サイパン島では、ネパールの友人が待っていてくれました。
時間があるから、島内観光をしてから自宅で昼食をご馳走をすると言うので、白爺たちは甘えてお願いしました。
今回は、前回見逃したバンザイクリフ方面に行こうということになり、最初に立ち寄った所は天皇陛下もお立ち寄りになった慰霊碑の沢山建つバンザイ岬です。
テニアンと同じで、追い詰められた民間人がこの磯から投身自決されたのでしょう。
「サイパン平和観音」と名付けられた観音様が、静かに立っていましたが、お参りする人はいませんでした。
聞こえてくる話し声は中国・韓国の言葉ばかりで、日本語の声を聞くと「ヤッター」と思えるくらい日本の観光客は少なく感じました。
日本軍司令部最後の洞窟だそうですが、テニアンは航空艦隊が主力なので、このような大砲を並べた司令部跡は見られませんねー。
洞窟を利用した陣地だそうですが、狭いのでここに陸軍の司令部が入れたのだろうかと、疑問を抱いてしまいました。
土産物屋のおじさんは、片言の日本語を話していましたが、日本の観光客は誰もいませんでした。
次に立ち寄ったのが「バードアイランド」です。
海鳥が沢山見えると言われるが、この日は曇りで風も強く、飛んでいる鳥を見ることは出来ませんでした。
白爺は、鳥を見るより海面を眺めて、「ここには大きなマフティがいそうだなー」
と不謹慎なことを考えていました。
次は、ダイビングの名所に立ち寄りました。
下まで行って眺めてきたらと言われたのですが、白爺は昔登りの階段で苦労した記憶があるので遠慮しました。
下まで行かなくても、上から十分磯の感触が掴めますから・・・。
最後に立ち寄った場所は、Emiiの要望でサイパン築港です。
Emiiの兄は、この築港にあった水上機基地に勤め燃料庫主任をしていました。
戦争が激しくなったので、兄はそのまま海軍軍属に徴用され、サイパンで玉砕してしまいました。
また、奥さん子供そして姉もこの港から出航した引揚船で、出港後まもなく魚雷攻撃を受けて亡くなっています。
手を合わせるだけでしたが、安らかに眠るよう慰霊をしてきました。
反対方向には大きな桟橋が造られていて、潜水艦の艦橋と潜望鏡が目に入りました。
眺めていたら、鉄砲を持った兵隊さんが近づいてきて監視を始めました。
白爺が日本人だと告げたら、近寄って来て大きな手で握手を求めてきました。
日本は同盟国だと、ちゃーんと心得ているようでした。
その近くに、テニアンエキスプレスの乗り場案内が建っていました。
築港の見学を最後に、白爺たちはネパールの友人宅に行き、昼食をご馳走になりました。
前回は、友人手料理のネパール料理でしたが、今回は奥さん手料理の中国料理でした。
初めて手作りの中国料理をご馳走になったのですが、油を使用しているのに油っこくなくて本当に美味しい料理でした。
友人は、午後から航空会社の勤務になるのですが、空港まで白爺たちを送ってくれました。
テニアンをもう一度眺めたいだろうといって、途中テニアンに一番近い場所まで車を回してくれる気遣いもしてくれました。
サイパン空港は、荷物の検査が機械化されたので、ノースのカウンターに直接荷物を渡してチェックインができました。
1ヶ月ぶりに見る日本の空。
でもテニアンに行く時のような期待感がもてない白爺は、どうしたのでしょうか?
テニアンの旅行記はこれでオシマイ!
長い間のお付き合いアリガトウございました!
時間があるから、島内観光をしてから自宅で昼食をご馳走をすると言うので、白爺たちは甘えてお願いしました。
今回は、前回見逃したバンザイクリフ方面に行こうということになり、最初に立ち寄った所は天皇陛下もお立ち寄りになった慰霊碑の沢山建つバンザイ岬です。
テニアンと同じで、追い詰められた民間人がこの磯から投身自決されたのでしょう。
「サイパン平和観音」と名付けられた観音様が、静かに立っていましたが、お参りする人はいませんでした。
聞こえてくる話し声は中国・韓国の言葉ばかりで、日本語の声を聞くと「ヤッター」と思えるくらい日本の観光客は少なく感じました。
日本軍司令部最後の洞窟だそうですが、テニアンは航空艦隊が主力なので、このような大砲を並べた司令部跡は見られませんねー。
洞窟を利用した陣地だそうですが、狭いのでここに陸軍の司令部が入れたのだろうかと、疑問を抱いてしまいました。
土産物屋のおじさんは、片言の日本語を話していましたが、日本の観光客は誰もいませんでした。
次に立ち寄ったのが「バードアイランド」です。
海鳥が沢山見えると言われるが、この日は曇りで風も強く、飛んでいる鳥を見ることは出来ませんでした。
白爺は、鳥を見るより海面を眺めて、「ここには大きなマフティがいそうだなー」
と不謹慎なことを考えていました。
次は、ダイビングの名所に立ち寄りました。
下まで行って眺めてきたらと言われたのですが、白爺は昔登りの階段で苦労した記憶があるので遠慮しました。
下まで行かなくても、上から十分磯の感触が掴めますから・・・。
最後に立ち寄った場所は、Emiiの要望でサイパン築港です。
Emiiの兄は、この築港にあった水上機基地に勤め燃料庫主任をしていました。
戦争が激しくなったので、兄はそのまま海軍軍属に徴用され、サイパンで玉砕してしまいました。
また、奥さん子供そして姉もこの港から出航した引揚船で、出港後まもなく魚雷攻撃を受けて亡くなっています。
手を合わせるだけでしたが、安らかに眠るよう慰霊をしてきました。
反対方向には大きな桟橋が造られていて、潜水艦の艦橋と潜望鏡が目に入りました。
眺めていたら、鉄砲を持った兵隊さんが近づいてきて監視を始めました。
白爺が日本人だと告げたら、近寄って来て大きな手で握手を求めてきました。
日本は同盟国だと、ちゃーんと心得ているようでした。
その近くに、テニアンエキスプレスの乗り場案内が建っていました。
築港の見学を最後に、白爺たちはネパールの友人宅に行き、昼食をご馳走になりました。
前回は、友人手料理のネパール料理でしたが、今回は奥さん手料理の中国料理でした。
初めて手作りの中国料理をご馳走になったのですが、油を使用しているのに油っこくなくて本当に美味しい料理でした。
友人は、午後から航空会社の勤務になるのですが、空港まで白爺たちを送ってくれました。
テニアンをもう一度眺めたいだろうといって、途中テニアンに一番近い場所まで車を回してくれる気遣いもしてくれました。
サイパン空港は、荷物の検査が機械化されたので、ノースのカウンターに直接荷物を渡してチェックインができました。
1ヶ月ぶりに見る日本の空。
でもテニアンに行く時のような期待感がもてない白爺は、どうしたのでしょうか?
テニアンの旅行記はこれでオシマイ!
長い間のお付き合いアリガトウございました!
戦争の時のお話や場所なども興味深く読ませていただいたり、
私も行ったぁ~!と懐かしく読ませていただいたり
楽しく飽きずに読ませていただきました!!
またテニアン話、楽しみにしています!
長い間有難うございました。
フレミングで写した写真を毎日送ろうと思いながら遅くなっています。
とりあえずメールに添付しますから見てください。
これからも、お邪魔させて頂きます!
ようこそ!
立ち寄っていただき感謝しています。
お互いに南洋引揚者ですから、今後ともよろしくお願いいたします。