獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅡ:木花さん登場(5)

2021-11-13 04:31:15 | 対話ブログ

前回に引き続き「芸術が私を救ってくれた」のスレッドについたコメントです。


●signifie(2013年7月29日 23:34)
木花さんととある法華講員さんへ

すみません、おふたりが私の素朴な疑問を噛み砕いてやさしく答えていただいているのでかえって恐縮なのですが、多少論点がずれているような気がしますので確認させていただきます。ちょっと意地悪に聞こえるかもしれませんが、決して論破しようという意図はありませんのでご理解ください。討論ではなく対話として話を深めていけたらと思っていますのでご理解ください。

木花さんやとある法華講員さんが仰るとおり、正宗の信者さんが他宗の影響を受けた芸術も受け入れていることは理解できます。でも、私が言ってるのは今の信者さんの対応の話ではなくて、日蓮自身が言っている法謗の定義です。日蓮の主張では四箇の格言のとおり、禅天魔だったり念仏無間だったり、さらに仏教以外の他国の宗教においては話にもならないという宗教の貴賎をはっきりと謳っているわけです(もしそうではないのであればはっきり言っていただいてかまいません。私の長年の創価学会の経験による勘違いかもしれません)。そして立正安国論をもって三たび国家諫暁するほどまでに人々の不幸の原因が邪宗にあると主張し続けたのは、学会だけの誇張され曲解された話ではないですよね。今の正宗の方が他宗の芸術に寛容であるならなおのこと、日蓮は正宗においては末法のご本仏なのですから、仏の言うことに時代がそぐわなくなったということ自体、日蓮本仏論を否定するか、もしくは今が末法であることを否定してしまうことになるのではないでしょうか。つまり日蓮が末法万年にわたる仏であるとすれば、700年かそこらでその教義の根幹をなすところが変わるというのもおかしな話であるような気がします。
個人的な気持ちをいえば、人類の歴史に残っている崇高な芸術を否定してしまうかのような教義をもつ宗教よりも、今の正宗の方のように仏像やキリストの母子像に素直に芸術的価値を認められているほうが自然な気がします。しかしそれでは教義をどう捉えるのかという矛盾が生じます。私はそのあたりをいくら考えてもわかりません。私の素朴な疑問はそうした単純なものです。それとも日蓮について私の認識が基本的に間違っているのでしょうか、ご教示いただければと思います。

●木花(2013年7月30日 09:53)
おはようございます。
一度くらいのコメントでは判りづらいのだと思いますが、論点のずれというより、とある法華講員さんと私が話しているのは日蓮正宗での教えで、シニフィエさんや他の元学会員さんが語っているのは学会の教え(指導)なので、かみ合わないんだと思います。
確かに立正安国論では邪宗が不幸の原因、あらゆる災いの源ということで、日蓮大聖人は国家諫暁行っていますが、貴賎を謳うという解釈は学会独自ものではないでしょうか。
シニフィエさんの解釈で物事捉えると、他宗教の信者も否定しなければいけませんよね。
大聖人の教えは衆生の救済であり、排除したり支配したりする教えではないです。
学会員が受けた教えは強制であり、大聖人の教えを拡大解釈したまったく別のもの、学会に有利に解釈した歪んだ教義ではないでしょうか。
たぶん、日蓮正宗は間違っていて、学会こそが教義を正しく行っていると学会員にアピールするために教義を歪曲解釈したんだと思います。
そうでなければ、学会員の言い分と法華講の言い分がここまで大きくずれたりはしないです。

学会員が受けたものは日蓮大聖人の教えというより、池田さんの指導です。
牧口・戸田創価から池田創価になってから、教義逸脱や板御本尊を8体も勝手に作るなど、大謗法をしてきて、その度にご法主様が諌めてきましたが、池田さんは聞く耳を持つことも信仰をすることもなく、破門劇を自ら起こし独立しました。
そして、このたび信濃町に総本部というテーマパーが完成するそうですね。
地元の地主さんが土地を売らなかったため中途半端なものなったそうですが・・・。
大石寺の参拝登山を信者の一大イベント思っている池田さんに学会員は指導され育ったのです。
その学会の教えを今もしっかりと持たれているということは、洗脳が解けていないとになりませんか?
それが借り物の自我ではないかと・・・。

もっと根本的なことを言うと、学会は寺院僧侶否定の教えがあります。
その教えを信じている人がどうして僧侶である大聖人の教えを語るのか、私は不思議なんです。
仏教を否定し、仏教の戒律を破っている教団が、正しいなんてことあるでしょうか。
学会を辞めてもしっかりと学会の教えが残っている。
それほど強い洗脳を学会員は受けたという証でもあります。
学会員が一番最初にしなければならないことは覚醒だそうです。
学会の教義を日蓮正宗に当てはめるから、意見が合わないのだと思います。

●木花(2013年7月30日 10:17)
シニフィエさんへ

自分の意見を述べさせて頂きましたが、正しく教えを学ぶには宗門の御住職様を尋ねる以外ありません。
お盆のお墓参りでお寺に行かれた際に、そのような機会があれば一番よろしいと思います。
私の意見はまだ修行途中の一法華講員ですので、間違いもあろうかと思います。
今、思っていることを書かせてもらっただけですので、私の意見が日蓮正宗の教えだと思い込まないで下さい。
ただ、学会の教えと日蓮正宗の教えは違うということを言いたかっただけですから。


解説
確かに立正安国論では邪宗が不幸の原因、あらゆる災いの源ということで、日蓮大聖人は国家諫暁行っていますが、貴賎を謳うという解釈は学会独自ものではないでしょうか。
シニフィエさんの解釈で物事捉えると、他宗教の信者も否定しなければいけませんよね。
大聖人の教えは衆生の救済であり、排除したり支配したりする教えではないです。
学会員が受けた教えは強制であり、大聖人の教えを拡大解釈したまったく別のもの、学会に有利に解釈した歪んだ教義ではないでしょうか。

という木花さんの説明は、私にはよく分かりません。
日蓮の「立正安国論」「四箇格言」は、そのまま現代にもってくると危険なのです。
宗門も創価学会も、それを原理的に解釈する限り、シニフィエさんが抱いたような疑問を生み出すだけです。

正しく教えを学ぶには宗門の御住職様を尋ねる以外ありません。
という木花さんの言葉も、私には逃げの言葉のように思います

獅子風蓮