★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

白山神社を訪ねる(香川の神社184)

2018-12-15 23:26:03 | 神社仏閣
スケートでおじさんの体はぎしぎしいってますが、いやがるゼミ生などを引き連れ、スケートリンクの隣の白山神社(三木町)にゆく。



 

狛犬さん。わたくしが「かわいい」と言うと、ゼミ生さんも「かわいいです」と繰り返す。他の研究室のゼミ生が「忖度」と突っ込む。



向こうに見えるのは白山(讃岐富士の一つ)である。こんな小山が富士なわけはないが、――こういうことを言っていると、案外かかる神社は参道が長く足にクルので「案外奥にあるぞ本殿は」と学生たちに嫌がらせを言うておく。











神門に到着。体力の限界近し。



拝殿近し。

 

狛犬さん。

『香川県神社誌』にはいろいろ情報が載っている。

まず、極楽寺記という書に、「延長四年九月明海勧請白山権現于高岡」とあるそうだ。お坊さんが白山権現を呼んできたのであった。また、全讃史には「古老伝昔有 晴明者 居白山下妙通占筮術 世人稱白山相人・・・・蓋此相人則越人是以迎 越白山妙理権現司之呼」とあるそうだ。いつもの古老さんのお話では、越国の出の清明という者がいて、占筮の術に通じていて彼がつくった、らしい。この二つの説、とにかく怪しさ満載である。とにかく、白山信仰や御嶽信仰やらは、田んぼの神様たちとは違うのである。全国の白山神社を作った人たちは、あるいは白山信仰のふりをしようともお米の人たちとは何か別種の志を持っていたに違いないっ。確かに柳田国男風のロマン主義はあれだと思うが、あれがいつもあれであるとは限らないのである。



境内社の鳥居?昭和三年九月奉納。

 

小さな狛犬を大きく撮る。ゼミ生が自ら「かわいい」と言う。教育の成果である。

  

境内社の皆さん(白石社、天神社、地神社)。しかし、修験道を山人とみたりするロマンは、大概、――角力とりが石を奉納したのが始まりとか(案内板の石版に書いてあった)、そんな感じのエピソードで萎えてしまう。

国語研究室スポーツ大会開催

2018-12-15 22:58:20 | 大学


今日は国語研究室のスポーツ大会で、スケートしに行きました。三十年以上前にスピードスケートしかやったことのないわたくしが、40越えてフィギアスケートで3回転半


横転


などをしつつ、二時間遊びました。そのあと、忘年会……。この全身の軋みは忘れまじ。

生唾が煙になって、みんな胃のふへ逆もどりしそうだ。ところで呆然としたこんな時の空想は、まず第一に、ゴヤの描いたマヤ夫人の乳色の胸の肉、頬の肉、肩の肉、酸っぱいような、美麗なものへ、豪華なものへの反感が、ぐんぐん血の塊のように押し上げて来て、私の胃のふは旅愁にくれてしまった。いったい私はどうすれば生きてゆけるのだ。
 外へ出てみる。町には魚の匂いが流れている。公園にゆくと夕方の凍った池の上を、子供達がスケート遊びをしていた。固い御飯だって関いはしないのに、私は御飯がたべたい。荒れてザラザラした唇には、上野の風は痛すぎる。子供のスケート遊びを見ていると、妙に切ぱ詰った思いになって涙が出た。どっかへ石をぶっつけてやりたいな。耳も鼻も頬も紅くした子供の群れが、束子でこするようにキュウキュウ厭な音をたてて、氷の上をすべっていた。


――林芙美子「放浪記」