No89 立命館常任理事ならびに関係各位へ
対面卒業式実施の是非とともに、看過出来ない大学運営破壊の既成事実化、万全の感染対策は
2021年2月23日 元立命館総長理事長室室長・ジャーナリスト 鈴木元
この文章は立命館問題専用のブログ(インターネットで スズキ ゲンさんのブログ と検索すれば出てきます)は毎週平均約1000件のアクセスがあります。
目次
はじめに
(1)看過できない大学運営破壊の既成事実化、学長(理事長)の意向を了承した常任理事会の責任 は重い。
(2)本当に万全なコロナの感染対は確保されるのか
(3)感染者が発生した場合、仲谷善雄学長、森島朋三理事長にとどまらず、社会的には学長提案
を了承した常任理事会の責任も問われる。
はじめに
卒業式は大学においては入学式、入学試験とともに全学的教学的に統一的に行われる重要な営みである。コロナ渦において昨年の11月以来、全学の教学委員会、各学部教授会、研究科での討議を積み重ねてきた。そして本年の1月に各学部教授会・研究科において、コロナ感染防止を第一とし代表参加による式典をオンラインで行い、ゼミ別などで担当教員から学生に卒業証書を授与するやり方が決定されてきた。ところが2月に入って突然「仲谷善雄学長の意向」ということで「対面方式で全学生と、希望する保護者も参加した卒業式」が提起された。
これにたいして教授会を始めとする教学機関、そして教職員組合から「変更判断の科学的根拠」「手続的瑕疵と危険性」「感染対策のあいまいさ」等について疑問と反対の意見が表明された。
しかし2月12日の拡大学部長会議、続いて2月17日の常任理事会において疑問や意見が出されたものの仲谷学長の意向があいまいな形で了承された。これは立命館の在り方として看過出来ない重大問題でありNo88に続いて多少の重複も交えながら指摘する。
(1)看過できない大学運営破壊の既成事実化、学長(理事長)の意向を了承した常任理事会の責任は重い。
卒業式を対面で全員参加で行うのが正常で良いことは自明である。問題はコロナが終息していない今、どうすればよいかを教学部・教学委員会・各学部ならびに研究科で検討されてきたのである。大学運営の基本原則は①学生・教職員の安全を第一にし②オンライオン活用を含めて効果的な教育をおこなう③研究を続ける④学生・院生の自主活動を保障する⑤所在する地域をはじめ社会貢献する、ことである。
上記のようにコロナ渦、今年度の卒業式は代表によるオンラインで行うことは全学の教学委員会そして各学部・研究科で決定されてきたことである。それを何処の機関会議でも議論することなく突然、仲谷学長の意向・提起ということで覆したことは教育・研究を任務とする学問の府である大学、とりわけ全構成員自治の考えに基づく大学運営、それを制度的に保障する学部長理事制度を無視した仲谷学長の行為は許容されるものではない。
2月12日の拡大学部長会議において仲谷学長から「近隣の大学(同志社大学等)が対面式での卒業式を準備している」とか「卒業生や保護者そして学生から、対面式での卒業式開催の要望が出ている」果ては「卒業していく学生の思い出の場となる式典を開催してやりたい」など、およそ科学的根拠とは言えないことを理由とした説明に対して、出席した学部長から疑問や意見はだされたものの「感染対策を行った上で、学長の意向を尊重して対面式卒業式を実施する」旨があいまいな形で了承された。
続く2月17日の常任理事会においては、学事課起案で卒業式開催にあたっての提案が出された。そこでは2月14日付の経済学部教授会見解などが述べられるとともに、他の何人かの学部長からも意見が述べられたものの、既に12日の拡大学部長会議で「了承」されていたことや、「コロナ渦の日程的なこともあり」「それらの意見を尊重し感染対策に万全を尽くして実施する」があいまいな方で「了承」された。
しかし、その「決定」は全学的に公式に分かりやすい形では知らされておらず、全教職員にとっては依然としてあいまいなままである。ところでいまだに不可解なのは仲谷学長は①コロナの明確な終息も見えてない中で、なぜ「全学生を対象に対面式卒業式を行いたい」と判断したのか。もしも仲谷学長が卒業していく学生達に、直接高邁な話をして送り出したいと言うだけなら、学長挨拶を映像として配信すれば良いことであり、あえて感染のリスクまで起こして全学生参加による対面卒業式を行う必要はない。文科省が再三50%以上の対面授業を要請しているのに沿おうとしているのか、それとも別の目的があるか、きちんとした説明が求められる。②全学において11月以来積み上げてきた方針の変更を、なぜあえて全学的な会議を経ず学長からの提起というやり方を取ったのか。これにたいしての明確な説明が求められるだろう。そして②については謝罪と今後このようなやり方は行わないとの表明が必要であろう。そうでないと何時このような独裁的やり方が起こるかもしれないとの学長への不信と疑念が深まるだろう。
このようなやり方は森島朋三氏が総務担当常務理事に就任して以来、専務理事そして理事長として自分が前面に出るかは別にして、彼が進めてきたやり方である。最初に機関会議にかけて議論するのではなく、先に強引に既定事実をつくり色々意見が出ても、「出された意見はお聞きし、可能な限り取り入れるのでやらしてもらう」と押し切っていくというやり方である。この間、川口清史総長によって学園の何処でも論議されていない「グローバル教養学部創設」の発言・強行によって学園は混乱させられてきた。また森島理事長による今年の年頭所感で評価給制度導入が突然出されたのも同様である。立命館は学園運営において極めて重大な局面にさらされている。
No88にも書いたように、財政支出の増額も含むこれほど重要な問題を理事長の合意・了承抜きに学長だけで「提案」すると考えられない。それどころか17日の常任理事会に提案された卒業式関連の議案は、通常、教員が参加する教学委員会や教学部で検討・合意されてからから提案される。しかし今回はそれらの会議がなされていないにもかかわらず学事課の名前で提案されている。どう考えても理事長サイドからの指揮で教学部事務部長の手によって学事課起案がなされたと推察される。これは対面卒業式実施の是非以上に重大である。
なぜこれらの会議を飛ばしてまで学事課の提案でなされたのかを追及する必要があるだろう。なお学事課起案の文書を見ると機関会議の順番が、常任理事会(議決)、大学協議会、教学委員会となっている。あきらかに順序が逆である。教学委員会、大学協議会での審議を経ず決めたことの矛盾である。また常任理事会は議決となっているが議決はされたのか。それであれば賛成〇人、反対〇人、保留〇人が明らかにされ議事録に残さなければならない。議決されていないなら、これほど重要な問題をなぜ議決としなかったのか。また学部教授会から文書で提出された物は各学部・研究科にきちんと提供され同じく議事録資料して記録に残さなければならないが、そのようにされているのか明確にされなければならない。これはこの間、社会問題になっているように国政を含めて機関運営の原則であり、それをあいまいにするところから機関運営の私物化・恣意化が始まる。今回の事態はそのことの危険性を如実に示した。
(2)本当に安全は確保されるのか
ところで「感染対策委員会の意見も踏まえ」とされている学事課が提案した安全対策はどうだろうか。マスク、手指の消毒、机や椅子の消毒など式典での安全対策は書かれているが、万全とは書いていず、その上参加するしないは自由であるとの責任逃れの文書となっている。そしてなによりもこの間の事態が作り出している特有の問題についての方策が書かれていない。
ほぼ一年に渡ってオンライン中心の授業が行われてきた立命館大学において、学生の大半は現下の状況から今年の卒業式はないだろうと覚悟し、コロナ渦アルバイトも減り、生活費節約のために下宿を払って出身地に帰っていた者も多数いる。ところが大学の判断で「オンラインではなく対面で全員が参加した卒業式になった」と聞いて、学生は卒業式でゼミやクラブの友達と会いに集まってきた場合、式典の前後に学生同志が飲食をすることが想定される。文書では注意喚起が記載されているが、実際上、それには対策が取れない。またこの間、電車やバスは混雑していなかつたが、三キャンパスともに数千人単位の学生が集まり満員で移動する。これは学生・教職員だけではなく地域住民を含めて乗り合わせる多くの人々の安全対策に係る問題であるが、どう対策するのかまったく書かれていない。
8月のオリンピック開催について各種世論調査によると、6割りもの人々が「やるべきではない」「やれない」との回答を寄せている。つまり移動の交通機関や試合前後の飲食など、競技場での安全対策だけでは済まないと考えているからである。現在の「第三波」が静まり、非常事態宣言が解除された場合、再度GOTOキャンペーンが行われ、第四波が起きる危険性がある。これらのことを慎重に考え対策を立てなければならない。
(3)感染者が発生した場合、仲谷善雄学長、森島朋三理事長にとどまらず、社会的には学長提案を了承した常任理事会の責任も問われる。覚悟は出来ているのか。
不幸にして万が一、卒業式参加者から感染者(陽性者)やクラスターが発生した場合、誰が責任を負うのか。提案者である学長が責任を負わなければならないのは当然である。その提案に反対せず賛成した学校法人の代表である理事長も責任はまぬがれない。この二人だけでは済まないことは明瞭である。多くの大学のように学部長が理事でない場合は「理事会決定に従った」ということになるが、立命館では学部長は理事である。その人が常任理事会で学長の提案に反対せず、あいまいなかたちで了承し執行すれば、その責任は免れない。あれこれ意見を述べたかどうかではない。学長の意向を受けた学事課起案文書を了承したか否かである。議決の重さを自覚しなければならない。責任問題について覚悟は出来ているのか。職員の事務部長は議決には参加していなく決定に違うだけである。その事務部長は「これはおかしい」と思っても意見が言いにくいのは理事長に人事権を握られているからである。しかし学部長理事は違う、教授会で選出されているのである。理事長が解任したり出来ない。自分の意志に基づいての発言が出来る。だからこそ立命館が戦後の民主化を進めた時「教学優先」を制度的に保障するために学部長理事制度を確立したのである。
ところが森島朋三氏が理事長に就任した頃から常任理事会に、問題のある提案がされでも大半の学部長理事は反対しないというケースがほとんどとなっている。学部代表として学部要求を実現するためには理事長の意向に逆らう発言はしない方がよいと思っているなら、それこそ森島理事長の思う壺である。常任理事会をはじめとした機関会議において立命館のあり方・改革方向の合意を形成し、それに基づいて新しい学部・学科の新設、教学施設の実現を要求して他学部長の支持もえて実現する道こそが、学内の創意と団結を強めて行く道である。
また学部長理事は、学部の代表ではあるが、同時に学園運営全体にも責任を有する。感染症対策など全学生・教職員の命にかかわる問題では、個々の利害の損得ではなく学園全体に責任を負うという立場で臨まなければならない。こうした理事という立場を自覚し、学部長理事は常に「教学優先」と「全学的理事」という両者を統一した立場で学園の運営に責任を持たなければならないと言う、立命館の歴史の教訓を学んでもらいたい。
鈴木元 経歴、立命館総長理事長室室長、初芝学園副理事長、中国(上海)同済大学アジア太平洋研究センター顧問教授、国際協力銀行中国内陸部人材育成事業アドバイザリー、私立大学連盟アドミニストレーター研修アドバイザー等を歴任。
現在、国際環境整備機構理事長、京都高齢者大学校幹事会副代表、ベトナム枯葉剤被害者支援日本委員会事務局長、日本ペンクラブ会員、日本ジャーナリスト会議会員、かもがわ出版顧問など。
主な著書、『立命館の再生を願って』『続・立命館の再生を願って』(いずれも風涛社)、『像とともに未来を守れ 天皇・立命館・学生運動』(かもがわ出版)、『もう一つの大学紛争』(かもがわ出版)、『異文化理解・協力の旅』(文理閣)、『京都市における同和行政批判』(問題研究所)『コロナ後の世界』(かもがわ出版)など多数
No89 立命館常任理事ならびに関係各位へ
対面卒業式実施の是非とともに、看過出来ない大学運営破壊の既成事実化、万全の感染対策は
2021年2月23日 元立命館総長理事長室室長・ジャーナリスト 鈴木元
この文章は立命館問題専用のブログ(インターネットで スズキ ゲンさんのブログ と検索すれば出てきます)は毎週平均約1000件のアクセスがあります。
目次
はじめに
(1)看過できない大学運営破壊の既成事実化、学長(理事長)の意向を了承した常任理事会の責任 は重い。
(2)本当に万全なコロナの感染対は確保されるのか
(3)感染者が発生した場合、仲谷善雄学長、森島朋三理事長にとどまらず、社会的には学長提案
を了承した常任理事会の責任も問われる。
はじめに
卒業式は大学においては入学式、入学試験とともに全学的教学的に統一的に行われる重要な営みである。コロナ渦において昨年の11月以来、全学の教学委員会、各学部教授会、研究科での討議を積み重ねてきた。そして本年の1月に各学部教授会・研究科において、コロナ感染防止を第一とし代表参加による式典をオンラインで行い、ゼミ別などで担当教員から学生に卒業証書を授与するやり方が決定されてきた。ところが2月に入って突然「仲谷善雄学長の意向」ということで「対面方式で全学生と、希望する保護者も参加した卒業式」が提起された。
これにたいして教授会を始めとする教学機関、そして教職員組合から「変更判断の科学的根拠」「手続的瑕疵と危険性」「感染対策のあいまいさ」等について疑問と反対の意見が表明された。
しかし2月12日の拡大学部長会議、続いて2月17日の常任理事会において疑問や意見が出されたものの仲谷学長の意向があいまいな形で了承された。これは立命館の在り方として看過出来ない重大問題でありNo88に続いて多少の重複も交えながら指摘する。
(1)看過できない大学運営破壊の既成事実化、学長(理事長)の意向を了承した常任理事会の責任は重い。
卒業式を対面で全員参加で行うのが正常で良いことは自明である。問題はコロナが終息していない今、どうすればよいかを教学部・教学委員会・各学部ならびに研究科で検討されてきたのである。大学運営の基本原則は①学生・教職員の安全を第一にし②オンライオン活用を含めて効果的な教育をおこなう③研究を続ける④学生・院生の自主活動を保障する⑤所在する地域をはじめ社会貢献する、ことである。
上記のようにコロナ渦、今年度の卒業式は代表によるオンラインで行うことは全学の教学委員会そして各学部・研究科で決定されてきたことである。それを何処の機関会議でも議論することなく突然、仲谷学長の意向・提起ということで覆したことは教育・研究を任務とする学問の府である大学、とりわけ全構成員自治の考えに基づく大学運営、それを制度的に保障する学部長理事制度を無視した仲谷学長の行為は許容されるものではない。
2月12日の拡大学部長会議において仲谷学長から「近隣の大学(同志社大学等)が対面式での卒業式を準備している」とか「卒業生や保護者そして学生から、対面式での卒業式開催の要望が出ている」果ては「卒業していく学生の思い出の場となる式典を開催してやりたい」など、およそ科学的根拠とは言えないことを理由とした説明に対して、出席した学部長から疑問や意見はだされたものの「感染対策を行った上で、学長の意向を尊重して対面式卒業式を実施する」旨があいまいな形で了承された。
続く2月17日の常任理事会においては、学事課起案で卒業式開催にあたっての提案が出された。そこでは2月14日付の経済学部教授会見解などが述べられるとともに、他の何人かの学部長からも意見が述べられたものの、既に12日の拡大学部長会議で「了承」されていたことや、「コロナ渦の日程的なこともあり」「それらの意見を尊重し感染対策に万全を尽くして実施する」があいまいな方で「了承」された。
しかし、その「決定」は全学的に公式に分かりやすい形では知らされておらず、全教職員にとっては依然としてあいまいなままである。ところでいまだに不可解なのは仲谷学長は①コロナの明確な終息も見えてない中で、なぜ「全学生を対象に対面式卒業式を行いたい」と判断したのか。もしも仲谷学長が卒業していく学生達に、直接高邁な話をして送り出したいと言うだけなら、学長挨拶を映像として配信すれば良いことであり、あえて感染のリスクまで起こして全学生参加による対面卒業式を行う必要はない。文科省が再三50%以上の対面授業を要請しているのに沿おうとしているのか、それとも別の目的があるか、きちんとした説明が求められる。②全学において11月以来積み上げてきた方針の変更を、なぜあえて全学的な会議を経ず学長からの提起というやり方を取ったのか。これにたいしての明確な説明が求められるだろう。そして②については謝罪と今後このようなやり方は行わないとの表明が必要であろう。そうでないと何時このような独裁的やり方が起こるかもしれないとの学長への不信と疑念が深まるだろう。
このようなやり方は森島朋三氏が総務担当常務理事に就任して以来、専務理事そして理事長として自分が前面に出るかは別にして、彼が進めてきたやり方である。最初に機関会議にかけて議論するのではなく、先に強引に既定事実をつくり色々意見が出ても、「出された意見はお聞きし、可能な限り取り入れるのでやらしてもらう」と押し切っていくというやり方である。この間、川口清史総長によって学園の何処でも論議されていない「グローバル教養学部創設」の発言・強行によって学園は混乱させられてきた。また森島理事長による今年の年頭所感で評価給制度導入が突然出されたのも同様である。立命館は学園運営において極めて重大な局面にさらされている。
No88にも書いたように、財政支出の増額も含むこれほど重要な問題を理事長の合意・了承抜きに学長だけで「提案」すると考えられない。それどころか17日の常任理事会に提案された卒業式関連の議案は、通常、教員が参加する教学委員会や教学部で検討・合意されてからから提案される。しかし今回はそれらの会議がなされていないにもかかわらず学事課の名前で提案されている。どう考えても理事長サイドからの指揮で教学部事務部長の手によって学事課起案がなされたと推察される。これは対面卒業式実施の是非以上に重大である。
なぜこれらの会議を飛ばしてまで学事課の提案でなされたのかを追及する必要があるだろう。なお学事課起案の文書を見ると機関会議の順番が、常任理事会(議決)、大学協議会、教学委員会となっている。あきらかに順序が逆である。教学委員会、大学協議会での審議を経ず決めたことの矛盾である。また常任理事会は議決となっているが議決はされたのか。それであれば賛成〇人、反対〇人、保留〇人が明らかにされ議事録に残さなければならない。議決されていないなら、これほど重要な問題をなぜ議決としなかったのか。また学部教授会から文書で提出された物は各学部・研究科にきちんと提供され同じく議事録資料して記録に残さなければならないが、そのようにされているのか明確にされなければならない。これはこの間、社会問題になっているように国政を含めて機関運営の原則であり、それをあいまいにするところから機関運営の私物化・恣意化が始まる。今回の事態はそのことの危険性を如実に示した。
(2)本当に安全は確保されるのか
ところで「感染対策委員会の意見も踏まえ」とされている学事課が提案した安全対策はどうだろうか。マスク、手指の消毒、机や椅子の消毒など式典での安全対策は書かれているが、万全とは書いていず、その上参加するしないは自由であるとの責任逃れの文書となっている。そしてなによりもこの間の事態が作り出している特有の問題についての方策が書かれていない。
ほぼ一年に渡ってオンライン中心の授業が行われてきた立命館大学において、学生の大半は現下の状況から今年の卒業式はないだろうと覚悟し、コロナ渦アルバイトも減り、生活費節約のために下宿を払って出身地に帰っていた者も多数いる。ところが大学の判断で「オンラインではなく対面で全員が参加した卒業式になった」と聞いて、学生は卒業式でゼミやクラブの友達と会いに集まってきた場合、式典の前後に学生同志が飲食をすることが想定される。文書では注意喚起が記載されているが、実際上、それには対策が取れない。またこの間、電車やバスは混雑していなかつたが、三キャンパスともに数千人単位の学生が集まり満員で移動する。これは学生・教職員だけではなく地域住民を含めて乗り合わせる多くの人々の安全対策に係る問題であるが、どう対策するのかまったく書かれていない。
8月のオリンピック開催について各種世論調査によると、6割りもの人々が「やるべきではない」「やれない」との回答を寄せている。つまり移動の交通機関や試合前後の飲食など、競技場での安全対策だけでは済まないと考えているからである。現在の「第三波」が静まり、非常事態宣言が解除された場合、再度GOTOキャンペーンが行われ、第四波が起きる危険性がある。これらのことを慎重に考え対策を立てなければならない。
(3)感染者が発生した場合、仲谷善雄学長、森島朋三理事長にとどまらず、社会的には学長提案を了承した常任理事会の責任も問われる。覚悟は出来ているのか。
不幸にして万が一、卒業式参加者から感染者(陽性者)やクラスターが発生した場合、誰が責任を負うのか。提案者である学長が責任を負わなければならないのは当然である。その提案に反対せず賛成した学校法人の代表である理事長も責任はまぬがれない。この二人だけでは済まないことは明瞭である。多くの大学のように学部長が理事でない場合は「理事会決定に従った」ということになるが、立命館では学部長は理事である。その人が常任理事会で学長の提案に反対せず、あいまいなかたちで了承し執行すれば、その責任は免れない。あれこれ意見を述べたかどうかではない。学長の意向を受けた学事課起案文書を了承したか否かである。議決の重さを自覚しなければならない。責任問題について覚悟は出来ているのか。職員の事務部長は議決には参加していなく決定に違うだけである。その事務部長は「これはおかしい」と思っても意見が言いにくいのは理事長に人事権を握られているからである。しかし学部長理事は違う、教授会で選出されているのである。理事長が解任したり出来ない。自分の意志に基づいての発言が出来る。だからこそ立命館が戦後の民主化を進めた時「教学優先」を制度的に保障するために学部長理事制度を確立したのである。
ところが森島朋三氏が理事長に就任した頃から常任理事会に、問題のある提案がされでも大半の学部長理事は反対しないというケースがほとんどとなっている。学部代表として学部要求を実現するためには理事長の意向に逆らう発言はしない方がよいと思っているなら、それこそ森島理事長の思う壺である。常任理事会をはじめとした機関会議において立命館のあり方・改革方向の合意を形成し、それに基づいて新しい学部・学科の新設、教学施設の実現を要求して他学部長の支持もえて実現する道こそが、学内の創意と団結を強めて行く道である。
また学部長理事は、学部の代表ではあるが、同時に学園運営全体にも責任を有する。感染症対策など全学生・教職員の命にかかわる問題では、個々の利害の損得ではなく学園全体に責任を負うという立場で臨まなければならない。こうした理事という立場を自覚し、学部長理事は常に「教学優先」と「全学的理事」という両者を統一した立場で学園の運営に責任を持たなければならないと言う、立命館の歴史の教訓を学んでもらいたい。
鈴木元 経歴、立命館総長理事長室室長、初芝学園副理事長、中国(上海)同済大学アジア太平洋研究センター顧問教授、国際協力銀行中国内陸部人材育成事業アドバイザリー、私立大学連盟アドミニストレーター研修アドバイザー等を歴任。
現在、国際環境整備機構理事長、京都高齢者大学校幹事会副代表、ベトナム枯葉剤被害者支援日本委員会事務局長、日本ペンクラブ会員、日本ジャーナリスト会議会員、かもがわ出版顧問など。
主な著書、『立命館の再生を願って』『続・立命館の再生を願って』(いずれも風涛社)、『像とともに未来を守れ 天皇・立命館・学生運動』(かもがわ出版)、『もう一つの大学紛争』(かもがわ出版)、『異文化理解・協力の旅』(文理閣)、『京都市における同和行政批判』(問題研究所)『コロナ後の世界』(かもがわ出版)など多数
対面卒業式実施の是非とともに、看過出来ない大学運営破壊の既成事実化、万全の感染対策は
2021年2月23日 元立命館総長理事長室室長・ジャーナリスト 鈴木元
この文章は立命館問題専用のブログ(インターネットで スズキ ゲンさんのブログ と検索すれば出てきます)は毎週平均約1000件のアクセスがあります。
目次
はじめに
(1)看過できない大学運営破壊の既成事実化、学長(理事長)の意向を了承した常任理事会の責任 は重い。
(2)本当に万全なコロナの感染対は確保されるのか
(3)感染者が発生した場合、仲谷善雄学長、森島朋三理事長にとどまらず、社会的には学長提案
を了承した常任理事会の責任も問われる。
はじめに
卒業式は大学においては入学式、入学試験とともに全学的教学的に統一的に行われる重要な営みである。コロナ渦において昨年の11月以来、全学の教学委員会、各学部教授会、研究科での討議を積み重ねてきた。そして本年の1月に各学部教授会・研究科において、コロナ感染防止を第一とし代表参加による式典をオンラインで行い、ゼミ別などで担当教員から学生に卒業証書を授与するやり方が決定されてきた。ところが2月に入って突然「仲谷善雄学長の意向」ということで「対面方式で全学生と、希望する保護者も参加した卒業式」が提起された。
これにたいして教授会を始めとする教学機関、そして教職員組合から「変更判断の科学的根拠」「手続的瑕疵と危険性」「感染対策のあいまいさ」等について疑問と反対の意見が表明された。
しかし2月12日の拡大学部長会議、続いて2月17日の常任理事会において疑問や意見が出されたものの仲谷学長の意向があいまいな形で了承された。これは立命館の在り方として看過出来ない重大問題でありNo88に続いて多少の重複も交えながら指摘する。
(1)看過できない大学運営破壊の既成事実化、学長(理事長)の意向を了承した常任理事会の責任は重い。
卒業式を対面で全員参加で行うのが正常で良いことは自明である。問題はコロナが終息していない今、どうすればよいかを教学部・教学委員会・各学部ならびに研究科で検討されてきたのである。大学運営の基本原則は①学生・教職員の安全を第一にし②オンライオン活用を含めて効果的な教育をおこなう③研究を続ける④学生・院生の自主活動を保障する⑤所在する地域をはじめ社会貢献する、ことである。
上記のようにコロナ渦、今年度の卒業式は代表によるオンラインで行うことは全学の教学委員会そして各学部・研究科で決定されてきたことである。それを何処の機関会議でも議論することなく突然、仲谷学長の意向・提起ということで覆したことは教育・研究を任務とする学問の府である大学、とりわけ全構成員自治の考えに基づく大学運営、それを制度的に保障する学部長理事制度を無視した仲谷学長の行為は許容されるものではない。
2月12日の拡大学部長会議において仲谷学長から「近隣の大学(同志社大学等)が対面式での卒業式を準備している」とか「卒業生や保護者そして学生から、対面式での卒業式開催の要望が出ている」果ては「卒業していく学生の思い出の場となる式典を開催してやりたい」など、およそ科学的根拠とは言えないことを理由とした説明に対して、出席した学部長から疑問や意見はだされたものの「感染対策を行った上で、学長の意向を尊重して対面式卒業式を実施する」旨があいまいな形で了承された。
続く2月17日の常任理事会においては、学事課起案で卒業式開催にあたっての提案が出された。そこでは2月14日付の経済学部教授会見解などが述べられるとともに、他の何人かの学部長からも意見が述べられたものの、既に12日の拡大学部長会議で「了承」されていたことや、「コロナ渦の日程的なこともあり」「それらの意見を尊重し感染対策に万全を尽くして実施する」があいまいな方で「了承」された。
しかし、その「決定」は全学的に公式に分かりやすい形では知らされておらず、全教職員にとっては依然としてあいまいなままである。ところでいまだに不可解なのは仲谷学長は①コロナの明確な終息も見えてない中で、なぜ「全学生を対象に対面式卒業式を行いたい」と判断したのか。もしも仲谷学長が卒業していく学生達に、直接高邁な話をして送り出したいと言うだけなら、学長挨拶を映像として配信すれば良いことであり、あえて感染のリスクまで起こして全学生参加による対面卒業式を行う必要はない。文科省が再三50%以上の対面授業を要請しているのに沿おうとしているのか、それとも別の目的があるか、きちんとした説明が求められる。②全学において11月以来積み上げてきた方針の変更を、なぜあえて全学的な会議を経ず学長からの提起というやり方を取ったのか。これにたいしての明確な説明が求められるだろう。そして②については謝罪と今後このようなやり方は行わないとの表明が必要であろう。そうでないと何時このような独裁的やり方が起こるかもしれないとの学長への不信と疑念が深まるだろう。
このようなやり方は森島朋三氏が総務担当常務理事に就任して以来、専務理事そして理事長として自分が前面に出るかは別にして、彼が進めてきたやり方である。最初に機関会議にかけて議論するのではなく、先に強引に既定事実をつくり色々意見が出ても、「出された意見はお聞きし、可能な限り取り入れるのでやらしてもらう」と押し切っていくというやり方である。この間、川口清史総長によって学園の何処でも論議されていない「グローバル教養学部創設」の発言・強行によって学園は混乱させられてきた。また森島理事長による今年の年頭所感で評価給制度導入が突然出されたのも同様である。立命館は学園運営において極めて重大な局面にさらされている。
No88にも書いたように、財政支出の増額も含むこれほど重要な問題を理事長の合意・了承抜きに学長だけで「提案」すると考えられない。それどころか17日の常任理事会に提案された卒業式関連の議案は、通常、教員が参加する教学委員会や教学部で検討・合意されてからから提案される。しかし今回はそれらの会議がなされていないにもかかわらず学事課の名前で提案されている。どう考えても理事長サイドからの指揮で教学部事務部長の手によって学事課起案がなされたと推察される。これは対面卒業式実施の是非以上に重大である。
なぜこれらの会議を飛ばしてまで学事課の提案でなされたのかを追及する必要があるだろう。なお学事課起案の文書を見ると機関会議の順番が、常任理事会(議決)、大学協議会、教学委員会となっている。あきらかに順序が逆である。教学委員会、大学協議会での審議を経ず決めたことの矛盾である。また常任理事会は議決となっているが議決はされたのか。それであれば賛成〇人、反対〇人、保留〇人が明らかにされ議事録に残さなければならない。議決されていないなら、これほど重要な問題をなぜ議決としなかったのか。また学部教授会から文書で提出された物は各学部・研究科にきちんと提供され同じく議事録資料して記録に残さなければならないが、そのようにされているのか明確にされなければならない。これはこの間、社会問題になっているように国政を含めて機関運営の原則であり、それをあいまいにするところから機関運営の私物化・恣意化が始まる。今回の事態はそのことの危険性を如実に示した。
(2)本当に安全は確保されるのか
ところで「感染対策委員会の意見も踏まえ」とされている学事課が提案した安全対策はどうだろうか。マスク、手指の消毒、机や椅子の消毒など式典での安全対策は書かれているが、万全とは書いていず、その上参加するしないは自由であるとの責任逃れの文書となっている。そしてなによりもこの間の事態が作り出している特有の問題についての方策が書かれていない。
ほぼ一年に渡ってオンライン中心の授業が行われてきた立命館大学において、学生の大半は現下の状況から今年の卒業式はないだろうと覚悟し、コロナ渦アルバイトも減り、生活費節約のために下宿を払って出身地に帰っていた者も多数いる。ところが大学の判断で「オンラインではなく対面で全員が参加した卒業式になった」と聞いて、学生は卒業式でゼミやクラブの友達と会いに集まってきた場合、式典の前後に学生同志が飲食をすることが想定される。文書では注意喚起が記載されているが、実際上、それには対策が取れない。またこの間、電車やバスは混雑していなかつたが、三キャンパスともに数千人単位の学生が集まり満員で移動する。これは学生・教職員だけではなく地域住民を含めて乗り合わせる多くの人々の安全対策に係る問題であるが、どう対策するのかまったく書かれていない。
8月のオリンピック開催について各種世論調査によると、6割りもの人々が「やるべきではない」「やれない」との回答を寄せている。つまり移動の交通機関や試合前後の飲食など、競技場での安全対策だけでは済まないと考えているからである。現在の「第三波」が静まり、非常事態宣言が解除された場合、再度GOTOキャンペーンが行われ、第四波が起きる危険性がある。これらのことを慎重に考え対策を立てなければならない。
(3)感染者が発生した場合、仲谷善雄学長、森島朋三理事長にとどまらず、社会的には学長提案を了承した常任理事会の責任も問われる。覚悟は出来ているのか。
不幸にして万が一、卒業式参加者から感染者(陽性者)やクラスターが発生した場合、誰が責任を負うのか。提案者である学長が責任を負わなければならないのは当然である。その提案に反対せず賛成した学校法人の代表である理事長も責任はまぬがれない。この二人だけでは済まないことは明瞭である。多くの大学のように学部長が理事でない場合は「理事会決定に従った」ということになるが、立命館では学部長は理事である。その人が常任理事会で学長の提案に反対せず、あいまいなかたちで了承し執行すれば、その責任は免れない。あれこれ意見を述べたかどうかではない。学長の意向を受けた学事課起案文書を了承したか否かである。議決の重さを自覚しなければならない。責任問題について覚悟は出来ているのか。職員の事務部長は議決には参加していなく決定に違うだけである。その事務部長は「これはおかしい」と思っても意見が言いにくいのは理事長に人事権を握られているからである。しかし学部長理事は違う、教授会で選出されているのである。理事長が解任したり出来ない。自分の意志に基づいての発言が出来る。だからこそ立命館が戦後の民主化を進めた時「教学優先」を制度的に保障するために学部長理事制度を確立したのである。
ところが森島朋三氏が理事長に就任した頃から常任理事会に、問題のある提案がされでも大半の学部長理事は反対しないというケースがほとんどとなっている。学部代表として学部要求を実現するためには理事長の意向に逆らう発言はしない方がよいと思っているなら、それこそ森島理事長の思う壺である。常任理事会をはじめとした機関会議において立命館のあり方・改革方向の合意を形成し、それに基づいて新しい学部・学科の新設、教学施設の実現を要求して他学部長の支持もえて実現する道こそが、学内の創意と団結を強めて行く道である。
また学部長理事は、学部の代表ではあるが、同時に学園運営全体にも責任を有する。感染症対策など全学生・教職員の命にかかわる問題では、個々の利害の損得ではなく学園全体に責任を負うという立場で臨まなければならない。こうした理事という立場を自覚し、学部長理事は常に「教学優先」と「全学的理事」という両者を統一した立場で学園の運営に責任を持たなければならないと言う、立命館の歴史の教訓を学んでもらいたい。
鈴木元 経歴、立命館総長理事長室室長、初芝学園副理事長、中国(上海)同済大学アジア太平洋研究センター顧問教授、国際協力銀行中国内陸部人材育成事業アドバイザリー、私立大学連盟アドミニストレーター研修アドバイザー等を歴任。
現在、国際環境整備機構理事長、京都高齢者大学校幹事会副代表、ベトナム枯葉剤被害者支援日本委員会事務局長、日本ペンクラブ会員、日本ジャーナリスト会議会員、かもがわ出版顧問など。
主な著書、『立命館の再生を願って』『続・立命館の再生を願って』(いずれも風涛社)、『像とともに未来を守れ 天皇・立命館・学生運動』(かもがわ出版)、『もう一つの大学紛争』(かもがわ出版)、『異文化理解・協力の旅』(文理閣)、『京都市における同和行政批判』(問題研究所)『コロナ後の世界』(かもがわ出版)など多数
No89 立命館常任理事ならびに関係各位へ
対面卒業式実施の是非とともに、看過出来ない大学運営破壊の既成事実化、万全の感染対策は
2021年2月23日 元立命館総長理事長室室長・ジャーナリスト 鈴木元
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目次
はじめに
(1)看過できない大学運営破壊の既成事実化、学長(理事長)の意向を了承した常任理事会の責任 は重い。
(2)本当に万全なコロナの感染対は確保されるのか
(3)感染者が発生した場合、仲谷善雄学長、森島朋三理事長にとどまらず、社会的には学長提案
を了承した常任理事会の責任も問われる。
はじめに
卒業式は大学においては入学式、入学試験とともに全学的教学的に統一的に行われる重要な営みである。コロナ渦において昨年の11月以来、全学の教学委員会、各学部教授会、研究科での討議を積み重ねてきた。そして本年の1月に各学部教授会・研究科において、コロナ感染防止を第一とし代表参加による式典をオンラインで行い、ゼミ別などで担当教員から学生に卒業証書を授与するやり方が決定されてきた。ところが2月に入って突然「仲谷善雄学長の意向」ということで「対面方式で全学生と、希望する保護者も参加した卒業式」が提起された。
これにたいして教授会を始めとする教学機関、そして教職員組合から「変更判断の科学的根拠」「手続的瑕疵と危険性」「感染対策のあいまいさ」等について疑問と反対の意見が表明された。
しかし2月12日の拡大学部長会議、続いて2月17日の常任理事会において疑問や意見が出されたものの仲谷学長の意向があいまいな形で了承された。これは立命館の在り方として看過出来ない重大問題でありNo88に続いて多少の重複も交えながら指摘する。
(1)看過できない大学運営破壊の既成事実化、学長(理事長)の意向を了承した常任理事会の責任は重い。
卒業式を対面で全員参加で行うのが正常で良いことは自明である。問題はコロナが終息していない今、どうすればよいかを教学部・教学委員会・各学部ならびに研究科で検討されてきたのである。大学運営の基本原則は①学生・教職員の安全を第一にし②オンライオン活用を含めて効果的な教育をおこなう③研究を続ける④学生・院生の自主活動を保障する⑤所在する地域をはじめ社会貢献する、ことである。
上記のようにコロナ渦、今年度の卒業式は代表によるオンラインで行うことは全学の教学委員会そして各学部・研究科で決定されてきたことである。それを何処の機関会議でも議論することなく突然、仲谷学長の意向・提起ということで覆したことは教育・研究を任務とする学問の府である大学、とりわけ全構成員自治の考えに基づく大学運営、それを制度的に保障する学部長理事制度を無視した仲谷学長の行為は許容されるものではない。
2月12日の拡大学部長会議において仲谷学長から「近隣の大学(同志社大学等)が対面式での卒業式を準備している」とか「卒業生や保護者そして学生から、対面式での卒業式開催の要望が出ている」果ては「卒業していく学生の思い出の場となる式典を開催してやりたい」など、およそ科学的根拠とは言えないことを理由とした説明に対して、出席した学部長から疑問や意見はだされたものの「感染対策を行った上で、学長の意向を尊重して対面式卒業式を実施する」旨があいまいな形で了承された。
続く2月17日の常任理事会においては、学事課起案で卒業式開催にあたっての提案が出された。そこでは2月14日付の経済学部教授会見解などが述べられるとともに、他の何人かの学部長からも意見が述べられたものの、既に12日の拡大学部長会議で「了承」されていたことや、「コロナ渦の日程的なこともあり」「それらの意見を尊重し感染対策に万全を尽くして実施する」があいまいな方で「了承」された。
しかし、その「決定」は全学的に公式に分かりやすい形では知らされておらず、全教職員にとっては依然としてあいまいなままである。ところでいまだに不可解なのは仲谷学長は①コロナの明確な終息も見えてない中で、なぜ「全学生を対象に対面式卒業式を行いたい」と判断したのか。もしも仲谷学長が卒業していく学生達に、直接高邁な話をして送り出したいと言うだけなら、学長挨拶を映像として配信すれば良いことであり、あえて感染のリスクまで起こして全学生参加による対面卒業式を行う必要はない。文科省が再三50%以上の対面授業を要請しているのに沿おうとしているのか、それとも別の目的があるか、きちんとした説明が求められる。②全学において11月以来積み上げてきた方針の変更を、なぜあえて全学的な会議を経ず学長からの提起というやり方を取ったのか。これにたいしての明確な説明が求められるだろう。そして②については謝罪と今後このようなやり方は行わないとの表明が必要であろう。そうでないと何時このような独裁的やり方が起こるかもしれないとの学長への不信と疑念が深まるだろう。
このようなやり方は森島朋三氏が総務担当常務理事に就任して以来、専務理事そして理事長として自分が前面に出るかは別にして、彼が進めてきたやり方である。最初に機関会議にかけて議論するのではなく、先に強引に既定事実をつくり色々意見が出ても、「出された意見はお聞きし、可能な限り取り入れるのでやらしてもらう」と押し切っていくというやり方である。この間、川口清史総長によって学園の何処でも論議されていない「グローバル教養学部創設」の発言・強行によって学園は混乱させられてきた。また森島理事長による今年の年頭所感で評価給制度導入が突然出されたのも同様である。立命館は学園運営において極めて重大な局面にさらされている。
No88にも書いたように、財政支出の増額も含むこれほど重要な問題を理事長の合意・了承抜きに学長だけで「提案」すると考えられない。それどころか17日の常任理事会に提案された卒業式関連の議案は、通常、教員が参加する教学委員会や教学部で検討・合意されてからから提案される。しかし今回はそれらの会議がなされていないにもかかわらず学事課の名前で提案されている。どう考えても理事長サイドからの指揮で教学部事務部長の手によって学事課起案がなされたと推察される。これは対面卒業式実施の是非以上に重大である。
なぜこれらの会議を飛ばしてまで学事課の提案でなされたのかを追及する必要があるだろう。なお学事課起案の文書を見ると機関会議の順番が、常任理事会(議決)、大学協議会、教学委員会となっている。あきらかに順序が逆である。教学委員会、大学協議会での審議を経ず決めたことの矛盾である。また常任理事会は議決となっているが議決はされたのか。それであれば賛成〇人、反対〇人、保留〇人が明らかにされ議事録に残さなければならない。議決されていないなら、これほど重要な問題をなぜ議決としなかったのか。また学部教授会から文書で提出された物は各学部・研究科にきちんと提供され同じく議事録資料して記録に残さなければならないが、そのようにされているのか明確にされなければならない。これはこの間、社会問題になっているように国政を含めて機関運営の原則であり、それをあいまいにするところから機関運営の私物化・恣意化が始まる。今回の事態はそのことの危険性を如実に示した。
(2)本当に安全は確保されるのか
ところで「感染対策委員会の意見も踏まえ」とされている学事課が提案した安全対策はどうだろうか。マスク、手指の消毒、机や椅子の消毒など式典での安全対策は書かれているが、万全とは書いていず、その上参加するしないは自由であるとの責任逃れの文書となっている。そしてなによりもこの間の事態が作り出している特有の問題についての方策が書かれていない。
ほぼ一年に渡ってオンライン中心の授業が行われてきた立命館大学において、学生の大半は現下の状況から今年の卒業式はないだろうと覚悟し、コロナ渦アルバイトも減り、生活費節約のために下宿を払って出身地に帰っていた者も多数いる。ところが大学の判断で「オンラインではなく対面で全員が参加した卒業式になった」と聞いて、学生は卒業式でゼミやクラブの友達と会いに集まってきた場合、式典の前後に学生同志が飲食をすることが想定される。文書では注意喚起が記載されているが、実際上、それには対策が取れない。またこの間、電車やバスは混雑していなかつたが、三キャンパスともに数千人単位の学生が集まり満員で移動する。これは学生・教職員だけではなく地域住民を含めて乗り合わせる多くの人々の安全対策に係る問題であるが、どう対策するのかまったく書かれていない。
8月のオリンピック開催について各種世論調査によると、6割りもの人々が「やるべきではない」「やれない」との回答を寄せている。つまり移動の交通機関や試合前後の飲食など、競技場での安全対策だけでは済まないと考えているからである。現在の「第三波」が静まり、非常事態宣言が解除された場合、再度GOTOキャンペーンが行われ、第四波が起きる危険性がある。これらのことを慎重に考え対策を立てなければならない。
(3)感染者が発生した場合、仲谷善雄学長、森島朋三理事長にとどまらず、社会的には学長提案を了承した常任理事会の責任も問われる。覚悟は出来ているのか。
不幸にして万が一、卒業式参加者から感染者(陽性者)やクラスターが発生した場合、誰が責任を負うのか。提案者である学長が責任を負わなければならないのは当然である。その提案に反対せず賛成した学校法人の代表である理事長も責任はまぬがれない。この二人だけでは済まないことは明瞭である。多くの大学のように学部長が理事でない場合は「理事会決定に従った」ということになるが、立命館では学部長は理事である。その人が常任理事会で学長の提案に反対せず、あいまいなかたちで了承し執行すれば、その責任は免れない。あれこれ意見を述べたかどうかではない。学長の意向を受けた学事課起案文書を了承したか否かである。議決の重さを自覚しなければならない。責任問題について覚悟は出来ているのか。職員の事務部長は議決には参加していなく決定に違うだけである。その事務部長は「これはおかしい」と思っても意見が言いにくいのは理事長に人事権を握られているからである。しかし学部長理事は違う、教授会で選出されているのである。理事長が解任したり出来ない。自分の意志に基づいての発言が出来る。だからこそ立命館が戦後の民主化を進めた時「教学優先」を制度的に保障するために学部長理事制度を確立したのである。
ところが森島朋三氏が理事長に就任した頃から常任理事会に、問題のある提案がされでも大半の学部長理事は反対しないというケースがほとんどとなっている。学部代表として学部要求を実現するためには理事長の意向に逆らう発言はしない方がよいと思っているなら、それこそ森島理事長の思う壺である。常任理事会をはじめとした機関会議において立命館のあり方・改革方向の合意を形成し、それに基づいて新しい学部・学科の新設、教学施設の実現を要求して他学部長の支持もえて実現する道こそが、学内の創意と団結を強めて行く道である。
また学部長理事は、学部の代表ではあるが、同時に学園運営全体にも責任を有する。感染症対策など全学生・教職員の命にかかわる問題では、個々の利害の損得ではなく学園全体に責任を負うという立場で臨まなければならない。こうした理事という立場を自覚し、学部長理事は常に「教学優先」と「全学的理事」という両者を統一した立場で学園の運営に責任を持たなければならないと言う、立命館の歴史の教訓を学んでもらいたい。
鈴木元 経歴、立命館総長理事長室室長、初芝学園副理事長、中国(上海)同済大学アジア太平洋研究センター顧問教授、国際協力銀行中国内陸部人材育成事業アドバイザリー、私立大学連盟アドミニストレーター研修アドバイザー等を歴任。
現在、国際環境整備機構理事長、京都高齢者大学校幹事会副代表、ベトナム枯葉剤被害者支援日本委員会事務局長、日本ペンクラブ会員、日本ジャーナリスト会議会員、かもがわ出版顧問など。
主な著書、『立命館の再生を願って』『続・立命館の再生を願って』(いずれも風涛社)、『像とともに未来を守れ 天皇・立命館・学生運動』(かもがわ出版)、『もう一つの大学紛争』(かもがわ出版)、『異文化理解・協力の旅』(文理閣)、『京都市における同和行政批判』(問題研究所)『コロナ後の世界』(かもがわ出版)など多数