スズキ ゲンさんのブログ

立命館の再生を願って

9月30日、立命館の常任理事の皆さんへ、学費・一時金・グローバル教養学部・長田前理事長の処遇などについて

2019-09-30 10:08:35 | 立命館の再生を願って
NO82 学校法人立命館常任理事各位へ
           2019年9月30日 元総長・理事長室室長、ジャーナリスト 鈴木元
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はじめに
(1)学費値下げが社会的趨勢となっている今日、なぜ学費を値上げするのか
 7月3日の全学協議会代表者会議において理事会は学費値上げの提起を行い、10月2日の全学協議会において押し切ろうとしている。内容は昨年の秋に提案されたものとほぼ同じで、その上、この間、教職員組合や「民主主義を考える会」がその機関紙で見解を表明されているので、できるだけ重複はさけ最低限の基本点だけを言及しておきます。
1)高すぎる学費、教育格差が所得格差につながっている今日、社会的に学費の値下げが避けられなくなり、不十分であるにせよ政府自身が「低所得者の学費減免」を2020年から実行せざるを得なくなっている。そのような時に、立命館の理事会はなぜ学費値上げをするのか。
2)相変わらず見え透いた嘘で学費値上げを提案
①提案主旨の中心は、ここ数年他大学が入学しやすいように入学金の引き下げを行っており、立命館の入学金が特別高いものとなっており、引き下げざるを得ないとして、入学金を10万円引き下げする代わりに「1回生の特別減免を廃止する」とし「いわゆる学費値上げではなく制度の変更である」と主張している。「1回生の特別減免」の額は16万円である。つまり10万円引き下げて16万円上げるのであるから差し引き6万円の値上げである。これを「学費値上げではない」というのである。詭弁を弄する立命館の担当者の精神的退廃は深刻である。その主張を反映して説明文書では「6万円値上げ」とは明記されていない。
 値上げ理由を学友会や教職員組合が説明を求めても明快な回答は示されていない。1学年8000人としても年間約4億円強、学年進行して4年たてば毎年16億円を超える増収となる。これだけの値上げをしなければならない根拠は示されていない。要するに2006-2007年に川本理事長が一時金を1か月カットした時と同様に、特段の差し迫った財政的理由はなく、森島理事長が財界人などに対して「学費を値上げを行った理事長」という「実績」を獲得したいだけである。なお森島理事長は昨年7月に開催された関西大学フォーラムにおいて「学費に頼らない私大経営を目指す」と大見えを切った(2018年7月25日付け「読売新聞け)が、全くのウソホラであったことが明らかになった。
 ※立命館の経常収支差額(繰越金・世間的に言えば黒字)は2015年度40億円、2016年度31億円、2017年度43億円、2018年度41億円もあり、財政的に学費を値上げしなければならない状況ではない、むしろこれらの資金をいかに教育・研究の充実、働き改革のために使うかが焦眉の課題である。
②その上、従来の「物価スライド制」は維持され1.4%-1.5%の自動値上げが維持される。平均100万円の学費として1人当たり15000円の値上げ、これは4学年すべてに適用されるから1年間の増収は15000円×32000人として年間の4億8000万円増収となる。これも「既存の制度の適用だと門戸無用というのだろうか。
③なお教職員の一部に「高い学費をとれる大学はそれだけブランド力があることである」などと言って賛意を表明している人がいるが、教育(学力)・研究・就職・民主的運営等でブランドを高めるべきである。アルバイトと仕送りで暮らしている学生、子弟の学費と生活費を送るためにパートに汗水を流している親たちの生活・気持ちといかに離れているか思い至る必要がある。
(2)基本給を上げず、一時金を2万円あげ評価級導入の議論に入るという春闘回答
1)上記したように立命館は毎年40億円近い経常収支の「黒字」がありながら、2005-2006年の一時金カット騒動を前後して、もう10年にわたって基本給の引き上げを行っておらず、関西4私大、全国10私大の中で相対的に低い賃金となっている。なお一時金1ヶ月カットが裁判で敗訴し、その回復を果たさなければならなくなり、2008年に一時金の1ヶ月回復に相当する引き上げがあったが年俸では変わらないままであった。基本給の引き上げ改善が急務となっている。また今日、教職員の半分近くが非正規となっている。全国的に若手を中心に基本給の引き上げ、最低賃金の引き上げ含めて非正規労働者の処遇改善が緊急の課題となっている。そして人材確保のために、いくつかの大手企業において若手を中心に基本給の大幅引き上げが始まっている。
 しかし今回の理事会の提起は事務補助職員(アルバイト)の時給のミニ改善(時間給を950円から980円に引き上げる)以外に教職員の処遇については何ら改善を示さず、正規教職員については基本給の引き上げは行わず、評価給導入議論とセットで一時金+2万円を(2019年度限り)を提起した。しかも「評価給を含む処遇改善制度の創設する際の原資の一部の前倒しとして拠出する」されており、理事会側の意図について慎重・正確に検討する必要があるだろう。評価給について議論するなら理事会は既に行われてきたこの間の部次長評価制度の総括を示さ無ければならない。そして今回提起しようとしている評価制度の具体的内容を明らかにしなければならないがしていない。評価給の内容の良し悪し以前の問題である。こういう提起の仕方自体が問題である。「評価給の議論」とセットされた一時金の2万円引き上げは今年度限りの事でありしかも「原資の前倒し」であり、組合は用心して慎重に対応すべきであろう。
 私は評価給制度一般に原則的に反対しているのではない。この10年ほどの間に民間企業からの中途採用で多くの人が立命館に奉職している。それらの人が元の職場で評価給制度の下で働いていた経験があり、立命館が部次長を除いて年功序列型賃金体系の下で働いていることに違和感を感じている人もいることは承知している。したがって教職員組合が理事会から「評価給制度の議論をしよう」との提起に対して、鼻から拒否するのではなく、テーブルに着き、理事会が提起する案について是々非々で臨み、ダメな場合は拒否し、採用すべきものがあれば採用すると言うスタンスに立つことについて異論は述べない。しかし少なくとも①立命館は教育・研究機関であること②なぜ立命館において現行の賃金体制を確立し維持されてきたのか、評価給制度をめぐって過去に立命館で何があったのか③部次長評価制度の総括はどうなっているのかを抜きにした議論はさけるべきではないだろう。
2)2007年の一時金カットの時、理事会は「ただ下げるのではない、それを原資にして研究や教育での評価に基づき再配分する」と主張した。そして教学部・研究部・総務部が評価制度の原案を作り、組合に提起しただけではなく教授会にも図った。しかし何回提案しなおしても、およそ構成員の多数を納得させられるような評価に基づく再配分提案はできず挫折した(詳しくは拙著「立命館の再生を願って」を参照のこと)。民間企業において営業成績や特定製造部門において出来高の評価に基づいての評価給制度を作ることはできるだろう。しかし教育・研究を目的とした教学組織である大学や小・中・高校教育現場において、職員は部や課単位で共同業務を行っており、どうして全員を対象とした個人別の評価給制度を作れるのか。クラス・ゼミを単位にして個々の教員が責任をもって授業を行っている教員に対して全教員を対象とした個人別の評価給制度を作れるのか。したがって全国の大学で評価給制度を導入したところの多くが数年でやめてしまったり、職場に取り返しのつかない不団結をもたらしているのである。
3)現在、職員の部次長に評価給制度が実施されている。この総括はどうなっているのか。この制度は部次長(非組合員)を対象としたものであったため、事前に組合への説明や協議は行われず「理事会決定」として実施された。部次長があらかじめ次年度の目標を申告し、年度末にそれに基づく自己評価申告をおこない。それに基づき審査・評価が行われ年俸が確定するという物であった。この制度では目標が低いと高い評価、目標が高いと低い評価になる危険がある。それよりも多数の職場がある立命館において誰が評価者となるかである。形式的には最終的に理事長であるが、実質には総務担当常務理事・専務理事が評価判断したものを理事長が決済した。森島総務担当常務・専務理事は教学部、研究部、学生部、一貫教育部という部門の業務を実際に経験したことはない。したがって部次長が提案している目標が実情に沿ったものであるか、それに対する実践が目標に見合ったものであるかを判断することはできない。結局、彼に従順であるかどうかという極めて主観的な判断に傾きがちとなり、面従腹背者を作り、森島氏の職制支配の道具になっていった。私は総長理事長室室長として多くの部次長の申告を受け取り・評価し、森島常務・専務に提出する立場にあり、その申告書を作成するのために部次長が大きなエネルギーを割かざるを得ない実情を見、その申告の適否判断並びに評価のむつかしさに直面し、森島常務・専務に「こんなことはやめるべきだ」と主張するとともに、導入を決済した川本理事長に「このような無駄で、百害あって一利なしの制度はやめるべきです」と進言した。それに対して川本理事長は「部次長から上がってきている目標も、評価自己申告も甘すぎる」と言いながら「森島がやらしてください。と言ってきたので、やってみたら良いと言った」と言うだけで、廃止への措置は取らなかった。なお部次長評価制度が導入された時、「その進捗を見、続いて課長評価制度の導入を検討する」と言われていたが、結局導入できないままに今日まで来た。したがつて理事会・森島理事長が全教職員に対する評価給制度を導入したいというなら、まず最初に、2007年の再配分評価制度が実行できなかったこと、部次長評価給制度についての総括を示すことである。
4)結局のところ教員に対しては、現在も行われている誰が見ても納得するような教育・研究で実績を上げた教員に対する奨励制度を「改善・充実」させる。職員で言えば特別プロジェクト期間中の「特別手当」とか「提案制度に基づく手当」ぐらいであり、全教職員を対象とした評価給制度は実施どころか議論自体が学園に混乱をもたらす危険がある。それは2005-6年の議論で証明されている。川本理事長の指示に基づき、一時金カットを提案し、評価に基づく再配分を提案したのも、部次長評価制度を提案・実施したのも森島朋三現理事長である。その一方で、森島朋三専務(当時)は常任理事会にも諮らず突然、理事会に、川本理事長、長田総長の役員退任慰労金を1億2000万円、4000万円にする提案を強引に推し進め学園に取り返しのつかない混乱と不団結をもたらし、社会的にも、ひんしゅくをもたらしたのである。この森島理事長がやろうとしている評価給制度導入のための協議(テーブルに着く)提案にたいして、教職員組合は、よほど警戒心をもって慎重に対応しなければならないだろう。
(2)グローバル教養学部はどうするのか
 OICキャンパスの在り方をめぐって、私は何回もグローバル教養学部の問題について記してきた。本年4月に開校したので、その様子を見るために訪ねた。
1)一体何人が入学したのか。
 多くの教職員に訊ねたが誰一人明確に答えた人はいなかった。つまりだ大学の責任で活字にされたものがないようである。読売新聞の6月13日の報道によると約40人が合格したが、多くが他大学に入学し、グローバル教養学部に入学したものは14名と報じている。大学の広報では「9月入学生で確保される」としているが、他大学の帰国子女入試も定着しており常識的に言って厳しいと予測される。9月25日に秋季入学式が行われた、どうなったのか。
2、教室の授業風景は
 授業風景を観に行った。1学年14名だから1教室だけを使っていて他は空っぽだった。私が見た時には19名ぐらいの学生が受講していた。聴くと5名は他学部からの受講生であった。
3.談話室は
談話室には30名ぐらいの学生がいた。グローバル教養学部の学生は授業中なのだから全員が他学部の学生だと推察された。政策科学部や経営学部には衣笠やBKC時代のような学部基本棟はなく教室を渡り歩いている。しかしグローバル教養学部だけは学部基本施設となっていて教室も談話室も空いている。他学部の学生たちはグローバル教養学部のことを「金持ち学部」と揶揄し「空いているなら使わせてもらおうと」と談話室を占拠しているのである。グローバル教養学部の指導部もガラガラになっているより学生が使っている方が見栄えが良いので、あえて「出て行ってもらう」ような事はしていないようである。
4.寮の運営はどうするのか。
 建設中の寮を見に行った。大きく立派なものである。立命館卒業生で理事の分林保弘氏が寄付されて建てられたものであると説明されている。全寮制でオーストラリア国立大学に行く1年間以外の3年間をここで過ごすことになっている。しかしカナダのUBCプログラムやAPUでの寮の経験から、学校の中での寮生活はせいぜい1年間ぐらいにしておいて、街中で多様な人々と交わって暮らす方が留学経験は活かせると思われるがどうか。そうした寮生活と教学の在り方については様々な意見があって当然で、私の意見は一つの意見である。ところで1学年90人×3カ年=270名もの寮の運営資金はどうするのか。定員全員が入居しても大変であると思うが、14名しか入学していないのであるから、学生が納める寮費だけでは赤字になることは間違いない、それをどうするのか説明がいるだろう。
5.グローバル教養学部の問題は森島理事長しか責任が取れない。
 この問題は、学内で何も議論していなかったにもかかわらず、2015年の秋、川口清史元総長が安部首相に付き添って政府専用機でオーストラリアに行き、安部首相の立会いの下でオーストラリア国立大学と協定を結んだことに始まり、その後、川口元総長、長田前理事長、森島専務(当時)の3名が強引に推し進めたものである。川口・長田の両名はすでに在籍していない。それ故に森島理事長の責任が厳しく問われる。なお設立にあたって「開設後7年を経過した段階で存続の有無を検討する」としている。専攻などの教学組織を時代の趨勢で廃止・統合することはあるとは言え、日本の大学において学位授与の単位である学部は継続性が前提となっている。それを設立にあたって7年後には廃止もありうるなどを確認しているということは、グローバル教養学部がいかに安定性にかける学部であることを認識していたことであり、設置を推進した森島理事長などがいかに無責任であったことを物語っている。なお18歳人口減もあり文部科学省が国立大学に対して統合を働きかけていることもあり学部の統廃合そのものは違法扱いされていない。しかし学位授与の単位である学部は継続性を前提としたものであり、設立の段階から「7年後に存続の有無を検討する」を確認していることは全く別の事であり、無理を承知で行った無責任さは免れない。
(3)長田豊臣前理事長・元総長の扱いはどうなったのか
前回のNO81で私は「今村正治理事・APU副学長の突然の退任は不自然である」と指摘した。
1)顧問でなくなったのか? 長田豊臣前理事長・元総長。
①そんなこともあって手元にあった「2018年度版 学園案内」の役員名簿を見た。不思議なことに長田豊臣前理事長・元総長、そして川口清史元総長の両名が顧問から消えていた。私は「任期を終えた両名を顧問として毎月20万円の手当を支払うのは間違いてあり、立命館において過去のいかなる総長・理事長もそのような処遇を受けたことはない、直ちにやめるべきである」と指摘してきた。ところが2018年度の役員名簿において両名は顧問としての記載はなくなっていた。それどころか名誉役員(無報酬)の名簿に川口元総長の名前は記載されていたが長田前理事長・元総長の名前は無かった。
②これはどうしたことか、学園内外に何らの説明はない、異常である。長田豊臣氏は少なくとも理事長を2期、総長を2期、その前に副総長も務めていた。その人物が顧問(報酬付)から外れるにあたっては、しかるべき説明がいるが私が知る限り無い。
※なお、念のために「2019年度版 学園案内」の役員名簿では長田前理事長・元総長は川口元総長と同様に名誉役員には記載されていた。顧問から外した時に間違って名誉役員からも外してしまったようで、今や森島理事長にとっては、その程度の雑な扱いの対象となっているようである。
2)学園を混乱させた川本、長田、川口、森島の4人の内、残っているのは森島朋三理事長だけ。
①2007年に総長に就任した川口清史氏は森島専務(当時)とタッグを組んで、長田理事長に対して「川本氏を相談役にしておけば文部科学省から非難されるので解任すべきです」と執拗に迫り、長田氏は2人を取り込む思いもあって「盟友川本」を相談役から解任した。すると川口総長は「長田理事長では学園は混乱する」「自分が総長・理事長兼務で当たりたい」と理事会で表明しだした。しかし学外理事の多数は長田理事長を馬鹿にしながらも、子供じみた川口総長の言動を容認せず長田理事長の続投の意向を示し始めた。すると森島専務は学外理事と気脈を通じ、理事会の席上において「総長の健康を考えると、総長と理事長を兼務するのは無理です」と川口総長の理事長就任を止める行動に打って出た。そうして森島氏は学内で理事になる選出基盤もないままに学外理事多数の支持を得て理事長に就任した。
③川本理事長によって立命館の職員に採用され一足飛びに幹部職員となり、川口総長の推薦で理事となり、長田理事長の推薦で専務理事となった森島氏であるが、「出世」するにしたがって、自分の出世とかかわった人々を排斥し、川本前理事長を相談役から解任し、ついに長田、川口の顧問職の地位までも奪った。世間によくある話である。自分を登用できる立場にある人間には、本心は別にしておもね、自分がトップに立てば自分の出世のために動いてくれた人間はすべて切る。まさに森島理事長のやってきたことはその道であった。
 こうして彼は「自分の地位を脅かすものはすべて排除した」との思いなのであろう。しかしその過程で彼は自分より先輩の職員、自分におもねない職員もすべて切ってきた。今では自分におもねる人間だけに取り囲まれて過ごすことになっている。このような「独裁体制」は強いように見えても諫言する者は誰もいず弱いものである。
鈴木元。立命館総長理事長室室長、大阪初芝学園副理事長、私立学校連盟アドミニストレーター研修アドバイザリー、国際協力銀行中国人材育成アドバイザリー、中国(上海)同済大学アジア太平洋研究センター顧問教授などを歴任。
現在、日本ペンクラブ会員、日本ジャーナリスト会議会員、国際環境整備機構理事長、かもがわ出版取締役、京都高齢者大学校幹事会副代表。
主な著書、『像とともに未来を守れ 天皇・立命館・学生運動』(かもがわ出版)『立命館
の再生を願って 正・続』(風涛社)、『もう一の 大学紛争 全共闘・「解同」と対峙した青春』(かもがわ出版)など他、多数。