スズキ ゲンさんのブログ

立命館の再生を願って

NO75  学校法人立命館の新理事会体制発足にあたって

2017-10-18 23:26:52 | 立命館の再生を願って
学校法人立命館の新理事会体制発足にあたって
2017年10月18日 元立命館総長理事長室室長・ジャーナリスト 鈴木元

目次
はじめに
(1) 理事会選挙総括とかかわって
1)選挙の結果は
2)長田豊臣理事長、森島朋三専務によって、3年間周到に準備された選挙
3)吉田美喜夫総長をはじめ教学機関の大多数に支持されない理事長の誕生
(2) 森島朋三新理事長のあいさつとかかわって
1)総括も反省も教訓もなく、政府の文教政策批判もない美辞麗句の作文
2)大阪初芝学園問題
3)APUの学長選出問題
(3) 大阪茨木キャンパスの今後、長岡京キャンパス問題
1)大阪茨木キャンパス(OIC)はどうするのか
2)長岡京キャンパスを巡る問題
(5)次期、総長選挙、理事・理事長選挙の対策を立てる必要がある

はじめに
 7月21日の理事会において森島朋三理事長(以下、森島)を含めて新しい理事会体制が発足した。この選挙を巡って私は立命館問題専用ブログ(インターネットで スズキ ゲンさんのブログ と検索すれば出てきます)においてNO70.71.72.73.74を発表した。いずれも最近ではなかった週間単位で3000件を超えるアクセスがあった(通常1000件/毎週 程度)
それだけ大きな関心があったのである。従って選挙結果と新体制について論評します。
(1) 理事・理事長選挙総括とかかわって
1) 選挙の結果は、a)理事数において吉田美喜夫総長(以下、吉田)を中心に動いた人々(以
下、「総長派」)は総長+2名の副総長+学部長理事の大多数の獲得、長田豊臣理事長(以下、長田)、森島専務を中心とした勢力(以下、「理事長派」)は学外理事と「任命制理事」の大多数を獲得し、結果として理事の数の上では「総長派」の「敗北」は明白であった。b)しかしトップ人事においては長田理事長・森島専務が当初に構想した長田相談役(理事)、森島理事長、上田寛副理事長(以下、上田)、某専務体制は、長田も某も理事に就任できず、上田氏も副理事長ではなく専務となった。逆に吉田総長が理事長に推薦した、久岡康成氏が副理事長、大島英穂氏が国際教育担当理事に就任することになった。c)選挙を通じて吉田総長、市川正人副総長、松原豊彦副総長、そして立命館大学の学部長理事多数の結束が強まったとみられる。
2)長田理事長・森島専務によって3年間、周到に準備された選挙、
3年前の理事・理事長選出後、森島専務は学外理事の有力者を巻き込んで、続投の欲望も隠さなかった長田理事長を説得し、次回には森島理事長体制を築こうとした。それに対して長田氏は最低でも相談役(理事)に就任しようと粘った。学外理事の有力者を含めて学内において人気の悪い森島氏をどうして理事長に据えるかで策を弄してきた。そして2年前の総長選挙において吉田氏が当選するや否や「理事長まで取られたら駄目」と必死の取り組みを始めた。その際彼らは、寄付行為において「副総長は総長が理事会に推薦する」の規程を「副総長は総長が理事長と協議の上、理事会に推薦する」と改悪した。
誕生した吉田総長は総長選挙において学内が二分したことを憂慮し、その傷を修復するために4名の副総長の内、2名は対立候補となった渡辺公三副総長と彼を推薦した是永駿副総長を副総長として再任した。それにも関わらず長田理事長や森島専務は「協議とは同意である」と主張し、吉田総長が提案した、もう2人の副総長人事を理事会において否決するという立命館の歴史上初めての暴挙を働き、彼らが容認できる範囲の人事でなければ認めないという対応を行った。
私はその時点からこのブログのシリーズにおいて、次回理事長選出に的を置いた理事対策を独自に立てて行動する必要があると指摘し続けた。合わせて「協議」という文言を入れることについて、黙認したような無警戒な対応は是正する必要があると指摘した。それは経理規定において、理事長の決済権限を「1億円以上  」とおよそ決済規程とは言えない制限のない規程を認めたことも同様であり、いまだに是正されていないことは将来に禍根を残すことになる、一刻も早い是正が必要であると提起したが未だに放置されたままである。
全国の大学人と同様に立命館においても従来、総長選挙には関心を持ち対策も組むが、理事改選については特段の対策も打たないままに時を過ごしてきた。ANUとの提携や、食マネジメント学部など吉田総長の下、提案する側と疑問を呈する側とが延々と論議している最中、長田理事長・森島専務等は、それらを横目で見ながら、一貫して理事対策に手を打ってきた。
彼らは、総長が当初に提案した副総長人事案を妨害しただけではなく、学外理事についても川本八郎前理事長時代の学外理事に対して、長田理事長が「次は若手の森島朋三君にやってもらうので、理事も若返らせたい」などと言って古い理事の退任同意を取り付けただけではなく、森島専務の理事長就任に明確に同意を表明しなかった人は全て理事推薦からはずすという措置をとった。しかもあらかじめそのことは明らかにすることなく7月21日の理事会当日に突然入れ替ったように見せかけた。
吉田総長やそのブレーンの人々は数カ月程前から対策に動いた。今までの立命館や全国の私立大学の動向から見れば貴重な取り組みであった。しかし説得し「同意を取り付けた」メンバーは基本的に理事から外されたか、様子を見て理事長派についた。その際、吉田総長に対する個人攻撃や、私のブログ文書を基にした反共攻撃が行われた。それが個々の理事者にどのような心理的効果をもたらしたかはわからない。しかし明確なことは個人攻撃にせよ、反共攻撃にせよ、今回の理事選挙が初めての事ではなく、吉田総長に対する個人攻撃は総長選挙以来、私のブログに対する反共攻撃は私がブログを立ち上げて以来の事であり今回が初めてことではなく、選挙結果に特段の影響を与えたとは考えられない。
学外理事の人々は会社の社長などで、一回や二回の個人攻撃や反共攻撃で支持を変えたりしたのではない。今回の対立候補を立てた選挙結果において、総長と2名の副総長+学部長理事の多数のみが支持し、固定票から広がることはなかったことからも明らかである。以前に吉田総長派に同意するかに見えた学外理事の人もいたが、その人もあらかじめ森島専務の理事長就任を表明したから残ったのである。明確に支持を表明しなかった人は高齢でなくとも全てあらかじめ理事から外され、川本時代の理事で残ったのは明確に森島支持を表明した3名だけであった。
また「OBで今や学外者となっている鈴木元氏や『立命館の民主主義を考える会』の人々があれこれ言うべきでない」との意見も流布されている。大学は現役の学生・教職員が中心になるべきであるが、その人たちだけのものではない。長田・森島理事長派は学内では少数派であるにもかかわらず財界人を中心とした外部理事の力を借りて「勝利」したのである。自分たちは学外者の力を借りておきながら、学園の正常化を求める人々に対しては、学外者(元教職員)が支援することを攻撃するところに、その本性が現われている。
3)総長を含め教学機関の大多数から支持されない理事長の誕生という異例の事態
今回の理事長選挙を通じて、総長を始めとする教学関係者の多数から支持されない理事長が誕生したのは、100年を超える立命館の歴史上初めてであり、全国的にも異例な選出の仕方であると言えよう。長田前理事長でも誕生の時には総長以下、全学部長の支持の下に誕生した。その後の彼の言動を見て、次第に、批判し解任を求める事態になったのである。理事長選挙に当たって、総長等から対立候補を擁立されて選挙に臨んだ理事長候補も立命館の歴史上初めての事である。
立命館大学を中心とする学校法人立命館は教育・研究を目的とする教学機関であり、その経営管理はあくまでも教育・研究を推進するためのものである。総長と理事長を同一人物が行うかどうかにかかわらず、理事長は総長を支えつつ団結して事にあたらなければならない。しかし、この10年の経過の中で森島専務は長田理事長を矢面に立て学園に混乱をもたらしてきただけで、教学機関から批判されることはあっても支持されることは無かった。このような状況の下では、理事、理事長選挙を前に彼は辞任するのが当然の身の処し方であった。例え一部の人間から推挙されたとしても辞退すべきであった。彼を常務に登用した川本八郎前理事長も彼を推挙しなかった。それだけではなく対立候補として久岡康成元教学担当常務理事を理事長候補として推挙し,その支持を広げるために行動した。しかし森島専務は候補を下りず、あくまでも理事長就任に執着し、川本理事長時代にAPU創設に尽力した学外理事を引きずり降ろした。
何処にも選出基盤がなく、総長ならびに二人の副総長、そして副理事長、大多数の学部長理事から支持されない理事長、日常の学園運営を決め執行する常任理事会において、まったくの少数派である彼はどのようにふるまうのか。
(2)森島朋三新理事長のあいさつとかかわって
1)これまでの総括、そして何よりも反省がなく、政府の文教政策批判がない美辞麗句の文書
 8月31日に開催された部次長会議において森島理事長は新理事長として所信表明挨拶を行った(本人の弁だと理事会でも同じ趣旨のことを言ったそうである)。そこではa,急激に迫っている18歳人口減やグローバリゼーションに、どう立ち向かうかなど、極く当然の一般論を語っている。b.しかし肝心なことは長田前理事長とコンビで10年間にわたって、学園に混乱をもたらしてきたことに対する総括や、ましてや反省がまったくないことである。
c.もう一つは、政府・文部科学省が文系教学を否定する一方、軍学提携を推進していることに対して「平和と民主主義」を教学理念としている立命館の理事長として、ひとことの批判も行わなかったことである。
現在の立命館が大南元総長や川本前理事長などによって全学の団結の下に切り開いてきた成果に、さも自分もかかわって来たかのような作為的挨拶を行っている。彼が唯一かかわったのは立命館小学校設置の事務局の仕事をした以外に立命館における建設的改革とかかわったことはない。彼が行ったことは以下のように立命館に混乱をもたらしたことと、立命館をゼネコンの食い物にした事である。
①教職員の一時金の一カ月カットを強行し裁判にまで持ち込んで混乱させた。
②足羽慶保の学歴詐称事件に対して、「卒業を証明する文書が出てきました」と明白なウソをつき唯一学位授与権のある大学の根本的否認の行動を行った。
※①と②は川本前理事長によって引き起こされたことで、森島氏が「川本氏に任用された自分としては断れなかった」と反省の弁を述べるならまだしも、まったく触れもしなかった。
③それどころか、長田・森島の両名は「川本を上回る理事長になる」と大言壮語の主張の下に、既存学部の移転のために400億円を超える支出を行って大阪茨木キャンパス建設を強行し今日に至っている(後記)。これまでにも書いてきたように政策科学部のために衣笠周辺に土地を確保し、新校舎を建てた場合、せいぜい50億円もあれば出来たであろう。そうすると少なくとも300億円は研究教育の質の向上に使えただろう。
④「深草キャンパスは龍谷大学が35億円で購入してくれます」というウソに基づいて、立命館の財政原則を踏みにじり校舎建築費110億円を法人(基本的には立命館大学)が負担するというやり方で長岡京キャンパスを購入・建設し、その上に裁判まで持ち込んだ(後記)。
※これら①②③④などの一連の事に関しては、拙著「立命館の再生を願って」「続・立命館の再生を願って」(いずれも風涛社)を参照のこと。
⑤自分に反対ないしは批判的な職員を10年に渡って次々と排除し自分におもねる人物だけを登用してきた。その結果、かつての「立命館は教員もさることながら、職員が優秀だと」と言う社会的評価は色あせ、今では教員が積極的提案を行っても、多くの職制は「森島専務の意にそぐわない場合は逆鱗に触れる」と警戒し「それは難しいです・・」と、動かない事態がしばしば起こっている。森島理事長は「かつての立命館は元気だったが、今の立命館は改革疲れで動かなくなっているとの評価を受けているが、今こそ動かなければならない」と「天に向かって唾する」発言を行っている。
この部次長会議において「(理事長)就任に当たり、理事の皆さんの前で総長と硬い握手を交わしました」などと、吉田総長をはじめとする教学関係者の信頼を得ているかのように振舞った。また彼は、久岡副理事長、上田専務と共に学部(教授会)への挨拶周りを行おうとしている。今日までの悪事を覆い隠し、何事もなかったように振舞うために、二人のベテラン教員を隠れ蓑として利用するつもりなのだろう。このような姑息やり方を通用させてはならないだろう。
2)大阪初芝学園問題
先日、森島理事長は教学提携法人の大阪初芝学園を訪ねた。「挨拶に来られた」と思った人々に対して彼は「私は長田理事長の後を継いで、近くこの法人の理事長になる。私は話を聞くだけではない。指示するので聞いてもらわなければならない」と恫喝したそうである・
大阪初芝学園は教学提携校とはいえ、立命館とは別の法人である。大阪初芝学園の評議員会・理事会で選出されない限り理事長には就任できない。「提携に携わって苦労した者」である私から言わせていただくと、大阪初芝学園の複雑な歴史的経緯、所轄官庁である大阪府との関係、また立命館における初等・中等教育の在り方などを慎重に考慮し、財政的支援は行わず、双方にとってメリットとなる教学提携を目指したのである。
そうした中で財政的支援を行わない下で立命館の積極的立場を表明するために当時理事長であった長田理事長に、大阪初芝学園の理事長を引き受けてもらった。しかし教学や人事についてあれこれの指示を行わないように注意したし、当初は長田氏もわきまえていた。ところが森島朋三新理事長は教学提携時に立命館の理事長が初芝学園の理事長を兼ねたという面だけを捕らえて、初芝学園をあたかも立命館の下部組織のように扱うとしているようであるが、そのような態度は百害あって一利なしである。要するに、森島新理事長の特性として、身勝手な解釈であくまでもあらゆる部門を自分の支配下に置きたいことが丸見えである。伝えられるところによると立命館で「問題を起こした幹部」複数名を初芝学園の幹部として使うように押し付けているようである。それは初芝学園の教育に混乱をもたらすことはあっても、教職員の団結の下に創意ある教育的発展を追求することに対する妨害行為になる危険がある。
このようなことを書くと、彼はまた「誰が鈴木に情報を流したか」と躍起になることだろう。先に書いたように私は立命館と大阪初芝学園の提携に苦労した人間である。大阪初芝学園の教職員の多数の人々とは知古の中である。そんなことより彼の言動が不評を買っていることを自覚しなければならないが、彼にはその良識・見識・度量がない。
改正された私立学校法において理事長は、その業務に専念しなければならず、専従でなければならないと規定されており、例外的にしか兼務は認められていない。大阪初芝学園においても先に示したように教学提携を行うにあたって財政的関係は結ばす、あくまでも両法人にとってメリットになる教学提携としたのである。その本気度を示すために長田氏は初芝学園の理事長を兼務したが学園運営にあれこれと口を出すことはしなかった。もちろん彼の性格も作用したことは事実であるが、少なくとも引き回し混乱を作ることはなかった。
しかし森島理事長は違うであろう。大学においては学部自治そして選挙で選ばれた学部長理事制度の下で彼は学部の教学や人事に口は出せない。しかし附属校に対する態度は異なった。一貫教育担当常務理事を自分の管轄の下に置き、人事やあれこれの教学、それにまつわる建設や財政を自分の思い通りに動かしてきた。その結果が立命館小学校におけるパワハラ事件であり、守山中高校における生徒との不正常な事件であり、立命館中高校における使い込み事件の発生であった。そして長岡京キャンパスを巡る財政、教学、管理運営の混乱である。このようなことを他の法人である大阪初芝学園に持ち込ませてはならないだろう。立命館と初芝学園の関係はあくまでも教学連携である。担当副総長をはじめ常任理事会は適切な対応を行うことが求められている。なお以前にも指摘したことであるが、一貫教育担当常務理事は理事長・専務の下ではなく、教学の最高責任者である総長とそれを補佐する副総長の管轄の下に置かなければならないだろう。
3)APUの学長選出問題
現行の寄付行為においてAPUの学長(理事)、副学長(理事2名)、学部長(理事2名)は、総長の「推薦任命制」となっている。これに対して私はAPUの教職員、そして学生も含めた選挙によって選ばれるようにすべきだと提唱してきた。ところが昨年来の「役員の在り方検討委員会」に置いて森島専務の指揮の下、志磨総務担当常務ならびに今村APU担当常務(副学長)によつて、APUの学長は公募とし、APUにおける選考委員会が1人に絞り、総長に具申して推薦するというやり方にしようとした。しかし1名だけと言うのは結局のところ寄付行為が定めている「総長が推薦する」という方式を否定する提案であつた。最終的には2名を具申し、その中から総長が1名を推薦するということで、かろうじて総長推薦制度との整合性を図ろうとしたが、実質的に森島理事長指揮下の今村APU担当常務(副学長)の采配の下に置かれることになった。
要するに大阪初芝学園もAPUもすべて自分の支配下に置きたいという森島専務(当時)の野望を実現しただけである。「役員の在り方検討委員会」がそのように結論を出し、実行に移されていることは全学的にはほとんど共有されていないと思われる。学部長理事の皆さんは法人の理事として立命館大学の事だけではなくAPUや附属校、提携校についても事態を掌握し、学園の全体的発展のために努めになければならないだろう。
4)改めて言う、総長と理事長の関係
 今回の理事長挨拶で意図的に触れられてない重要な問題がある。それは総長と理事長の関係である。「独裁者」のように見られていた川本八郎前理事長でも、教職員を前にした公式の場で「総長と理事長が意見を異にした場合、その一致のために努力するが、一致しない場合は総長に従う、それが大学と言うものだ」と語って来た。大学を含めた学校法人は教育・研究を目的・使命としている。その学校法人の教学の最高責任者である総長は全構成員の選挙によって選ばれている。法人組織の長である理事長は、総長の推薦も受けて理事・理事長に選任され総長以下の教学的営みを経営的に支えるのが任務である。こうした点から川本前理事長の発言は極当然の正しい言動であった。
 ところが2004年に私立学校法が改正され、その改定項目の一つに「学校人の理事会においては理事長が総理する」と記載されたことを根拠に、長田理事長は「学校法人においては理事長が一番偉く、総長と雖も一人の理事に過ぎず、理事長に従わなければならない」と言い出した。
この発言は二重の間違いを犯している。一つは「総理する」というのは、理事長がかつてに何でも決められるという事ではなく、理事会の決定が前提であり、それを遂行するにあたって理事長が責任をもって全ての理事をまとめて事に当たらなければならないという意味である。もう一つは学校法人の目的は教育・研究である、これを経営管理の面から支えるのが理事長以下の理事の責任である。そして立命館の規程において理事長となる人物は総長の推薦同意を得て理事に選任されている。こうした点から総長と理事長の意見が異なった場合にどうするかと言う点で、川本前理事長のような態度が正しく長田前理事長の見解が間違っていることは明白である。
しかし総長と理事長が異なる人物が行っている場合、その選出基盤が異なることもあり、対立が深まる場合がある。それを確実に防ぐ方法は総長理事長制である。関西の有名私学は総長と理事長を別にしているが、慶応、早稲田等の関東の有名私学は総長理事長制(全学の選挙で選ばれた総長が理事長を兼ねる)採用している。そして2004年に施行された国立・公立大学法人法においては、すべての国立大学法人、公立大学法人において総長(学長)が理事長を兼ねることとなり、総長・学長(理事長)を補佐する形で副理事長や専務理事が置かれることになった。
2007年以来の立命館における混乱、すなわちどこにも選基盤の無い長田理事長や森島専務が竹中工務店に引きずられて、学園に長期にわたって損失をもたらすようなことができたのは、総長と別の人物が理事長を務めたり、選挙で選ばれていない理事が多数となっている構造を利用したからである。立命館の正常化のためには①学内の選挙で選ばれた理事が理事の多数になる仕組みにする。②総長が理事長を兼ねる制度に変える。こうしたことを全学的にオープンに議論する必要があるだろう。
(3大阪茨木キャンパス(以下、OIC)はどうするのか
OICを巡る経緯やその問題点、森島理事長がどのような役割を果たしてきたかは省略する(拙著『続・立命館の再生を願って』風涛社を参照)。現時点で明確なことは年間30億円前後の赤字を生み出しているキャンパスだということである。森島理事長は周辺の人々に対して「赤字を克服するためには12000名規模にする必要がある」などと主張している。2010年に突然この購入計画が出た当時、学部長などが慎重論から反対したのは、財政展望として赤字が予見されることも大きな理由であった。今、改めてそのことが明らかになってきているのである。
18歳人口急減期を前に教育研究の質が勝負となっている時に、自分たちが作り出した赤字を理由に学生数の拡大を提案するなど到底許されない。彼らは、その批判の前に全学的な規模拡大が難しくなると、衣笠キャンパスやBKCの「狭隘克服」を理由にして、既存学部の分割を含めて移転を持ち出すことも考えているようである。森島理事長は予てから部や課の僅かな収支については大問題にしてきた。しかし自分が作り出した毎年30億円前後の赤字を生んでいるこの問題については責任を取らず、新学部設置による定員増か、既存学部の移転提案を行おうとしている。学園関係者は「赤字の実態から、やむを得ない選択・判断」などと認めることはできないだろう。森島理事長がそれを言いだすのなら、そうした事態を作り出した自分が責任を取って辞めることとセットで提案しなければならない。ただ彼は常任理事会においては自分の口から提案するのではなく、企画か財務担当の常務から提案させるであろう。
さらに注意しておくべきことは、森島理事長は赤字を理由に学費値上も検討していることである。その際、学生や院生、そして教職員たいしてバラマキ公約をふりまき反対の高まりを押さえようとすることである。今や立命館の学費は相対的に高く、とりわけ理工系において優秀層を確保する点で決定的なハンディーとなりつつあり、値上げどころか値下げの英断も検討しなければならないところまで来ていることを直視する必要があるだろう。
(4)長岡京キャンパスを巡る問題
この問題も経緯や問題点は省略する。現時点での問題は二つある。
1)小・中・高等学校の教育を6:3:3でなく4:4:4で実行するということを最大の理由に立命館の財政原則を無視して110億円の校舎建設費を法人(大学)が負担するなどして購入した。しかし立命館小学校と距離が離れており、短時間移動に無理があること。真ん中の4年間部分を長岡京に持っていくことも北大路の小学校に持っていくにも面積が狭くできない。今のように5年生6年生を週何回か長岡京キャンパスに移動させることは教育的に問題が多過ぎ、止めざるを得ないだろう。
2)もう一つは大阪成蹊学園との裁判である。裁判の進捗は常任理事会にさえ報告されていない。そもそも立命館と大阪成蹊学園との間での約束として「所有権が立命館に移ってから1年以内に土壌汚染が見つかれば、大阪成蹊学園の責任で除染する」ことが決まっていた。ところが登記移転が行われキャンパス整備工事始まった直後にヒ素などの有害物質が見つかった。しかし森島専務・志方財務部付管財部長(当時)は大阪成蹊に対して除染を求めなかった。それは土壌汚染法に基づく手続きが必要であり、そうすると彼らが当初に考えていた開校期日に間に合わず、立命館による自主除染としたのである。ホームページ上「教育機関である立命館の責任で、全校地の除染を行ったうえで開講いたします」と報じた。しかし実際にはその一部5/25を残したままで除染を止めて開講した。なお、現在ホームページからこの部分は削除されているが、大阪成蹊学園側から裁判所に証拠資料として提出されている。汚染がこの地独特の自然由来のものであることが分かり、あえて費用をかけて除染する必要が無いと判断したからである。しかもこの除染は校舎建設を行う鹿島建設に依頼し12億円も支払ったのである。土地購入費35億円と比較しても異常に高額であった。立命館に補助金を出している文部科学省や私学振興事業団が監査すれば、明らかにこの12億円の支出の異常さに気が付くはずである。森島朋三専務・志方部長は長岡京キャンパスが開校してから3年も経ってから大阪成蹊学園を相手にして損害賠償責任の裁判を起こした。私は法律の門外漢なので裁判の結論をあれこれ推察することはやめておく。しかし教育的混乱の継続と裁判を引きおこした森島朋三理事長と志方常務は、全学に対して事態を報告説明し、その責任を取らなければならない。責任者が総括と反省を明らかにせず、責任も取らないで、いかに「団結と改革」を唱えても全学構成員が信頼し団結して大胆な改革に向かって進むことは難しい。
(5)次期、総長選挙、理事・理事長選挙の対策を立てる必要がある
次期の理事・理事長選挙に向けて、何処にも選出基盤がなく、総長をはじめとする教学機関から支持されていない人物が理事長に就任できるという立命館の理事会の在り方について抜本的に改革する必要がある。
立命館の理事会構成については、予てから文部科学省から「人数が多すぎる(41名)」ことが指摘されてきた。その最大の理由は学内構成員によって選挙で選ばれている理事が総長と立命館大学の学部長理事14名の計15名に過ぎず、あとの26名が「任命制理事」と「学外理事」によって占められていることである。今日その役割が改めて強調されている社外取締役でも数名であり、改正私立学校法でも学外理事は「1名以上」とされている。それが立命館では学外理事が11名、また4名の副総長以外の「任命理事」が11名にも及んでいる。こうして総長をはじめとする学内構成員によって選ばれた15名の理事に対して学外理事、「任命制」理事が26名の圧倒的多数となり学内世論を無視した学園運営が行われ混乱させられてきた。
学外理事は校友会(卒業生の組織)や附属校同窓会、そして学外評議員から推挙されることになっている。しかし30万人を超える校友会において実質的な選挙などできない。理事長、総務担当常務理事が管轄している社会連携課が采配して校友会幹事会で「選ばれている」。附属校同窓会、学外評議員についても同様である。少なくとも学内の選挙で選ばれている理事が全理事の過半数以上を占めるようにしなければならない。
学園構成員の過半数以上を占めている5学部長理事が反対しても学外理事の数を借りて2011年には茨木キャンパス購入が強行された。また、学部長理事の11名が反対したにもかかわらず長田氏を理事長として再選する(2014年)などの異常な学園運営が行われてきた。そして今回も総長、2副総長、+大多数の学部長理事が久岡氏に投票しているにもかかわらず、学外理事と、「任命制理事」の多数によって森島理事長が選ばれたのである。このようなイビツなやり方が学園の正常な運営をつぶし、発展を妨げていることは明らかである。学外理事を含めて忌憚のない意見交換を行う必要がある。
何処にも選出基盤の無い森島氏が今回理事会に置いて理事長に選出されるためには理事に就任しておかなければならなかった。しかし彼には理事となる選出基盤がどこにもない。結局、総長・理事長推薦枠10名の中に入れられたから理事に就任したのである。これには改悪された「総長と理事長の協議による推薦」規程を、さらに意図的に「合意による」との解釈に基づき、吉田総長と長田理事長による相当長い「協議・攻防」があったと言われている。一部の人であるが「吉田総長が、長田理事長との協議・同意で森島を推薦名簿に入れたのが間違いであった」と主張している。しかし「協議による同意」を基にした吉田総長による粘り強い説得交渉が無ければ、10名対10名の選挙となり全員が長田理事長推薦の人物が理事になったであろう。私は理事選挙のずっと以前から、次期理事ならびに理事長の選挙を闘うためには、その時までに長田理事長、森島専務両名のこの十年に及ぶ学園混乱についての責任追及に基づく退陣要求運動を起こす必要があるし、学外理事に対して事実に基づく働きかけを系統的に行う必要がある、と提起してきた。しかし残念ながらそのようなことはなされず選挙の数カ月まえになって、いくつかの行動がなされたに過ぎない。このことを次回への教訓として臨まなければならないだろう。にもかかわらず一部の人々は「鈴木文書が学外理事に送られたことが、敗北の大きな理由だ」や「前理事長であった川本八郎氏と組んだのは間違いであった」なとど論評している。これらの意見は吉田総長の粘り強い努力や、寄付行為の改悪、そして現実の理事会構成の力関係、ならびに彼我の取り組みの差によるものであって、そのような事実認識を持つことが出来なければ、再び相手側の分断攻撃に乗せられることになり、学園正常化求める運動は後退する危険があるだろう。
ところで今回の理事ならびに理事長選出にあたって、学外理事の有力者から長田理事長などに対して、理事会における副総長人事の紛糾経緯などから、「学内でまとまっていないものを学外理事の入る理事会に持ち込まないでいただきたい。学内でまとめて理事会に提出してほしい」との要望が出されていた。従って長田理事長や森島専務も、今回は理事会で多数決で押し切ることができず協議・合意せざるを得なかったのである。前回の副総長人事の時に彼らが行ったことが取締役会等の世間の組織運営の常識を逸脱していたことを、いみじくも露呈したのである。今後の教訓として生かす必要があるだろう。
吉田総長の粘りある交渉で、彼らが当初に考えていた長田相談役(理事)、某専務構想を外し、久岡理事、大島理事が実現できたのである。そして理事長選挙において、森島理事、久岡理事の対決となり、森島理事が学外理事・任命制理事によって多数派となったが、総長と二人の副総長そして大多数の学部長理事が森島理事長案に反対し久岡理事長候補に投票したという事実から、当初の構想を変更し久岡理事を副理事長にせざるを得なかった。合わせて当初予定していた某専務説では到底太刀打ちできず、副理事長として予定していた上田氏と大島氏による専務の選挙にせざるを得ず、同じく学外理事と任命制理事の数に頼って上田氏が専務となった。こうして理事長も専務も学内の選挙によって選ばれ実質的に日常運営をつかさどる理事からまったく支持されない理事長と専務が誕生したのである。この到達点は2005年来の学園私物化に対して学園正常化を目指してきた長い闘いの成果である。このことに確信を持つと同時に、合わせて社会的に通用する理事会構成にする必要がある。
 理事・理事長選挙の前に2019年秋に総長選挙が行われる。森島理事長らはこの選挙に勝ち、総長・理事長共に自分たちの掌握下に置こうとして動き出した。「R2020」に続く長期計画として、「R2030」の立案に当たる企画担当常務を、責任者として「全学討議」の形式で作成し、「R2030」それを実現する総長と言う打ち出しで臨もうとしているようである。
ここでも学部選出委員の奮闘がなければ先の森島理事長挨拶と同じく「R2020」の執行過程で現われた総括も反省も教訓もない、単なる作文が作成されるであろう。「R2020」の執行過程で学内的にもめた問題はいずれも、予てから論議されていなかった問題ばかりである。大阪茨木キャンパス開設(400億円をこえる建設資金)、長岡京キャンパス校舎建設資金110億円を法人(立命館大学)が負担する。食マネジメント学部開設、ANUとの提携で共同学位学部を開設する。‥要するに「長期計画」の作成議論をさせ、もっともらしい長期計画は作るが、そこには書かれていない自分たちの計画を突然持ち込んだか、教員の誰かが持ち込んだものに飛びつき、それを批判する教員との間で延々と論議させ、不団結を作ってきた。
学園の正常化を願う人々は、2005年以来、森島専務(当時)によって引き起こされた立命館の私物化とゼネコンの食い物にさせる学園運営に終止符を打つためには、この10年に及ぶ彼の罪悪を暴露し続け、総長理事長制、学内選挙で選ばれた理事が多数となる理事会構成などについて学内外の世論を獲得する粘り強い取り組みが必要であろう。ましてや大阪茨木キャンパスの赤字克服のために衣笠やBKCキャンパスの既存学部の移転論議に巻き込まれ分断されるようなことがあってはならないだろう。
なお文部科学省は総長(学長)が果たすべきリーダシップの最重要課題として大学改革を上げている。当然のこととして企画部門は総長の下に置くべきなのである。少なくとも私が在籍中に任務に就いていたように総長。理事長室ようにすべきであろう。ところが現在は企画部門は総長ではなく理事長・専務もの下に置いている。教育・研究を任務としている大学の改革部門の管轄としてはあってはならないことだろう。


鈴木元。立命館総長理事長室室長、大阪初芝学園副理事長、中国(上海)同済大学アジア太平洋研究センター顧問教授、JICA中国人材アドバイザリー、私立大学連盟アドミニストレ―タ研修アドバイザリーなどを歴任。
 現在、日本ペンクラブ会員、日本ジャーナリスト会議会員、かもがわ出版取締役、国際環境整備機構理事長、京都高齢者大学校幹事会副代表。
 『像とともに 未来を守れ』(かもがわ出版)『立命館の再生を願って 正・続』(風涛社)『もう一つの大学紛争』(かもがわ出版)『大学の国際協力』(文理閣)など著書多数。