スズキ ゲンさんのブログ

立命館の再生を願って

NO49 改めて総長と理事長の関係について

2015-02-15 00:06:52 | 立命館の再生を願って
NO49 改めて総長と理事長・専務理事の関係について、
―長田理事長の新年会での挨拶ともかかわってー
    2014年2月15日  ジャーナリスト、元総長理事長室室長 鈴木元

目次
はじめに
(1) 理事長が総長のすべての人事に介入できる仕組みにした寄付行為細則の改定
(2) 私学法改定の恣意的解釈による長田理事長、森島専務の独裁、学園私物化、生き残り策動は許されない。
(3) 立命館における総長と理事長の関係についての歴史的経緯
(4) 無謀な運営によって財政困難をもたらしている長田理事長の「裸の王様」的虚言
(5) 森島専務による学園乗っ取りのクーデター
さいごに

はじめに
11月9日の総長選挙で吉田美喜夫氏が新総長に選出された。ところが11月28日の理事会おいて吉田総長が提案した2人の副総長人事案(坂根政男元理工学部長、佐藤春吉元産業社会学部長)が長田理事長、森島専務等の妨害によって否決された。総長が提案した副総長が理事会において否決されるという事態は立命館の100年を超える歴史の中で初めてのことであった。反対した理由は主として「両名が大阪茨木キャンパスの購入に反対した」というものであった。
ところが1月23日の理事会において吉田総長が新しく提案した副総長人事(市川正人元法科大学院研究科長、松原豊彦経済学部長)は、なんの反対意見も出されることなく承認された。両名も茨木キャンパス購入に反対していた人である。しかし何時までも決めなければ教学的に支障が生まれることと、文部科学省から「不適切な学園運営」として指導対象になる危険が見えてきたからである。結局吉田総長の人事権を妨害しただけの事であった。
ところで副総長は決まったが、未だに(2月14日時点)学長(総長)任命の副学長が決まっていない。総長選挙から2カ月、就任(1月1日)からでも1カ月以上がたっているが、入試シーズンに入り常任理事会も開催されていない。新学期、そしてOIC開設を前にして総長・副総長を補佐して任務を進める立命館大学の副学長が決められていないことは、学校法人立命館の統治能力が疑われる。再び長田理事長、森島専務が妨害しているとしか考えられない。
これら一連の動きの背景には、昨年4月に出された「役員体制あり方検討員会の答申」ならびにそれを受けた6月の「寄付行為細則」の改定がある。そのことを1月6日に開催された新年の集いにおいて、長田理事長が自ら語っている(「UNITAS」新年号掲載文は、演説内容が若干修正されている)。これらの問題について再度整理して解明したい。

(1) 理事長が総長のすべての人事に介入できる仕組みにした寄付行為細則の改定
改定(文意を変えない範囲で「要約」)の主な点は
 1)「副総長は総長を補佐する」を「副総長は総長および理事長を補佐する」
 2)「副総長は、総長が推薦し理事会で選任する」を「副総長は、総長が理事長と協議し
た上で推薦し理事会で選任する」
 3)「アジア太平洋大学の副学長は総長が推薦し理事会で選任」を「総長が理事長と協議したうえで推薦し理事会で選任する」
 4)「総長が直轄する特定の職務または事項を推進するために、総長特別補佐を置くことが出来る。総長特別補佐は、特定課題につき総長補佐してその業務を担当することを職務とする」としていたのを「総長特別補佐を解消し」「理事長および理事の業務執行を補佐する職として理事補佐を設置する」とした。
 理事補佐は、つぎの各号に掲げる者に対して任命する
① 立命館大学副学長のうち理事を兼ねない者
② 立命館アジア太平洋大学副学長のうち理事を兼ねない者
③ 附属校の校長
④ その他、理事長の特命業務を執行する者
⑤ ①および③に掲げる理事補佐は総長が理事長と協議した上で任命する。②は立命
館アジア太平洋大学の学長を担当する副総長が理事長と協議したうえで任命する。

総長特別補佐(入試担当)などに対して、新たに理事補佐(例えば寄付担当)などを設置することはありうることである。しかし今回の改定では総長特別補佐を解消した。そして従来、総長の任命であった副学長、アジア太平洋大学副学長、附属校校長をいずれも理事補佐とし総長が理事長と協議のうえで任命するとした。したがつて総長人事の全てについて理事長が介在できるようにしたのである。その上に総長特別補佐を失くし、新たに理事補佐を作り従来総長に任命権が有った人事についても理事長が介在できるようにし、総長を飾り物にしようとする仕組みとしたのである
これらの寄付行為細則改定を根拠として長田理事長は副総長人事ならびに副学長人事に介入し妨害しているのである。APU副学長、附属校校長についても同様な介入・妨害を行おうとしている。
(2) 私学法改定の恣意的解釈による長田理事長、森島専務の独裁、学園私物
化、生き残り策動は許されない。
 これらの改定の根拠として記載されていることはただ一つである。「私立学校法第37条において理事長が学校法人を代表し、その業務を総理する旨が定められていることに鑑み」としている。
 この「理事長が学校法人を代表し、その業務を総理する」は何時、どう言う理由で書き込まれ、公式にはどのような解釈になっているのかを明確にしておかなければならない。  国立大学法人化が制定・実施された2004年の事である。それまで国立大学は国の一機関であったが、独立行政法人となり、それぞれの大学ごとに理事会が設置されることになった。そこで「理事長が法人を代表し、その業務を総理する」とされた。
その際、誰が理事長に就任したかと言えば総長(学長)である。大学は教育・研究を目的とする組織である。大学における経営管理は、あくまでも大学の目的である教育・研究を推進するための物である、そのため理事長には、教学の最高責任者である総長(学長)が就任する仕組みとされたのである。
私立学校は戦前までは財団法人であった。寄付者の主たる人によって評議員会が作られ、その評議員会において執行に責任を負う理事が選ばれていた。 
しかし戦後、私立学校法が制定され改革されることになった。歴史ある学校では寄付者の大半はすでに亡くなっていて、その子孫が評議員会や理事会を構成していた。また100年を越える歴史の中で積立金による基金が増大し、基金の内、寄付者による寄付の額は極一部になっていた。そこで新しく制定された私学法では、創設時の寄付者の子孫と言うだけで私立学校の運営に習熟していない人が理事の多数となっていたことを考慮し、創設や寄付に関わっていない人でも学校運営についての専門的見識のある人を理事とすることが出来るように改善された。
しかし財団の性格を引き継いだこともあり、法的には理事全員に代表権があるとの解釈が成り立っていた。そのため財務担当常務理事が理事会に諮らず契約などを行う事も生じていた。そのため大半の私立学校では「代表権の制限」を行い、理事長にのみに代表権があると定めていた。ただし理事長が勝手に決定したり、契約できると言う意味ではなく理事会決定に基づき契約を交わせるのは理事長のみという意味である。しかし立命館など総長と理事長を別の人物が担っている法人では代表権の制限として「総長と理事長のみに代表権が有る」と規程していた。
 ところが上記したように国立大学法人法が制定され「理事長(総長)のみに代表権が有する」とされたこととかかわって、2004年の私立学校法の改定に当たって、私立学校法においても「理事長のみに代表権がある」旨の案が提案された。この国会審議にあたって参考人として私立大学関係者が出席し以下の旨の発言を行った。
「新しく法人としてつくられる国立大学法人が総長と理事長を同一とし、代表権を一人にされるのは構わない。しかし私立大学はそれに先立つ100年の歴史を有し、多くの法人においては総長と理事長の複数代表制か取られてきた。この歴史的経緯を尊重し、総長と理事長の別にしている私立大学においては複数代表制をとることを認められるべきである」との意見を述べ、その趣旨が認められることになった。
改定時点で代表を前文部科学省私学部長の加茂幸夫氏とする私学行政研究会編『改定私立学校法』(第一法規)の64ページの「代表権」において「原則とし理事長のみが代表権を有し、必要に応じて他の理事にも代表権を与える制度としました」と明記している。
したがって立命館においても代表権は理事長のみではなく理事長と総長の両名に設定できるのである。しかし当時の川本理事長は自らが学園運営の支配権を掌握したいために「私学法の改定で今後は代表権は理事長のみになった」とする見解を振りまいた。
代表権があることは理事会決定を経ず、理事長が法人を代表して決裁・契約が出来ると言うことではない。理事会の議決を経て法人を代表して契約できるのは代表権者である理事長であると言うにすぎない。にもかかわらず川本前理事長、長田理事長、森島専務は理事会の議決を経ず、広範囲に決裁・契約できるかのように自分たちに都合の良いように解釈して振る舞ってきた。その典型が理事長の「1億円以上 」という上限無き決裁権限である(拙著「続・立命館の再生を願って」(風涛社)のP 161において批判)。
(3) 立命館における総長と理事長の関係の歴史的経緯
立命館は1900年、京都大学創設時の事務局長であつた中川小十郎が私財を投じて全
員京大法学部教官によって講義を行う法律専門の大学(法的には専門学校扱い)として創設されたのを始まりとする。その後、1918年の勅令(大学令)によって私立学校も一定の要件を備えている学校は帝国大学と同様に学士の学位を授与できる正式の大学として認められることになった。その要件の一つして基本財産供託の義務(単科大学50万円、現在のお金に換算すると約50億円)1学部毎に10万円)が行える財団法人とする必要があった。卒業生たちも寄付を集めたが大半は中川小十郎による寄付であり1922年に正式に大学となった。
第二次世界大戦の敗戦にともなって戦後の大学改革が課題となった時、戦時下において極端に軍国主義的教育を行っていた大学の廃校処分が検討された。その時、立命館もその対象になったとの情報が流れた。戦争中に亡くなった中川小十郎の後をついで理事長となっていた石原広一郎は、大学存続のために戦時下の瀧川事件で京大を辞め、立命館大学や大阪市大で講師を務めていた末川博先生を立命館の総長として迎えた。当初は公選制ではなく石原理事長の推薦で理事会で選任されたのである。
ところが理事会は末川先生以外は全員、中川小十郎理事長が推挙して理事となった人々ばかりであった。戦後の荒廃の中で末川先生は教学の充実にこそ力を入れるべきと考えたが理事会では、乏しい資金を新たな土地購入などに使おうとしたために、「責任がとれない」と辞表を提出された。
結成されたばかりの学友会や教職員組合は末川先生復帰運動を起こすと同時に、全学構成員参加による総長選挙実施規程制定を求めた。さまざまな経緯をたどって総長選挙規程が制定され末川博先生が圧倒的多数で総長に選出された。そして2名の学部長が理事に入った。その後の理事会民主化の取組で、学部長理事制度が設けられ教学と経営を統一して運営する仕組みが作られた。
こうした中で学園構成員によって選出された教学の最高責任者である総長を支え、財務・総務を担当する理事長について、制定された私立学校法の主旨も取り入れ学園関係者にとどまらず広く学内外から適切な人を選出する仕組みとし、総長が理事候補として理事会に推薦して理事に選任し、理事会において総長が理事長候補として推薦し選任する現行の仕組みが作られた。歴代の理事長には卒業生で京都弁護士会会長や銀行の頭取を務めていた人が就任した。非常勤の理事長を補佐する総務・財務担当常務や専務理事が設けられた。
したがって現行の寄付行為においても理事長の選挙基盤は明記されていない。総長推薦枠を活用して総長が「この人に理事長になってもらって私を支え、学園の財務・総務を担当してもらいたい」としてやってきた。
川本前理事長も大南総長の推薦で理事、理事長に選任されていたのである。したがって彼は新年あいさつ等に際して教職員の前で「総長と理事長が意見を異にした場合、私・理事長は総長に従うと」と明言していたのである。
ところが第三期長期計画以来、川本氏は一定のリーダーシップを発揮し学園が発展したことにうぬぼれ「あの総長は私が選んだのだ」等の言動を行うようになっていった。そうした時に私立学校法の改定が行われ「代表する。総理する」という言葉を自分達に都合の良いように解釈した。そして2014年6月の寄付行為細則の改定にあって上記のように長田理事長ならびに森島専務は、総長の人事権すべてについて理事長が介入・妨害できる仕組みとしたのである。
今年の1月6日の新年の集いにおいて長田理事長は「理事長が学校法人を代表し総理するのであり、(例え、全学の選挙で選ばれたとしても)総長も理事会においては一理事に過ぎない。理事(総長)は理事長を補佐してその業務(教学)を遂行しなければならない。副総長(理事)も理事として理事長を補佐しなければならない」との旨の演説を行っている。どこにも選出基盤もなく、自分が総長によって推薦されて理事となり理事長となったことなど、どこ吹く風の「天に唾する」傲慢さで語っている。このような事態が何時までも許容されることはない。
少し長期の取組になるが、このように理事長が総長の教学権を犯すような人事介入の仕組みは改定しなければならないだろう。
そのためにも改悪された寄付行為についての打破の世論づくり、このような自分達の生き残りを意図した寄付行為細則変更を進めた長田理事長、森島専務の解任運動が必要になるだろう。
私学法の改定当初、私は、私学法改定の主旨ならびに文部科学省の解釈、立命館における総長と理事長の関係の歴史等を考慮して「総長と理事長の二人代表制が妥当であろう」と認識していた。しかしその後の長田理事長等の言動を見聞するにつけ、慶応や早稲田など関東の大手私立大学法人ならびに国立大学法人と同様に総長・理事長制とし、総長が推薦し選任される副理事長もしくは専務が総長(理事長)を支え、財務・総務に当たると言う仕組みに改革するのが妥当と考えられる。なお私学法においても立命館の寄付行為においても理事長と違って、専務理事は置かなければならない物ではなく、置くことが出来る職位である。理事長が常勤者である今日、専務理事は必要ではない。
(4) 無謀な運営によって財政困難をもたらしている長田理事長の「裸の王様」的、虚言。
長田理事長は1月6日の新年の集いにおいて、一つ覚えのように「理事長が一番偉い」旨の発言を繰り返すとともに共に、「文部科学省が認可している学校法人によって学校は設立され、その全面的支援があってこそ教学が成り立つのである」などと、何回も学校法人を代表する自分の財政的支援・裏付けがあってこそ立命館大学の教学が進められるのであると、中川小十郎のような大口寄付者でもないのに、オーナーのような大見得を切った。
しかしそもそも学部長理事制度(13学長全員が理事)を取っている立命館においては、法人と大学は別組織ではなく一体的であり、学費と補助金を基に教学と経営を統一的に運営してきたのである。この点では、法人と大学を別組織のように考える言動は立命館の理事・理事長としては全くお粗末な認識に基づく言動である。
なお蛇足であるが、長田理事長は「法人の全面的支援のもとに」に続いて「設置者である学校法人が国から認可を得ることによって、初めて大学における教育・研究活動が法的社会的に保障されるのである」としている。法人の認可と大学、高校等、学部・研究科・学科の認可は別の事である。法人が認可されていても学部・学科、高等学校等が認可されないことはいくらでもある。
立命館が財団立の大学として認可されたのは1922年の事であり、戦後改革によって新制大学として認可されたのは1948年4月(法学部、経済学部、文学部)1949年4月(理工学部)の事であるが、1949年12月の私立学校法の公布にともなって私立学校法人として認可されたのは1951年の事である。
長田理事長は「新年のあいさつ」において、今年2015年は大阪茨木キャンパス開設の年であることを強調し①18歳人口減対策、②グローバリゼーションの進展への対応、そして③増大する新たな支出のための財政戦略の確立をあげた。
いつの間にかOICの建設はグロ―バリゼーションに対応するための「世紀の大事業」として英断したのであると語っている。元々新キャンパス確保は衣笠キャンパス狭隘克服が目的であった。それを竹中工務店に踊らされ、衣笠・朱雀キャンパスと一体的運営がしやすい山之内浄水場跡地を否定しOICを購入した。政策科学部の移転だけでは面積が余るために、問題にもなっていなかった「いまやBKCも手狭であり、阪神地区から離れ入試対策上からも問題があり、経営学部を移転させる」としたのである。グローバリゼーション対応は全キャンパスで行わなければならないことであり、そのための教学改革にこそお金を使わなければならない。
収入増にはならない既存学部である政策科学部と経営学部の移転のめたに土地代190億円、建設費230億円をつぎ込み、経常費で少なく見積もっても毎年新たに20億円を超える支出増となる。彼の言う「大学を財政的に支える」どころか、無謀なOIC開設が立命館の財政に大きな困難をもたらすことになる事は、誰が考えても明らかである。
なお2015年度の2月入試の志願者状況が明らかになっている。志願者の増減については隔年現象などさまざまな要因があるので、その評価については入試委員会や各学部において分析を行っていただきたい。しかし明白な事はOICへの移転を決めた経営学部がBKCに残った経済学部と比べて大幅に入学者が増えることはなかった。例え増えたとしても、その程度のことのために400億円を超える投資を行い、毎年20億円を超える支出増が発生することは行うべきでなかったのである。この程度の事も判断できず学園に財政困難と不団結をもたらした人間が「法人(理事長)の支援があってこそ大学(教学・総長)は成り立つ」など嗤笑千万である。
なお吉田総長は、OICの購入には反対していたが、決定され、建設が進んだ今となっては社会的責任からも、その推進に全力を挙げると表明されている、市川副総長や松原副総長も同様である。しかしそれで強行した長田理事長や森島専務の責任が消えるわけではない。
色々問題はあったが川本前理事長はBKCやAPUの開設にあたっては財政自立に努めるとともに、莫大な寄付金を集めた(APUで220億円、BKCで200億円)。しかし長田理事長も森島専務もまとまった寄付など一銭も集めていない。彼らが構想できることと言えば学生数増と学費の値上げ、そして合理化しかない。18歳人口減の今日において学生数の拡大、それも大規模人文社系学部の規模分轄として進めようとするために総合心理学部、「国際共同学位学部構想」など新たな設置経費が必要であるとともに、学園の収入を支えることはできない小規模学部構想を提起せざるを得なくなっている。もういい加減に学園に新たな混乱と財政困難をもたらす妄動は止めて辞任すべきだろう。
18歳人口減が明確な今、一般的に言っても教育・研究の質の向上に力を入れる事が最重要な課題であり、やむを得ない場合は法務研究科同様に学園全体としても定員削減も課題にせざるを得なくなっている。今日、立命館はある意味では「戦線が伸びきっており」、それを支える人材不足がいたるところに表れている。優秀な人材の育成と確保が決定的に必要となっている。また川本名誉顧問、長田理事長、森島専務によって作られた、この10年に及ぶ混乱に終止符を打ち団結を回復するためには、この3名を辞めさせ学園の正常化を図る調整期間が必要だろう。
(4)森島専務による学園乗っ取りクーデター
ところで今回の寄付行為細則改定において黙過できない重大な改定が行われている。あらたな常務理事として企画担当常務が設置された。その企画担当常務の所轄を専務理事としている。学校教育法の改定についての論評はここでは省略する。しかしその眼目の一つが学園改革における学長のリーダーシップの発揮である。学校教育法の改定如何にかかわらず教育・研究を目的とする大学においては、その改革のリーダーシップの発揮は教学の最高責任者である総長・学長であることは明確である。しかも立命館においては政策(公約)を掲げて総長選挙が行われ、それで当選した人が公約の実現を含めて改革のリーダーシップを取らなければならない。それを厚かましくも総長を差し置いて専務理事が所轄するなどとは許されるものではない。
しかも今回の改定によって森島専務の所轄は、財務担当常務、総務担当常務そして新設された企画担当常務だけではなく、規程に明記されていないが一貫教育担当常務そしてAPUの総務・財務副学長を所轄している。立命館学園の全分野を掌握したのである。これは明らかに森島専務による学園乗っ取りクーデター的行為であり長田理事長との合作である。
森島専務は寄付行為改定において総長の人事権に対して理事長がいちいち介入できる仕組みにして長田理事長の総長に対する優越感を満足させる代わりに、自分が財政・総務・企画を中心に附属、APUを含めて学園の支配権を掌握できる仕組みにしたのである。長田理事長は森島専務に対して「お前は悪やなあ」と言いながら、自分が総長に対して優越した立場にたてるようにした森島専務に対して感謝しながら「森島さん」などと媚をうっている。
しかしこの長田理事長、森島専務コンビの最大の弱点は、自分達の地位への固執と権力行使欲だけで、教育研究を目的とする大学において21世紀に通ずる学園改革のビジョンによって全学構成員の団結を引き出せず、思いつきばったりで学園を振り回し、学園を構成する教職員・学生から忌み嫌われていることである。その事例の一つが今回の1月6日の理事長の新年あいさつである。
森島専務は一時金カットとかかわって地裁で敗れた時、判決を読むこともなく長田理事長と共に控訴した。そうした非民主的態度にとどまらず、足羽慶保の学歴詐称を示す文書が出てきていたにもかかわらず「足羽氏が本学を卒業しいていたとの証明書が足羽家から出て来ました」と大学の存立そのものを脅かす居直り言動を行った。「山之内は2017年まで開講できません」(学園大学は2015年度から開校する)、「茨木市から130億円の補助金が出ます」(30億円であった)。深草は龍谷大学が30億円で購入してくれる(龍谷大学内部ではそのような話しはまったくなかった)等、直ぐにばれる嘘を平気で語ってきた。専務どころか大学人そして一市民としても社会的に通用しない欠陥者である。
最後に
長田理事長は「新年のあいさつの」最後に「職員に求められる豊かな人間性」を語った。彼は常勤総長を任期で辞め、続いて常勤理事長に就任した。ところが退職金とは別に常勤役員(総長)退任慰労金を受け取るにあたって、常任理事会にも諮らず支給基準を倍化を理事会で決め4000万円を受け取った。足羽慶保の学歴詐称が明らかになり理事就任取り消しを求める声が高まった時、「本学の理事は本学の卒業生であることを要件としていない。足羽氏が理事に選出されたのは一度目は校長であったが故であり、二度目は総長・理事長推薦であったためであり問題はない」と居直った。
彼は私大連盟の財務担当常務理事の時、口に出すこともはばかれるような下品な宴会の費用に連盟のお金使い、社会的に問題となり常務理事を辞任せざるを得なかった。
このような人物が演壇の上から職員に対して「求められる豊かな人間性」などと語る資格は無い。まずは自らの不品行を謝罪し、倍化して受け取った慰労金の返還を行い、潔く辞任しなければならない。
森島専務ならびに長田理事長が学園にとって「百害あって一利無し」の人物であることは、遠からず学外理事含めて共通認識となり、この間学園に混乱の引き金を引いた川本名誉顧問を含めて3名の追放にならざるを得ないだろう
学部長理事の皆さんをはじめ、学園の運営に責任を持っている方々は、進行し顕わになっている事実を直視し、学園の正常化をめざし、一つ一つ打破するために勇気ある行動を行われることが期待されています。

鈴木元。現在、日本ペンクラブ会員、日本ジャーナリスト会議会員、かもがわ出版取締役、国際環境整備機構理事長。
立命館関係の著作。
『像とともに未来を守れ』(かもがわ出版)『大学の国際協力』(文理閣)『立命館の大学紛争 1969年 写真・小原輝三、文・鈴木元』(文理閣)『立命館の再生を願って』『続・立命館の再生を願って』(いずれも風涛社)

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