スズキ ゲンさんのブログ

立命館の再生を願って

NO92 立命館の財政問題とガバナンス

2022-02-18 12:47:14 | 立命館の再生を願って

NO92 立命館の常任理事ならびに関係各位へ

日大体制に似た選出基盤のない森島朋三理事長による財政悪化、

どのように責任を取るのか、ガバナンスともかかわって

          2022年1月19日 ジャーナリスト・元立命館総長理事長室長 鈴木元

はじめに

 グローバリゼーションの進展、引き続くコロナ渦、18歳人口の大幅減など、大学を巡る状況は激変しており、その下で立命館はどのように進んでいくのかという根源的な問いがなされている。つまり立命館の長期計画であるR2030にむけて全学構成員の英知を結集し自発的努力の発揮が求められている。その重要な基礎をなすのが財政である。ところが森島朋三氏が専務理事・理事長に就任して以降、立命館の財政は悪化し、長期的な改革を進めるにあたっては心もとない状況にある。昨日・今日の事ではなく、この10年を単位とした財政状況を直視し、その要因と責任の明確化と今後の方策を検討する必要がある。

 目次 

第一部 財政力低下の10年

(1)2020年度経常収支差額がほぼゼロになった

(2)なぜ、このような事態になったのであろうか

(3)この間の財政事情の重大な変化は金融資産と運用収入の増大である。

第二部 日大体制に似た選出基盤のない森島朋三理事長と私学法改定

(1)ところで森島朋三氏はどうして理事長になっているのであろうか

(2)「急浮上」してきた私学法改定問題

第一部 財政力低下の10年

 昨年の秋(9月と11月)、立命館教職員組合と学校法人立命館財務部との間で財政問題の懇談会(勉強会)が2回開催された。その内容は組合ニュース「ゆにおん No49」(以下、「組合文書」)に掲載されている。その要約抜粋を以下に記す。

(1)2020年度経常収支差額がほぼゼロになった

①2020年度決算では「教育活動による資金収支」の黒字だけでは減価償却費を賄うことができず、利子配当金収支の黒字によって辛くも賄うことができた。これが2020年度経常収支差額がほぼゼロになった基本構造である。

②R2020期間中、巨額有形固定資産投資が有効に収入を生み出していない。言い換えれば、その採算性が着実に悪化している。また新キャンパス・新学科・新プログラム等で教員数を増やしたにもかかわらず、それに見合った児童・生徒・学生数の確保・増大ができなかった。つまり、教職員数からみても採算性が着実に悪化している。

③以上のようにR2020を通じた教学条件整備により、本業である教育活動収支差額は年々逓減してきて、2015年度以降は、経常収支差額の過半を教育活動以外の収支差額が占める、安定性を欠いた収支構造になり2020年度以降は、教育活動収差額はマイナスに転落し、かろうじて金融資産運用収益で減価償却費を賄う事態となっている。

(2)なぜ、このような事態になったのであろうか

1)「組合文書」では、上記と重複しているが、下記のように記している

原因1:R2020期間中の土地や建物に対する大型投資が有効に収入を生み出していない。

原因2:期間中、新キャンパス・新学部・新学科・新プログラム等で教員数を増やしたにもかかわらず、それに見合った児童・生徒・学生数の確保・増大が出来なかった。

 として、グラフと数字での説明をしている。しかし問題の本質をついたものとは言えない。

 経過をふりかえれば、なぜそのようなことになったかの答えは明瞭である。詳細は、拙著「立命館の再生を願って」(風涛社)を参照してください。

2)①2010年までの長期計画に茨木キャンパス(OIC)の開設は無かった。

 あったのは衣笠キャンパス狭隘解消のために京都市内の山之内浄水場跡地(現・京都先端科学研究大学キャンパス)などの購入であった。ところが森島専務(同時)、志方財務部付け管財部長(当時)によって長田豊臣理事長(当時)を巻き込み「地盤整備に期間がかかりすぎる」との口実で山之内購入交渉は打ち切られた。そして突然、サッポロビール大阪茨木工場跡地を200億円で購入することを、5学部長の反対を押し切って学外理事の数の力を借りて強引に多数決で押し切った。

②それまで計画になかった経営学部・政策科学部の茨木移転を220億円(竹中工務店)かけて行い。また文学部の心理学科と産業社会学部の心理系を統合し総合心理学部として茨木に開設した(建設費は上記220億円に含まれているが、独自の備品などを含めた設置経費がいくらであったかは明らかにされていないので不明)。また同じ時期に立命館中・高等学校の長岡京移転に当たって、それまでの財政方針(独立採算制)を逸脱し、その建築費110億円(鹿島建設)を法人負担(=大学負担)とした。しかもそれを理事会決議にかけず長田理事長の決済で行っていた(2019年3月末の理事会において森島専務は年度末の沢山の議決事項の中に理事長の決裁権限を「1億円以上 」とおよそ経理規定と言えない改悪をしていた)。

 これで立命館が次の長期計画のために貯めていた資金は使い果たした。当時、長田理事長は森島専務に対して「結局、私たちのやったことは川本八郎前理事長が貯めたお金を使い果たしただけやなあ、まあそのころには私はいないが」と無責任かつ本質をついた発言を行っていた。なお川本八郎元理事長はBKC開設、APU開設にあたってその建設費等で300億円を超える寄付を集めていたし、APUでの留学生奨学金資金として財界などから22億円の寄付を集めていた。しかし長田・森島理事長はまともな額の寄付は集めず、上記したように川本氏が集め蓄えた資金を使っただけであった。ただ川本氏は財界人から寄付を集める過程で財界人的発想を強く持つようになり、後期するように晩節を汚すことになった。

③この当時、長田理事長は那須に別荘を購入し(常任理事会で認める発言を行った)、「森島専務はゼネコンとゴルフに出掛けている」「志方部長は祇園に繰り出している」との噂が学内で広がっていた。またこの時期、長田理事長・森島理事長も共に不倫問題で離婚訴訟となり、離婚を前に妻に住宅を譲り、慰謝料の支払いを余儀なくされた。立命館の理事長が二代連続不倫を原因として離婚訴訟で慰謝料を払わざるを得なくなったことは立命館の恥である。

3)ところで新学部などのために教員数は増えたが学生数等は増えず、採算性が悪化したとは何であろうか。これも答えは明確である。18歳人口減の下で文部科学省は大都市部の大規模大学にたいして新学部や新学科の新設を認める際、大学としての総定員の増加は認めず振替を指導してきた。したがってこの間、総合心理学部を含めてさまざまな新学部、新学科を創設してきたが立命館大学全体の総定員は増やすことが出来なかった。しかも元々茨木への移転を考えていなかった学部・学科の教授会に移転同意を得るために「教学改善」としての教員数増員を認めてきた。つまり餌をまくことによって移転を進めた。そのため教員の間では「あの学部は移転によって教員数が増え改善された。うちの学部も」という学部・学科のエゴを広げ全学的見地で団結して改革を進めるという立命館のよい気風を失って行った。なお「組合文書」に記載されているように教員数は増やしたが職員数は増やされなかった。その上に森島理事長が茨木購入時点から語っていたこととして「OICは1万人の規模にしなければ赤字キャンパスになる」との言動と符号する、映像学部と情報理工学部を統合し茨木に持って行くためにさらに110億円を投入しようとしている。吉田美喜夫総長の下で副総長を務めていた仲谷義雄(元情報理工学部長)に映像と情報の連携話で吉田氏に対抗する総長候補話を持ち込んだことは、今では多くの学内関係者の共通認識となっている。

4)こうして森島理事長の学園運営で今や明瞭になったことは、①理念なき財政(学園)運営、②学内構成員の合意形成手続きを無視した非民主的運営、③竹中工務店などゼネコン言いなりの建設④森島理事長による教学部門も金で支配するという特徴が顕著になったことである。京都が発祥の地である立命館が大阪茨木に大規模なキャンパスを開設する社会的インパクトのある理由が示されなかったし、今もされていない。隣の同志社大学は田辺にあった文系学部を総て京都キャンパスに戻し学術文化の町京都にある大学として存在感を打ち出した。立命館はなんの教学的・財政的見通しもなくサッポロビールと竹中工務店に乗せられて茨木を購入した誤りが、次第に学園の桎梏となってきている。こうして森島理事長、志方専務によって、立命館大学は教育・研究の高度化を進める為の蓄えを使い果たし、経常収支を困難に陥れられた。両名の責任は重大である。

5)ところで大学の教学的営みのによる重要な収入源は受験料収入である。受験者数はその大学の教学的営の努力に対する社会的賛同のバロメーターでもある。かつて立命館は10万人を超える受験者が8年間続き、日本一の受験者数を集めていた。それが結果として受験料収入として重要な財源となっていた。ところが長田理事長・森島理事長時代になって社会的に醜聞が次々と報道され、受験者数は急激に減り、今では日本一どころか近畿大学や関西大学の後を行くようになってしまった。総長や理事長の談話・声明、そして広報物において立命館の「建学の精神」である「自由と清新」、教学理念である「平和と民主主義」それらを統合し今日的にまとめた「立命館憲章」は語られず、電通風の意味のないキャッチコピーがまかり通るようになった。そのため受験生や保護者、進路指導の教員から「何を教育目標とした大学で、どのような学生を育てるのかが不明確」として受験者を減らしてきた。もう一度、建学の精神、教学理念、立命館憲章に立ち返って、大学の社会的打ち出しを明確にする必要があるだろう。

(3)この間の財政事情の重大な変化は金融資産と運用収入の増大である。

1)金融資産の利息収入によってかろうじて経常収支トントンになっている。教育・研究機関である大学は、何よりも教学による収入(学費・私学助成・科研費・受験料等)によつて収支を賄わなければならない。しかし先に観てきたように立命館は教学による収入によっては、収支が賄えないという厳しい財政状況となっている。その穴埋めを金融資産の利息収入によって賄うという財政構造になってきた。これが森島朋三理事長が言うところの「学費に依存しない経営モデル」なのでだろうか。

2)この間、立命館では建物・設備などの有形固定資産の比率が下がり、これが有価証券に置き換えられ2020年度で1161億円(総資産の30.4%)にも昇っている。2017年度から2019年度の3年間では毎年100億円を超える金融投資が行われてきた。2020年度の学納金は534億円である。つまり毎年学納金収入の2割にも相当する金額が金融商品に投資されてきたのである。極めて異常で危険な財政運営が行われてきたのである。1161億円の金融資産は5%下がっても58億円の損失になる。

3)以前と異なったこのような財政運営はきちんと理事会や評議員会に報告され審議されてきたのであろうか。2007年2008年にリーマンショックにより世界的不況が起こった時、当時すでに資産運用を大規模に行っていた慶応大学など関東の多くの大学が大きな損失を生んだことは記憶に新しい事である。慶応大学は、元証券会社の役員を財務担当常務として迎え「効率的投資で大きな収益をあげている」ともてはやされていたが、リーマンショックで「約400億円の損失を出した」とマスコミで推定報道され(慶応大学自身によっては公表されなかった)解任に至った

 しかし立命館の理事会・評議員会において、これらの教訓を踏まえた論議の上で金融資産化とその運用に舵を切ったという形跡は無い。どのような政策提起があり、討議した結果を明らかにする必要があるだろう。私は資産運用に反対ではない。問題は大学財政が直接金融資産運用に依存するやり方は危険であると指摘しているのである。

4)アメリカの大手大学の多くはいずれも大規模な資産運用を行っている。その場合、日本の大学のように大学が直接投資する場合もあるが、多くの場合、大学法人と別の運用組織を作り運用している。そして大学として財政戦略を立て、運用目的を明確にし、独自の運用体制を作っている。その投資結果がどうであったかの報告を行い運用責任を明確にしている。また当然であるが運用資金は社会的に資産運用への目的を明確にした寄付として集めている。立命館においてはこうした制度整備を行われていず、「運用家」なる個人や会社に任されている。また理事会の共通認識・責任の明確化も行わていない極めてずさんで危険なやり方で行われている。なお明確にさせておかなければならない事は、立命館の資産運用の原資はどこから出ているかである。常識的には学費収入しか考えられないが、ここ5年間で言えば教学収入収支が赤字になってきているのであるから、常識的に言ってそこから毎年100億円もの金融資産原資を確保できるわけがないと推察されるが、少なくとも分かる説明はされていない。理事会や評議員会等で説明が求められる。

5)学費政策。私立大学の最大の収入源は、今のところ学費である。同時に学費は普通の勤労者家庭にとっては本人並びに保護者にとって極めて大きな負担である。学費を納めて大学を卒業出来るかどうかは学生の一生のあり方を左右する問題である。そのため学費の在り方は、戦後の立命館において学生の自治組織である自治会・学友会と大学執行部の最大の論争点となってきた。2019年以降の学費をどうするかをめぐって2018年に全学協議会が開催された。そこでは大学執行部のほうから学費値上げが提起された。その理由として①文部科学省による定員厳格化による収入減②政府による「働き方改革提起への対応」の資金確保③教学改革の「協創施策」対応のためと次々出されたが、いずれも学友会、院生協議会、教職員組合に対して説得力に欠けるものであった。そうしたことあり6月25日、常任理事会にたいして経済学部・経営学部・法学部・産業社会学部・国際関係学部の五学部執行部が「理事として学生に説明するには十分な時間的余裕が無いことを踏まえ学費額を据え置くこと」との意見表明を行った。これを受けて6月27日理工学部執行部と生命科学部執行部も五学部執行部意見に賛同した。こうして7学部長のからの意見表明を受けても、6月27日の常任理事会では2019年度の学費は現行通り、2020の学費は2019年度の全学協議会を開催し協議するとされた。しかし2019年の全学協議会においても先の三つの理由が挙げられ値上げが実行された。コロナ禍による保護者の収入減、学生のアルバイト縮小を考えれば保護者・学生の負担はより厳しいもと考えられ、大学の在り方が根本的に問われることになった。

第二部 日大体制に似た選出基盤のない森島朋三理事長と私学法の改正

1)ところで森島朋三氏はどうして理事長になっているのであろうか

 森島朋三氏は、どこに選出の基盤(母体)があるのであろうか。彼は職員出身であるから評議員選挙に当たって職員区で評議員に選ばれ、評議員会において職員評議員の代表として理事に選らばれ、そして理事会において理事長に選ばれるのが通常の選出され方である。しかし職員に不人気な彼が職員評議員職員区で評議員に選ばれる可能性は無いし、実際選出されていない。むしろ逆で彼の対抗馬となりうる人物の評議員当選を邪魔し大きな問題になったことがある。

 彼は総長推薦枠で長田豊臣総長、続いて川口清史長の推薦で理事に就任した。そして学外理事の推薦で理事長候補となり学外の理事の数の力で理事長に就任した。それ以降、川本理事長推薦で理事に就任していた人を暫時全員解任し自分が推薦する理事に入れ替えた。専務理事の時に川口清史総長とタッグを組み、長田理事長に川本氏を相談役から解任し何の権限もない顧問にした。続いて川口前総長、長田前理事長も顧問にして「独裁体制」を確立した。ここには川本八郎元理事長が森島氏を慰労金等支払い等で自分の忠実な部下と思って使ってきたので「森島であれば院政を引ける」と思った判断ミスがあった。しかし一旦権力を握った森島氏は川本、長田、川口を排除し独裁体制を引くことになった。こうしたことができる現在の私学法とそれに基づく立命館の寄付行為に問題があることは明であり、私はその抜本的改革を提起してきた(「立命館の再生を願って」(風涛社)を参照してください)。

2)「急浮上」してきた私学法改定問題

 立命館のみならず近年多くの私立大学、最近では日本大学で脱税や収賄などの様々な社会的犯罪行為が行われ社会から厳しい批判を受けてきた。犯罪を行なったのは個人であるが、それが行えた私学運営の問題点が社会的に明るみになってきていた。そうしたこともあり文部科学省の下に「学校法人ガバナンス改革会議」が設置され昨年末(12月3日)に報告書が提出された。そこでは執行機関としての理事会を縛るために評議員会を諮問機関ではなく最高決議機関として位置づけるとともに、評議員会を構成する評議員全員を学外者とする案が報告された。理事の選出機関を明確にすることや議事にたいして実質的な審議ができるようにするなどの改革は当然のことである。しかし評議員全員を学外者にするなどの実態に即さないやり方は間違いである。これは実質的に財界による私立大学乗っ取りの改悪である。

 2004年に国立大学が独立行政法人化された。それまで国立大学は国の一機関であったが、独立行政法人化されたことによって各大学毎に理事会が作られたが、その半数を学外者とされた。その結果、大学の基本的なあり方・運営において財界人の意向が強く反映されるようになった。また理事会の下に学長選考委員会がつくられ、それまでの教員・職員による学長選挙が形骸化され、学内の意向が無視さる事態が多くの大学で生じた。今回の「学校法人ガバナンス改革会議」の報告は、それに輪をかけた改悪である。

 森島朋三理事長などは。これが法制化されれば理事長どころか理事にも評議員にも成れない事を恐れ、政界などへの働きかけで回っているようである。しかしこれは彼の地位をいかにして守るかの問題ではなく、私立大学のあり方を決する問題であり全学構成員に依拠して社会的支持を受けて撤廃を求める取り組みを進めるべき問題である。しかし未だに総長・理事長声明を含めて立命館としての意見を社会的に見える形で表明されていない。教職員組合は日本および京滋私大教連などとともに先頭に立って事態打開の取り組みを進めるべきであろう。同時に大切なことは森島朋三理事長を先頭とする学園指導部のこの間の異常な学園運営に鋭くメスを入れ、真に教学をさえる財政運営を行えるように、学園体制の改革・改善を含む取り組みを社会的に目に見える形で行わなければ社会の支持を得られないだろう。

鈴木元。

経歴、立命館大学一部経済学部卒業、立命館総長理事長室室長、初芝学園副理事長、中国(上海)同済大学アジア太平洋研究センター顧問教授、国際協力銀行中国内陸部人材育成事業アドバイザリー、私立大学連盟アドミニストレーター研修アドバイザー等を歴任。

現在、国際環境整備機構理事長、京都高齢者大学校幹事会副代表、ベトナム枯葉剤被害者支援日本委員会事務局長、日本ペンクラブ会員、日本ジャーナリスト会議会員、かもがわ出版顧問など。

主な著書『立命館の再生を願って』『続・立命館の再生を願って』(いずれも風涛社)、『像とともに未来を守れ 天皇・立命館・学生運動』(かもがわ出版)、『もう一つの大学紛争』(かもがわ出版)、『異文化理解・協力の旅』(文理閣)、『京都市における同和行政批判』(部落問題研究所)『コロナ後の世界』(かもがわ出版)など多数。

 


立命館、大阪地裁で10億円を超える「損失」、直接の責任者である森島理事長、志方専務の責任を明確にしなければならない。

2021-05-04 07:15:07 | 立命館の再生を願って

No91 立命館常任理事ならびに関係各位へ

    2021年5月4日 元立命館総長理事長室室長・ジャーナリスト 鈴木元

立命館、大阪地裁で10億円越える「損失」と裁判費用の19/20(95%)の負担求められる判決!

 大阪成蹊学園を相手取った「損害賠償」訴訟、直接の責任者である森島朋三理事長・志方弘樹専務は責任を明確にしなければならない。 

 

※本文書は立命館問題専用のブログ、インターネットで スズキ ゲンさんのブログ と検索すれば出てきます。毎週約1000件のアクセスがあります。

※本論稿に関しては、このシリーズのNo62.63.64で裁判に至る経緯を書いています。また拙著「続・立命館の再生を願って」(風涛社)も参考にしてください。

 はじめに

 学校法人立命館は2016年(平成28年)7月14日、大阪地裁にたいして大阪成蹊学園を相手どって長岡京キャンパスの土壌汚染問題とかかわって損害賠償を求める裁判を起こした(裁判事件番号 平成28(ワ)4898)。すなわち立命館中高等学校の校地として大阪成蹊学園所有の長岡京の土地を購入したが、そこにヒ素などの有害物質があったとして、その調査費用、除染費用等を損害賠償として11億2803万5950円を支払えとするものであった。およそ5年にわたって裁判は続けられた。私は何回も裁判所に出かけその進捗を確かめに行ったが、立命館は小さな追加資料を時間をおいて何回にも渡って提出してきた。裁判を引き延ばして学内関係者が事件を忘れてしまうのを待っているのではないかと思われるようなやり方であった。

 しかし2021年(令和3年)1月14日、大阪地裁は判決として①大阪成蹊学園にたいして、立命館が求めた11億2803万5950円の賠償請求にたいして、その5%にも満たない5589万3581円を汚染調査費用の負担として支払いを命じたものの、②立命館が求めていた除染費用等の10億円を越える支払いは必要がないとしたうえで、③両者の裁判費用の合計の19/20(95%)を立命館に支払うように求めた。判決の5日後の1月19日、立命館ならびに大阪成蹊学園は共に控訴した(大阪高裁民事第二部 裁判事件番号 令和3(ネ)335)。

(1)事の発端から問題・疑惑だらけの長岡京移転問題

 立命館中高等学校は京都市伏見区深草にあったが、予てから①キャンパスが狭隘であること②同じ京阪沿線の宇治市に立命館宇治中高等学校があったことから移転が課題となっていた。③京都市北区烏丸北大路に立命館小学校が2006年(平成18年)に開設され、小・中・高の接続教育の必要性が浮上した。立命館中高等学校の移転先としては、常識的に言って立命館小学校と、それほど遠くないところや京都市営地下鉄沿線など交通の接続が便利なところが想定された。しかし2009年秋に森島朋三専務理事(当時)と志方弘樹財務部付け管財部長(当時)から移転構想が提起されたとき、予想に反しては、立命館小学校から遠く離れた阪急の長岡京駅近くにあった大阪成蹊学園造形学部の跡地を購入するとした。

 ところが以下の問題が浮上した。

①校舎建設費(110億円)は立命館中高等学校で多少の積み立てはしていたが足りない分をどうするか。立命館では各校は部門間融資制で運営していたので足りない分は法人(具体的には立命館大学)が貸付、計画的に返済する。他の付属校の建て替え・新規建設は総てそうしてきた。ところが森島専務・志方部長は小学校設置にともなう接続教育確立のための「例外措置」として110億円を法人が負担するとした。

②土地については図面を見た限り深草より狭く、野球の練習場はグランドの真ん中にあった。私は「深草より狭いではないか」と質問したところ志方部長から「深草は山の部分もあり有効面積ではこちらの方が広いです」「グランドの真ん中に野球の練習場があり、他の運動と関わって危険ではないか、後になって、別の場所に野球練習場を購入したり借り受けたりするのではないか」「そんなことはしません」と言う答弁であった。「ところで購入費はどうするのか」と質問したところ森島専務は「深草校舎の校地を近隣にある龍谷大学に35億円で購入してもらうことになっている」と説明して常任理事会・理事会を押し切った。しかし私は「森島専務のいつもの嘘ではないか」と思い、知り合いの龍谷大学の大学幹部に問い合わてたところ「今のところ、龍谷大学ではそのような話はなく、いかなる会議体にも提案されていない」ということであった。やはり森島専務のつくり話であった。改めてそのことを言ったが「購入は決定済み」ということで変更されなかった。結局ずっと後の2013年の秋に京都市立工業高校の合併に伴う新キャンパス用地としてとし21億円で売却された。しかし当初の龍谷大学への売却費35億円にたいして14億円の予算不足となった。なお長岡京の購入費は38億円であり、差し引き17億円の予算超過支出となった。

③茨木キャンパスの建設工事を竹中工務店に220億円で発注した時から、関西の建設業界では「長岡京キャンパスは鹿島建設に発注するらしい」との情報が流れていたので、私は森島専務に「イエスかノーか応える必要がある」と質問したが、彼は答えなかった。そして情報通り、鹿島建設に発注された。それどころか長岡京キャンパスの鹿島建設への110億円もの発注契約を理事会に図らず長田豊臣理事長の決済だけで実行していた。

 上記の事実が分かったのは茨木キャンパスの工事を竹中工務店に220億円で発注するにあたって理事会の議題にされていないことが話題となったのを契機に私が調べたことによる。すると2009年度(平成21年度)の最後の定例理事会(2010年3月)において、森島専務から年度末の膨大な議題の中に「極実務的なことです」と言って経理規定の一部改正をも繰り込ませていた。経理規定とは支出にあたつて総てを理事会議題とする訳にはいかないので課長であれば100万円以内、部長であれば500万円以内は現場で決済できる権限を付与するためのものである。この時、理事長の決済権限を「1億円以上 」としていた。決済権限を定める規定は「〇円以下」であって「〇円以上」はありえない。それを理事長の決裁権限を「1億円以上 」としていたのである。

 私は文部科学省に連絡し「これは経理規定と言えないし、220億円もの契約を理事会に図らず理事長の決済で行うのは間違いである。ただちに指導され是正されたい」と伝えた。結果理事会開催の直前の午前中に議題にされた。この経過の中で、それより前の長岡キャンパスの鹿島建設への110億円に及ぶ発注が理事会に図られず長田理事長の決済で行われていたことが判明したのである。なお私の指摘にもかかわらず、この理事長の決済権限を「1億円以上 」とする経理規定は改定されていない。法令遵守の立場から速やかに改定しなければならない。

④建設予定地に有害物質が出た場合は、購入後1年以内であれば売却側である大阪成蹊学園の責任で調査し、結果に基づき除染などの措置を大阪成蹊学園の負担で行うという契約が交わされていた。にも拘らず鹿島建設が整地工事を開始した段階で「ヒ素などの有害物質が出た」としたが、立命館は大阪成蹊学園に調査・除染を求めず、鹿島建設に調査を行わせさらに除染工事を契約し実施させた。

 立命館が大阪成蹊学園から土地を購入契約したのが2010年(平成22年)3月末、引き渡しが行われたのが2012年(平成24年)9月、その後工事が行われ立命館中高等学校が長岡京キャンパスで開校したのが2014年9月。ところが、そこからさらに2年経った2016年(平成28年)7月になってから立命館は大阪成蹊学園を相手取って「汚染調査費用、除染費用等で11億2803万5950円を支払え」と裁判に訴えた。しかしその間に以下のような動きがあった。

 2010年(平成22年)4月30日、大阪成蹊学園が調査を依頼した大日本土木とパナソニック環境は「土壌汚染法で規定されているような汚染物質は見つかっていない」との報告書を提出した。それを受けた立命館側は所轄の乙訓保健所に相談に行った。保健所は「今まで該当地域において、汚染物質があるとの報告は無かった」とした。それに対して立命側は「絶対ないと言えるのか」と質問したところ、保健所は「二つの会社の調査報告によって見つからなかったということであり、絶対にないとは言えない」と答弁するとともに「いまのところ地下水の汚染も見つかっていない。心配であれば調査をされ、見つかれば除去されてはどうですか」とされた。しかし立命館側はその時点で調査は行わなかった。またそれ以前に大阪成蹊学園は元の所有者である日本フィルコン(それ以前は農地)に工場の事業と廃棄物について調査を依頼をした。その報告書(2009年、平成23年2月1日付)では製紙用金網の組み立て工場として使用しており、金属粉などは出していない。したがつて金属加工に伴う化学薬品などは使用していないので、土壌汚染法に定める有害物質などは排出していない。当然そのような物質の廃棄・保管場所も設けていなかった。とする報告書を提出し、立命館にも届けられた。以上の事から立命館は、大阪成蹊学園に対して特約事項で記載されていたような新たな調査や、ましてや除染を求めなかった。

 2012年(平成24年)3月29日、大阪成蹊学園から立命館に土地・建物が引き渡され移転登記が完了した。ところが同平成24年、立命館から工事を請け負った鹿島建設が新校舎建設のために、グランドなどの土地を削り土壌を調べた(平成24年5月2日―12日)ところ、ヒ素などの有害物質が出てきたと報告した。ただし、特定の場所から大量に出てきたものではなく全域から微量に出て来たので、京都西山山系独特の自然由来に基づくものと考えられた。平成24年8月時点でのマスコミ報道においても、立命館側の広報コメントに基づいて「自然由来に基づくものと考えられる」と報道している。したがって立命館として大阪成蹊学園にたいして土壌汚染法に基づいた調査、さらに除染を求める根拠がなかったのである。ところが立命館は「教育機関の責任として、総ての表土を取り除き入れ替える」とホームぺ―ジに掲載した(その後、消された)。このように大見えを切ったにもかかわらず、除染工事は29区画の内、5区画については、のり面などで工事しにくいという理由で土の入れ替えは行われなかった。しかしながら、立命館は購入後4年も経ってから大阪成蹊学園を相手にして自らが行った除染費用を求める裁判を起こしたのである。

 裁判において大阪成蹊学園は購入時を含めて過去の土地履歴と上記の土壌汚染法に基づく調査証明を提出し「見つかったヒ素は自然由来の微量であり、人体に被害をもたらす程のものでは無かった。鹿島建設・立命館側が深く表土を取り除き、入れ替える必要はなかった」と論証した。判決は調査費用5589万6581円だけを大阪成蹊学園に求めたが10億円を超える除染費用等は求めなかった。そして「両者の裁判費用合計の19/20(95%)を立命館が支払え」と立命館にとっては完全敗訴に近いものだった。

 解明すべき二つの問題

 1)森島理事長と志方専務は、なぜ契約どおりに1年以内に立命館の負担ゼロの大阪成蹊学園に調査と除染を求めず、鹿島建設に11億2800円支払って調査と除染をさせたのか

 先に記したように契約では購入後1年以内に有害物質が見つかった場合は、売却側の大阪成蹊学園の責任で調査しその結果必要であれば除染することを義務付けられていたのに立命館はそれを求めず、建設を契約していた鹿島建設に調査させ、その上、調査者である鹿島建設に除染工事をさせ、その費用として土地購入費の1/3にも相当する11億2800万円を支払うなどの異常とも言うほどの出費を行ったのである。建設業界では最初の建設費用契約は世間並にしておき、あとから様々な理由で追加費用を求めるということがしばしば行われる。もしも本当に人体に危険を及ぼすような有害物質があれば、大阪成蹊学園に調査とそれに基づく対策を求めておれば立命館は1円の負担も必要でなかった。しかし立命館が鹿島建設に調査と除染を行わせたために立命館は11億2800万円もの追加出費が必要になったし、鹿島建設はその額を追加で受け取ったのである。大阪成蹊学園が工事をしていれば立命館の負担はゼロになりその結果、鹿島建設には1円の追加収入も入らなかった。ここに問題の本質があるようである。この当時、長田理事長は那須に別荘を確保していた。

2)なぜ契約から4年も経ってから裁判を起こしたのか。

 鹿島建設が「ヒ素が見つかった」と報告した時点で大阪成蹊学園に汚染調査と対策を求めていれば立命館の負担は無かった事は先に示したとおりである。それを土壌汚染法に基づく除染ではなく、立命館による任意の自主的な除染作業を行い11億2800万円も使った。これは異常である。それを立命館が大阪成蹊学園に損害賠償として求めても成り立つ話ではなく、常識的に言って敗訴は間違いなかったし実際そうなった。それではなぜしかも特約条項の1年以内を無視して契約から4年、開校からでも2年も経ってから裁判に訴えたのであろうか。「訴える」という形式を取らなければ森島理事長、志方専務の責任が浮上すると考えたからであろう。

 つまり土壌汚染法に基づく汚染など無いのに、実施する必要もない土の入れ替えに11億2800万円も使ったのである。これが森島理事長と志方専務が知ってやっていたなら、明白な背任行為であり懲戒解雇にとどまらず刑事責任が問われる。もしも鹿島建設の話に乗せられ慌てふためいて発注したのであれば、土壌分析ができる理工学部を有する大学の理事長としては、あまりにも警戒心がなく立命館に大きな損害を与えたのであるから業務上の過失であり、その責任が問われ、少なくとも理事長ならびに専務は解任である。そして両名は損害賠償責任を問われる性質の問題である。

 その責任をのがれ、皆が忘れてくれることを望み、大阪成蹊学園を相手に被害者を装い、弁護士費用をはじめと訴訟費用を無視して延々と損害賠償裁判を続けるという戦術に出たのであろう。あまりにも小賢しい。しかし実施する必要もなかった除染工事のために11億2800万円も使ったという事実は消えない。国民の税金によって成り立っている私学助成を受け取っている立命館のこのような財政支出の在り方は文部科学省や私学事業団からの指導は免れないだろう。いやそうした疑念の指摘があったので裁判に訴えざるを得なかったのかも知れない。

 森島理事長、志方専務そして理事会はこれらのことを全学の構成員、そして社会的に明らかにし責任を明確にする義務がある。

 大阪成蹊学園としては調査費用自体にも疑問を持ち、その支払いを求める判決に不服として控訴したものと推察される。この裁判は2016年の起訴の段階で常任理事会においてきちんと報告し審議されていない。また裁判の途中において進捗の報告、それどころか今回の裁判結果と控訴について全学構成員にまともに報告されていない。要するに森島理事長と志方専務の責任逃れと、学園関係者が忘れてしまう時間稼ぎをしているとしか考えられない。  

 これだけの損失と、それをごまかしてきた問題を、森島理事長などの報告に任せておくことはできないだろう。学校法人立命館は真相解明のために常任理事会の下に特別調査委員会を設置して調査し、その結果に基づいて厳格な措置をとる必要があるだろう。既存の「事業評価・検証システム検討部会」等でも、その報告を求める必要があるだろう。また文部科学省や私学事業団にも報告相談し指導を求める必要があるだろう。そのために教職員組合、学友会、教授会などは協力して、この問題を全学協議会などの議題に据え、常任理事会に土地登記の変遷、訴状ならびに答弁書、大日本土木ならパナソニッ環境そして日本フィルコンの報告書の提出を求める必要がある。

 鈴木元 経歴、立命館総長理事長室室長、初芝学園副理事長、中国(上海)同済大学アジア太平洋研究センター顧問教授、国際協力銀行中国内陸部人材育成事業アドバイザリー、私立大学連盟アドミニストレーター研修アドバイザー等を歴任。

 現在、国際環境整備機構理事長、京都高齢者大学校幹事会副代表、ベトナム枯葉剤被害者支援日本委員会事務局長、日本ペンクラブ会員、日本ジャーナリスト会議会員、かもがわ出版顧問など。

 主な著書、『立命館の再生を願って』『続・立命館の再生を願って』(いずれも風涛社)、『像とともに未来を守れ 天皇・立命館・学生運動』(かもがわ出版)、『もう一つの大学紛争』(かもがわ出版)、『異文化理解・協力の旅』(文理閣)、『京都市における同和行政批判』(問題研究所)『コロナ後の世界』(かもがわ出版)など多数。


No90 立命館の常任理事ならびに関係各位へ

2021-03-26 11:44:07 | 立命館の再生を願って

No90 立命館常任理事ならびに関係各位へ

  2021年3月26日 元立命館総長理事長室室長・ジャーナリスト 鈴木元

目次

(1)2021年度開講に向けて混乱を重ねる立命館、誰が教学に責任を負っているのか

(2)なんでも自分が長におさまりたがる森島朋三理事長、立命館西園寺塾の塾長に、立命

   館の学術性・品位が疑われる

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(1)2021年度開講に向けて混乱を重ねる立命館、誰が教学に責任を負っているのか

1)本シリーズのNo88、No89において卒業式(入学式)の問題を取り上げた。コロナの感染が終息していない下で、昨年の11月以来、教学委員会そして各学部・研究科において検討を重ね、今年の1月段階で各教授会において、学部単位で代表による卒業式を行いオンラインで配信する。卒業証書はゼミ単位などで担当教員から授与するという方向で決定されていた。にもかかわらず2月に入って突然「仲谷学長の意向」という形で、全員参加の対面方式で開催するという事にされた。このようなやり方は、感染拡大の危険とともに、その決め方に問題があると指摘した。つまり全学において教授会で決定していることを学長の意向で覆したという教授会自治を否定したことである。しかも、その理由を「コロナの感染拡大という特殊な下での例外的措置であり、立命館の慣行を無視するものではない」と、全く開き直りの見解で押し切ったことである。対面で行うことを決めていたものを、あまりにも早い感染の広がりを前に、常任理事会の開催ではまにあわず常務会においてオンラインで行うと決めたという話ではない。逆である。まだ危険であるからオンラインで行うということで決めていたのに対面で行うというなら、その根拠を示し教授会で議論して決めていくべきであった。ただ実際には大規模学部では学部全体が参加する卒業式ではなくコース別などで行われ仲谷総長の意向通りには行われなかった。

(2)ところが今、全学的に「卒業式・入学式は全員参加の対面で行う」と押し切っただけではなく、教学部長・副部長から各学部にたいして新学期の開講は出来る限り対面で行ってほしいとの「意向」が示され混乱を起こしている。コロナの感染が余談許されない状況であることは衆目の一致するところである。政府は18日、延長されていた関東4都道府県の緊急事態宣言を21日で解除した。しかし多くの専門家が指摘しているように下げ方が留まっている。しかも関東だけではなく先に緊急事態宣言を解除した関西においても増加傾向にあり、何時リバウンドが起こるかもしれないという危険が指摘されている。そして大阪府・兵庫県は飲食店に対して営業時間を引き続き3月31日月まで9時までとするように要請している。さらに変異型がイギリス型、南アフリカ型にとどまらずフィリッピン型も、日本において海外渡航していない人々から感染が広がるなど新たな事態が生じている。政府が「18日に関東の非常事態宣言を解除する方向だ」と発表した16日の夜から東京などの繁華街で若者たちが、解き放たれたようにあちこちで路上飲酒している様子を報じている。マスコミでは18日の菅首相の宣言解除の報道と併せてリバウンドの危険を示す報道であふれている。こうした状況の現時点において一律に総ての授業を対面で行うということは問題のある進め方である。私はNo88やNo89で記したように対面式授業に反対していない。ゼミなどでの討議による教育効果の向上、登校することによってクラブ活動をはじめとする学生同士の交流など大学本来の任務を果たすことができる。またオンライン授業が当初予測されていたより出席率が上がったり、教員への質問が活発化するなど効果が大きいことも実証された。これは3月22日付けの「読売新聞」の京都版においても示されており、実状を踏まえて柔軟に対応する必要がある。立命館大学のように総合大学として学部の規模や教室条件そして教学内容が異なる大学においては、各学部教授会の創意に任せれば良いことである。それを全学一律に対面授業の方針で臨めば混乱すること目に見えていた。結局のところ対面とオンラインの併用でいかざるを得ないだろう。

 ところで新学期からは授業は全面対面式で行うという方針はどこで決めたのか。少なくとも教学委員会からの問題提起に基づいて各教授会で決定したという状況ではない。先の卒業式(入学式)の変更と同様に学園に非民主的運営が強引に持ち込まれている。個々の教員が不満を述べるにとどまらず教授会として、このようなやり方を正す事が必要だろう。しかも不思議というか混乱というか常勤教員に対しては対面授業を求めておきながら、非常勤教員に対してはオンライン授業のやり方研修への参加を求めるなど異なる方針が提起されている。「一体どっちなのだ」との混乱が起こっている、誰が一体、立命館の教学運営に責任を持っているのか、鋭く問われている。

 常勤教員は対面式、非常勤講師はオンライン式が実行されたたらどうなるのだろうか。オンライン形式の場合、学生は自宅か下宿で受講する。対面式の場合は教室で受講する。1講時目がオンラインで2講時目が対面式、逆もある。そうすると実際には全学生が登校せざるを得ない。三密を避けてオンライン講義を受講できる教室・情報教室はあるのか。また授業待機・自習する場はあるのか、3月から教室の換気扇が増設されているが定員の1/2使用で収まる教室条件はあるのか、誰が教室割り振りをするのか。事務室がやらざるを得ないが、どの先生のどの授業が対面式でオンラインなのかを掌握して割り振りしなければならない。教学部長や副部長は、それらを具体的に考えて提起しているのか。私は現在、京都高齢者大学校・北近畿校の副校長や幹事会副代表も務めている。33講座約1000名弱の受講生の4月開校のために教室割り振りで苦労している。結局1/2定員の教室条件を確保するために学外の有料施設を多数確保している。立命館においても学内的に十分に安全に全面対面授業を行える教室条件は厳しいと思われる。だからこそ教学委員会や教授会で具体的検討を行わなければならないのである。それを教学部長や副部長などの特定の人間の判断だけて押し切ろうとするのは非民主的であるだけではなく危険であり、同時に、混乱に拍車をかけていくだけである

(3)先の卒業式(入学式)によせ、今回の4月開講の全面対面式授業方針にせよ、感染の危険性、そして教授会の意向を無視して、なぜそこまで乱暴に無理をするのかが多くの人の疑問である。3月13日、ヤフーニュースなどによると日本私立大学教職員組合連合(私大教連)は3月10日文部科学省に対して「緊急要求」を提出している。そこには4月からの開講にあたって一律的な対面授業誘導を止め、各大学の判断を尊重することを求めている。

 昨年(2020年)の年末以来、文部科学省が各大学にたいして「少なくとも対面授業を50%程度にはすること」を再三「要望」してきた。このことが各大学において無理で強引な対面卒業式(入学式)や対面授業実施の引き金になっているのではないかという認識に基づく「緊急要求」である。同時に学内の多数の人々が感染防止を優先すべきという認識にあることを知っている学長らは文部科学省の「要望」に応えるためには「教授会を基礎にした大学運営では文部科学省の期待に応えられないと考え、従来のルールを無視して事を進めているのではないか」というのが私大教連の認識のようである。

 ところで立命館ではどうなのか。文部科学省から「要望」「指示」が来るとすれば教学部(部長)宛てではない、学長(理事長)宛てである。立命館で言えば仲谷学長・森島理事長である。両名はまず文部科学省からどのような「要望」「指示」があったのか、そしてどのようなやり取りをしたのかを明らかにする義務がある。文書による「要望」「指示」が来たに留まらず、二人は文部科学省を訪ね立命館の立場(4月から開講は全面対面授業で行う)を表明してきたという情報が学内に流れている。本当なのか。いずれにしても仲谷総長ならびに森島理事長は全学に文部科学省との関係、それに基づいて行った判断を説明する義務があるだろう。そして現場においてこれだけの混乱を引き起こしているのであるから教学部長・副部長の「説明」に留められない。責任所在を含めて仲谷総長・森島理事長長両名の責任ある説明が求められている。

(2)なんでも自分が長におさまりたがる森島朋三理事長、立命館西園寺塾の塾長に、立命館の学術性・品位が疑われる

 私は立命館大学の卒業生で校友会会員である。登録して電子版校友会ニュースも送ってもらっている。先日、最新のニュースが配信されてきた。なんとなく開いて見たところ「立命館西園寺塾」の塾長に森島理事長が就任していて驚かされた。この人は、なんでも自分がトップの座につかなければおさまらない人であると同時に自分がやっていることが世間の立命館への評価がどうなるかは考えられない人であることを、改めてさらけ出した

 立命館西園寺塾は2014年に立命館東京オフィスをメイン会場に梅原猛氏など日本を代表する知識人が講師となり、将来の日本を背負って立つ志を持つ人々に年間120万円の学費、定員20名程度で開講した。なお西園寺公望とは摂関家出身で明治維新に参加し、首相を二度務め最後の元老となった人物で立命館大学の前進である私塾・立命館の創設者である。

 立命館西園寺塾の立ち上げは【塾長】安田 喜憲(立命館大学環太平洋文明研究センター長、国際日本文化研究センター名誉教授)【副塾長】渡辺公三(副総長、故人)【講師】としてはオーラルヒストリーを専門とする御厨貴(みくりやたかし)東京大学名誉教授や、薮中三十二氏(立命館大学国際関係学部特別招聘教授、元外務事務次官)、水野和夫氏(日本大学教授)、川勝平太氏(静岡県知事)、松井孝典氏(千葉工業大学惑星探査研究センター所長、東京大学名誉教授)、常盤文克氏(元花王株式会社会長)であった。

 いつから森島理事長が、立命館西園寺塾の塾長になったか私は知らないし調べる気もない。これは立命館大学ではなく学校法人立命館の社会教育活動ととして開始された。したがって制度的にはその塾長を必ずしも大学協議会などの教学機関に諮らなくても良い。しかし誰が見ても立命館大学がかかわった教育的営みと考えるだろう。その塾長を世間に評価されるような著作の一つもない森島理事長が務めるというのは立命館の学術性・品位が疑われる。私は在職中、中国やベトナム政府の要請で理事会にも諮り大学管理運営幹部研修を国際協力銀行の支援も受けて何回も開催した。その際、カリキュラムや講師の人選などについて中国政府やベトナム政府そして国際協力銀行と相談しながら行った。学校法人立命館の事業であったが代表は総長(前半は長田豊臣総長、後半は川口清史総長)、副代表は副総長に就任してもらい、開講式や修了式の挨拶や修了証書の授与を行ってもらっていた。それが大学である。森島理事長が立命館西園寺塾の塾長に就任(常識的に言って修了証書の署名も塾長である森島朋三)することに誰もいさめる者はいなかったのだろう。それが立命館の品位を下げていることに気が付かない悲しむべき事態が進行している。

 今回の卒業式・入学式、4月以降の開講にあり方についても文部科学省の「意向」・「指示」を忠実に実行することを仲谷総長に求めたのは森島理事長であろう。違うなら違うと両名は責任を持って説明する責任がある。

 鈴木元 経歴、立命館総長理事長室室長、初芝学園副理事長、中国(上海)同済大学アジア太平洋研究センター顧問教授、国際協力銀行中国内陸部人材育成事業アドバイザリー、私立大学連盟アドミニストレーター研修アドバイザー等を歴任。

 現在、国際環境整備機構理事長、京都高齢者大学校幹事会副代表、ベトナム枯葉剤被害者支援日本委員会事務局長、日本ペンクラブ会員、日本ジャーナリスト会議会員、かもがわ出版顧問など。

 主な著書、『立命館の再生を願って』『続・立命館の再生を願って』(いずれも風涛社)、『像とともに未来を守れ 天皇・立命館・学生運動』(かもがわ出版)、『もう一つの大学紛争』(かもがわ出版)、『異文化理解・協力の旅』(文理閣)、『京都市における同和行政批判』(問題研究所)『コロナ後の世界』(かもがわ出版)など多数。

 

 

 


No89 立命館の常任理事ならびに関係各位へ、ふたたび卒業式問題について、鈴木元

2021-02-23 09:12:19 | 立命館の再生を願って
No89 立命館常任理事ならびに関係各位へ
 対面卒業式実施の是非とともに、看過出来ない大学運営破壊の既成事実化、万全の感染対策は
   2021年2月23日 元立命館総長理事長室室長・ジャーナリスト 鈴木元
 この文章は立命館問題専用のブログ(インターネットで スズキ ゲンさんのブログ と検索すれば出てきます)は毎週平均約1000件のアクセスがあります。
 目次
  はじめに
  (1)看過できない大学運営破壊の既成事実化、学長(理事長)の意向を了承した常任理事会の責任      は重い。
  (2)本当に万全なコロナの感染対は確保されるのか
  (3)感染者が発生した場合、仲谷善雄学長、森島朋三理事長にとどまらず、社会的には学長提案
   を了承した常任理事会の責任も問われる。
はじめに
 卒業式は大学においては入学式、入学試験とともに全学的教学的に統一的に行われる重要な営みである。コロナ渦において昨年の11月以来、全学の教学委員会、各学部教授会、研究科での討議を積み重ねてきた。そして本年の1月に各学部教授会・研究科において、コロナ感染防止を第一とし代表参加による式典をオンラインで行い、ゼミ別などで担当教員から学生に卒業証書を授与するやり方が決定されてきた。ところが2月に入って突然「仲谷善雄学長の意向」ということで「対面方式で全学生と、希望する保護者も参加した卒業式」が提起された。
 これにたいして教授会を始めとする教学機関、そして教職員組合から「変更判断の科学的根拠」「手続的瑕疵と危険性」「感染対策のあいまいさ」等について疑問と反対の意見が表明された。
 しかし2月12日の拡大学部長会議、続いて2月17日の常任理事会において疑問や意見が出されたものの仲谷学長の意向があいまいな形で了承された。これは立命館の在り方として看過出来ない重大問題でありNo88に続いて多少の重複も交えながら指摘する。
(1)看過できない大学運営破壊の既成事実化、学長(理事長)の意向を了承した常任理事会の責任は重い。
 卒業式を対面で全員参加で行うのが正常で良いことは自明である。問題はコロナが終息していない今、どうすればよいかを教学部・教学委員会・各学部ならびに研究科で検討されてきたのである。大学運営の基本原則は①学生・教職員の安全を第一にし②オンライオン活用を含めて効果的な教育をおこなう③研究を続ける④学生・院生の自主活動を保障する⑤所在する地域をはじめ社会貢献する、ことである。
 上記のようにコロナ渦、今年度の卒業式は代表によるオンラインで行うことは全学の教学委員会そして各学部・研究科で決定されてきたことである。それを何処の機関会議でも議論することなく突然、仲谷学長の意向・提起ということで覆したことは教育・研究を任務とする学問の府である大学、とりわけ全構成員自治の考えに基づく大学運営、それを制度的に保障する学部長理事制度を無視した仲谷学長の行為は許容されるものではない。
 2月12日の拡大学部長会議において仲谷学長から「近隣の大学(同志社大学等)が対面式での卒業式を準備している」とか「卒業生や保護者そして学生から、対面式での卒業式開催の要望が出ている」果ては「卒業していく学生の思い出の場となる式典を開催してやりたい」など、およそ科学的根拠とは言えないことを理由とした説明に対して、出席した学部長から疑問や意見はだされたものの「感染対策を行った上で、学長の意向を尊重して対面式卒業式を実施する」旨があいまいな形で了承された。
 続く2月17日の常任理事会においては、学事課起案で卒業式開催にあたっての提案が出された。そこでは2月14日付の経済学部教授会見解などが述べられるとともに、他の何人かの学部長からも意見が述べられたものの、既に12日の拡大学部長会議で「了承」されていたことや、「コロナ渦の日程的なこともあり」「それらの意見を尊重し感染対策に万全を尽くして実施する」があいまいな方で「了承」された。
 しかし、その「決定」は全学的に公式に分かりやすい形では知らされておらず、全教職員にとっては依然としてあいまいなままである。ところでいまだに不可解なのは仲谷学長は①コロナの明確な終息も見えてない中で、なぜ「全学生を対象に対面式卒業式を行いたい」と判断したのか。もしも仲谷学長が卒業していく学生達に、直接高邁な話をして送り出したいと言うだけなら、学長挨拶を映像として配信すれば良いことであり、あえて感染のリスクまで起こして全学生参加による対面卒業式を行う必要はない。文科省が再三50%以上の対面授業を要請しているのに沿おうとしているのか、それとも別の目的があるか、きちんとした説明が求められる。②全学において11月以来積み上げてきた方針の変更を、なぜあえて全学的な会議を経ず学長からの提起というやり方を取ったのか。これにたいしての明確な説明が求められるだろう。そして②については謝罪と今後このようなやり方は行わないとの表明が必要であろう。そうでないと何時このような独裁的やり方が起こるかもしれないとの学長への不信と疑念が深まるだろう。
 このようなやり方は森島朋三氏が総務担当常務理事に就任して以来、専務理事そして理事長として自分が前面に出るかは別にして、彼が進めてきたやり方である。最初に機関会議にかけて議論するのではなく、先に強引に既定事実をつくり色々意見が出ても、「出された意見はお聞きし、可能な限り取り入れるのでやらしてもらう」と押し切っていくというやり方である。この間、川口清史総長によって学園の何処でも論議されていない「グローバル教養学部創設」の発言・強行によって学園は混乱させられてきた。また森島理事長による今年の年頭所感で評価給制度導入が突然出されたのも同様である。立命館は学園運営において極めて重大な局面にさらされている。
 No88にも書いたように、財政支出の増額も含むこれほど重要な問題を理事長の合意・了承抜きに学長だけで「提案」すると考えられない。それどころか17日の常任理事会に提案された卒業式関連の議案は、通常、教員が参加する教学委員会や教学部で検討・合意されてからから提案される。しかし今回はそれらの会議がなされていないにもかかわらず学事課の名前で提案されている。どう考えても理事長サイドからの指揮で教学部事務部長の手によって学事課起案がなされたと推察される。これは対面卒業式実施の是非以上に重大である。
 なぜこれらの会議を飛ばしてまで学事課の提案でなされたのかを追及する必要があるだろう。なお学事課起案の文書を見ると機関会議の順番が、常任理事会(議決)、大学協議会、教学委員会となっている。あきらかに順序が逆である。教学委員会、大学協議会での審議を経ず決めたことの矛盾である。また常任理事会は議決となっているが議決はされたのか。それであれば賛成〇人、反対〇人、保留〇人が明らかにされ議事録に残さなければならない。議決されていないなら、これほど重要な問題をなぜ議決としなかったのか。また学部教授会から文書で提出された物は各学部・研究科にきちんと提供され同じく議事録資料して記録に残さなければならないが、そのようにされているのか明確にされなければならない。これはこの間、社会問題になっているように国政を含めて機関運営の原則であり、それをあいまいにするところから機関運営の私物化・恣意化が始まる。今回の事態はそのことの危険性を如実に示した。
(2)本当に安全は確保されるのか
 ところで「感染対策委員会の意見も踏まえ」とされている学事課が提案した安全対策はどうだろうか。マスク、手指の消毒、机や椅子の消毒など式典での安全対策は書かれているが、万全とは書いていず、その上参加するしないは自由であるとの責任逃れの文書となっている。そしてなによりもこの間の事態が作り出している特有の問題についての方策が書かれていない。
 ほぼ一年に渡ってオンライン中心の授業が行われてきた立命館大学において、学生の大半は現下の状況から今年の卒業式はないだろうと覚悟し、コロナ渦アルバイトも減り、生活費節約のために下宿を払って出身地に帰っていた者も多数いる。ところが大学の判断で「オンラインではなく対面で全員が参加した卒業式になった」と聞いて、学生は卒業式でゼミやクラブの友達と会いに集まってきた場合、式典の前後に学生同志が飲食をすることが想定される。文書では注意喚起が記載されているが、実際上、それには対策が取れない。またこの間、電車やバスは混雑していなかつたが、三キャンパスともに数千人単位の学生が集まり満員で移動する。これは学生・教職員だけではなく地域住民を含めて乗り合わせる多くの人々の安全対策に係る問題であるが、どう対策するのかまったく書かれていない。
 8月のオリンピック開催について各種世論調査によると、6割りもの人々が「やるべきではない」「やれない」との回答を寄せている。つまり移動の交通機関や試合前後の飲食など、競技場での安全対策だけでは済まないと考えているからである。現在の「第三波」が静まり、非常事態宣言が解除された場合、再度GOTOキャンペーンが行われ、第四波が起きる危険性がある。これらのことを慎重に考え対策を立てなければならない。
(3)感染者が発生した場合、仲谷善雄学長、森島朋三理事長にとどまらず、社会的には学長提案を了承した常任理事会の責任も問われる。覚悟は出来ているのか。
 不幸にして万が一、卒業式参加者から感染者(陽性者)やクラスターが発生した場合、誰が責任を負うのか。提案者である学長が責任を負わなければならないのは当然である。その提案に反対せず賛成した学校法人の代表である理事長も責任はまぬがれない。この二人だけでは済まないことは明瞭である。多くの大学のように学部長が理事でない場合は「理事会決定に従った」ということになるが、立命館では学部長は理事である。その人が常任理事会で学長の提案に反対せず、あいまいなかたちで了承し執行すれば、その責任は免れない。あれこれ意見を述べたかどうかではない。学長の意向を受けた学事課起案文書を了承したか否かである。議決の重さを自覚しなければならない。責任問題について覚悟は出来ているのか。職員の事務部長は議決には参加していなく決定に違うだけである。その事務部長は「これはおかしい」と思っても意見が言いにくいのは理事長に人事権を握られているからである。しかし学部長理事は違う、教授会で選出されているのである。理事長が解任したり出来ない。自分の意志に基づいての発言が出来る。だからこそ立命館が戦後の民主化を進めた時「教学優先」を制度的に保障するために学部長理事制度を確立したのである。
 ところが森島朋三氏が理事長に就任した頃から常任理事会に、問題のある提案がされでも大半の学部長理事は反対しないというケースがほとんどとなっている。学部代表として学部要求を実現するためには理事長の意向に逆らう発言はしない方がよいと思っているなら、それこそ森島理事長の思う壺である。常任理事会をはじめとした機関会議において立命館のあり方・改革方向の合意を形成し、それに基づいて新しい学部・学科の新設、教学施設の実現を要求して他学部長の支持もえて実現する道こそが、学内の創意と団結を強めて行く道である。
 また学部長理事は、学部の代表ではあるが、同時に学園運営全体にも責任を有する。感染症対策など全学生・教職員の命にかかわる問題では、個々の利害の損得ではなく学園全体に責任を負うという立場で臨まなければならない。こうした理事という立場を自覚し、学部長理事は常に「教学優先」と「全学的理事」という両者を統一した立場で学園の運営に責任を持たなければならないと言う、立命館の歴史の教訓を学んでもらいたい。
鈴木元 経歴、立命館総長理事長室室長、初芝学園副理事長、中国(上海)同済大学アジア太平洋研究センター顧問教授、国際協力銀行中国内陸部人材育成事業アドバイザリー、私立大学連盟アドミニストレーター研修アドバイザー等を歴任。
 現在、国際環境整備機構理事長、京都高齢者大学校幹事会副代表、ベトナム枯葉剤被害者支援日本委員会事務局長、日本ペンクラブ会員、日本ジャーナリスト会議会員、かもがわ出版顧問など。
 主な著書、『立命館の再生を願って』『続・立命館の再生を願って』(いずれも風涛社)、『像とともに未来を守れ 天皇・立命館・学生運動』(かもがわ出版)、『もう一つの大学紛争』(かもがわ出版)、『異文化理解・協力の旅』(文理閣)、『京都市における同和行政批判』(問題研究所)『コロナ後の世界』(かもがわ出版)など多数

No89 立命館常任理事ならびに関係各位へ
 対面卒業式実施の是非とともに、看過出来ない大学運営破壊の既成事実化、万全の感染対策は
   2021年2月23日 元立命館総長理事長室室長・ジャーナリスト 鈴木元
 この文章は立命館問題専用のブログ(インターネットで スズキ ゲンさんのブログ と検索すれば出てきます)は毎週平均約1000件のアクセスがあります。
 目次
  はじめに
  (1)看過できない大学運営破壊の既成事実化、学長(理事長)の意向を了承した常任理事会の責任      は重い。
  (2)本当に万全なコロナの感染対は確保されるのか
  (3)感染者が発生した場合、仲谷善雄学長、森島朋三理事長にとどまらず、社会的には学長提案
   を了承した常任理事会の責任も問われる。
はじめに
 卒業式は大学においては入学式、入学試験とともに全学的教学的に統一的に行われる重要な営みである。コロナ渦において昨年の11月以来、全学の教学委員会、各学部教授会、研究科での討議を積み重ねてきた。そして本年の1月に各学部教授会・研究科において、コロナ感染防止を第一とし代表参加による式典をオンラインで行い、ゼミ別などで担当教員から学生に卒業証書を授与するやり方が決定されてきた。ところが2月に入って突然「仲谷善雄学長の意向」ということで「対面方式で全学生と、希望する保護者も参加した卒業式」が提起された。
 これにたいして教授会を始めとする教学機関、そして教職員組合から「変更判断の科学的根拠」「手続的瑕疵と危険性」「感染対策のあいまいさ」等について疑問と反対の意見が表明された。
 しかし2月12日の拡大学部長会議、続いて2月17日の常任理事会において疑問や意見が出されたものの仲谷学長の意向があいまいな形で了承された。これは立命館の在り方として看過出来ない重大問題でありNo88に続いて多少の重複も交えながら指摘する。
(1)看過できない大学運営破壊の既成事実化、学長(理事長)の意向を了承した常任理事会の責任は重い。
 卒業式を対面で全員参加で行うのが正常で良いことは自明である。問題はコロナが終息していない今、どうすればよいかを教学部・教学委員会・各学部ならびに研究科で検討されてきたのである。大学運営の基本原則は①学生・教職員の安全を第一にし②オンライオン活用を含めて効果的な教育をおこなう③研究を続ける④学生・院生の自主活動を保障する⑤所在する地域をはじめ社会貢献する、ことである。
 上記のようにコロナ渦、今年度の卒業式は代表によるオンラインで行うことは全学の教学委員会そして各学部・研究科で決定されてきたことである。それを何処の機関会議でも議論することなく突然、仲谷学長の意向・提起ということで覆したことは教育・研究を任務とする学問の府である大学、とりわけ全構成員自治の考えに基づく大学運営、それを制度的に保障する学部長理事制度を無視した仲谷学長の行為は許容されるものではない。
 2月12日の拡大学部長会議において仲谷学長から「近隣の大学(同志社大学等)が対面式での卒業式を準備している」とか「卒業生や保護者そして学生から、対面式での卒業式開催の要望が出ている」果ては「卒業していく学生の思い出の場となる式典を開催してやりたい」など、およそ科学的根拠とは言えないことを理由とした説明に対して、出席した学部長から疑問や意見はだされたものの「感染対策を行った上で、学長の意向を尊重して対面式卒業式を実施する」旨があいまいな形で了承された。
 続く2月17日の常任理事会においては、学事課起案で卒業式開催にあたっての提案が出された。そこでは2月14日付の経済学部教授会見解などが述べられるとともに、他の何人かの学部長からも意見が述べられたものの、既に12日の拡大学部長会議で「了承」されていたことや、「コロナ渦の日程的なこともあり」「それらの意見を尊重し感染対策に万全を尽くして実施する」があいまいな方で「了承」された。
 しかし、その「決定」は全学的に公式に分かりやすい形では知らされておらず、全教職員にとっては依然としてあいまいなままである。ところでいまだに不可解なのは仲谷学長は①コロナの明確な終息も見えてない中で、なぜ「全学生を対象に対面式卒業式を行いたい」と判断したのか。もしも仲谷学長が卒業していく学生達に、直接高邁な話をして送り出したいと言うだけなら、学長挨拶を映像として配信すれば良いことであり、あえて感染のリスクまで起こして全学生参加による対面卒業式を行う必要はない。文科省が再三50%以上の対面授業を要請しているのに沿おうとしているのか、それとも別の目的があるか、きちんとした説明が求められる。②全学において11月以来積み上げてきた方針の変更を、なぜあえて全学的な会議を経ず学長からの提起というやり方を取ったのか。これにたいしての明確な説明が求められるだろう。そして②については謝罪と今後このようなやり方は行わないとの表明が必要であろう。そうでないと何時このような独裁的やり方が起こるかもしれないとの学長への不信と疑念が深まるだろう。
 このようなやり方は森島朋三氏が総務担当常務理事に就任して以来、専務理事そして理事長として自分が前面に出るかは別にして、彼が進めてきたやり方である。最初に機関会議にかけて議論するのではなく、先に強引に既定事実をつくり色々意見が出ても、「出された意見はお聞きし、可能な限り取り入れるのでやらしてもらう」と押し切っていくというやり方である。この間、川口清史総長によって学園の何処でも論議されていない「グローバル教養学部創設」の発言・強行によって学園は混乱させられてきた。また森島理事長による今年の年頭所感で評価給制度導入が突然出されたのも同様である。立命館は学園運営において極めて重大な局面にさらされている。
 No88にも書いたように、財政支出の増額も含むこれほど重要な問題を理事長の合意・了承抜きに学長だけで「提案」すると考えられない。それどころか17日の常任理事会に提案された卒業式関連の議案は、通常、教員が参加する教学委員会や教学部で検討・合意されてからから提案される。しかし今回はそれらの会議がなされていないにもかかわらず学事課の名前で提案されている。どう考えても理事長サイドからの指揮で教学部事務部長の手によって学事課起案がなされたと推察される。これは対面卒業式実施の是非以上に重大である。
 なぜこれらの会議を飛ばしてまで学事課の提案でなされたのかを追及する必要があるだろう。なお学事課起案の文書を見ると機関会議の順番が、常任理事会(議決)、大学協議会、教学委員会となっている。あきらかに順序が逆である。教学委員会、大学協議会での審議を経ず決めたことの矛盾である。また常任理事会は議決となっているが議決はされたのか。それであれば賛成〇人、反対〇人、保留〇人が明らかにされ議事録に残さなければならない。議決されていないなら、これほど重要な問題をなぜ議決としなかったのか。また学部教授会から文書で提出された物は各学部・研究科にきちんと提供され同じく議事録資料して記録に残さなければならないが、そのようにされているのか明確にされなければならない。これはこの間、社会問題になっているように国政を含めて機関運営の原則であり、それをあいまいにするところから機関運営の私物化・恣意化が始まる。今回の事態はそのことの危険性を如実に示した。
(2)本当に安全は確保されるのか
 ところで「感染対策委員会の意見も踏まえ」とされている学事課が提案した安全対策はどうだろうか。マスク、手指の消毒、机や椅子の消毒など式典での安全対策は書かれているが、万全とは書いていず、その上参加するしないは自由であるとの責任逃れの文書となっている。そしてなによりもこの間の事態が作り出している特有の問題についての方策が書かれていない。
 ほぼ一年に渡ってオンライン中心の授業が行われてきた立命館大学において、学生の大半は現下の状況から今年の卒業式はないだろうと覚悟し、コロナ渦アルバイトも減り、生活費節約のために下宿を払って出身地に帰っていた者も多数いる。ところが大学の判断で「オンラインではなく対面で全員が参加した卒業式になった」と聞いて、学生は卒業式でゼミやクラブの友達と会いに集まってきた場合、式典の前後に学生同志が飲食をすることが想定される。文書では注意喚起が記載されているが、実際上、それには対策が取れない。またこの間、電車やバスは混雑していなかつたが、三キャンパスともに数千人単位の学生が集まり満員で移動する。これは学生・教職員だけではなく地域住民を含めて乗り合わせる多くの人々の安全対策に係る問題であるが、どう対策するのかまったく書かれていない。
 8月のオリンピック開催について各種世論調査によると、6割りもの人々が「やるべきではない」「やれない」との回答を寄せている。つまり移動の交通機関や試合前後の飲食など、競技場での安全対策だけでは済まないと考えているからである。現在の「第三波」が静まり、非常事態宣言が解除された場合、再度GOTOキャンペーンが行われ、第四波が起きる危険性がある。これらのことを慎重に考え対策を立てなければならない。
(3)感染者が発生した場合、仲谷善雄学長、森島朋三理事長にとどまらず、社会的には学長提案を了承した常任理事会の責任も問われる。覚悟は出来ているのか。
 不幸にして万が一、卒業式参加者から感染者(陽性者)やクラスターが発生した場合、誰が責任を負うのか。提案者である学長が責任を負わなければならないのは当然である。その提案に反対せず賛成した学校法人の代表である理事長も責任はまぬがれない。この二人だけでは済まないことは明瞭である。多くの大学のように学部長が理事でない場合は「理事会決定に従った」ということになるが、立命館では学部長は理事である。その人が常任理事会で学長の提案に反対せず、あいまいなかたちで了承し執行すれば、その責任は免れない。あれこれ意見を述べたかどうかではない。学長の意向を受けた学事課起案文書を了承したか否かである。議決の重さを自覚しなければならない。責任問題について覚悟は出来ているのか。職員の事務部長は議決には参加していなく決定に違うだけである。その事務部長は「これはおかしい」と思っても意見が言いにくいのは理事長に人事権を握られているからである。しかし学部長理事は違う、教授会で選出されているのである。理事長が解任したり出来ない。自分の意志に基づいての発言が出来る。だからこそ立命館が戦後の民主化を進めた時「教学優先」を制度的に保障するために学部長理事制度を確立したのである。
 ところが森島朋三氏が理事長に就任した頃から常任理事会に、問題のある提案がされでも大半の学部長理事は反対しないというケースがほとんどとなっている。学部代表として学部要求を実現するためには理事長の意向に逆らう発言はしない方がよいと思っているなら、それこそ森島理事長の思う壺である。常任理事会をはじめとした機関会議において立命館のあり方・改革方向の合意を形成し、それに基づいて新しい学部・学科の新設、教学施設の実現を要求して他学部長の支持もえて実現する道こそが、学内の創意と団結を強めて行く道である。
 また学部長理事は、学部の代表ではあるが、同時に学園運営全体にも責任を有する。感染症対策など全学生・教職員の命にかかわる問題では、個々の利害の損得ではなく学園全体に責任を負うという立場で臨まなければならない。こうした理事という立場を自覚し、学部長理事は常に「教学優先」と「全学的理事」という両者を統一した立場で学園の運営に責任を持たなければならないと言う、立命館の歴史の教訓を学んでもらいたい。
鈴木元 経歴、立命館総長理事長室室長、初芝学園副理事長、中国(上海)同済大学アジア太平洋研究センター顧問教授、国際協力銀行中国内陸部人材育成事業アドバイザリー、私立大学連盟アドミニストレーター研修アドバイザー等を歴任。
 現在、国際環境整備機構理事長、京都高齢者大学校幹事会副代表、ベトナム枯葉剤被害者支援日本委員会事務局長、日本ペンクラブ会員、日本ジャーナリスト会議会員、かもがわ出版顧問など。
 主な著書、『立命館の再生を願って』『続・立命館の再生を願って』(いずれも風涛社)、『像とともに未来を守れ 天皇・立命館・学生運動』(かもがわ出版)、『もう一つの大学紛争』(かもがわ出版)、『異文化理解・協力の旅』(文理閣)、『京都市における同和行政批判』(問題研究所)『コロナ後の世界』(かもがわ出版)など多数


No88 立命館の常任理事並びに関係各位へ、卒業式・入試とatamaplasについて

2021-02-10 14:06:40 | 立命館の再生を願って
No88 立命館の常任理事ならびに関係各位へ     
2021年2月10日 元総長理事長室室長・ジャーナリスト 鈴木元
※本文書は立命館問題専用ブログ(インターネットで スズキ ゲンさんのブログ と検索すれば出てきます) 毎週平均1000件のアクセスがあります。
はじめに
 私は本シリーズのNo86において、既存学部である映像学部や情報理工学部の大阪茨木キャンパス(OIC)移転のために110億円もの巨費を費やすべきではないと論じた。そして前回No87において、コロナの世界的大流行の下、学校法人立命館として、生活が大幅に困難になっている学生への生活支援、APUや生協の経営支援が緊急の課題になっていること。そうした時に時代遅れの「評価制度」の導入によって学園に不団結をもたらすべきではないだろうと書いた。要するに森島朋三氏が理事長に就任して以来、学問研究教育機関である大学の在り方と異質な運営が持ち込まれてきた事を是正すべきであると書いてきた。
 そんな中、大学の在り方を根底的に否定するような事件が引き起こされた。つまりコロナ禍、突然 仲谷善雄学長の名によって全学生ならびに保護者参加の対面卒業式・入学式が提起され学園は混乱に陥っている。また必ずしも学園構成員の共通認識になつていないがatamplasというAIとオンラインを使った教材開発会社と高大接続や入試について共同開発研究を進めるというのである。
(1)コロナ感染対策は何処へいったのか、仲谷善雄学長による突然の「全面対面卒業式・入学式」実施判断の科学的根拠は、そして根本問題として学園の民主的運営を無視する変更。
 3月20-22日に予定されている卒業式、昨年の11月以来、教学機関の討議を経て、コロナの感染防止を念頭に学部単位に代表者による授与式を行い、それをオンライン配信し、ゼミ単位などで担当教員から卒業生に卒業証書を授与するという方針が取られ、各学部においてその準備具体化が図られてきた。ところが2月に入って突然、仲谷学長名で「本年の卒業式は対面方式で学部単位で卒業生全員参加、希望する保護者の参加によって行うように」との連絡が入り現場に混乱が生じている。「なぜ変わったのか」との質問にたいして、「多くの他大学において対面卒業式が実施される」「保護者から保護者も参加できる対面式卒業式にしてほしい」との要望が寄せられているからとの回答がなされているそうである。
 学内において既に経済学部の稲葉和夫特任教授が全学に配信されているように、代表者による授与式をオンラインで配信するよりも、全員参加による保護者も参加した卒業式の方が人生の思い出深いであろうことは明瞭である。しかし現在のコロナの感染状況の下、多い学部では1000名を超える参加となり、現在の教室条件から密集する会場内はもとより、久しぶりの会う学生同士の会話、そして学外においても大量の人々が乗り込むバスや電車などでの感染拡大の危険から、上記のような方針で臨むことが合意され準備が進められてきたのである。それを「他大学では」とか「保護者から希望がよせられているから」など、およそ科学的根拠に基づく判断とは考えられないことを根拠に、学長名による一辺の連絡で変更するというのはあまりも乱暴である。
 そして何よりもこのような全学生・保護者・教職員にかかわる問題が常任理事会はおろか教学対策会議などいかなる機関でも検討されることなく、仲谷学長だけの「判断・決定」でなされた事である。まるで戒厳令下の軍事司令官の命令による遂行のようなやり方である。研究・教育を目的とする大学においては全構成員にかかわる問題は、しかるべき機関において衆議を尽くしての合意に基づいて運営すべきである。しかも余りにも唐突で乱暴なこの変更、「全学生参加の対面方式による卒業式」という言葉だけで、どのように感染対策をとるのか等、何も具体的なことが提起されていない。これでどうして進めるというのか。12日には仲谷総長も参加した拡大学部長会議が開催されるそうである。何処でも討議したことのない今回の変更、説明者は仲谷学長、ただ一人とならざるを得ないし、その方針に基づく対策提案者も学長が行うことになる。仲谷学長は、変更の科学的根拠ならびに手続き経過、そして感染対策方針について全学構成員が納得出来るような丁寧な説明を行わなければならないだろう。
 今回の重大で唐突な変更、現在の立命館の総長と理事長の関係から言って、到底、仲谷学長の単独判断に基づくものとは考えられない、少なくとも森島理事長の同意、いや森島理事長の「判断」による仲谷総長への提起と考えるのが妥当だろう。変更の経緯について詳しく説明されるべきである。またクラスターなど学内感染が起こった場合、誰がどう責任を負うのか。まさか当該の学部長や事務長ではないだろう。この点も明確にする必要があるだろう。
(2)森島朋三理事長、ゼネコンに続いて教材会社に立命館を売り渡すのか?
 立命館のAI広報・立命館CLUBの1月15日付け発行(197号)によると、立命館(森島朋三理事長)はAI教材開発会社・atamaplasと2020年12月22日、高大接続ならびに入試について共同研究開発を行うとの協定を締結したと写真入りで報じている。
 私は大学をはじめとする教育分野においてAIやオンライン活用が、立命館を含めて日本の教育機関は遅れており改善すべきと考えている。しかし今回の協定締結が持っている問題点を見逃してはならないと提起する。
 1)なぜ総長ではなく理事長が協定締結者なのか。
 高大接続や入試は学園の教学の在り方を決める重要課題である。これはまさに教学の最高責任者である総長の所轄事項である。それをなぜ総長ではなく経営の責任者である理事長が調印者としているのか。森島理事長は予てからなんでも自分の指揮下に置きたいとの傾向が強い。そしていよいよ教学分野も自分の手元におく手始めに高大接続と入試について「これは私が担当する」と動き出した。この間、森島理事長が登場してきた一連のマスコミ報道を観た人が共通して感じてきたように「能弁であるが底が浅い人物」との評価が定着しつつある。にも拘らず「長であれば下の人間よりも総ての分野で優れているとの思いあがり」が教学を含めてあらゆることを自分の下に置こうとするのである。これは組織を不幸にする典型的な例である。
2)なぜ積み上げてきた立命館の教学を、新興のAI教材会社に任そうとするのか
 高大接続も入試も立命館は多くの積み上げを築いてきた。もちろん時代に即した改革は必要であり、現在の到達が十分だと満足することなく、さらなる改革が必要である。しかしAIやオンラインの活用などのテクニカルな事項は付随的なものであって、本質的にはそれぞれの教学への深い理解が前提である。atamaplasは個々の教材をAI化する点について、それなりの技量を持っているのだろう。だからこそ多くの学習塾への売り込みに成功しているのかもしれないが、そのことと立命館がatamapiasと共同研究をすることとは別のことである。塾は多くの場合、既存知をどのように的確に教えるかが仕事である。それに対して大学は既存知をどのように乗り越えるかの研究を行う場であり、研究を基礎に教育する場である。本来付属校を含めた一貫教育の一般校と異なる特色もそこにある。また入試も基礎学力とともに問題発見と解決の能力の見極めが大切なのである。それこそ大学教育の前提であり立命館の使命なのである
①atamapiasがおこなっている程度の教材開発・発信は、情報理工学部や一貫教育部、付属校の人材でチームを作り少しの時間と努力して研究・開発すれば出来ることである。森島理事長は立命館にはその程度の力量を持った人材もいないと判断しているのだろうか。総長は情報を専門とする研究者であり情報理工学部の学部長も務めて来た人である。該当する分野の人々と相談して学内の人材発掘を行い組織して臨むのが当然である。atamaplas程度の会社のテクニカルに振り回されるのではなく、少し遠回りのように見えても自力開発をすべきであろう。その方が長い目で見た場合、立命館の教学改革の力になることは明瞭である。
②atamaplasが立命館と協定を結んだ理由は明確である。なによりも「立命館とも協定を結んでいます」が全国的売り込みの好材料になるからである。提供される立命館の豊富な高大連携・入試の膨大なデーター・例証はatamaplaの教材開発にとって極めて有用であるからである。
③そして手っ取り早く研究開発費などが立命館から提供されると考えているのであろう。
 森島理事長の下、大阪茨木キャンパス設立等をめぐって立命館は竹中工務店や鹿島建設などゼネコンの食い物にされてきた。そしてここにきて教学分野まで教材開発の民間会社に売り渡される危険が生れようとしている。立命館の教職員は事態を直視し、自らの誇りにかけてこのような異常な契約は取りやめる方向で状況を打開しなければならないだろう。

 鈴木元 経歴、立命館総長理事長室室長、初芝学園副理事長、中国(上海)同済大学アジア太平洋研究センター顧問教授、国際協力銀行中国内陸部人材育成事業アドバイザリー、私立大学連盟アドミニストレーター研修アドバイザー等を歴任。
 現在、国際環境整備機構理事長、京都高齢者大学校幹事会副代表、ベトナム枯葉剤被害者支援日本委員会事務局長、日本ペンクラブ会員、日本ジャーナリスト会議会員、かもがわ出版顧問など。
 主な著書、『立命館の再生を願って』『続・立命館の再生を願って』(いずれも風涛社)、『像とともに未来を守れ 天皇・立命館・学生運動』(かもがわ出版)、『もう一つの大学紛争』(かもがわ出版)、『異文化理解・協力の旅』(文理閣)、『京都市における同和行政批判』(問題研究所)『コロナ後の世界』(かもがわ出版)など多数。