
清水高志氏の500頁を超えるやわらか鈍器『空の時代の『中論』について』がアマゾンから届いた。20年ほど前、坂口安吾の若書きの仏教論文に言及されていた「中論」の「去る者と去る働き」について触れなくちゃいけなくて、いい加減なことを書いてしまった過去があるが、やわらか鈍器のその箇所を読むと、ナルホドというかんじであって、少なくとももやもやして書いていたわたしはまだ見込みがあったかと、救われた気分であることだ。学問の進捗というのはかかる救いでなくてはならぬ。
対して、ある紀要を読んでいると、みんなやたらほんとはやりたくない目的にむかってこれで端緒となる端緒となると繰り返しているので、わたくし、そういう論文をアキレスと亀論文、あるいは止まっている矢論文と呼ぶことにした。「去る者と去る働き」をゼノンのパラドックスみたいに捉えているとだめなんだと清水氏は言う。我々の目的だけは科学的でない科学的論文は、まさにゼノンのパラドクスが現実に矛盾の様態としてあらわれたようなものだ。
ロマン派の交響曲は、その終末において、時間はそもそも止まっているんじゃないかということに気がついた。マーラーの3番がそうだし、――久しぶりにシベリウスの交響曲第4番聴いたら何これすごいてんさいというかんじにごいをうしなったのであるが、この曲なんかはほんとに曲の時間が風景の形成に寄与してゆく。さすがにこれだとほんとに自分の人生まで止まる気がしたのであろうか、交響曲第5番の改訂過程で、シベリウスはもう一回前進する曲をつくってみた。しかし彼の歩みが止まるの刻が近かったことはみなの知るとおりである。人生は止まらなかったが、作曲が止まってしまった。
歌物語というのを読んでると、祖母が亡くなる1年前あたりから猛烈に和歌を詠み出した理由が分かる気がしてきた。和歌は和歌だけでやはりおさまりつかないところがある、というか人生におさまりつけてしまうところがあるのだ。だから、物語で時間を動かさないといけなくなるのである。
御忌のほどは、誰も誰も、君達、例ならぬ屋の短きに、移りたまひて、寝殿には、大徳達、いと多く籠れり。大将殿おはせぬ日なし。立ちながら対面したまひつつ、すべきやうなど聞えたまふ。女君の御服のいと濃きに、精進のけに少し青みたまへるが、あはれに見えたまへば、男君、うち泣きて、
涙川わがなみたさへ落ち添ひて君がたもとぞふちと見えける
と宣はば、女、
袖朽たす涙の川の深ければふちの衣といふにぞありける
など聞えたまひつつ、行き還りありきたまふほどに、三十日の御忌、果てぬれば、「今はかしこに渡りたまひね。子ども恋ひ聞ゆ」と宣へば、「今いくばくにもあらず。御四十九日果てて渡らむ」と宣へば、ここになむ夜はおはしける。
死んだ父親の葬式で、ほんとに止まりそうな空間の中で、子どもやその夫は和歌を詠みながら少しずつ時間を動かして行く。考えてみると涙の川が事態の動き出している感じをだしている。
昨今は、コンプラとか言うて我々のいろいろな側面から遠ざかっているわけだから、そりゃま頭も悪くなるし勇気も文化もなくなるわけである。そのぐらいの逆説は引き受ける予定じゃなかったのかよ、と思うが、コンプラによる悪事の予防も、ある意味で時間を止めてしまう行為である。コンプラは言葉による命令である。「逃げちゃだめだ」と言われると絶対逃げない、「逃げてもいいのよ」と言われると逃げるだけこれが時間の停止である。――あほかよと思わないではないが、自分も思春期の頃はそんなもんだったきがしないでもないし、言葉の威力と我々の馬鹿さはこんなもんだというところから教育や政治は始まるのである。それは時間を動かす行為である。