NO61 常任理事ならびに関係各位へ
ANUとの共同学士課程学部設置構想議論、誰が将来の立命館に責任を負うのか
2016年5月11日 元立命館総長理事長室室長・ジャーナリスト 鈴木元
はじめにー取り返しのつかない不団結と、立命館大学が直面し解決を迫られている問題を置き去りにしたANU議論は、立命館大学に急速な自壊作用をもたらすことになる
(1)取り返しのつかない、不団結と不信感を広げてきたANU問題
1)この間、連休を挟んで常務会、常任理事会において、立命館大学とANUとの間での共同学士課程学部設置とかかわった協議再開にあたっての、市川副総長名によるANU宛てレターの内容を巡って議論が繰り返されてきた。
そこで明瞭となったことは、立命館大学の13の学部の教授会と常務会との間に極めて大きな隔たりが生じていることである。もともと常務会は常任理事会開催にあたって、その議題整理、各部門からの提案にあたって事前調整を図る組織であった。しかるに最近の状況を見ていると、長田理事長や川口前総長、森島専務らが常任理事会にも諮らずかつてに約束してきたことや、思い付き提案を、常任理事会に押し付ける場とされていることが、学園運営に深刻な状況をもたらしている。
しかも、常任理事会で多数合意が取れないと見ると、学外理事を含めた理事会において多数決で事を進めるというやり方を行い、学内の不団結を深めることになって来た。いまや常務会は長田理事長、森島常務によって「任命常務」を使った学園私物化の道具となっている感がある。総長が推薦した2人の副総長は総長を支えて、彼らの私物化を明確に批判しなければならないだろう。
2)このような深刻な学園運営の発端は、大阪茨木キャンパス(OIC)開設を巡って、長田理事長があらかじめサッポロビールならびに竹中工務店と約束してきたことにある。そして、今回のANUとの共同学士課程学部構想もそうである。立命館大学内での教学構想の中で生まれて来たものではなく、川口前総長が安倍首相のオーストラリア訪問に全国の大学人の中でただ一人同行し、安倍首相とオーストラリアの首相の立会いの下で「共同学位課程の探求」に関する覚書に署名してきたことに始まる。しかも、その直後に川口総長が常任理事会に諮ることもなく、立命館東京キャンパスにおける記者会見で「共同学士課程学部創設」を発表したことによって、既成事実化され学園に混乱をもたらした。長田理事長は自分たちの押しつけが常任理事会で通りそうにないと見ると「ANUは理事会で決めてもらう」との趣旨の発言を行い、立命館における従来の意思決定方式の慣行を全く無視して、学園の不団結を広げる役割を果たしてきた。なお常任理理事会の議論の中で明らかになったことであるが、長田理事長は川口前総長がオーストラリアで署名してきた覚書と、記者会見で発表したことがまったく質的に違うことであることさえ認識していなかった。そのため再度、覚書を配布しなおさなければならなかった。
3)グローバリゼ―ションが進む今日、一般論としてオーストラリアのトップ校といわれるANUと立命館大学の教学提携に反対する者はいない。問題は、教学提携の中身と交渉の進め方にある。また、両大学の教学提携は、両者対等の立場で進めるべきものである。立命館大学には日本で最初に創立された国際関係学部があり、同一法人下において日本で最初の本格的国際大学である立命館アジア太平洋大学がある。したがってANUと提携し、新しい課程(プログラム、学科・学部)を検討する場合、それらとどのように棲み分け、共同を行うのかの戦略的な議論の上、方向を出すべきものであつた。にもかかわらずAPUは議論の枠外におかれてきた。共同学士課程学部はOICで開設されるとされ、そのために、議論の途中では一方的に「国際関係学部をOICに移転させる」などの構想も出された。既に2年以上の経過が経っているが、国際関係学部では押し付けに反対する意見が多数を占め、「協議再開」を前にしても、今のところ国際関係学部がかかわった教学構想が具体化される目途はたっていない。
4)長田理事長や森島専務が、ANUとの共同学士課程学部構想がどのように「立派な先見性がある構想である」と考えていても、立命館大学の教学組織の同意・協力なしにことは進まないことは明確である。結局2年間、常務会の一部のメンバーによる独断専行による議論の引き回しは、学園全体の不団結を広げ、構成員の不信を強めただけである。このように構成員を無視した無意味な提案と議論は、もういいかげんに終息すべきであろう。
5)4月30日付でRU学部長有志の名において11学部長連名の文書が長田理事長ならびに吉田総長宛てに提出された。
そこでは4月27日の常任理事会において「財政試算の内実と信憑性が問題となりました。改めて精査すると、仮に定員確保ができたとしても新学部財政自立は成り立たないのではないかという問題提起です」と述べている。そして「財政は共同学士課程=新学部設置を判断する際の前提条件であり、それが崩れてしまえば、今次協議再開に向けた基本フレーム自体、その財政的根拠を失うことになります」「資料に基づく正確な説明を次回滋常任理事会(11日)で行うことになりました。私たちはその説明に注視したいと思います」と記されている。その上で11名の学部長有志は①協議再開に際しては、両大学における対等平等の視点から、常任理事会での議論を踏まえた交渉とすること ②財政自立が困難であることが判明した場合、およびANU側からの学生確保に関する具体的取り組みについて言及がない場合は、協議を中断し・・」と、そこには常識的判断が示されている。11日に提出されると予想される新たな財政試算において、これまでとは異なった数値が出されるとしても、根拠ある計算方法が示されないならば、それこそ東芝などと同様の粉飾決算に等しい背信行為となる。
6)今日まで財務部が提出してきた試算の致命的欠陥は、奨学金、寮にかかる費用を対象として含んでいないことである。1学年90名のうち60名を日本人以外の「留学生」としており、奨学金や寮なしに成り立たないことは自明のことである。にも関わらず、その経費を試算の中に入れていないことは財政試算としては、およそ成り立たないものである。このような意図的に杜撰な試算を基に、何が何でも共同学士課程学部(グローバル教養学部)を押し付けようとする行為は、長田理事長や森島専務と全学の教学機関との溝を決定的に深めることになる。なぜそこまでするのか、「外務省ならびに文部科学省を含めた安倍政権との抜き差しならない関係があるのではないか」との疑いが生じても不思議では無い状況である。
7)本日5月11日の常任理事会に、ANUとの共同学士課程学部創設にかかわって、両大学間の協議再開について市川副総長名で相手側に送付する文書が改めて審議されることになっている。
しかし、そこでは3月30日の常任理事会で吉田総長が議論のまとめとして提案され確認された「協議再開にあたって確認事項」が変更されている。
すなわち3月30日文書では「学費収入は実員に基づいて折半する」されていたのを新しい文書では「定員90名分の学費を折半とし」、合わせて定員を90名+オートラリア国内学生10名=100名とし、プラスした10名については実員で折半するとされている。これは、3月30日文書の内容を本質的に変質させる重大な変更であり、両大学の対等平等の立場が保証されたものでない。
変更した理由説明では「3月30日の確認は、ANUとの協議を再開するためのものであったが、定員90名の実員学費を折半するというRU側の提起は、協議再開を入り口で閉ざしてしまう危険がある」としている。そして今頃になって「ANUでは海外の大学と提携する場合、プログラムが安定するために、学生数×学費=収入が安定していることが条件であることが分かったので、こういう判断をせざるを得ない」との趣旨を記している。子供の交渉ではあるまい。今頃になって何を言っているのか、そのようなことは最初から書いてあったはずである。交渉者失格である。いずれにしても提案者たちは、何時から対等平等の教学提携の大義を捨ててANUの代弁者になったのか。
そして「既に学生交流や研究交流を進んでいる今、共同学位課程学部設置の協議をつぶすべきでない」としている。立命館は世界の多くの大学と共同学位課程学部設置構想などが無くても学生交流や研究交流は進めてきた。ANUも同様であるべきである。逆に言えば共同学位課程学部設置を条件に学生交流や研究交流を進めてきたわけではない。
国際化=ANUとの共同学位課程学部設置ではないし、このような共同学位課程学部課程構想以外で、より重要な国際化の課題は学園内には沢山ある。川口前総長がかつてに約束してきて記者発表したことに、いつまでも振り回される必要は無い。以前に書いたことであるが、この件は川口前総長が責任を持ってANUに謝罪し、止める旨を伝えに行き立命館顧問を辞任することこそが、学園全体にとって最善の選択であろう。
(2)この一年間、R2020後期計画財政展望とANU問題の議論に明け暮れ、立命館の存亡にかかわる重要問題について、全学の英知を結集して議論し方策を立てることが放置され、重大な事態に陥っている。
1)京都法政学校として出発した立命館大学において法科大学院が定員を削減したにもかかわらず、定員割れを起こし司法試験合格率が大幅に低下し、その存亡が問われる事態となっている。中教審作業部会報告として司法試験における適正試験廃止の方針を出すとの報道(8日付「読売」9日付「京都」)も受けて,早急の検討が迫られている。
長田理事長が総長時代に「自分が作った、新しい大学院」と大見えを切って発足させた先端科学研究科は、今や入学者、在学者が数名という事態となっている。
学部教学においても、全国最大規模の中途退学者が生まれ、学則定員を増やしながら実員では減少するという他の大手私学では考えられない教学危機が抜き差しならない事態になっている。
2)にもかかわらず常任理事会では、この数年、長田理事長や森島専務によって持ち込まれたOIC、財政危機、ANUの議論に明け暮れ、学生・院生の実態分析に基づいた建設的対策が打ちたてられないままに時を過ごし、取り返しのつかない事態が進行している。このような深刻な事態を認識できない長田理事長、森島専務は経営者として失格である。なお両名は「川本前理事長を上回る」と虚勢をはり、新しい学部や研究科、国際プログラムを提起し「実現」することが自分たちの存在意義だと思い込み、学園に混乱と自壊を持ち込んでいる。
不団結の広がりの中で、立命館の存亡にかかわる問題がまともに議論され対策が立てられてこなかったことが最大の問題であつた。今こそ既存学部・研究科の教学再生のために、公開全学協議会に向けて、教学機関における2011年以降の教学総括と合わせ、学友会や院生協議会、そして教職員組合などと協議し、全学の知恵と力を結集し、一刻も早く手立てを打つために行動することが何よりも重要であろう。
かつてトップメーカーと言われていた、シャープ、東芝、三菱自動車が、経営者の誤った判断と、その失敗を覆い隠す粉飾によって、あっという間に自壊し、台湾や中国の会社に身売りしなければならない事態に陥った。現在の法科大学院の実態を直視すれば、補助金減額・停止、解散・閉鎖の危険が待ち受けていることは「時間の問題ではないか」と言う状況にあることは誰の目から見ても明らかである。学部教学を含めて、立命館大学の教学の立て直しに知恵と力とお金を集中しなければならない時に、これ以上、ANUとの共同学士課程学部課程議論などにうつつを抜かしている状況ではない。長田理事長や森島専務が固執している限り解任を求めざるを得なくなるだろう。
以上
鈴木元。元立命館総長理事長室室長、現在・日本ペンクラブ会員、日本ジャーナリスト協会会員、かもがわ出版取締役、国際環境整備機構理事長、京都高齢者大学校幹事。
著書に『立命館の再生を願って』『続・立命館の再生を願って』(いずれも風涛社)、『大学の国際協力』(文理閣)、『像とともに未来を守れ』(かもがわ出版)など多数。
ANUとの共同学士課程学部設置構想議論、誰が将来の立命館に責任を負うのか
2016年5月11日 元立命館総長理事長室室長・ジャーナリスト 鈴木元
はじめにー取り返しのつかない不団結と、立命館大学が直面し解決を迫られている問題を置き去りにしたANU議論は、立命館大学に急速な自壊作用をもたらすことになる
(1)取り返しのつかない、不団結と不信感を広げてきたANU問題
1)この間、連休を挟んで常務会、常任理事会において、立命館大学とANUとの間での共同学士課程学部設置とかかわった協議再開にあたっての、市川副総長名によるANU宛てレターの内容を巡って議論が繰り返されてきた。
そこで明瞭となったことは、立命館大学の13の学部の教授会と常務会との間に極めて大きな隔たりが生じていることである。もともと常務会は常任理事会開催にあたって、その議題整理、各部門からの提案にあたって事前調整を図る組織であった。しかるに最近の状況を見ていると、長田理事長や川口前総長、森島専務らが常任理事会にも諮らずかつてに約束してきたことや、思い付き提案を、常任理事会に押し付ける場とされていることが、学園運営に深刻な状況をもたらしている。
しかも、常任理事会で多数合意が取れないと見ると、学外理事を含めた理事会において多数決で事を進めるというやり方を行い、学内の不団結を深めることになって来た。いまや常務会は長田理事長、森島常務によって「任命常務」を使った学園私物化の道具となっている感がある。総長が推薦した2人の副総長は総長を支えて、彼らの私物化を明確に批判しなければならないだろう。
2)このような深刻な学園運営の発端は、大阪茨木キャンパス(OIC)開設を巡って、長田理事長があらかじめサッポロビールならびに竹中工務店と約束してきたことにある。そして、今回のANUとの共同学士課程学部構想もそうである。立命館大学内での教学構想の中で生まれて来たものではなく、川口前総長が安倍首相のオーストラリア訪問に全国の大学人の中でただ一人同行し、安倍首相とオーストラリアの首相の立会いの下で「共同学位課程の探求」に関する覚書に署名してきたことに始まる。しかも、その直後に川口総長が常任理事会に諮ることもなく、立命館東京キャンパスにおける記者会見で「共同学士課程学部創設」を発表したことによって、既成事実化され学園に混乱をもたらした。長田理事長は自分たちの押しつけが常任理事会で通りそうにないと見ると「ANUは理事会で決めてもらう」との趣旨の発言を行い、立命館における従来の意思決定方式の慣行を全く無視して、学園の不団結を広げる役割を果たしてきた。なお常任理理事会の議論の中で明らかになったことであるが、長田理事長は川口前総長がオーストラリアで署名してきた覚書と、記者会見で発表したことがまったく質的に違うことであることさえ認識していなかった。そのため再度、覚書を配布しなおさなければならなかった。
3)グローバリゼ―ションが進む今日、一般論としてオーストラリアのトップ校といわれるANUと立命館大学の教学提携に反対する者はいない。問題は、教学提携の中身と交渉の進め方にある。また、両大学の教学提携は、両者対等の立場で進めるべきものである。立命館大学には日本で最初に創立された国際関係学部があり、同一法人下において日本で最初の本格的国際大学である立命館アジア太平洋大学がある。したがってANUと提携し、新しい課程(プログラム、学科・学部)を検討する場合、それらとどのように棲み分け、共同を行うのかの戦略的な議論の上、方向を出すべきものであつた。にもかかわらずAPUは議論の枠外におかれてきた。共同学士課程学部はOICで開設されるとされ、そのために、議論の途中では一方的に「国際関係学部をOICに移転させる」などの構想も出された。既に2年以上の経過が経っているが、国際関係学部では押し付けに反対する意見が多数を占め、「協議再開」を前にしても、今のところ国際関係学部がかかわった教学構想が具体化される目途はたっていない。
4)長田理事長や森島専務が、ANUとの共同学士課程学部構想がどのように「立派な先見性がある構想である」と考えていても、立命館大学の教学組織の同意・協力なしにことは進まないことは明確である。結局2年間、常務会の一部のメンバーによる独断専行による議論の引き回しは、学園全体の不団結を広げ、構成員の不信を強めただけである。このように構成員を無視した無意味な提案と議論は、もういいかげんに終息すべきであろう。
5)4月30日付でRU学部長有志の名において11学部長連名の文書が長田理事長ならびに吉田総長宛てに提出された。
そこでは4月27日の常任理事会において「財政試算の内実と信憑性が問題となりました。改めて精査すると、仮に定員確保ができたとしても新学部財政自立は成り立たないのではないかという問題提起です」と述べている。そして「財政は共同学士課程=新学部設置を判断する際の前提条件であり、それが崩れてしまえば、今次協議再開に向けた基本フレーム自体、その財政的根拠を失うことになります」「資料に基づく正確な説明を次回滋常任理事会(11日)で行うことになりました。私たちはその説明に注視したいと思います」と記されている。その上で11名の学部長有志は①協議再開に際しては、両大学における対等平等の視点から、常任理事会での議論を踏まえた交渉とすること ②財政自立が困難であることが判明した場合、およびANU側からの学生確保に関する具体的取り組みについて言及がない場合は、協議を中断し・・」と、そこには常識的判断が示されている。11日に提出されると予想される新たな財政試算において、これまでとは異なった数値が出されるとしても、根拠ある計算方法が示されないならば、それこそ東芝などと同様の粉飾決算に等しい背信行為となる。
6)今日まで財務部が提出してきた試算の致命的欠陥は、奨学金、寮にかかる費用を対象として含んでいないことである。1学年90名のうち60名を日本人以外の「留学生」としており、奨学金や寮なしに成り立たないことは自明のことである。にも関わらず、その経費を試算の中に入れていないことは財政試算としては、およそ成り立たないものである。このような意図的に杜撰な試算を基に、何が何でも共同学士課程学部(グローバル教養学部)を押し付けようとする行為は、長田理事長や森島専務と全学の教学機関との溝を決定的に深めることになる。なぜそこまでするのか、「外務省ならびに文部科学省を含めた安倍政権との抜き差しならない関係があるのではないか」との疑いが生じても不思議では無い状況である。
7)本日5月11日の常任理事会に、ANUとの共同学士課程学部創設にかかわって、両大学間の協議再開について市川副総長名で相手側に送付する文書が改めて審議されることになっている。
しかし、そこでは3月30日の常任理事会で吉田総長が議論のまとめとして提案され確認された「協議再開にあたって確認事項」が変更されている。
すなわち3月30日文書では「学費収入は実員に基づいて折半する」されていたのを新しい文書では「定員90名分の学費を折半とし」、合わせて定員を90名+オートラリア国内学生10名=100名とし、プラスした10名については実員で折半するとされている。これは、3月30日文書の内容を本質的に変質させる重大な変更であり、両大学の対等平等の立場が保証されたものでない。
変更した理由説明では「3月30日の確認は、ANUとの協議を再開するためのものであったが、定員90名の実員学費を折半するというRU側の提起は、協議再開を入り口で閉ざしてしまう危険がある」としている。そして今頃になって「ANUでは海外の大学と提携する場合、プログラムが安定するために、学生数×学費=収入が安定していることが条件であることが分かったので、こういう判断をせざるを得ない」との趣旨を記している。子供の交渉ではあるまい。今頃になって何を言っているのか、そのようなことは最初から書いてあったはずである。交渉者失格である。いずれにしても提案者たちは、何時から対等平等の教学提携の大義を捨ててANUの代弁者になったのか。
そして「既に学生交流や研究交流を進んでいる今、共同学位課程学部設置の協議をつぶすべきでない」としている。立命館は世界の多くの大学と共同学位課程学部設置構想などが無くても学生交流や研究交流は進めてきた。ANUも同様であるべきである。逆に言えば共同学位課程学部設置を条件に学生交流や研究交流を進めてきたわけではない。
国際化=ANUとの共同学位課程学部設置ではないし、このような共同学位課程学部課程構想以外で、より重要な国際化の課題は学園内には沢山ある。川口前総長がかつてに約束してきて記者発表したことに、いつまでも振り回される必要は無い。以前に書いたことであるが、この件は川口前総長が責任を持ってANUに謝罪し、止める旨を伝えに行き立命館顧問を辞任することこそが、学園全体にとって最善の選択であろう。
(2)この一年間、R2020後期計画財政展望とANU問題の議論に明け暮れ、立命館の存亡にかかわる重要問題について、全学の英知を結集して議論し方策を立てることが放置され、重大な事態に陥っている。
1)京都法政学校として出発した立命館大学において法科大学院が定員を削減したにもかかわらず、定員割れを起こし司法試験合格率が大幅に低下し、その存亡が問われる事態となっている。中教審作業部会報告として司法試験における適正試験廃止の方針を出すとの報道(8日付「読売」9日付「京都」)も受けて,早急の検討が迫られている。
長田理事長が総長時代に「自分が作った、新しい大学院」と大見えを切って発足させた先端科学研究科は、今や入学者、在学者が数名という事態となっている。
学部教学においても、全国最大規模の中途退学者が生まれ、学則定員を増やしながら実員では減少するという他の大手私学では考えられない教学危機が抜き差しならない事態になっている。
2)にもかかわらず常任理事会では、この数年、長田理事長や森島専務によって持ち込まれたOIC、財政危機、ANUの議論に明け暮れ、学生・院生の実態分析に基づいた建設的対策が打ちたてられないままに時を過ごし、取り返しのつかない事態が進行している。このような深刻な事態を認識できない長田理事長、森島専務は経営者として失格である。なお両名は「川本前理事長を上回る」と虚勢をはり、新しい学部や研究科、国際プログラムを提起し「実現」することが自分たちの存在意義だと思い込み、学園に混乱と自壊を持ち込んでいる。
不団結の広がりの中で、立命館の存亡にかかわる問題がまともに議論され対策が立てられてこなかったことが最大の問題であつた。今こそ既存学部・研究科の教学再生のために、公開全学協議会に向けて、教学機関における2011年以降の教学総括と合わせ、学友会や院生協議会、そして教職員組合などと協議し、全学の知恵と力を結集し、一刻も早く手立てを打つために行動することが何よりも重要であろう。
かつてトップメーカーと言われていた、シャープ、東芝、三菱自動車が、経営者の誤った判断と、その失敗を覆い隠す粉飾によって、あっという間に自壊し、台湾や中国の会社に身売りしなければならない事態に陥った。現在の法科大学院の実態を直視すれば、補助金減額・停止、解散・閉鎖の危険が待ち受けていることは「時間の問題ではないか」と言う状況にあることは誰の目から見ても明らかである。学部教学を含めて、立命館大学の教学の立て直しに知恵と力とお金を集中しなければならない時に、これ以上、ANUとの共同学士課程学部課程議論などにうつつを抜かしている状況ではない。長田理事長や森島専務が固執している限り解任を求めざるを得なくなるだろう。
以上
鈴木元。元立命館総長理事長室室長、現在・日本ペンクラブ会員、日本ジャーナリスト協会会員、かもがわ出版取締役、国際環境整備機構理事長、京都高齢者大学校幹事。
著書に『立命館の再生を願って』『続・立命館の再生を願って』(いずれも風涛社)、『大学の国際協力』(文理閣)、『像とともに未来を守れ』(かもがわ出版)など多数。