■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
●の文章は、それについたコメントの引用です。
■とにかく一度考えてみるということをおすすめします。 投稿日: 2012年12月21日
自民党が政権を獲得して、はやくも公明党といっしょに原発推進を打ち出しました。もはや福島の人々の苦悩も悲しみも何ら顧みられることもなく、日本ではふたたび原発の火が復活するのです。民主党のあまりにも幼稚な迷走によって今回の選挙で自民党が勝つのは誰が見てもあきらかだったし、そうなったらまた原発を推進することも誰もがわかっていた。しかしそれでも国民の多くが自民党に国政をあずけました。
(以下省略)
■教条の網に掴まえられた心 投稿日: 2012年12月25日
『特別な意見に捉えられた心、あるいは観念、信念、教条の網に掴まえられた心…そのような心には確かに再生はあり得ません。それは生を新たに見ることができません。それらのものが脇にやられ、心が自由であるときだけ、心は生を新たに見ることができるのです。』クリシュナムルティ
(以下省略)
■自らを自由にすること 投稿日: 2012年12月26日
『私たちの問題はどのようにして生と出会うかではなく、どうすれば心が、条件付けとドグマ、信念でいっぱいになったその心が、自らを自由にすることが出来るかということです。生と出会えるのは自由な心だけです。』クリシュナムルティ
(以下省略)
■自分で気づいてください。 投稿日: 2013年1月24日
昨年の12月26日以来の投稿になります。なかなかおちついて投稿する機会が持てないでいたら、あっという間に一ヶ月近くになるんですね。
毎年、お正月には家族が実家にみんな集まって食事をしたり、子どもや孫たちにお年玉をあげたりするのですが、今年は少し様子が違いました。創価学会の活動をしている兄夫婦の姿がありませんでした。どうやら私が「退転」したことに我慢がならなかったのでしょう。後日子どもたちへのお年玉だけを託けにきたそうです。結果として兄夫婦だけが家族から孤立してしまっています。きっと以前口にしたように「どうせいい死にかたはしない」と本気で自分の兄弟のことを思っているのでしょう。しかし結果としてお正月に家族と挨拶もできない立場に自分を追い込んでいるのは兄夫婦なのですから可哀想なものです。はやく自分たちの信仰がどんなに反社会的なものなのかに気づいてほしいです。
学会では「邪宗を信じると一家離散するぞ」などと脅されます。しかし夫婦揃って何十年も真面目に創価学会の活動をやってきて、兄は一命が危ぶまれるほどの事故に遭い、子どもにも恵まれませんでした。正月には親兄弟とも会えない家庭が創価学会のいう「一家和楽」なのでしょうか。それとも兄夫婦の信心が足りないのでしょうか。「社会に実証を示してこその信心だ」などと幹部が指導をします。しかし私が知っている学会幹部(県長・副会長クラス)は、みな悲惨な病死をしています。そう言う意味では創価学会の幹部のほとんどは信心が足りないことになります。つまりそんな信心の足りない幹部ばかりの組織だということです。私は学会員だからそうなのだとは言いません。しかし少なくとも学会員だから幸せになるというのは、どう考えても間違いだと思うのです。創価学会の信心で幸せになるなんて絶対にありえません。学会に入って幸せだという人は、そう思わされているだけです。「功徳」をエサに有り金をはたかされる。「功徳」をエサに選挙活動を強要される。学会活動をしていると、なにかしら人よりラッキーが舞い込んでくるみたいな勘違いをしてしまいます。ほんとにあさましい人生観です。私がそうでしたから(笑)。
昔は信心をしている家庭に生まれてよかったと両親に感謝していました。しかしそれがそもそもの間違いでした。父も母も完全に騙されていました。両親は私を騙したわけではありませんから、いまでも恨んだりはしません。しかし多くの人を騙し、お金を吸い上げてきた創価学会は許せません。そして今現在も創価学会が正しい信仰だと思い込まされて人生をボロボロにされているひとがたくさんいることに、なんとか一石を投じることができないかとも思います。しかし自分で気がつかないとだめのようです。他人が何を言っても無理なのです。たとえ親兄弟でもです。逆に親兄弟からだとなおのこと反発するでしょう。「正法を打ち破ろうとする魔の働きだ」などと勘違いもはなはだしいのです。ただほんの少しでも自分の中に疑問が生まれたのなら、それを足がかりに本当の自分というものを見つめ直すチャンスかも知れません。
「なんかしっくりこないんだよなあ」とか「こんなふうに思う自分っておかしいのかな?」といったことを、じっくりと真剣に考えてみてほしいです。そこでひとつの風穴があけば、あとは早いです。いろんなものがあたりまえに見えてきます。今までのことが異常に感じるでしょう。そして人によってはそのあまりのギャップに強いショックを受けるでしょう。しかしそれが本当の自分なのだということをしっかりと知らなくてはなりません。今までの自分を否定することを恐れてはいけません。今までの自分もあなただし、気づいた自分もあなたなのです。そしてこれからどのように生きていくのかが一番大切なことだと思います。
私は人間にとって信仰は必要だと思います。しかし創価学会の信仰は本来の信仰ではありません。人間の信仰心を利用した巨大な詐欺組織です。いうならば「精神のねずみ講」とでもいいましょうか。「功徳」や「罰」を巧みに吹聴していつのまにか精神をがんじがらめにして思考停止にさせたあげく、お金を組織の最上部へと集約する恐ろしい詐欺集団だと断言できます。どうか一人でもそのことに自分で気づいて、この創価地獄から抜け出ることができることを祈ります。
●もも&里芋クローバーZ (2013年2月5日 23:41 )
シニフィエさん。
ご無沙汰しておりました「もも&里芋クローバーZ」略して「ももいも」です。
早速ですが、単刀直入にお聞きします。
シニフィエさん、
「白バラ通信パンドラの箱」のブログ主、
高倉良一様を中心とした「アンサンブル」的な同心円を描く「活動」に、
本気で関わり、加わる、お覚悟はありますか?
私たち(ももいも)との対話の前に、
まずは「そこ」を「明確」に「はっきり」と意思表示して頂けませんか。
シニフィエさん、
あなたが尊敬すると云う、高倉良一様とは、個別に連絡、コンタクトは取りましたか?
恐らく、間違いなく、「否(いな)」でしょう?
シニフィエさん、せっかくの機会なので、私たち「ももいも」の自論(私見)を、誤解を恐れずに、お伝えいたします。
今は「対話」では無く、「闘い・闘争」の時期なのです。
「折伏」⇔「摂受」、相反するものを、きちんと理解し、検証し、
「今」、成すべきことを「成す」
その上で、「時の符号」を受け入れる。まさに「その」時なのだと思います。
心傷つき疲れ果てた「人たち」が「寄り添う」・・・
それらを「理解」し「受け入れる」・・・
「白バラ」まだ、それを甘受するべき時期ではないと思います。
「様々」な受け皿は、文字通り「様々」あるべきです。
例えば、旧想学サロンの「運ちゃん氏」が準備中の、
「想学檀林準備室」 http://sougakudanrin.blog.shinobi.jp/Entry/15、
などは、悩める現役学会員はもちろんの事、脱会したけど「宗門」に入るのは、ちょっとなぁ~、
、と云う方には最適な「ご指南」を示してくれていると思います。(ご指南と云いましたが、私(たち)は宗門、学会等、無関係です)
そうそう、運ちゃん氏のツイッターで興味深い「つぶやき」がありました。
宗門も学会も「異体同心」、悪く言えば「目糞、鼻糞を笑う」の典型なのだと云う「証明(あかし)」、
誤解されても仕方がない「事例」を紹介していました。
「運ちゃん氏ツイッター(1月31日・木曜日)」
http://twitter.com/sougaku_salon
日蓮正宗の某末寺の住職が発信したメールを紹介しています。
この住職は宗門では上から数えて5番目の地位(役職)、
「教学部長」なのだそうです。
信仰を持たない私たちからすると「教学」では無く「驚愕」です。
だって、「100%の完全勝利」とか「大勝利」とか、
あげくの果てには「日蓮正宗法華講の時代が幕を開けたというべきでしょう」、
とか、断言しています・・・コメント、言葉が見つからないです。
あ~あ、やれやれ、と云った印象です。
私たちのスタンスが、ご理解頂けたと思います。
宗門の方たちには大変にお世話になった時期があったとは言え、
宗門=「善」、学会=「悪」、またはその逆もしかり。
「是々非々」なのだと捉えております。
まとまりませんが、今日は、このあたりでやめときます。
それでは、また。
ごきげんよう。
以上、よろしくお願いいたします。
(^0^)/‘‘
【解説】
最後の記事に、「もも&里芋クローバーZ」略して「ももいも」さんがコメントを寄せています。
シニフィエさんの回答は、次の記事に書かれています。
獅子風蓮