アンパンマンの作者、やなせたかしさんがお亡くなりになりました。首が飛んでも動いてみせると、眉間尺みたいな、プロレタリアートの救世主のような、アンパンマンである。最初、七〇年代のわたくしが幼稚園でみた時には、顔を食べられたアンパンマンの姿はほとんどホラー映画であり、ひもじくても絶対自分はアンパンマンの顔を食べたりはすまいと思った。
だいたい、顔がなくて生きているはずがないではないか。
アンパンマンははじめから死んでいるのである。あんパンがポルターガイストかなんかで飢えた労働者に飛んでいく仕組みなのだ。
わたくしは、キリストのいわゆる「パンは人のみにて生きるにあらず」、いや間違えた「人はパンのみにて生きるにあらず」とは、食べ物で善意を押しつけてくる革命家たちに対する嫌みであると思う。とすれば、これを何か観念性の表れとみている吉本隆明はどこか間違っているのではないだろうか。キリストはもはやパンにもさえも哀れみを感じていたのではないか。形あるものがすり潰され、別のものに変形されて焼かれる……もはやパンの生成とは、葉山嘉樹と言うよりも安部公房の世界であり、そんなパンが同じくすり潰されている労働者の元に飛んでゆくのは必然なのである。しかし、労働者は、同志が飛んできたとは思わずに、むしゃむしゃと……。
おそろしきかな、消費行動。
……時は早く過ぎる 光る星は消える
だから君は行くんだ微笑んで
(アンパンマンのマーチ)
もはや断頭台に向かう囚人の気持ちを歌ったとしか思えぬ。いや、喰われる囚人を……。
いろいろな意味で合掌。