NO37と関わって、『館長・名誉館長声明』に関する事実誤認の記述のおわびと、再度、川口清史総長の対応について提起する
2014年8月12日 ジャーナリスト・元総長理事長室室長 鈴木元
はじめに
私は8月6日付の「常任理事並びに関係各位へ NO37」おいて
(1)川口清史総長が安倍首相の訪豪に財界人ととともに大学人としてただ1人同行し、首相間共同声明ともかかわって、安倍首相の立会いの下で、オーストラリア国立大学との共同学位課程を具体化する協定に署名した。ところが東京での記者会見においては、いつの間にか「共同学部創設」に格上げされて会見されていた。そして7月31日の常任理事会において、突然「共同学位学部設置構想検討委員会」の設置が提案された。それに対して多数の学部長から「拙速だ」等の反対・批判意見が多数出され「全学から構想について意見を聞く」委員会とされた。
(2)同じく学内においてまともな審議も検討も無いままに、佐賀県の東明学園問題が進められている。
これらの事について私は、先に学部長も交えて策定されたばかりの「R2020後半期計画」においても、全く話題にもなっていなかったことを川口清史総長等が既定事実のように進めることは学部長理事制度、教授会の審議権、全学合意をないがしろにするもので許されないと批判した。
(3)同じ時、安倍首相の「集団的自衛権」を巡る暴挙について、平和ミュージアムの安斎育郎名誉館長とモンテ・カセム館長が声明を発表するにあたって「川口清史総長にも連名に名前を連ねることを申し入れたが断られた」との情報が入った。そこで私は「川口清史総長に対して3名連名の声明にすべく、申し入れが行われたが彼は拒否した。立命館の恥だけではなく立命館の在り方を根底から破壊して行く第一歩にならない様に、立命館を構成する良識ある人々は立ち向かう必要がある」との記述を掲載した・
これに対して8月9日、平和ミュージアムから私宛に以下の主旨のメールが届いた。
「平和ミュージアムとして、共同声明の内容について川口清史総長とやり取りし、内容について了承をしていただいたが『総長にも連名してもいただきたい』との申し入れを行ったという事実は無い。従って断られたこともない。何を根拠に書かれたのか説明をいただき、しかるべき対応をお願いしたい」
結論を先に書けば、私は、上記の記述に関わる情報の裏付けを確かめなかった。それは明らかに事実誤認に基づく記述であり、この件で、ご迷惑をおかけした川口清史総長ならびに平和ミュージア関係者の皆さんにおわびする。
(1) 思い込みにより情報の裏づけを取らなかった初歩的な誤りでご迷惑をおかけしたことについて、おわびする
1)該当する記述に関しては、学内の関係者から私に情報提供があった。通常私は、一つの情報に関しては必ず他からも裏づけを取ってから記述してきた。しかし今回の場合、この間の川口清史総長の非民主的大学運営の積み重ねの上に、さらに以下の2)3)の事情もあって「さもありなん」と思い、裏づけ調査を行わなかった
2)川口清史総長が昨年のインドに続いて、安倍首相のオーストラリア訪問に大学人として唯一人同行し、安倍首相の意向も受けて行動していた。
3)7月28日に開催された組合と理事会の業務協議会の席上において、組合側から川口清史総長に対して安倍首相の「集団的自衛権論」等に対して総長としてのメッセージの配信について、求められたが、川口清史総長は首を縦に振らず批判と失望を受けていた。
そうした事情もあり、「申し入れに対して断ったらしい」との情報に関して「さもありなん」との思い込みがあり、裏付けを取ってから記述すると言う慎重さに欠ける点があった。
4)それでも私は、いつものように文章の草稿を、学内事情に精通している複数の人に事実誤認が無いか、書きすぎてはいないかの確認をしてもらう作業を依頼した。しかしANUや東明学園関連記述については、いくつかの補正意見が届けられたが、該当する平和ミュージアムと関わる記述に関しては、何れの人からもクレームも「事実確認を取ること」についての指摘が無かった。
それは点検依頼者たちにとって、一つには、「声明」作成にあたって、平和ミュージアムと川口清史総長との間でやり取りが行われていたこと自体が知られていず、「申し入れ云々」について、知る由も判断するすべもなかったこと。もう一つは私が点検を依頼した人々自身が川口清史総長の最近の言動から「そういうこともあるだろうと」との思いでいたからである。
4)それにしても当事者であった平和ミュージアムの関係者に確かめるべきであった。そうしておれば今回の事実誤認の記述にはならなかった。ジャーナリストして最低限の取材ルールを軽視した初歩的な誤りであった。
この件に関しては事実に基づかない記述を行い、ご迷惑をおかけした川口清史総長ならび平和ミュージアム関係者の皆さんにお詫びする。
(2)「立命館憲章」を定めている立命館学園の総長・学長として川口清史総長は我が国の平和と民主主義を根底から脅かす安倍政権の集団的自衛権論について、全学に依拠して適切な対応をすべきであることを再度提起する。
今回、当事者である平和ミュージアムから「川口清史総長に対して3名連名の申し入れは行っていず、したがって拒否もなかった」との事実が明らかにされた。それを受けて私は事実誤認に基づく誤った記述を記したことについて、川口清史総長と安斎郁郎名誉館長・モンテ・カセム館長をはじめとするミュージアム関係者に対してお詫びする。
その上で、立命館の総長である川口清史氏が、安倍首相の「集団的自衛権論」に対して、いまだになんらの主体的な対応を明確にしていないことも事実であり重要であると考える。
この点について今日の情勢と大学、大学人の責務について触れたい。
とりわけ「立命館憲章」を定めている立命館学園の総長・学長として、川口清史総長の対応について記述しておきたい。
戦後の日本では自衛権論について多少の意見の相違があったものの、左右の違いを超えて日本が攻められた場合には反撃する権利があると言う「専守防衛論」では大きな論争もなくやってきた。
ところが安倍首相は「日本に密接な関係のあるアメリカ等の同盟国が武力攻撃を受け、それが日本の安全保障を脅かすものであると政府が判断した場合、必要最小限度において攻撃した相手に反撃できるとする集団的自衛権論は、憲法上許される」との大転換を国民的議論に基づいて憲法を改定するのではなく、政府見解で行えるとの暴挙を行ったのである。
だからこそ歴代の自民党幹事長も、様々なニュアンスで「一内閣の見解として行うことは許されない」との見解を表明しているのである。
第二次世界大戦の痛苦の体験から教学理念を「平和と民主主義」と定めた立命館大学の総長が、この歴史的暴挙に対して、主体的に何の対応も示さないことは異常である。今からでも遅くない、川口清史総長は全学が見える、何らかの具体的対応を提起するべきである。
8月8日、オバマ大統領はイラクへの空爆を承認した「同盟国」であるイギリス、フランスは賛意を表明した。これに対して「集団的自衛権は合憲」とした安倍首相はどうするのか、川口清史総長はどういう対応行うのか。厳しく問われている。
歴史の岐路に立った時、大学人は如何に行動すべきかの歴史の教訓に立って
大学は真理探究の府として国民世論の形成に大きな責務を負っている。長田総長以前の末川先生に始まる大南総長までの戦後歴代の立命館総長は、平和と民主主義が重大な岐路に立った時、その擁護ための各種の意見表明等を行われ行動されてきた。
私はNO37で戦前において立命館が政府・権力に迎合した結果、何がもたらせられたのかを歴史の事実に基づいて深く考えて行動する必要があると川口清史総長を批判した。
立命館の建学の精神は「自由と清新」教学理念は「平和と民主主義」と言われてきた。しかし、それを文章としてまとめたものは無かった。私が立命館の総長理事長室室長の時代の常任理事会において、それをきちんと学園憲章として文章にまとめ学園の構成員の規範とすることが確認され、立命館学園憲章が作成された。当時政策科学部長であった川口清史現総長もこの作成過程に参加し、確定した「立命館学園憲章」に賛意を表明していた。今ほど「立命館学園憲章」の精神が堅持され生かさなければならない時は無い。
大学人は真理探究の府に居る者として、また次代を担う若者に対する教育に責任を負う者ものとして、平和と民主主義擁護の世論形成に責任がある。
もちろん総長として社会的に発言することは重い事である。学内においても様々な意見の相違がある。したがつて集団的自衛権論についても、一定の学内合意も無いままに総長声明を出すことについて慎重に扱うべきことは理解している。しかし、そのことと何もしない事とは別である。元法制局長官や歴代の自民党幹事長が「このような重大なことを一内閣の閣議解釈変更で行うものではない」との法手続き論での意見表明が行われている。次期京大総長に選ばれた山崎寿一氏(ゴリラ研究の第一人者)は「ゴリラは勝ち負けをつくらない。勝ち負けを決めないと平和が訪れないと思っている政治家がいる。ゴリラに学べば、戦争をしない国を作れますよ」と自らの専門学問を生かして学者らしい批判を展開しておられる。
学問の府としての大学として、教職員組合との業協の場や全学協代表者会議を通じて、広く構成員に検討・学習の場を提起するなど、総長としてのイニシアチブの発揮の仕方はいくらでもある。
平和ミュージアムは立命館の教学理念を体現した物である。平和と民主主義とかかわつて重要な問題について、講演会を開催したり、特別展を開催したりして教育的に世論形成に役立つように企画・行動することは設立の趣旨から当然であり社会的にも期待されている。また平和と民主主義にとって重要に課題について名誉館長・館長声明などで学園ならびに社会的に世論形成のための取り組が行われてきた。
要は、国民の世論形成、次代を担う若者の教育に責任を負う大学として、多様な意見の集合体として、理事会、教授会、平和ミュージアム、教職員組合、学友会、院生協議会など様々な機関や組織が重層的に、それぞれの役割・性格に応じて、その意見の成熟に応じて発言・行動を行い、社会と向き合っていくことであろう。
繰り返しになるが、そうした成熟した対応への配慮と、川口清史総長が主体的に何らかの見識ある対応を示さないこととは別の事である。
集団的自衛権論とかかわつてマスコミや自民党の幹部からは「紛争地での戦死もありうる」「戦死するのだからに補充する徴兵制も検討の対象となる」等の発言や記述も飛び出している。
「教え子を再び戦場に送らない」は戦後の日本の教育界の決意であつたし、「再びペンを銃に変えない」は学生の決意であった、それは国際平和ミュージアムに設置されている「わだつみ像に」に象徴されている。
事実誤認の記述への謝罪とあわせて、川口清史総長は立命館総長として見識ある対応を示すことが望まれていることを記して、本文章を終わる。
以上
2014年8月12日 ジャーナリスト・元総長理事長室室長 鈴木元
はじめに
私は8月6日付の「常任理事並びに関係各位へ NO37」おいて
(1)川口清史総長が安倍首相の訪豪に財界人ととともに大学人としてただ1人同行し、首相間共同声明ともかかわって、安倍首相の立会いの下で、オーストラリア国立大学との共同学位課程を具体化する協定に署名した。ところが東京での記者会見においては、いつの間にか「共同学部創設」に格上げされて会見されていた。そして7月31日の常任理事会において、突然「共同学位学部設置構想検討委員会」の設置が提案された。それに対して多数の学部長から「拙速だ」等の反対・批判意見が多数出され「全学から構想について意見を聞く」委員会とされた。
(2)同じく学内においてまともな審議も検討も無いままに、佐賀県の東明学園問題が進められている。
これらの事について私は、先に学部長も交えて策定されたばかりの「R2020後半期計画」においても、全く話題にもなっていなかったことを川口清史総長等が既定事実のように進めることは学部長理事制度、教授会の審議権、全学合意をないがしろにするもので許されないと批判した。
(3)同じ時、安倍首相の「集団的自衛権」を巡る暴挙について、平和ミュージアムの安斎育郎名誉館長とモンテ・カセム館長が声明を発表するにあたって「川口清史総長にも連名に名前を連ねることを申し入れたが断られた」との情報が入った。そこで私は「川口清史総長に対して3名連名の声明にすべく、申し入れが行われたが彼は拒否した。立命館の恥だけではなく立命館の在り方を根底から破壊して行く第一歩にならない様に、立命館を構成する良識ある人々は立ち向かう必要がある」との記述を掲載した・
これに対して8月9日、平和ミュージアムから私宛に以下の主旨のメールが届いた。
「平和ミュージアムとして、共同声明の内容について川口清史総長とやり取りし、内容について了承をしていただいたが『総長にも連名してもいただきたい』との申し入れを行ったという事実は無い。従って断られたこともない。何を根拠に書かれたのか説明をいただき、しかるべき対応をお願いしたい」
結論を先に書けば、私は、上記の記述に関わる情報の裏付けを確かめなかった。それは明らかに事実誤認に基づく記述であり、この件で、ご迷惑をおかけした川口清史総長ならびに平和ミュージア関係者の皆さんにおわびする。
(1) 思い込みにより情報の裏づけを取らなかった初歩的な誤りでご迷惑をおかけしたことについて、おわびする
1)該当する記述に関しては、学内の関係者から私に情報提供があった。通常私は、一つの情報に関しては必ず他からも裏づけを取ってから記述してきた。しかし今回の場合、この間の川口清史総長の非民主的大学運営の積み重ねの上に、さらに以下の2)3)の事情もあって「さもありなん」と思い、裏づけ調査を行わなかった
2)川口清史総長が昨年のインドに続いて、安倍首相のオーストラリア訪問に大学人として唯一人同行し、安倍首相の意向も受けて行動していた。
3)7月28日に開催された組合と理事会の業務協議会の席上において、組合側から川口清史総長に対して安倍首相の「集団的自衛権論」等に対して総長としてのメッセージの配信について、求められたが、川口清史総長は首を縦に振らず批判と失望を受けていた。
そうした事情もあり、「申し入れに対して断ったらしい」との情報に関して「さもありなん」との思い込みがあり、裏付けを取ってから記述すると言う慎重さに欠ける点があった。
4)それでも私は、いつものように文章の草稿を、学内事情に精通している複数の人に事実誤認が無いか、書きすぎてはいないかの確認をしてもらう作業を依頼した。しかしANUや東明学園関連記述については、いくつかの補正意見が届けられたが、該当する平和ミュージアムと関わる記述に関しては、何れの人からもクレームも「事実確認を取ること」についての指摘が無かった。
それは点検依頼者たちにとって、一つには、「声明」作成にあたって、平和ミュージアムと川口清史総長との間でやり取りが行われていたこと自体が知られていず、「申し入れ云々」について、知る由も判断するすべもなかったこと。もう一つは私が点検を依頼した人々自身が川口清史総長の最近の言動から「そういうこともあるだろうと」との思いでいたからである。
4)それにしても当事者であった平和ミュージアムの関係者に確かめるべきであった。そうしておれば今回の事実誤認の記述にはならなかった。ジャーナリストして最低限の取材ルールを軽視した初歩的な誤りであった。
この件に関しては事実に基づかない記述を行い、ご迷惑をおかけした川口清史総長ならび平和ミュージアム関係者の皆さんにお詫びする。
(2)「立命館憲章」を定めている立命館学園の総長・学長として川口清史総長は我が国の平和と民主主義を根底から脅かす安倍政権の集団的自衛権論について、全学に依拠して適切な対応をすべきであることを再度提起する。
今回、当事者である平和ミュージアムから「川口清史総長に対して3名連名の申し入れは行っていず、したがって拒否もなかった」との事実が明らかにされた。それを受けて私は事実誤認に基づく誤った記述を記したことについて、川口清史総長と安斎郁郎名誉館長・モンテ・カセム館長をはじめとするミュージアム関係者に対してお詫びする。
その上で、立命館の総長である川口清史氏が、安倍首相の「集団的自衛権論」に対して、いまだになんらの主体的な対応を明確にしていないことも事実であり重要であると考える。
この点について今日の情勢と大学、大学人の責務について触れたい。
とりわけ「立命館憲章」を定めている立命館学園の総長・学長として、川口清史総長の対応について記述しておきたい。
戦後の日本では自衛権論について多少の意見の相違があったものの、左右の違いを超えて日本が攻められた場合には反撃する権利があると言う「専守防衛論」では大きな論争もなくやってきた。
ところが安倍首相は「日本に密接な関係のあるアメリカ等の同盟国が武力攻撃を受け、それが日本の安全保障を脅かすものであると政府が判断した場合、必要最小限度において攻撃した相手に反撃できるとする集団的自衛権論は、憲法上許される」との大転換を国民的議論に基づいて憲法を改定するのではなく、政府見解で行えるとの暴挙を行ったのである。
だからこそ歴代の自民党幹事長も、様々なニュアンスで「一内閣の見解として行うことは許されない」との見解を表明しているのである。
第二次世界大戦の痛苦の体験から教学理念を「平和と民主主義」と定めた立命館大学の総長が、この歴史的暴挙に対して、主体的に何の対応も示さないことは異常である。今からでも遅くない、川口清史総長は全学が見える、何らかの具体的対応を提起するべきである。
8月8日、オバマ大統領はイラクへの空爆を承認した「同盟国」であるイギリス、フランスは賛意を表明した。これに対して「集団的自衛権は合憲」とした安倍首相はどうするのか、川口清史総長はどういう対応行うのか。厳しく問われている。
歴史の岐路に立った時、大学人は如何に行動すべきかの歴史の教訓に立って
大学は真理探究の府として国民世論の形成に大きな責務を負っている。長田総長以前の末川先生に始まる大南総長までの戦後歴代の立命館総長は、平和と民主主義が重大な岐路に立った時、その擁護ための各種の意見表明等を行われ行動されてきた。
私はNO37で戦前において立命館が政府・権力に迎合した結果、何がもたらせられたのかを歴史の事実に基づいて深く考えて行動する必要があると川口清史総長を批判した。
立命館の建学の精神は「自由と清新」教学理念は「平和と民主主義」と言われてきた。しかし、それを文章としてまとめたものは無かった。私が立命館の総長理事長室室長の時代の常任理事会において、それをきちんと学園憲章として文章にまとめ学園の構成員の規範とすることが確認され、立命館学園憲章が作成された。当時政策科学部長であった川口清史現総長もこの作成過程に参加し、確定した「立命館学園憲章」に賛意を表明していた。今ほど「立命館学園憲章」の精神が堅持され生かさなければならない時は無い。
大学人は真理探究の府に居る者として、また次代を担う若者に対する教育に責任を負う者ものとして、平和と民主主義擁護の世論形成に責任がある。
もちろん総長として社会的に発言することは重い事である。学内においても様々な意見の相違がある。したがつて集団的自衛権論についても、一定の学内合意も無いままに総長声明を出すことについて慎重に扱うべきことは理解している。しかし、そのことと何もしない事とは別である。元法制局長官や歴代の自民党幹事長が「このような重大なことを一内閣の閣議解釈変更で行うものではない」との法手続き論での意見表明が行われている。次期京大総長に選ばれた山崎寿一氏(ゴリラ研究の第一人者)は「ゴリラは勝ち負けをつくらない。勝ち負けを決めないと平和が訪れないと思っている政治家がいる。ゴリラに学べば、戦争をしない国を作れますよ」と自らの専門学問を生かして学者らしい批判を展開しておられる。
学問の府としての大学として、教職員組合との業協の場や全学協代表者会議を通じて、広く構成員に検討・学習の場を提起するなど、総長としてのイニシアチブの発揮の仕方はいくらでもある。
平和ミュージアムは立命館の教学理念を体現した物である。平和と民主主義とかかわつて重要な問題について、講演会を開催したり、特別展を開催したりして教育的に世論形成に役立つように企画・行動することは設立の趣旨から当然であり社会的にも期待されている。また平和と民主主義にとって重要に課題について名誉館長・館長声明などで学園ならびに社会的に世論形成のための取り組が行われてきた。
要は、国民の世論形成、次代を担う若者の教育に責任を負う大学として、多様な意見の集合体として、理事会、教授会、平和ミュージアム、教職員組合、学友会、院生協議会など様々な機関や組織が重層的に、それぞれの役割・性格に応じて、その意見の成熟に応じて発言・行動を行い、社会と向き合っていくことであろう。
繰り返しになるが、そうした成熟した対応への配慮と、川口清史総長が主体的に何らかの見識ある対応を示さないこととは別の事である。
集団的自衛権論とかかわつてマスコミや自民党の幹部からは「紛争地での戦死もありうる」「戦死するのだからに補充する徴兵制も検討の対象となる」等の発言や記述も飛び出している。
「教え子を再び戦場に送らない」は戦後の日本の教育界の決意であつたし、「再びペンを銃に変えない」は学生の決意であった、それは国際平和ミュージアムに設置されている「わだつみ像に」に象徴されている。
事実誤認の記述への謝罪とあわせて、川口清史総長は立命館総長として見識ある対応を示すことが望まれていることを記して、本文章を終わる。
以上