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★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

過去と現実

2025-03-18 23:51:21 | 文学


 王さまはふたりを裁判所につれてこさせました。そこで、ふたりに罪がいいわたされました。
 むすめのほうは森のなかにつれていかれ、おそろしいけもののために八つざきにされてしまいました。
 魔法使いの女のほうは、火のなかへねかされて、みるもむざんに焼け死んでしまいました。そして、この女がもえて灰になったとき、あの子ジカはもとの人間のすがたにもどりました。
 妹とにいさんとは、それからこの世をさる日まで、しあわせにいっしょにくらしました。


――グリム「にいさんと妹」(矢崎源九郎訳)


いしだあゆみ氏が亡くなった。おとなになったら、いしだあゆみや寅さんの妹さんみたいなひとと会えると思っていた当時の子どもは多いんだと思うが、いざ大人になってみると、会うのは映画のそれよりも甲斐性がない女寅さんみたいなやつばかりで、自分もそうだからやってられん。思うに、我々にとっての母の世代の歌手(女優)たちは、どことなく端唄や長唄をうなりそうな雰囲気を持っていた。まだ彼岸の人という感じである。我々が小市民をやっている限り、いっこうに彼らに会わないのは当然のことだ。

ネット上にある木曽の宿場の素晴らしい写真を数々を見るに、――わしの小さい頃はこんなじゃなかったナア木曽は過去に向かって成長しているナと思わざるを得ないが、AIで加工する以前に実物が過去に向かって加工=成長すれば問題がないことが証明されたといへよう。わたしの小さい頃は、木曽の中山道はまだ舗装されてないところがたくさんあったし、うちの婆さんは昼間も和装、親たちは和装で寝てたし、赤ん坊の私も和装の写真が残っている。そういう風景はいまは消滅したのであろう、代わりに建物だけ江戸風になっている。この矛盾は、たいしたことがないと思われるかも知れないが、そうではないと思う。我々は簡単に環境に合わせて進化するからだ。ヨーロッパなんかが伝統を守っている(というか、ギリシャローマの幻影につきまとわれている)のは、建物を壊さないからであろう。我々だって、文化に於いて簡単に江戸以前に戻っている。源氏物語や平家をつかって、我々の心性をかんがえる文化人は、フロイトがやたらギリシャを召喚しているのとかわらない。あり得ないことだが、もっと西洋は自らを破壊し自殺すべきだったのである。

我が国の場合、破壊されたあとの「戦後」はどのようなものだったのであろう?三島由紀夫は石原慎太郎の「太陽の季節」の青年たちは葉山あたりには珍しくない人種なんだと言っていた(「石原慎太郎」)が、たしかにそう見えるやつはいまでも結構多い気がする。青春は客観的には明瞭で堅固なところがある。そこに不安とか葛藤だとかを無理やり読み込もうとして失敗するのは文士とか学校の先生だったのに、いま社会全体がその失敗を合理化しようとして迷走している。石原の描く青年なんかはリアリズムにすぎなかったのだが、これを新たな病理ととった人が多すぎた。その病理を直すと、想像上の伝統的な道徳的日本人がまた仮構されるだけであった。

石原の小説がむしろ反になりきれない「肉体文学」の一種であったこともあまり重視されなかった。三島由紀夫が言うように、坂口安吾や田中英光、太宰治などは自分の頑強な肉体への敵意があったと思う。精神が肉体に負けるような感覚があったのだ。案外、清原氏なんかも、肉体はすごいけどもうすこし頭がよかったらとか言われて(自分でも言ってた)、肉体改造したりウったりしたのはそれと関係あるようなきがしてならない。石原の場合はその逆ではなかったが、そこそこ精神を研ぎ澄ましているつもりだったのかもしれない。それを「政治」で実現しようと思った。彼はその意味で「中道」なのであろう。

秋の田のかりほの庵の苫をあらみ我が衣では露にぬれつつ

どの程度の「露にぬれつつ」なのかがなんとなく分かるわれわれを石原は信頼しすぎてそれが保守だと思っていた。もっと我々はバカで肉体もそれほど強くない。露に濡れれば風邪をひく。


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