★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

木太町の流れ灌頂地蔵を訪ねる(香川の地蔵39)

2018-10-05 23:27:42 | 神社仏閣


延命地蔵の北側には流れ灌頂地蔵がおります。平成十四年の建立。



どうやら5月18日には流れ灌頂供養の縁日があるようである。

http://www.shikoku-np.co.jp/feature/nokoshitai/gyoji/4/


上の四国新聞のサイトによると……、江戸末期、ここらで遊んでいた子どもが牛の骨を拾った。その骨を中心に縄の数珠で囲んで百万遍遊びをやっていたところ、彼らの親の夢に牛が出てきて「ありがとう成仏できる」と言ったので、びっくりした親たちがお坊さんに相談して、流れ灌頂の供養を毎年やっていたところ、次第に市も立つようになったというのである。

夢に出てくるということは、今の何でもかんでもの擬人法と違って、もう何かせざるを得ない何かがあったのである。わたくしも夢でマーラーに会ったことがあるが、その日のうちに交響曲をひとつ聴き直してあげた。マーラーは確か、のどが渇いたとか言っておった……。わたくしは供養の仕方を間違えたと思う。

それはともかく、流れ灌頂の供養自体は、戦争末期に途切れてしまい、縁日だけが残ったらしいのだ。研究があるのか知らないが、戦争によっていろいろ伝統が途切れた例はかなりあるのではなかろうか。文化を守ろうとして守り手が死んだのでは元も子もない。

ところで、数日前につくば市に滞在して分かったのだが、高松は空襲に遭ったとはいえ、昔の道や寺社がかなり残っていて、城下町の面影もかなりあるのだが、つくばというのは本当に人工的な感じがする街だった。大学院生の時も、そんな気はしてたのであるが、改めて古い城下町に住んでみて急につくばに行くと異様な感じがする。筑波大学も森に囲まれた自然のなかの大学なのになんとなく冷たい感触だ。ちなみに、故郷の木曽は、自然の中に近代文明が落ちているみたいな状態である点は、高松よりつくばに近い。われわれは自然が豊だー風光明媚だーとか自分の国を褒めるけれども、本当のところはそういう認識は実感からは遠く、むしろ、不自然に今と昔の人工物が混在するような状態に美を感じているような気がする。自然を攻略しようとしてきたのは、西洋も日本も同じだと思う。

こう考えるのも、――おそらくは、わたくしが最近、自分の住んでいる場所を二〇〇あまりの神社が点在するような場所として「見える」ようになってきたからである。一応、勉強と調査あっての認識の、いや視覚的な変化なのであろう。神社仏閣などは、いまや生活とは切り離されているから、相当時間をかけないとこんな状態にはならない。学校教育でのふるさと教育なるものは、昔の「ウサギ追いしかの山」のような完全な幻想を与えるもので、かえって視覚=認識的な変化を起こすことがない。

木太町の延命地蔵を訪ねる(香川の地蔵38)

2018-10-03 19:22:17 | 神社仏閣


一応石碑には「延命地蔵」とあるのであるが、本堂にはでかでかと「このお地蔵様は ぽっくり地蔵 です」という看板が貼り付けてあった。わたくしも、そろそろ、「延命」することと「ぽっくり」というのが殆ど同じ事を言っているということに気づいてきた。「ぽっくり」というのが「ぷっくり」とかにも似てて、もはや「ぷっくる」でも良いような気がしてくるが、たぶん歳をとってくると、そんな小せえことはどうでも良くなってくるのであろう。



ちなみにここの東側?は、「春日庵(遍明庵)跡」という所である。東側を振り返ると春日川の向こうに屋島が見える。




上野東照宮を訪ねる(東京の神社4)

2018-10-02 23:23:25 | 神社仏閣


上野には徳川家康を祀った東照宮がある。ここを神社と言い張るのなら、日本の神社の「神」は徳川家康みたいなただの人間のことを指すことになるが、そんなことはない。と言いたいところだが、その通りなのである。ただ、その人間が川の氾濫とか男性器を含んでいるだけなのだ。石造明神鳥居は寛永十年。



すごいっ。銅燈籠の並びが神っ

 

狛犬のマッチョぶりがすごい。大正三年。





われわれの三等身礼賛文化は、こんなものから来ているのかもしれない。



外国人の方々が、いきなり手を合わせたりしてましたが、この徳川家康というのは狸と言われていましてね、わたくしの普段すんでいる四国には狸の祠など掃いて捨てるほどございましてですね……。





医薬祖神五條天神社を訪ねる(東京の神社3)

2018-10-01 23:45:58 | 神社仏閣


上野公園には、五條天神社もある。花園稲荷はこの神社の境内社ではなく、隣り合ってるだけ。確かにどちらの参道も立派にあるから別物という体は保たれている。

 

狛犬さん。

この神社に祀られているのは、大己貴命と少彦名命で、日本武尊が東征の時にここに二人を祀ったとか……。文献的には室町時代から存在が確認できるそうである。あちこち動いて、昭和三年あたりでここらに落ち着いた。面白いのは天神とあるからにゃ道真公を祀らねば、ということで、寛永十八年、天界・公海という当時のお偉方の坊さんが像を造って開眼したという。で、ここには道真もいるのであった……。この神社は、近所の寛永寺の建築動向で移動してきた歴史があるようであり、もうお寺と神社は一緒でいいのにと思っていると、



七福社。七福神もちゃんといるのであった。



拝殿。

 



印象的だったのはこれ。関東大震災のあと遷座したときのものであろうか。鳥居は寝ても迫力がある。