序破急

片足棺桶に突っ込みながら劇団芝居屋を主宰している爺です。
主に芝居、時々暮らしの中の出来事を書きます。

劇団芝居屋的俳優論・自立への道・・・その背景

2006-05-05 17:09:17 | 演劇

膨大な情報が垂れ流される現代。その奔流の中に生きる私達にとって、そこからの影響から無縁である事は殆ど不可能といってよい。何らかの影響を受けながら生きている。

演劇においても情報の奔流は同様である。その流れはお笑いから映像的表現や学芸会的なものも含め、新旧の演劇論や和洋の演技論もないまぜにして「お芝居」乃至「演劇」という言葉に括られて一般世間へと流れ込んでいる。そして演劇を知る知らないに拘らずあるイメージが先行している。それはほとんど政治的な宣伝の道具として演劇があった時代の負の遺産である。演劇を見た事もないと言っている人間が「何故見ないのか」という問いに「面白くないから」と答える。見た事もないのにである。噂である。まさしく情報が作り出したイメージが言わせる答えではないか。

演劇をこれから始めようと考えている者も、またすでに演劇界に居る人間も例外なくこの影響を受けている。

ここで断っておくが、私は情報の多さの負の部分をとりたてて強調してるわけではない。情報を得て知識や見聞を取り入れるという事はしなくてはならない大事なことである。それは間違いない。

しかし当然の事ながらその情報を鵜呑みにすることに疑いを持つべきである。情報の吟味が必要であり、取捨選択が必要なのだ。俳優としての自立に目覚めた者にとっても極めて重要な事柄なのである。演劇の世界に足を踏み入れる者にとって、はじめて触れた業界の専門用語はその特殊性から、あたかもその言葉を知っていればそれだけで演劇人として認知されるが如き錯覚に陥りやすい。かく言う私も長い間その錯覚に陥っていた一人である。業界用語の呪縛から逃れ、その言葉を自分の言葉に翻訳するという事は簡単なことではない。

続く。


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