■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
●の文章は、それについたコメントの引用です。
■学会員の本音 投稿日: 2013年8月2日
先日excommunicateさんというHNの方からコメントをいただきました。このブログには珍しく、学会側の方のコメントでした。いろんな立場の方からいろんな意見をしていただくのはとてもありがたいのですが、残念なことにexcommunicateさんのコメントは「何が問題になっているのか」という視点のない、通り一遍の学会の賞讃と宗門批判でした。
私はこうしたうわべの話をするためにブログをたちあげたわけではないことは、ここにコメントしてくださる方にはよくわかっていただいていると思います。ただ残念ながら学会を擁護されるexcommunicateさんのコメントはなんらリアリティもなく、口当たりのいい池田先生バンザイ論でしかないと思われます。
できれば学会側の方にも、本音で対話のできる方が登場しないかなと淡い期待もあったのですが、やっぱり無理なのかなと思っています。学会と言う組織は本音を話せない組織です。天皇の悪口を言おうものならたいへんなことになった戦時中の日本のようなものです。多少の矛盾や不満を感じても、それを自分で無理矢理もみけしてなかったことにしてしまうんですね。たとえ疑問をもっても、それは自分の信心が足りないからだと言い聞かせて、お題目をフラフラになるまであげて、トランス状態に近づけて思考停止させます。と同時に「地獄に堕ちる」という恐怖心で自分を縛り上げていきます。そんなことの繰り返しの中で、同じ境遇の組織の人間同士の連帯感は強まるものの、社会性は失われ、一般常識の通用しない怪しい集団となっていきます。だから池田氏が何年も会員に姿を見せなくても、会員から不満が表に出ることもないし、聖教新聞に連日のように載る何年も前の池田氏の写真を見て「先生はお元気なんだ」となんの根拠もなく確信しているのです。
ふつう自分が働いている会社の社長が何年もまったく姿を見せなかったら「いったいうちの社長はどうしてるんだろう」ぐらいのことは考えますよね。それがほんとうに不思議なことですが学会ではありません。「先生はお元気で世界の平和のために尽力されています」と口を揃えて言うのが学会員です。池田氏も人間ですから、人前に出ることができない事情はあるでしょう。問題は組織がそのことに何もふれずに、誰も問題にしないということだと思います。私はもう聖教新聞もとっていませんから、池田氏が新聞紙上でどのように活発な指導を展開しているのかは知りませんが、あたかも元気に動いているような記事を載せるなら、せめて会員にその姿をチラッとでも見せてあげたら、会員さんはどんなにか喜ぶでしょう。ますます選挙に財務に命がけで頑張るでしょう。でももう2年以上もまったく人前に出なくなりました。そのことに対しても学会員さんの本音を訊きたかったのですが、やはりそれは基本的に無理なのですね。そんなことを口に出したら地獄に堕ちると思ってるんじゃないでしょうか。
●流れ星(2013年8月3日 08:32)
創価学会には光の部分と闇の部分があると思うのですね。。
ネットではもう既に大半の人が創価学会の闇の部分を知ってしまったわけですから、どんなにきれいな耳障りの良い言葉で語っても、そこの裏に隠された牙をわたしは感じるのですね。
創価学会で活動する大半の人は、そういう耳障りの良い善人のような言葉に騙されているわけですから、そこから抜け出すのは容易ではないと更に認識しました。
いまの創価学会の活動はなんでしょうか?選挙も終わり休ませる間もなく、でしょうか。。?
それとも次の戦いへ向けての友好活動と称するものでしょうか?
学会にいた頃、友好活動で友人と何人触れ合ったか、という報告まで取らされたのを思い出します。悪夢のような日々でした。
池田氏のことの詳細を明らかにされることを待っております。ほんとうに言う気持ちがあるのか甚だ疑問ですけれどね。。
●signifie(2013年8月3日 22:02)
流れ星さん、コメントありがとうございます。
学会三世というexcommunicateさんから丁寧なお返事をいただきました。
今後、池田氏のことについても学会員としての考えを聞かせていただけるものと期待しています。
芸術と宗教と日蓮仏法との関係についても、もうすこし考える機会になるのではないかと思っています。
いわゆるアンチさん、正宗さん、学会さん、まったくの無宗教さんなどなど
みなさんのそれぞれの立場から、忌憚のないお考えを出せる場にしていけたらと思います。
よろしくお願いします。
●木花(2013年8月5日 10:07)
初めからの法華講員に今も活動さんのような方はおりませんが、元学会員でお寺に戻られた方には同じような方がいるかもしれません。
私の両親は共に創価が宗門の信徒団体時代に教授の資格をとりましたが、未だにバリバリの学会員なので、御書を正しく理解していないと思います。
ですから、今も活動家さんが「ほとんどの御書は、理解しています。」と仰っていますが、そうじゃないかもしれないので、せっかく法華講になられたのですから、一から学ぶ姿勢を持たれたほうがいいのではないかと私は思います。
長く創価の地区部長をしていても、今も活動家さんはまだ創価の闇、隠れた意図をわかってはいないようです。
創価はsignifieさんの仰るとおり、カルトであり、宗教ではありません。
学会員は教団の金集めのために騙された人達です。
創価は反日団体であり、反社会団体です。
池田さんは韓国を祖国といい、日本を貶し韓国を褒めている記念碑を韓国に建ています。
確かに創価の御本尊は日蓮正宗の御本尊(浄圓寺への授与書入り御本尊)を改ざんしカラーコピーしたものなので、それを拝むと現証は出ます。
これは日蓮正宗の御本尊だからということではなくて、どの宗派の御本尊もしくはマンダラをコピーして拝んでも同じことが起こります。
なぜなら、してはいけないことだからです。
今も活動家さんが学会員を救いたい気持ちはよくわかります。
それは間違っていませんが、相手から拒否されては折伏にはならないこと理解していただきたいです。
正宗≠創価、これが理解できない学会員・元学会員がほとんどですが、それは三宝を知らないからなんです。
三宝があって仏教ということを知らないから、創価も日蓮正宗も同じに見える。
私が法華講になって最初に学んだ事は三宝でした。
日蓮正宗は三宝がある日本の仏教ですと教えていただきました。
・・・ということはそれを知らない学会員が多いということですね。
三宝も知らないのに仏教を語り、仏教じゃないものを仏教と認識している。そのこともわかっていない。
このように創価の洗脳はとても根が深いのです。
今も活動家さんは間違いに気付かれて法華講になられたけど、そうじゃない人がたくさんいます。
今も活動家さんはいろんな方から忠告を受けていますよね。
それは真摯に受け止めましょうよ。自分の行いが絶対に正しいなんてことはないのですから。
いつでも内省できて、自分の境涯を高められる自分でいましょう。
それが信仰者の姿ではないかと・・・。
●木花(2013年8月5日 23:05)
(前略)
signifieさんへ
白バラで私に投げかけて下さったコメントが縁で、こうして対話できたことありがたく思っています。
まさかここまで深く対話できると思ってもいませんでした。
ただ何度も正宗の教えと池田創価の指導・教えは違うものと言っているのですが、わかっていただけないようで・・・。
正宗は新聞啓蒙・選挙活動等を仏道修行にはしてませんし、そのために御書を使ってはいないです。
ここに集う方は圧倒的に元学会員と学会員であり、正宗の教えを知らない方ばかりで、正宗の教え=池田創価の教えという結論を出されるのなら、私は何もいう事はございません。
そのように思う方はそれでいいと思います。
創価学会に対しても、社会的な面をスルーして表面の宗教的なことを語っても、あまり意味がないと思っています。
創価学会が日本の社会に落とした影は大きく、学会員は長い間それを支えてきました。
そのツケの後始末を一般の方が一生懸命され、日本を護ろうとしています。
一般の方は創価学会・学会員を危険だと思っているため、どのアンケートでも嫌い・大嫌いが95%近く占めます。
知らないのは末端学会員だけ・・・。
だから騙され続けている。
創価の真実が明らかになれば、宗教は怖いものではないことがわかるのに・・・。と思っております。
●signifie(2013年8月6日 01:50)
木花さんへ
いつもコメントありがとうございます。
木花さんのおかげで日蓮正宗に対する印象がずいぶん変わりました。もちろんいい意味でです。今も活動家。さんと同じ信仰をしている人とはとても思えません(笑)。木花さんのコメントを読んでいるとホッとします。今も活動家。さんの頭がクラクラするようなコメントも、木花さんのお話によって平常心に戻ることができます。今も活動家。さんが本当に学会員を救いたいと思うのなら、どうしてあんなに悪態ばかりつくのか理解できません。だれもまともに話を聞く気がなくなるのがわからないのでしょうね。ほんとに日蓮正宗の信頼をぶちこわしているだけなのになあ。
私は創価学会=日蓮正宗とは思っていません。それは先にも言いましたように、宗教かそうでないかという決定的な違いがあるからです。それと正直言いますと、日蓮正宗についてそれほど関心がなかったので、木花さんのお話は「なるほど」と思うことが多いです。ただし日蓮の教義と芸術に関することについての疑問はそのままです。創価学会員のときに学んだ(それも中学生の時でしたが)五重の相対や四箇格言のような基礎的な教学に照らしても、単純な矛盾点から一歩も出ることができません。もしかしたら学会で学ぶ教学はMCのためのものですから、かえって邪魔になっているのかもしれません。でも仕事柄、日本はもちろんインドや中国の仏像彫刻にも詳しくなり、キリスト教文化もいやでも詳しくなるので、学会員ほど偏った教学ではないと思います。芸術が好きでいろいろと勉強したりしていると、どうしてもその作品が生まれた土地の宗教や哲学を知らなければならなくなります。現代芸術を学ぶには戦後の西洋思想もかじらなければわけがわからなくなります。私が大好きな哲学者はメルロ・ポンティです。また私のHNのシニフィエもそうした経過の中からソシュールの思想を引用したものです。それから心理学もある程度は知らないと話にならないので、そのあたりを勉強していると、どうしてもトランス・パーソナル心理学やアーノルド・ミンデルのような宗教に近づくような学問にまで興味が及んできて、そこでやはり古来からの人類が育んできた宗教の偉大さに感銘を受けます。やっぱりここに行き着くんだなと思います。
私としてはまだ創価学会のショックからまだ立ちなおれていないので、宗教について冷静に考えたり眺めたりすることができないのかもしれません。こうして木花さんと対話ができただけでも、このブログを続けてきてよかったなと思います。おたがいに思想信条の違いを認めつつ、対話を続けていければと思っています。
【解説】
ここでは引用していませんが、法華講員の「0001今も活動家。」さんが創価学会員のexcommunicateさんに創価学会の問題点を突きつけます。
ただ、その話し方が「地獄に落ちる」的な、乱暴な言い方なので、シニフィエさんおよび参加者の反感を招きます。
それに対して、本来の法華講員を代表する形で、木花さんがコメントしています。
最後に、「0001今も活動家。」さんをたしなめる言葉を残しています。
>今も活動家さんはいろんな方から忠告を受けていますよね。
それは真摯に受け止めましょうよ。自分の行いが絶対に正しいなんてことはないのですから。
いつでも内省できて、自分の境涯を高められる自分でいましょう。
それが信仰者の姿ではないかと・・・。
その後、木花さんは、
>signifieさんへ
白バラで私に投げかけて下さったコメントが縁で、こうして対話できたことありがたく思っています。
と書いていますが、木花さんは、「白バラ通信」でシニフィエさんから呼びかけられたことがきっかけで対話ブログにコメントするようになったのですね。
花子さんの記述と一致します。
獅子風蓮