老人は遂に懐からタオルのハンケチを取出して鼻を啜った。「娘のあなたを前にしてこんなことを言うのは宛てつけがましくはあるが」と前置きして「こちらのおかみさんは物の判った方でした。以前にもわしが勘定の滞りに気を詰らせ、おずおず夜、遅く、このようにして度び度び言い訳に来ました。すると、おかみさんは、ちょうどあなたのいられるその帳場に大儀そうに頬杖ついていられたが、少し窓の方へ顔を覗かせて言われました。徳永さん、どじょうが欲しかったら、いくらでもあげますよ。決して心配なさるな。その代り、おまえさんが、一心うち込んでこれぞと思った品が出来たら勘定の代りなり、またわたしから代金を取るなりしてわたしにお呉れ。それでいいのだよ。ほんとにそれでいいのだよと、繰返して言って下さった」老人はまた鼻を啜った。
――岡本かの子「家霊」
大学に行くと、言い訳が飛び交い、もっとひどいのになると、笑ってごまかすとかそんな隙も見せず逆に威張り出すとか、まあ、自分のミスを謝りたくない輩が跋扈している。学生については、まだ矯正すればよいが、大人はどうしようもない。たぶん、日本のあちこちで、上司が部下を育てるシステムが崩壊しているのである。原因ははっきりしている。いろんな意味で「別」の人間が、部署のトップレベルの人間(ていうか、なんていうのこういう人たち?)の裁量を奪っているからである。そりゃそうだ、奴隷同士じゃお互いに仕事をチェックしあうこともなく、考えるのは、如何に仕事の手を抜くかだけだ。教育現場でも同じである。自分の頭で判断し考えていない教員のいうことなんか、生徒は聞かない。むしろ、自分と同じ奴隷を発見して駆け引きに打って出るだけである。こんなのは、とてもわかりやすいよくある事態なのであるが、この程度の人間的な必然性を自覚できない奴隷が増えてくると、わかりやすい事態ではなくなる。そんなとき奴隷は、非現実的な夢を見るようになるのである。正しく威張る上司(笑)とか、倍返しする自分(笑)とか。こうなったら今度は歴史の主役は、彼ら奴隷たちのものである。そして現実にはますます奴隷である。