延命地蔵の北側には流れ灌頂地蔵がおります。平成十四年の建立。
どうやら5月18日には流れ灌頂供養の縁日があるようである。
http://www.shikoku-np.co.jp/feature/nokoshitai/gyoji/4/
上の四国新聞のサイトによると……、江戸末期、ここらで遊んでいた子どもが牛の骨を拾った。その骨を中心に縄の数珠で囲んで百万遍遊びをやっていたところ、彼らの親の夢に牛が出てきて「ありがとう成仏できる」と言ったので、びっくりした親たちがお坊さんに相談して、流れ灌頂の供養を毎年やっていたところ、次第に市も立つようになったというのである。
夢に出てくるということは、今の何でもかんでもの擬人法と違って、もう何かせざるを得ない何かがあったのである。わたくしも夢でマーラーに会ったことがあるが、その日のうちに交響曲をひとつ聴き直してあげた。マーラーは確か、のどが渇いたとか言っておった……。わたくしは供養の仕方を間違えたと思う。
それはともかく、流れ灌頂の供養自体は、戦争末期に途切れてしまい、縁日だけが残ったらしいのだ。研究があるのか知らないが、戦争によっていろいろ伝統が途切れた例はかなりあるのではなかろうか。文化を守ろうとして守り手が死んだのでは元も子もない。
ところで、数日前につくば市に滞在して分かったのだが、高松は空襲に遭ったとはいえ、昔の道や寺社がかなり残っていて、城下町の面影もかなりあるのだが、つくばというのは本当に人工的な感じがする街だった。大学院生の時も、そんな気はしてたのであるが、改めて古い城下町に住んでみて急につくばに行くと異様な感じがする。筑波大学も森に囲まれた自然のなかの大学なのになんとなく冷たい感触だ。ちなみに、故郷の木曽は、自然の中に近代文明が落ちているみたいな状態である点は、高松よりつくばに近い。われわれは自然が豊だー風光明媚だーとか自分の国を褒めるけれども、本当のところはそういう認識は実感からは遠く、むしろ、不自然に今と昔の人工物が混在するような状態に美を感じているような気がする。自然を攻略しようとしてきたのは、西洋も日本も同じだと思う。
こう考えるのも、――おそらくは、わたくしが最近、自分の住んでいる場所を二〇〇あまりの神社が点在するような場所として「見える」ようになってきたからである。一応、勉強と調査あっての認識の、いや視覚的な変化なのであろう。神社仏閣などは、いまや生活とは切り離されているから、相当時間をかけないとこんな状態にはならない。学校教育でのふるさと教育なるものは、昔の「ウサギ追いしかの山」のような完全な幻想を与えるもので、かえって視覚=認識的な変化を起こすことがない。