★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

ステンド・グラスのやうな

2013-10-16 22:52:45 | 文学


 鈴蘭燈の並んだ狭いアスファルトの街に人が一杯で、ふと店さきのショー・ウインドーを見ると、独逸製のカットグラスが透明になって消えた。
(彼は誰かの泣声を聞いた。女の声らしかった。)
 何故泣くのかと訝りながら、濃い藍色の闇を潜って行くと、生駒山のトンネルを潜ってゐるらしかった。向ふにステンド・グラスのやうな空間が懐しく見える。明るい昼がひかへてゐるらしい。しかしトンネルを出たやうな気がした時、そこは矢張り彼の生れた街の一角だった。橋のたもとへ出てゐて、それも夜であった。妖婦的な女が笑った。その金歯がはっきりと彼の目に映る。早くそれも透明な輪になれ、と彼はぢっと待った。

――原民喜「透明な輪」