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立命館の再生を願って

No89 立命館の常任理事ならびに関係各位へ、ふたたび卒業式問題について、鈴木元

2021-02-23 09:12:19 | 立命館の再生を願って
No89 立命館常任理事ならびに関係各位へ
 対面卒業式実施の是非とともに、看過出来ない大学運営破壊の既成事実化、万全の感染対策は
   2021年2月23日 元立命館総長理事長室室長・ジャーナリスト 鈴木元
 この文章は立命館問題専用のブログ(インターネットで スズキ ゲンさんのブログ と検索すれば出てきます)は毎週平均約1000件のアクセスがあります。
 目次
  はじめに
  (1)看過できない大学運営破壊の既成事実化、学長(理事長)の意向を了承した常任理事会の責任      は重い。
  (2)本当に万全なコロナの感染対は確保されるのか
  (3)感染者が発生した場合、仲谷善雄学長、森島朋三理事長にとどまらず、社会的には学長提案
   を了承した常任理事会の責任も問われる。
はじめに
 卒業式は大学においては入学式、入学試験とともに全学的教学的に統一的に行われる重要な営みである。コロナ渦において昨年の11月以来、全学の教学委員会、各学部教授会、研究科での討議を積み重ねてきた。そして本年の1月に各学部教授会・研究科において、コロナ感染防止を第一とし代表参加による式典をオンラインで行い、ゼミ別などで担当教員から学生に卒業証書を授与するやり方が決定されてきた。ところが2月に入って突然「仲谷善雄学長の意向」ということで「対面方式で全学生と、希望する保護者も参加した卒業式」が提起された。
 これにたいして教授会を始めとする教学機関、そして教職員組合から「変更判断の科学的根拠」「手続的瑕疵と危険性」「感染対策のあいまいさ」等について疑問と反対の意見が表明された。
 しかし2月12日の拡大学部長会議、続いて2月17日の常任理事会において疑問や意見が出されたものの仲谷学長の意向があいまいな形で了承された。これは立命館の在り方として看過出来ない重大問題でありNo88に続いて多少の重複も交えながら指摘する。
(1)看過できない大学運営破壊の既成事実化、学長(理事長)の意向を了承した常任理事会の責任は重い。
 卒業式を対面で全員参加で行うのが正常で良いことは自明である。問題はコロナが終息していない今、どうすればよいかを教学部・教学委員会・各学部ならびに研究科で検討されてきたのである。大学運営の基本原則は①学生・教職員の安全を第一にし②オンライオン活用を含めて効果的な教育をおこなう③研究を続ける④学生・院生の自主活動を保障する⑤所在する地域をはじめ社会貢献する、ことである。
 上記のようにコロナ渦、今年度の卒業式は代表によるオンラインで行うことは全学の教学委員会そして各学部・研究科で決定されてきたことである。それを何処の機関会議でも議論することなく突然、仲谷学長の意向・提起ということで覆したことは教育・研究を任務とする学問の府である大学、とりわけ全構成員自治の考えに基づく大学運営、それを制度的に保障する学部長理事制度を無視した仲谷学長の行為は許容されるものではない。
 2月12日の拡大学部長会議において仲谷学長から「近隣の大学(同志社大学等)が対面式での卒業式を準備している」とか「卒業生や保護者そして学生から、対面式での卒業式開催の要望が出ている」果ては「卒業していく学生の思い出の場となる式典を開催してやりたい」など、およそ科学的根拠とは言えないことを理由とした説明に対して、出席した学部長から疑問や意見はだされたものの「感染対策を行った上で、学長の意向を尊重して対面式卒業式を実施する」旨があいまいな形で了承された。
 続く2月17日の常任理事会においては、学事課起案で卒業式開催にあたっての提案が出された。そこでは2月14日付の経済学部教授会見解などが述べられるとともに、他の何人かの学部長からも意見が述べられたものの、既に12日の拡大学部長会議で「了承」されていたことや、「コロナ渦の日程的なこともあり」「それらの意見を尊重し感染対策に万全を尽くして実施する」があいまいな方で「了承」された。
 しかし、その「決定」は全学的に公式に分かりやすい形では知らされておらず、全教職員にとっては依然としてあいまいなままである。ところでいまだに不可解なのは仲谷学長は①コロナの明確な終息も見えてない中で、なぜ「全学生を対象に対面式卒業式を行いたい」と判断したのか。もしも仲谷学長が卒業していく学生達に、直接高邁な話をして送り出したいと言うだけなら、学長挨拶を映像として配信すれば良いことであり、あえて感染のリスクまで起こして全学生参加による対面卒業式を行う必要はない。文科省が再三50%以上の対面授業を要請しているのに沿おうとしているのか、それとも別の目的があるか、きちんとした説明が求められる。②全学において11月以来積み上げてきた方針の変更を、なぜあえて全学的な会議を経ず学長からの提起というやり方を取ったのか。これにたいしての明確な説明が求められるだろう。そして②については謝罪と今後このようなやり方は行わないとの表明が必要であろう。そうでないと何時このような独裁的やり方が起こるかもしれないとの学長への不信と疑念が深まるだろう。
 このようなやり方は森島朋三氏が総務担当常務理事に就任して以来、専務理事そして理事長として自分が前面に出るかは別にして、彼が進めてきたやり方である。最初に機関会議にかけて議論するのではなく、先に強引に既定事実をつくり色々意見が出ても、「出された意見はお聞きし、可能な限り取り入れるのでやらしてもらう」と押し切っていくというやり方である。この間、川口清史総長によって学園の何処でも論議されていない「グローバル教養学部創設」の発言・強行によって学園は混乱させられてきた。また森島理事長による今年の年頭所感で評価給制度導入が突然出されたのも同様である。立命館は学園運営において極めて重大な局面にさらされている。
 No88にも書いたように、財政支出の増額も含むこれほど重要な問題を理事長の合意・了承抜きに学長だけで「提案」すると考えられない。それどころか17日の常任理事会に提案された卒業式関連の議案は、通常、教員が参加する教学委員会や教学部で検討・合意されてからから提案される。しかし今回はそれらの会議がなされていないにもかかわらず学事課の名前で提案されている。どう考えても理事長サイドからの指揮で教学部事務部長の手によって学事課起案がなされたと推察される。これは対面卒業式実施の是非以上に重大である。
 なぜこれらの会議を飛ばしてまで学事課の提案でなされたのかを追及する必要があるだろう。なお学事課起案の文書を見ると機関会議の順番が、常任理事会(議決)、大学協議会、教学委員会となっている。あきらかに順序が逆である。教学委員会、大学協議会での審議を経ず決めたことの矛盾である。また常任理事会は議決となっているが議決はされたのか。それであれば賛成〇人、反対〇人、保留〇人が明らかにされ議事録に残さなければならない。議決されていないなら、これほど重要な問題をなぜ議決としなかったのか。また学部教授会から文書で提出された物は各学部・研究科にきちんと提供され同じく議事録資料して記録に残さなければならないが、そのようにされているのか明確にされなければならない。これはこの間、社会問題になっているように国政を含めて機関運営の原則であり、それをあいまいにするところから機関運営の私物化・恣意化が始まる。今回の事態はそのことの危険性を如実に示した。
(2)本当に安全は確保されるのか
 ところで「感染対策委員会の意見も踏まえ」とされている学事課が提案した安全対策はどうだろうか。マスク、手指の消毒、机や椅子の消毒など式典での安全対策は書かれているが、万全とは書いていず、その上参加するしないは自由であるとの責任逃れの文書となっている。そしてなによりもこの間の事態が作り出している特有の問題についての方策が書かれていない。
 ほぼ一年に渡ってオンライン中心の授業が行われてきた立命館大学において、学生の大半は現下の状況から今年の卒業式はないだろうと覚悟し、コロナ渦アルバイトも減り、生活費節約のために下宿を払って出身地に帰っていた者も多数いる。ところが大学の判断で「オンラインではなく対面で全員が参加した卒業式になった」と聞いて、学生は卒業式でゼミやクラブの友達と会いに集まってきた場合、式典の前後に学生同志が飲食をすることが想定される。文書では注意喚起が記載されているが、実際上、それには対策が取れない。またこの間、電車やバスは混雑していなかつたが、三キャンパスともに数千人単位の学生が集まり満員で移動する。これは学生・教職員だけではなく地域住民を含めて乗り合わせる多くの人々の安全対策に係る問題であるが、どう対策するのかまったく書かれていない。
 8月のオリンピック開催について各種世論調査によると、6割りもの人々が「やるべきではない」「やれない」との回答を寄せている。つまり移動の交通機関や試合前後の飲食など、競技場での安全対策だけでは済まないと考えているからである。現在の「第三波」が静まり、非常事態宣言が解除された場合、再度GOTOキャンペーンが行われ、第四波が起きる危険性がある。これらのことを慎重に考え対策を立てなければならない。
(3)感染者が発生した場合、仲谷善雄学長、森島朋三理事長にとどまらず、社会的には学長提案を了承した常任理事会の責任も問われる。覚悟は出来ているのか。
 不幸にして万が一、卒業式参加者から感染者(陽性者)やクラスターが発生した場合、誰が責任を負うのか。提案者である学長が責任を負わなければならないのは当然である。その提案に反対せず賛成した学校法人の代表である理事長も責任はまぬがれない。この二人だけでは済まないことは明瞭である。多くの大学のように学部長が理事でない場合は「理事会決定に従った」ということになるが、立命館では学部長は理事である。その人が常任理事会で学長の提案に反対せず、あいまいなかたちで了承し執行すれば、その責任は免れない。あれこれ意見を述べたかどうかではない。学長の意向を受けた学事課起案文書を了承したか否かである。議決の重さを自覚しなければならない。責任問題について覚悟は出来ているのか。職員の事務部長は議決には参加していなく決定に違うだけである。その事務部長は「これはおかしい」と思っても意見が言いにくいのは理事長に人事権を握られているからである。しかし学部長理事は違う、教授会で選出されているのである。理事長が解任したり出来ない。自分の意志に基づいての発言が出来る。だからこそ立命館が戦後の民主化を進めた時「教学優先」を制度的に保障するために学部長理事制度を確立したのである。
 ところが森島朋三氏が理事長に就任した頃から常任理事会に、問題のある提案がされでも大半の学部長理事は反対しないというケースがほとんどとなっている。学部代表として学部要求を実現するためには理事長の意向に逆らう発言はしない方がよいと思っているなら、それこそ森島理事長の思う壺である。常任理事会をはじめとした機関会議において立命館のあり方・改革方向の合意を形成し、それに基づいて新しい学部・学科の新設、教学施設の実現を要求して他学部長の支持もえて実現する道こそが、学内の創意と団結を強めて行く道である。
 また学部長理事は、学部の代表ではあるが、同時に学園運営全体にも責任を有する。感染症対策など全学生・教職員の命にかかわる問題では、個々の利害の損得ではなく学園全体に責任を負うという立場で臨まなければならない。こうした理事という立場を自覚し、学部長理事は常に「教学優先」と「全学的理事」という両者を統一した立場で学園の運営に責任を持たなければならないと言う、立命館の歴史の教訓を学んでもらいたい。
鈴木元 経歴、立命館総長理事長室室長、初芝学園副理事長、中国(上海)同済大学アジア太平洋研究センター顧問教授、国際協力銀行中国内陸部人材育成事業アドバイザリー、私立大学連盟アドミニストレーター研修アドバイザー等を歴任。
 現在、国際環境整備機構理事長、京都高齢者大学校幹事会副代表、ベトナム枯葉剤被害者支援日本委員会事務局長、日本ペンクラブ会員、日本ジャーナリスト会議会員、かもがわ出版顧問など。
 主な著書、『立命館の再生を願って』『続・立命館の再生を願って』(いずれも風涛社)、『像とともに未来を守れ 天皇・立命館・学生運動』(かもがわ出版)、『もう一つの大学紛争』(かもがわ出版)、『異文化理解・協力の旅』(文理閣)、『京都市における同和行政批判』(問題研究所)『コロナ後の世界』(かもがわ出版)など多数

No89 立命館常任理事ならびに関係各位へ
 対面卒業式実施の是非とともに、看過出来ない大学運営破壊の既成事実化、万全の感染対策は
   2021年2月23日 元立命館総長理事長室室長・ジャーナリスト 鈴木元
 この文章は立命館問題専用のブログ(インターネットで スズキ ゲンさんのブログ と検索すれば出てきます)は毎週平均約1000件のアクセスがあります。
 目次
  はじめに
  (1)看過できない大学運営破壊の既成事実化、学長(理事長)の意向を了承した常任理事会の責任      は重い。
  (2)本当に万全なコロナの感染対は確保されるのか
  (3)感染者が発生した場合、仲谷善雄学長、森島朋三理事長にとどまらず、社会的には学長提案
   を了承した常任理事会の責任も問われる。
はじめに
 卒業式は大学においては入学式、入学試験とともに全学的教学的に統一的に行われる重要な営みである。コロナ渦において昨年の11月以来、全学の教学委員会、各学部教授会、研究科での討議を積み重ねてきた。そして本年の1月に各学部教授会・研究科において、コロナ感染防止を第一とし代表参加による式典をオンラインで行い、ゼミ別などで担当教員から学生に卒業証書を授与するやり方が決定されてきた。ところが2月に入って突然「仲谷善雄学長の意向」ということで「対面方式で全学生と、希望する保護者も参加した卒業式」が提起された。
 これにたいして教授会を始めとする教学機関、そして教職員組合から「変更判断の科学的根拠」「手続的瑕疵と危険性」「感染対策のあいまいさ」等について疑問と反対の意見が表明された。
 しかし2月12日の拡大学部長会議、続いて2月17日の常任理事会において疑問や意見が出されたものの仲谷学長の意向があいまいな形で了承された。これは立命館の在り方として看過出来ない重大問題でありNo88に続いて多少の重複も交えながら指摘する。
(1)看過できない大学運営破壊の既成事実化、学長(理事長)の意向を了承した常任理事会の責任は重い。
 卒業式を対面で全員参加で行うのが正常で良いことは自明である。問題はコロナが終息していない今、どうすればよいかを教学部・教学委員会・各学部ならびに研究科で検討されてきたのである。大学運営の基本原則は①学生・教職員の安全を第一にし②オンライオン活用を含めて効果的な教育をおこなう③研究を続ける④学生・院生の自主活動を保障する⑤所在する地域をはじめ社会貢献する、ことである。
 上記のようにコロナ渦、今年度の卒業式は代表によるオンラインで行うことは全学の教学委員会そして各学部・研究科で決定されてきたことである。それを何処の機関会議でも議論することなく突然、仲谷学長の意向・提起ということで覆したことは教育・研究を任務とする学問の府である大学、とりわけ全構成員自治の考えに基づく大学運営、それを制度的に保障する学部長理事制度を無視した仲谷学長の行為は許容されるものではない。
 2月12日の拡大学部長会議において仲谷学長から「近隣の大学(同志社大学等)が対面式での卒業式を準備している」とか「卒業生や保護者そして学生から、対面式での卒業式開催の要望が出ている」果ては「卒業していく学生の思い出の場となる式典を開催してやりたい」など、およそ科学的根拠とは言えないことを理由とした説明に対して、出席した学部長から疑問や意見はだされたものの「感染対策を行った上で、学長の意向を尊重して対面式卒業式を実施する」旨があいまいな形で了承された。
 続く2月17日の常任理事会においては、学事課起案で卒業式開催にあたっての提案が出された。そこでは2月14日付の経済学部教授会見解などが述べられるとともに、他の何人かの学部長からも意見が述べられたものの、既に12日の拡大学部長会議で「了承」されていたことや、「コロナ渦の日程的なこともあり」「それらの意見を尊重し感染対策に万全を尽くして実施する」があいまいな方で「了承」された。
 しかし、その「決定」は全学的に公式に分かりやすい形では知らされておらず、全教職員にとっては依然としてあいまいなままである。ところでいまだに不可解なのは仲谷学長は①コロナの明確な終息も見えてない中で、なぜ「全学生を対象に対面式卒業式を行いたい」と判断したのか。もしも仲谷学長が卒業していく学生達に、直接高邁な話をして送り出したいと言うだけなら、学長挨拶を映像として配信すれば良いことであり、あえて感染のリスクまで起こして全学生参加による対面卒業式を行う必要はない。文科省が再三50%以上の対面授業を要請しているのに沿おうとしているのか、それとも別の目的があるか、きちんとした説明が求められる。②全学において11月以来積み上げてきた方針の変更を、なぜあえて全学的な会議を経ず学長からの提起というやり方を取ったのか。これにたいしての明確な説明が求められるだろう。そして②については謝罪と今後このようなやり方は行わないとの表明が必要であろう。そうでないと何時このような独裁的やり方が起こるかもしれないとの学長への不信と疑念が深まるだろう。
 このようなやり方は森島朋三氏が総務担当常務理事に就任して以来、専務理事そして理事長として自分が前面に出るかは別にして、彼が進めてきたやり方である。最初に機関会議にかけて議論するのではなく、先に強引に既定事実をつくり色々意見が出ても、「出された意見はお聞きし、可能な限り取り入れるのでやらしてもらう」と押し切っていくというやり方である。この間、川口清史総長によって学園の何処でも論議されていない「グローバル教養学部創設」の発言・強行によって学園は混乱させられてきた。また森島理事長による今年の年頭所感で評価給制度導入が突然出されたのも同様である。立命館は学園運営において極めて重大な局面にさらされている。
 No88にも書いたように、財政支出の増額も含むこれほど重要な問題を理事長の合意・了承抜きに学長だけで「提案」すると考えられない。それどころか17日の常任理事会に提案された卒業式関連の議案は、通常、教員が参加する教学委員会や教学部で検討・合意されてからから提案される。しかし今回はそれらの会議がなされていないにもかかわらず学事課の名前で提案されている。どう考えても理事長サイドからの指揮で教学部事務部長の手によって学事課起案がなされたと推察される。これは対面卒業式実施の是非以上に重大である。
 なぜこれらの会議を飛ばしてまで学事課の提案でなされたのかを追及する必要があるだろう。なお学事課起案の文書を見ると機関会議の順番が、常任理事会(議決)、大学協議会、教学委員会となっている。あきらかに順序が逆である。教学委員会、大学協議会での審議を経ず決めたことの矛盾である。また常任理事会は議決となっているが議決はされたのか。それであれば賛成〇人、反対〇人、保留〇人が明らかにされ議事録に残さなければならない。議決されていないなら、これほど重要な問題をなぜ議決としなかったのか。また学部教授会から文書で提出された物は各学部・研究科にきちんと提供され同じく議事録資料して記録に残さなければならないが、そのようにされているのか明確にされなければならない。これはこの間、社会問題になっているように国政を含めて機関運営の原則であり、それをあいまいにするところから機関運営の私物化・恣意化が始まる。今回の事態はそのことの危険性を如実に示した。
(2)本当に安全は確保されるのか
 ところで「感染対策委員会の意見も踏まえ」とされている学事課が提案した安全対策はどうだろうか。マスク、手指の消毒、机や椅子の消毒など式典での安全対策は書かれているが、万全とは書いていず、その上参加するしないは自由であるとの責任逃れの文書となっている。そしてなによりもこの間の事態が作り出している特有の問題についての方策が書かれていない。
 ほぼ一年に渡ってオンライン中心の授業が行われてきた立命館大学において、学生の大半は現下の状況から今年の卒業式はないだろうと覚悟し、コロナ渦アルバイトも減り、生活費節約のために下宿を払って出身地に帰っていた者も多数いる。ところが大学の判断で「オンラインではなく対面で全員が参加した卒業式になった」と聞いて、学生は卒業式でゼミやクラブの友達と会いに集まってきた場合、式典の前後に学生同志が飲食をすることが想定される。文書では注意喚起が記載されているが、実際上、それには対策が取れない。またこの間、電車やバスは混雑していなかつたが、三キャンパスともに数千人単位の学生が集まり満員で移動する。これは学生・教職員だけではなく地域住民を含めて乗り合わせる多くの人々の安全対策に係る問題であるが、どう対策するのかまったく書かれていない。
 8月のオリンピック開催について各種世論調査によると、6割りもの人々が「やるべきではない」「やれない」との回答を寄せている。つまり移動の交通機関や試合前後の飲食など、競技場での安全対策だけでは済まないと考えているからである。現在の「第三波」が静まり、非常事態宣言が解除された場合、再度GOTOキャンペーンが行われ、第四波が起きる危険性がある。これらのことを慎重に考え対策を立てなければならない。
(3)感染者が発生した場合、仲谷善雄学長、森島朋三理事長にとどまらず、社会的には学長提案を了承した常任理事会の責任も問われる。覚悟は出来ているのか。
 不幸にして万が一、卒業式参加者から感染者(陽性者)やクラスターが発生した場合、誰が責任を負うのか。提案者である学長が責任を負わなければならないのは当然である。その提案に反対せず賛成した学校法人の代表である理事長も責任はまぬがれない。この二人だけでは済まないことは明瞭である。多くの大学のように学部長が理事でない場合は「理事会決定に従った」ということになるが、立命館では学部長は理事である。その人が常任理事会で学長の提案に反対せず、あいまいなかたちで了承し執行すれば、その責任は免れない。あれこれ意見を述べたかどうかではない。学長の意向を受けた学事課起案文書を了承したか否かである。議決の重さを自覚しなければならない。責任問題について覚悟は出来ているのか。職員の事務部長は議決には参加していなく決定に違うだけである。その事務部長は「これはおかしい」と思っても意見が言いにくいのは理事長に人事権を握られているからである。しかし学部長理事は違う、教授会で選出されているのである。理事長が解任したり出来ない。自分の意志に基づいての発言が出来る。だからこそ立命館が戦後の民主化を進めた時「教学優先」を制度的に保障するために学部長理事制度を確立したのである。
 ところが森島朋三氏が理事長に就任した頃から常任理事会に、問題のある提案がされでも大半の学部長理事は反対しないというケースがほとんどとなっている。学部代表として学部要求を実現するためには理事長の意向に逆らう発言はしない方がよいと思っているなら、それこそ森島理事長の思う壺である。常任理事会をはじめとした機関会議において立命館のあり方・改革方向の合意を形成し、それに基づいて新しい学部・学科の新設、教学施設の実現を要求して他学部長の支持もえて実現する道こそが、学内の創意と団結を強めて行く道である。
 また学部長理事は、学部の代表ではあるが、同時に学園運営全体にも責任を有する。感染症対策など全学生・教職員の命にかかわる問題では、個々の利害の損得ではなく学園全体に責任を負うという立場で臨まなければならない。こうした理事という立場を自覚し、学部長理事は常に「教学優先」と「全学的理事」という両者を統一した立場で学園の運営に責任を持たなければならないと言う、立命館の歴史の教訓を学んでもらいたい。
鈴木元 経歴、立命館総長理事長室室長、初芝学園副理事長、中国(上海)同済大学アジア太平洋研究センター顧問教授、国際協力銀行中国内陸部人材育成事業アドバイザリー、私立大学連盟アドミニストレーター研修アドバイザー等を歴任。
 現在、国際環境整備機構理事長、京都高齢者大学校幹事会副代表、ベトナム枯葉剤被害者支援日本委員会事務局長、日本ペンクラブ会員、日本ジャーナリスト会議会員、かもがわ出版顧問など。
 主な著書、『立命館の再生を願って』『続・立命館の再生を願って』(いずれも風涛社)、『像とともに未来を守れ 天皇・立命館・学生運動』(かもがわ出版)、『もう一つの大学紛争』(かもがわ出版)、『異文化理解・協力の旅』(文理閣)、『京都市における同和行政批判』(問題研究所)『コロナ後の世界』(かもがわ出版)など多数


No88 立命館の常任理事並びに関係各位へ、卒業式・入試とatamaplasについて

2021-02-10 14:06:40 | 立命館の再生を願って
No88 立命館の常任理事ならびに関係各位へ     
2021年2月10日 元総長理事長室室長・ジャーナリスト 鈴木元
※本文書は立命館問題専用ブログ(インターネットで スズキ ゲンさんのブログ と検索すれば出てきます) 毎週平均1000件のアクセスがあります。
はじめに
 私は本シリーズのNo86において、既存学部である映像学部や情報理工学部の大阪茨木キャンパス(OIC)移転のために110億円もの巨費を費やすべきではないと論じた。そして前回No87において、コロナの世界的大流行の下、学校法人立命館として、生活が大幅に困難になっている学生への生活支援、APUや生協の経営支援が緊急の課題になっていること。そうした時に時代遅れの「評価制度」の導入によって学園に不団結をもたらすべきではないだろうと書いた。要するに森島朋三氏が理事長に就任して以来、学問研究教育機関である大学の在り方と異質な運営が持ち込まれてきた事を是正すべきであると書いてきた。
 そんな中、大学の在り方を根底的に否定するような事件が引き起こされた。つまりコロナ禍、突然 仲谷善雄学長の名によって全学生ならびに保護者参加の対面卒業式・入学式が提起され学園は混乱に陥っている。また必ずしも学園構成員の共通認識になつていないがatamplasというAIとオンラインを使った教材開発会社と高大接続や入試について共同開発研究を進めるというのである。
(1)コロナ感染対策は何処へいったのか、仲谷善雄学長による突然の「全面対面卒業式・入学式」実施判断の科学的根拠は、そして根本問題として学園の民主的運営を無視する変更。
 3月20-22日に予定されている卒業式、昨年の11月以来、教学機関の討議を経て、コロナの感染防止を念頭に学部単位に代表者による授与式を行い、それをオンライン配信し、ゼミ単位などで担当教員から卒業生に卒業証書を授与するという方針が取られ、各学部においてその準備具体化が図られてきた。ところが2月に入って突然、仲谷学長名で「本年の卒業式は対面方式で学部単位で卒業生全員参加、希望する保護者の参加によって行うように」との連絡が入り現場に混乱が生じている。「なぜ変わったのか」との質問にたいして、「多くの他大学において対面卒業式が実施される」「保護者から保護者も参加できる対面式卒業式にしてほしい」との要望が寄せられているからとの回答がなされているそうである。
 学内において既に経済学部の稲葉和夫特任教授が全学に配信されているように、代表者による授与式をオンラインで配信するよりも、全員参加による保護者も参加した卒業式の方が人生の思い出深いであろうことは明瞭である。しかし現在のコロナの感染状況の下、多い学部では1000名を超える参加となり、現在の教室条件から密集する会場内はもとより、久しぶりの会う学生同士の会話、そして学外においても大量の人々が乗り込むバスや電車などでの感染拡大の危険から、上記のような方針で臨むことが合意され準備が進められてきたのである。それを「他大学では」とか「保護者から希望がよせられているから」など、およそ科学的根拠に基づく判断とは考えられないことを根拠に、学長名による一辺の連絡で変更するというのはあまりも乱暴である。
 そして何よりもこのような全学生・保護者・教職員にかかわる問題が常任理事会はおろか教学対策会議などいかなる機関でも検討されることなく、仲谷学長だけの「判断・決定」でなされた事である。まるで戒厳令下の軍事司令官の命令による遂行のようなやり方である。研究・教育を目的とする大学においては全構成員にかかわる問題は、しかるべき機関において衆議を尽くしての合意に基づいて運営すべきである。しかも余りにも唐突で乱暴なこの変更、「全学生参加の対面方式による卒業式」という言葉だけで、どのように感染対策をとるのか等、何も具体的なことが提起されていない。これでどうして進めるというのか。12日には仲谷総長も参加した拡大学部長会議が開催されるそうである。何処でも討議したことのない今回の変更、説明者は仲谷学長、ただ一人とならざるを得ないし、その方針に基づく対策提案者も学長が行うことになる。仲谷学長は、変更の科学的根拠ならびに手続き経過、そして感染対策方針について全学構成員が納得出来るような丁寧な説明を行わなければならないだろう。
 今回の重大で唐突な変更、現在の立命館の総長と理事長の関係から言って、到底、仲谷学長の単独判断に基づくものとは考えられない、少なくとも森島理事長の同意、いや森島理事長の「判断」による仲谷総長への提起と考えるのが妥当だろう。変更の経緯について詳しく説明されるべきである。またクラスターなど学内感染が起こった場合、誰がどう責任を負うのか。まさか当該の学部長や事務長ではないだろう。この点も明確にする必要があるだろう。
(2)森島朋三理事長、ゼネコンに続いて教材会社に立命館を売り渡すのか?
 立命館のAI広報・立命館CLUBの1月15日付け発行(197号)によると、立命館(森島朋三理事長)はAI教材開発会社・atamaplasと2020年12月22日、高大接続ならびに入試について共同研究開発を行うとの協定を締結したと写真入りで報じている。
 私は大学をはじめとする教育分野においてAIやオンライン活用が、立命館を含めて日本の教育機関は遅れており改善すべきと考えている。しかし今回の協定締結が持っている問題点を見逃してはならないと提起する。
 1)なぜ総長ではなく理事長が協定締結者なのか。
 高大接続や入試は学園の教学の在り方を決める重要課題である。これはまさに教学の最高責任者である総長の所轄事項である。それをなぜ総長ではなく経営の責任者である理事長が調印者としているのか。森島理事長は予てからなんでも自分の指揮下に置きたいとの傾向が強い。そしていよいよ教学分野も自分の手元におく手始めに高大接続と入試について「これは私が担当する」と動き出した。この間、森島理事長が登場してきた一連のマスコミ報道を観た人が共通して感じてきたように「能弁であるが底が浅い人物」との評価が定着しつつある。にも拘らず「長であれば下の人間よりも総ての分野で優れているとの思いあがり」が教学を含めてあらゆることを自分の下に置こうとするのである。これは組織を不幸にする典型的な例である。
2)なぜ積み上げてきた立命館の教学を、新興のAI教材会社に任そうとするのか
 高大接続も入試も立命館は多くの積み上げを築いてきた。もちろん時代に即した改革は必要であり、現在の到達が十分だと満足することなく、さらなる改革が必要である。しかしAIやオンラインの活用などのテクニカルな事項は付随的なものであって、本質的にはそれぞれの教学への深い理解が前提である。atamaplasは個々の教材をAI化する点について、それなりの技量を持っているのだろう。だからこそ多くの学習塾への売り込みに成功しているのかもしれないが、そのことと立命館がatamapiasと共同研究をすることとは別のことである。塾は多くの場合、既存知をどのように的確に教えるかが仕事である。それに対して大学は既存知をどのように乗り越えるかの研究を行う場であり、研究を基礎に教育する場である。本来付属校を含めた一貫教育の一般校と異なる特色もそこにある。また入試も基礎学力とともに問題発見と解決の能力の見極めが大切なのである。それこそ大学教育の前提であり立命館の使命なのである
①atamapiasがおこなっている程度の教材開発・発信は、情報理工学部や一貫教育部、付属校の人材でチームを作り少しの時間と努力して研究・開発すれば出来ることである。森島理事長は立命館にはその程度の力量を持った人材もいないと判断しているのだろうか。総長は情報を専門とする研究者であり情報理工学部の学部長も務めて来た人である。該当する分野の人々と相談して学内の人材発掘を行い組織して臨むのが当然である。atamaplas程度の会社のテクニカルに振り回されるのではなく、少し遠回りのように見えても自力開発をすべきであろう。その方が長い目で見た場合、立命館の教学改革の力になることは明瞭である。
②atamaplasが立命館と協定を結んだ理由は明確である。なによりも「立命館とも協定を結んでいます」が全国的売り込みの好材料になるからである。提供される立命館の豊富な高大連携・入試の膨大なデーター・例証はatamaplaの教材開発にとって極めて有用であるからである。
③そして手っ取り早く研究開発費などが立命館から提供されると考えているのであろう。
 森島理事長の下、大阪茨木キャンパス設立等をめぐって立命館は竹中工務店や鹿島建設などゼネコンの食い物にされてきた。そしてここにきて教学分野まで教材開発の民間会社に売り渡される危険が生れようとしている。立命館の教職員は事態を直視し、自らの誇りにかけてこのような異常な契約は取りやめる方向で状況を打開しなければならないだろう。

 鈴木元 経歴、立命館総長理事長室室長、初芝学園副理事長、中国(上海)同済大学アジア太平洋研究センター顧問教授、国際協力銀行中国内陸部人材育成事業アドバイザリー、私立大学連盟アドミニストレーター研修アドバイザー等を歴任。
 現在、国際環境整備機構理事長、京都高齢者大学校幹事会副代表、ベトナム枯葉剤被害者支援日本委員会事務局長、日本ペンクラブ会員、日本ジャーナリスト会議会員、かもがわ出版顧問など。
 主な著書、『立命館の再生を願って』『続・立命館の再生を願って』(いずれも風涛社)、『像とともに未来を守れ 天皇・立命館・学生運動』(かもがわ出版)、『もう一つの大学紛争』(かもがわ出版)、『異文化理解・協力の旅』(文理閣)、『京都市における同和行政批判』(問題研究所)『コロナ後の世界』(かもがわ出版)など多数。