由にはなりません。イスラム教は闘いを望みません。なのにイスラムの国が常に戦闘状態にあるのは、宗教が闘いの理由に利用されているからです。ただし創価学会は宗教ではないから人を不幸にするし、不幸になっていることに気づかされないでいるだけなのです。あなたはお金と労働力を創価学会に捧げ続けて何を期待しているのでしょうか。功徳ですか?それは自分の人生に対する甘い考えではなかったですか?何も考えずに言われた通りにこの信仰をしていれば幸せになれる。そんな美味い話がこの世の中に本気であると思っているのですか?そういう私もいままで信じてきたわけですから、あなたの思いはよくわかります。でも違うんです。間違った人生の選択なんです。そう、それが事実なら大変なことなんです。でもこの大変なことが戦後の日本に起こってしまっているのです。フランスやドイツでは創価学会はオム真理教と同じ扱いを受けています。当然です。学会内部では語られることはないでしょうが、それが事実です。あれだけ個人主義が徹底して、個人の思想信条に介入することを極端に嫌がる国民性であるフランスとドイツが創価学会を危険なカルト集団として認定していることの意味を学会員はもっと知らなければいけません。
 
このブログは始まったばかりです。私も客観的な学会の姿はほとんど知りません。でもいったん気づけばこれくらいのことは語れます。逆に今まで学会の中にいたからこそ語ることができると思うのです。これからいろんなことを学び直しながら、学会に疑問を持っている学会員や、すでに脱会された方との対話をはじめとして、もし対話になるようであれば活動家の方との対話もやっていければと思っています。私のブログ立ち位置はそうしたところです。
私はこの機会に1万人を目標に内部外部も含めた学会に対する評価をコメントとして残していきたいと思っています。一日に数十人の方が真摯にコメントしていただけるようなブログになればと思っています。社会に通用する創価学会に対する1万人の具体的な声を集約していきたい。このブログをはじめてから今日で20日。おかげさまで2万のアクセス数となりましたが、実際に1万人のコメントが集まるまではまだ時間がかかると思います。数が問題ではないとの見方もあるでしょうが、実際に創価学会に対する1万人の体験や疑問がネット上にあがるとすればどうでしょう。また、この行為が学会にとって脅威であると判断されたなら、もしかしたら何らかの圧力がかかるかもしれません。しかし、私からこのブログを何の予告もなしに閉じることは絶対にありませんし、もし強制的に閉じられるようなことがあれば、別の形で何度でもつくります。そうしたときにさらに学会の実態を社会に示すことができると考えます。
学会本部のみなさん。創価学会がほんとうに世界の人々を救っていける力のある宗教団体であるのであれば、真実を公開することが本来の姿であると思いませんか?今の創価学会の一般会員がどのような扱いを受けているのかはご存知でしょう。そうした矛盾にあなたがた自身が自分の人生を関わらせておいて耐えられるのでしょうか。目の前の汚い金と権力にひれ伏す人生で終っていいのでしょうか。あなたがたの誰か一人でも、ここにそっと真実を語ってくれさえすれば、どれだけ多くの人を救うことができるかを考えていただきたいと思います。「対話を求めて」はそうした真に勇気ある行動の受け皿となっていきたいと思っています。


解説
詳しくは話せませんが、私は芸術系の仕事に携わっています。

ふむふむ、シニフィエさんは飲食店を経営する傍ら、芸術系の仕事に携わっているわけですね。
やり手の実業家といった感じでしょうか。
なおかつ芸術系の仕事。
かっこいいですね。

獅子風蓮