令和3年7月22日(木)
お早うございます。
今日は「海の日」で国民の祝日です。(例年は、7月の第3月曜日)
そして、明日(7/23)は「スポーツの日」(例年は、10月の第2月曜日)
スポーツの日に合わせて、「東京オリンピックの開会式」が執り行われます。
7月23日(金)の開会式~8月8日(日)の閉会式までの17日間。
テレビ観戦で応援いたします。
さて今日は、「黒田官兵衛の言葉のちから」を紹介いたします。
「その職にふさわしくない者はすぐに処分したりするが、よく考えてみると、その役を十分に務めてくれるだろうと見たのはその主だ。目利き違いなのだから、主の罪は臣下よりもなお重い」
豊臣秀吉の戦を支えた軍師、黒田官兵衛の言葉です。
秀吉が明智光秀を討つためのお膳立てをしたエピソードが有名で、上司を立てることを良しとする日本人に人気の高い軍師です。
この言葉は、部下の立場からすると非常に共感できる言葉でしょう。
「上の立場はミスをした者をすぐに処分するが、その仕事に任命したのは上司なのだから、上司の責任はさらに重い」という意味があります。
部下を持つ立場となってもこの言葉を胸に置き、マネジメント業務を行いましょう。
また、徳川家康も、
『心ばえはそこまで良くなくても、何か優れた能力を持った者ならば採用すべきだ。』
真面目で、主君思いで、協調性もあり、勤勉な上に仕事もできる。
そんな心と能力を持った人間はトップクラスの良臣だ。
しかし、心ばえはそこまで良くなくても、何か優れた能力を持った者ならば採用すべきだ。

如水居士画像(崇福寺蔵)
黒田 孝高(くろだ よしたか、旧字体:黑田 孝高)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。戦国の三英傑に重用され筑前国福岡藩祖となる。キリシタン大名でもあった。
諱(実名)は初め祐隆(すけたか)、孝隆(よしたか)、のち孝高といったが、通称をとった黒田 官兵衛(くろだ かんべえ)、あるいは剃髪後の号をとった黒田 如水(くろだ じょすい)としても広く知られる。軍事的才能に優れ、豊臣秀吉の側近として仕えて調略や他大名との交渉など、幅広い活躍をする。竹中重治(半兵衛)とともに秀吉の参謀と評され、後世「両兵衛」「二兵衛」と並び称された。
お早うございます。
今日は「海の日」で国民の祝日です。(例年は、7月の第3月曜日)
そして、明日(7/23)は「スポーツの日」(例年は、10月の第2月曜日)
スポーツの日に合わせて、「東京オリンピックの開会式」が執り行われます。
7月23日(金)の開会式~8月8日(日)の閉会式までの17日間。
テレビ観戦で応援いたします。
さて今日は、「黒田官兵衛の言葉のちから」を紹介いたします。
「その職にふさわしくない者はすぐに処分したりするが、よく考えてみると、その役を十分に務めてくれるだろうと見たのはその主だ。目利き違いなのだから、主の罪は臣下よりもなお重い」
豊臣秀吉の戦を支えた軍師、黒田官兵衛の言葉です。
秀吉が明智光秀を討つためのお膳立てをしたエピソードが有名で、上司を立てることを良しとする日本人に人気の高い軍師です。
この言葉は、部下の立場からすると非常に共感できる言葉でしょう。
「上の立場はミスをした者をすぐに処分するが、その仕事に任命したのは上司なのだから、上司の責任はさらに重い」という意味があります。
部下を持つ立場となってもこの言葉を胸に置き、マネジメント業務を行いましょう。
また、徳川家康も、
『心ばえはそこまで良くなくても、何か優れた能力を持った者ならば採用すべきだ。』
真面目で、主君思いで、協調性もあり、勤勉な上に仕事もできる。
そんな心と能力を持った人間はトップクラスの良臣だ。
しかし、心ばえはそこまで良くなくても、何か優れた能力を持った者ならば採用すべきだ。

如水居士画像(崇福寺蔵)
黒田 孝高(くろだ よしたか、旧字体:黑田 孝高)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。戦国の三英傑に重用され筑前国福岡藩祖となる。キリシタン大名でもあった。
諱(実名)は初め祐隆(すけたか)、孝隆(よしたか)、のち孝高といったが、通称をとった黒田 官兵衛(くろだ かんべえ)、あるいは剃髪後の号をとった黒田 如水(くろだ じょすい)としても広く知られる。軍事的才能に優れ、豊臣秀吉の側近として仕えて調略や他大名との交渉など、幅広い活躍をする。竹中重治(半兵衛)とともに秀吉の参謀と評され、後世「両兵衛」「二兵衛」と並び称された。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます