獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅡ:論客ウトロさん登場(2)

2021-11-25 01:38:36 | 対話ブログ

前回に引き続き「日蓮本仏論について思うこと」のスレッドについたコメントです。


●signifie(2013年8月17日 15:30)
ウトロさん、私の思いをドンピシャリに表現していただいて、ほんとうに感謝です。このごろ釈迦はどんな人だったんだろうと考えることがあります。結局釈迦は徹底したリアリストだったんじゃないかという気がしています。カースト制度が普遍の社会構造として受けいられていた時代に、釈迦の考えはそれこそとんでもない邪教だったんだろうと思います。しかしそれまでの宗教が持っていた権威や神秘性やまやかしの部分や土着的な伝承などを、徹底したリアリストの視点で見つめ、考え、人間の幸福について、また目の前にある不幸についての考え抜き、この世の法理法則を見極めていった。今でこそ原始仏教という呼び方をしますが、釈迦の思想が人類に与えた影響はやはり史上最高のものだと思います。私もそんなリアリスト・ゴータマが地獄に堕ちるなどの罰論を展開したとは思えません。自ら死を迫らせるほどの苦行を経験した結果、それが何にもならないと悟り、真に人としての幸福とは何かということに行き着いた彼の思想に懲罰で人を戒める発想はなかったと思います。その点は一神教との大きな違いなのかもしれません。その後、いろんな変遷の中で彼の思想がインドから中国、あるいは東南アジアを経由して伝えられ伝承される中で、その土地土地によって様々に変わっていった。玄奘三蔵や鳩摩羅什などの使命に燃えた超人的な名僧を経て、日本に来る頃にはすでに相当な変化や修正や付加があっただろうし、それから時代や社会構造が変わり、鎌倉時代にも多種多様な考え方に別れました。そして日蓮が登場し、さらに独自の仏教の考えかたを広め、なんと本仏が釈迦ではなく自分自身こそが未来永劫の救世主であるとの宣言をしたわけです。その考えの唯一の伝承宗派が750年続いている日蓮正宗であり、現代になってその教義の排他的な部分をことさら利用して多くの人を騙し続けてきたのが新興宗教創価学会なのだというふうに考えるようになりました。創価学会の真実に気がついてまだ日が浅く、宗教そのものについて学ぶ時間がありませんので、勝手にこのように解釈しているだけかもしれませんが、みなさんのお知恵をここに紹介してくださることで、みんなで考えていける場所にできればと思っています。よろしくお願いします。

●木花(2013年8月17日 19:14)
コメントは控えようと思ったのですが、ひとこと言わせて下さい。
元学会員の方が法華講をどう思おうが勝手なのですが(個人的はいろいろ思う事はありますが・・・)、学会は破門されているので、日興門流の中の大石寺圏にはないこと。
そして「大石寺の信仰は750年間、日蓮の時代と寸分違わず続いていると主張」と仰っている方がいますが「寸分」なんて一言も言ってないのに、「寸分」という言葉が入って話が微妙にすり替わっていることを不快に思います。
日蓮正宗・法華講批判をして痛快なのかもしれませんが批判すればいいってものではないと思います。
日蓮正宗は間違っているという元学会員さん達だって、結局自分の考えが正しいと主張しています。
人は自分が信じていることが正しいと思うわけです。
それが本当に正しいかどうかはわからないだけということですよね。

●signifie(2013年8月18日 02:55)
創価学会が日蓮正宗を創価新報紙上でいつも口汚く罵り続けているのは、学会青年部へ向けてのプロパガンダではないのでしょうか。宗門へ向けて発しているのではなく、内部の会員へ向けて日蓮正宗がどれだけ害悪かということと、日蓮正宗を仏敵と刷り込むことによって、会員が宗門へ寝返らないための、恥も外聞も捨てた人としてとてもみっともない行為だと思います。それもとても見え透いた低俗で卑しい行いだと思います。いまどきそんな見え透いたネガティブ広告は暴力団でさえしません。しかしMCが行き届いた創価学会員には効果的なのでしょう。私も日蓮正宗を目の敵にしてなんの根拠もないことを吹聴してまわる婦人部の方などをよく見かけました。身内ですが(笑)。創価学会が正しい信仰者であることを主張するのであれば、なぜここまで他人を公然と罵倒することができるのか、その理由を聞かせていただきたいと思います。それが仏教の教えなのか、池田氏の指導する人間主義なのかを聞かせていただきたいと思います。

●ウトロ(2013年8月18日 08:31)
木花さんへ

私のコメントへの感想を述べておられるのだと思いますので、私の考えを少し書いてみます。

まず、学会は破門されているので大石寺圏にないと言われていますが、学会の教義と本尊はいまだに大石寺に依拠しています。
これは顕正会についてもほぼ同じようです。大石寺の教学(日寛教学)をベースに置いているので、学会は教義の上では大石寺圏にあるという意味で、破門されているかどうかという組織的なことではありません。

つぎに「大石寺の信仰は750年間、日蓮の時代と寸分違わず続いていると主張」・・・ということについては、7月24日のコメントで「日蓮正宗は20年前も750年前も同じ。何も変わってません。」と木花さんが発言されていたので、このように書いてしまいました。
いま考えてみると、「寸分違わず」という文言は適切ではありませんね。これについては訂正のうえお詫びいたします。

それと、私は宗門だけを批判しているのではなく、学会も同様に批判しています。
また、批判することによって痛快だなどとは思っておりません。
8月17日の私のコメントを読むと、宗門批判とうけとれるような書き方になってしまいましたが・・・。
学会も宗門も、日蓮の正しい信仰は自分たちのところにある、と主張しているように私は受け取っています。
しかし、日蓮の教えというものが現代まで正しく続くことは考えにくいでしょう、また、日蓮の教えが正しいという保証はどこにもないでしょう。ということを言いたかったのです。

私は8月17日のコメントで、「法華講や学会は日興門流の中の大石寺圏にあるのですが、大石寺流の日蓮信仰が絶対だとの根拠を、ここで示して頂きたいと希望します。」と書きました。
法華講だけではなく、学会の活動家にも質問を投げかけました。このことについては、それぞれのお考えをお聞きしたいと思っています。

以上が私の考えていることです。

雑ぱくな書き方になってしまいましたが、疑問がありましたら、またコメントをおねがいします。

●ウトロ(2013年8月18日 12:57)
excommunicateさんへの質問です

はじめまして、いちおう籍は学会にありますが非活のウトロと申します。

excommunicateさんへ2点の質問をいたします。
お時間のある時でけっこうですので、excommunicateさんのお考えをお聞きできれば有り難いです。

①創価学会の理念は「反戦平和」だと思いますが、2003年におきたイラク戦争(アメリカによる理不尽なイラクへの侵略戦争)では、学会はこれを容認しましたね。
過去には、ベトナム戦争や湾岸戦争に明確に反対のスタンスをとっていましたが、イラク戦争になぜ反対しなかったのでしょうか?

池田大作全集に収録されている「立正安国論講義」の中に「生命尊厳を説く大聖人の仏法を学んだ者として、あらゆる戦争に反対するのは当然である」という意味の記述があります。
また、「戦争は人間の行う最大の蛮行である。学会はあらゆる戦争に反対する」との明確な池田氏の発言がありますが、イラク戦争の時の池田氏は、イラク戦争について公の場で一切の言及をしていません。
これは平和を理念とする学会の指導者として、あまりにも狡いのではありませんか?

②仏教の基本的な原則のひとつに「依法不依人」があります。
日蓮も御書のなかでたびたび言及しているように、どんな立派な人師・論師であっても人を根本にしてはいけない、ということですね。
ところが、いまの学会では「師弟不二」を強調しています。
師匠である池田氏の指導どおりに実践するのが弟子である、という意味ではありませんか?

私がまだ本幹の衛星放送に参加していた時、池田氏は「師弟不二が仏法の究極」と言っていました。
原田さんが会長に就任した時の本幹では、「師弟不二の血脈は(池田)先生にしかない」という意味不明なトンデモ発言をしたことを、いまでも鮮明に覚えています。

釈尊も日蓮も「師弟不二」を言っていませんし、牧口初代会長も戸田第二代会長も言及したことがありません。
ましてや「師弟不二の血脈」とは???ですね。
これは仏教と言えるのでしょうか。

わたしは、仏法用語としての「依法不依人」と学会用語としての「師弟不二」は対立する考え方だと思いますが・・・。
この点については、いかがでしょうか。

以上よろしくお願い致します。

●木花(2013年8月18日 14:16)
ウトロ様へ

日達上人は「日蓮正宗の教義でないものが一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えないのであります。」と申し、これは学会のこと言っています。
ですので学会も顕正会も日蓮正宗の教義を歪めているので、大石寺とは関係ありません。
浄土宗もそうですが、自分の宗教が正しいといってますが、それはどの宗教もそうではないでしょうか。
別に日蓮正宗だけが特別だとは思いません。
ただ他宗に害があるとは言ってませんね。

>日蓮の教えというものが現代まで正しく続くことは考えにくいでしょう、また、日蓮の教えが正しいという保証はどこにもないでしょう。
それはウトロ様の考え・願望ですよね。
日蓮正宗を批判している方に日蓮正宗の信仰が絶対だという根拠を話しても、学会員の対応と同じように一蹴するだけではありませんか?
極論ばかり話されるので、非常に話にくいのですが、法華講みんなが絶対だと思って信仰しているわけではないと思います。
それぞれ温度差もあるし、信仰心がまだそれほどでない方もいます。
一方的に決め付けた話し方(日蓮正宗の信仰が絶対だ・・・という言い方など)は学会員には有効かもしれませんが、法華講さんは引くと思います。

学会員時代は宗門だけを批判し、今は学会も批判の対象に入っただけで20年以上も宗門批判していることに変わりはありません。
それでその批判は正しかったのでしょうか。
信仰は自分が選ぶものですので、宗門を否定されてもいいのですが、20年以上も批判する必要があるでしょうか。
日蓮正宗や大聖人の教えを批判・否定しなければ、自分が正しいという証明ができないのでしょうか?
それなら学会員と変わらないと思うのですが・・・。

●木花(2013年8月18日 16:36)
ウトロ様

追記です。

>たとえば、日蓮がどのように題目をあげていたのか。
「なんみょうほうれんげきょう」と唱えていたのか、それとも「なむみょうほうれんげきょう」と唱えていたのか。
それすら伝わっていないのが実状でしょう。

日蓮正宗及び日蓮宗には大聖人の直筆のお手紙が保管されているので、ウトロ様が心配されているようなことはないと思います。
御書の松野殿御返事にも載っていたと思いますが・・・。
学会員だから知らないことがたくさんあるのではないでしょうか。

●ウトロ(2013年8月18日 17:19)
木花さんへ

コメントありがとうございます。

>日蓮正宗を批判している方に日蓮正宗の信仰が絶対だという根拠を話しても、学会員の対応と同じように一蹴するだけではありませんか?

木花さんの示していただける根拠が納得のいくものであれば、私の日蓮正宗についての考えは変わると思っています。
私が知っている宗門は学会のフィルターをとおして見たものですから、私の認識が改まる可能性はあります。

>日蓮正宗や大聖人の教えを批判・否定しなければ、自分が正しいという証明ができないのでしょうか?

私は自分の正しさを証明するために、日蓮正宗や大聖人の教えを批判や否定をしているのでは無いのですが・・・。

私はいまの学会のあり方は否定します。シニフィエさんと同じように、ようやく学会の誤りに気づいたということですね。
さまざまな文献を漁り、いろんな人に会い、勉強をしていく過程で、日蓮の教えが正しく現代まで伝わることはあり得ないだろうし、日蓮の教えだけが正しいこともない、との結論にいたりました。

学会員でも法華講の方でも、日蓮の教えだけが正しくて自分たちがそれを実践しているとの自負があおりならば、その根拠を示していただきたいとの動機で、8月17日のコメントを書きました。

もし木花さんが、信仰はそれぞれであり、日蓮だけではなく日蓮正宗だけではなく、他の信仰にも良い点があるだろうとのお考えなら、これ以上なにも書くことはありません。

●木花(2013年8月19日 00:27)
ウトロ様

日蓮正宗は法華経を信仰しています。
法華経はお釈迦様の教えじゃないと否定されている方が多いですが、お釈迦様がいなければ仏教も法華経も存在しません。
私はお寺に戻るとき、自分なりにいろいろ調べましたが、概ね間違っていない(まだ日蓮正宗をよくわかっていないので)ことがわかったことと、法華経の教えが自分にはしっくりいくのでお寺に戻りました。
理由は他にもあります。

世の中には正しい行いをしている人がいるので、個人的には大聖人の教えだけが正しいとは思っていませんが、間違っているとも思っていません。
根拠を示していただきたいとのことですが、たぶんそれは無理だと思います。
私はウトロさんが納得いくような根拠を示せませんし、そんな必要はないと思っています。
知りたければ、お寺に行って御住職様に聞けばいいだけのことですから・・・。
学会での話ですべてを判断されていますが、お寺に行って確かめればいいのにそれをされないのはどうしてなのかな?・・・と思ってしまいます。

excommunicateさんへ

学会は嘘が多いですが、嘘が真実に勝つ事はありません。
いずれ真実を知る日が来ると思います。
宗門が間違っているというのなら、池田さんが猊下様と法論されて証明してほしいですね。
そう思いませんか?
あとですね、法華講さんに聖教新聞社の元職員が何人かいます。
元職員さんが池田さんの姿を側で見ていて信仰心がないと判断されて、学会を辞めています。
人間革命は篠原さんという方が書いていたとのことです。
それと、学会の墓苑から宗門の墓苑に移る時に、宗門に戻ったことは絶対に学会員に言わないことと学会側から強く言われた方がいますよ。
どう思われますか?

 


解説
私は日蓮正宗の信徒ですが、日蓮正宗の「法主に信伏随従」という窮屈な考え方には縛られません。
ですから、日蓮正宗の看板をしょってウトロさんと議論する木花さんが気の毒に見えるのです。
私は、ウトロさんの言うことに反論できません。
また、excommunicateさんも創価学会の公式見解しか答えられないので、創価学会の組織の矛盾をつかれると苦しいですね。

せっかくシニフィエさんが対話ブログという場を提供してくれているのですから、自分の属する組織の呪縛を離れて、思うところを忌憚なく話せばいいのに、と思わずにはいられません。

獅子風蓮