白爺の独り言

故郷テニアン島へ帰る旅!
 古い友達と巡る秘湯の旅!
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ソンソン町の散策Ⅱ(支庁桟橋⇒ホテル)(09.06テニアン④)

2009-07-16 06:13:35 | テニアン
白爺は、懐かしい浜辺を後にしてホテルに戻ることにしました。



浜辺の広場には、バーベキュー場を兼ねた休憩所が散在しますが、その傍らにイベント会場の建物があります。
沖縄からの慰霊団を迎えて、この会場で歓迎会などが行われていますが、今年の慰霊団は歓待されたのでしょうか?

              

道を挟んで、タガの井戸がありますが、最近は危険防止のためか中に降りることが出来なくなっていました。



井戸のすぐ近くには、嘗て南洋興発の製糖工場から島各方面に延びていた砂糖キビ運搬列車の鉄橋跡が残っています。
60年以上月日が経過しているのに、線路も確りと残っていました。
よく鉄屑泥棒の被害に遭わなかったものだと、白爺は感心して眺めてきました。

                 

鉄橋から少し坂道を上がって左に曲がると、サイパン支庁テニアン出張所の刑務所(カルボス)跡が残っています。
毎回覗いて見るのですが今回は止めました。



空を見上げると、SIHEKと島では呼ばれているらしい「かわせみ」の一種が白爺を眺めていました。
この鳥は朝5時半頃になると「ギャッギャッ」と鳴くのですが、朝釣りに行った時には、この鳥が鳴くのを待っていたように魚が釣れ出すので、白爺には嬉しい鳥です。
日本時代には「バカ鳥」と呼んでいたとEmiiは言うのですが、当時は街中では余り見かけなかったと白爺は思います。

              


チョイチョイ紹介しますが、テニアン町の警防団本部と組の建物跡です。
隣組の男性が交代に詰めていて、日が暮れると「灯火管制」(空襲に備えて灯りが外に漏れないようにしていた)の灯りが見えないかを見回るのが主要な仕事でした。

                 
その近くには、フレミングホテルの別館だった建物が残っています。



また、その前にはB・B(散髪屋)がありますが、昔白爺が利用しようとしたら女性のような男性が出てきて「どうぞ」と言われたので逃げ帰り、その後入ったことはありません。
確かめたわけではありませんが、散髪代は5ドルとか聞きました。ホントウかなー?

                

散髪屋の前を過ぎてホテル方向に右折する交差点に、郵便局の無線室跡が残っています。


当時の郵便局は、写真のような立派な建物でした。
無線室は写真の右に少し見えますが、局舎の左裏に建てられていました。

                     

ところで今の郵便局は、所謂「特定郵便局」のような小さな局舎です。



窓口は鉄格子の中にありますが、アメリカの郵便局は西部劇時代を踏襲しているのでしょうか?
日本でこのようなことをしていたら、社長更迭のよい口実になるのだがナー!!


               
郵便局跡を通過してホテルに戻る途中で、この花を見つけました。

花びらの色と葉は違いますが、南洋桜と同じ形の花です。
白爺は、本当の名前を知りませんが、日本時代は「南洋桜」に対し「ドイツ桜」と呼んでいました。



街を散策してホテルに戻り「万歩計」の数字を見たら2000歩強を記録していました。
白爺は5000歩位歩いたと思っていたのに、意外と小さな町だったのだなーと、あらためて感心してしまいました。
(万歩計が不調なのかなー?)

 
        次は、「日本海軍ここにあり!無線送信所と水兵さん」の予定です。 

                              



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