石井信平の 『オラが春』

古都鎌倉でコトにつけて記す酒・女・ブンガクのあれこれ。
「28歳、年の差結婚」が生み出す悲喜劇を軽いノリで語る。

時代が熱かった、あの頃

2008-09-23 12:50:11 | 社会
『お前はただの現在にすぎない』が10月7日に朝日文庫で発売になる。

今の若い読者には解説が必要な語句がいくつも登場する。以下は、オラが新たに書き加えた「注釈」の一部である。


「ティーチ・イン」  
シンポジウムより熱かった1960年代に流行した討論集会。パネラーが壇上で一方的に語るのではなく、聴衆からの質問・詰問・野次の応酬激しく、スリルとリスクに満ちたイベントだった。

「エンプラ闘争」
核をもたず、作らず、持ち込ませず、の「非核三原則」にもかからず、1968年1月、日本政府は米原子力空母エンタープライズ号寄港を認めた。反対する学生たちは東京から長距離夜行列車「西海」に乗り、大挙して寄港地・佐世保に駆けつけた。中には村上龍・糸井重里などもいた。

「羽田闘争」
1967年10月8日、三派系全学連は佐藤首相の東南アジア訪問を阻止すべく、羽田デモを敢行した。このとき初めてヘルメット・覆面・ゲバ棒で機動隊と全面衝突、京大生・山崎博昭が死亡した。「ジュッパチ」の呼称で長く記憶された。

「三派系」
1967年10月8日、羽田闘争に日本共産党に対立する左翼三派(共産同・中核派・社青同解放派)が登場し、「三派系全学連」と呼ばれた。その後四分五裂するが、各地の大学闘争を主導した「全共闘」結集の核となった。その後「団塊の正統は戦った僕たち」と自慢したがるグループ。


最近、鎌倉の町には、いかにもの「団塊夫婦」が群れなして散歩するのを見かける。

1970年生まれの妻は、彼らをターゲットに、喫茶店を開くなら「ゲバ棒」という名前にしたいと主張している。

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