★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

シュニトケの

2013-10-06 17:20:48 | 音楽


ペール・ギュントを聴いていたら、なぜかいらいらしてきたので、今日の朝日ドットコムなどのニュースから……。

1、10月なのに30度。←いつから日本には秋がなくなったのだ。

2、陸自、88億円帳簿とあわず←昔からそうだったんだろうなあ、予算ばっか要求しおって。また負けるつもりなんですね。

3、国税調査官、10年前からOBと親密に 再就職目当てか←いいかげん日本人は、権力は論理必然的に絶対的に腐敗することに気付いた方がよかろうね。

4、「自民党にはバラマキ体質がある」維新・片山氏←今更であるが……。維新の人たちは××バラマキ体質だけどな。あ、自民もそうでした。しかしもっと怖いのは、感性の伝染である。

5、教員公募制、大阪市が全面導入へ 校長の裁量拡大狙う←こりねえな。だいたい、校長が威張っている学校って居心地悪いだろな。まともな子どもがかわいそうだ。だいたい裁量権を多く持ちたがる人間がまともなわけがない。

6、「ジェット・コースターが高みを目指してゆっくりと昇っていき、最高到達地点から一気に下り降りる。作品によって、昇る速度や最高到達地点は違っていても、宮崎駿の作品にはすべてにその快感があった。だからこそ、子供も大人も、繰り返し繰り返し見て飽きなかったのだ。「風立ちぬ」に、いつもの「物語の階段」があったなら、決して子供たちも退屈しなかったはずだ。」(沢木耕太郎)←沢木ほどの人が、映画に物語がなくちゃいけないと思ってるところが、教育指導要領じゃあるまいし、反動的だなあ……

7、「サポート切れのXPを使い続けることは「ヘルメットなしでバイクに乗る」と例えられるほど、サイバー攻撃の危険は高まるが、自治体の更新作業は遅れている。」←とりあえず兜甲児君の意見を聞いてみよう。というか、MSは勝手に7や8を売ろうとしているだけだろ、XPのサポート延長すりゃいいじゃんか。8は使いにくいんだよ、こらっ。そういや、LINEでイジメやってるやつって最低最悪だな。というかそもそもLINEをやってること自体がどうかしてる。あれが精神にクルことはちょっとかんがえりゃわかるだろ。モラルも知性も低い状態で対話をしようと思っても必ずイジメか喧嘩になるしかないんだからさ。それ防ぐためにはコミュニケーションを中断するしかないんだよ。LINEみたいなのが面白いと思ってしまう開発者たちの感性を想像してみりゃいいんだよ。コミュニケーション自体に他者性がやどっていると考える程度に根本的に思想が幼稚なんだからさ……。

附記)2017年、わたくしはLINEをやり始めた

8、「メレンゲの気持ち」で百なんとかさんが降板→Zオタクは土日は休養しましょう。と思ったが、Zオタクが公務員のおじさんである可能性は捨てがたく、土日を休養という訳にも行かないのであった。

9、「他人にあまり関心を払わない風潮の中で、他人のために自らの生命の危険を顧みず、救出に当たった行為を国民と共に胸に刻んでまいりたい。」(官房長官)←調子に乗りすぎ。こういう発言をする大人が人助けをするとは、まともな大人は絶対に考えない。他人のために自らの危険を顧みずに働くのは、政府とかそうすべき職業のひとはそうすべきだろうけどな、国民に強制することじゃないんだよ。というか、政府に言われんでも、危険を顧みないひとはいつもいるんだよ。日本国民じゃなくてもいただろ、この前。

10、ドベゴンズ高木監督退任→日本プロ野球は監督も育てにゃという観点がまるでないな。成果出さなきゃ首とか、何でもかんでも同じ脅し文句使えばいいというもんじゃないんだよ。でも、高木さんはもう歳だしかわいそうだからいいや。英智監督が見てみたい。

追悼三善晃

2013-10-06 01:09:31 | 音楽


三善晃氏がなくなったそうである。

中学一年生のときだったか、「麦藁帽子」を歌って、こんなきれいな曲を作る人間がいるのかとびっくりした。とにかく初めて聴く音色だったのである。「麦藁帽子」のCDを何枚も聞いたが(そんなにないが…)、自分たちが歌ったときに感じた響きの複雑に散乱する様を拾いきれている録音があると思えない。むろん、我々が上手だったわけはないから、ライブとCDの違いにあると見なすほかはない。三善氏が自分の音楽の録音をほとんど断っていたのは有名な話である。三善氏はどこかで、録音技術が発達するほど、ライブにある立体性は失われる、と言っていたが、録音技術が発達するほど、というのは案外本当かもしれない。(とまあ、そこはよくわからんが、音楽は、自分出している音が誰かの音と混ざってとんでもないものに化けていゆくという、まさに自分の境界が拡張してんのか消滅してんのかわからんが、そんな感じの体験であって、それはとうてい「協働」とか「合同」とか「世界を所有する」とかいう屁みたいな言葉では説明がつかないのである。)

どうも特に現代音楽についていえば、その複雑さはライブでしか伝わらないのではないだろうか。

ロマン主義には卓越した才能が必要だという主張を聞くたびに、わたくしは三善晃を思い出す。

誰かも言っていたけれども、武満徹が在野で映画音楽を作りながら、という前衛だったのに対して、三善はアカデミズムにいながらアマチュア合唱団と吹奏楽のために曲を書く前衛、という印象がある。前者は学的制度からは自由だがたぶん資本や政治運動から自由でない。後者は金をある程度コントロールできるかもしれないが、面倒なアカデミズムと市民との折衝から自由でない。

(いま、回想モードになったので、文章も散乱しております)