NO.13 常任理事並びに関係各位へ
元附属校長・足羽慶保の学歴詐称に手を貸し、違法な特別手当1億円余りを支払ってきた川本八郎前理事長等。
長田豊臣理事長、森島朋三常務理事は末川総長時代の理事会決定を否定し、組織的に学歴詐称を追認し、さらに「1億円余りの和解金」を支払おうとしている。
常任理理事会が、これらを黙認すれば立命館は自ら教育機関として使命を投げ捨てることになる。
2012年8月1日 元立命館総長理事長室室長 鈴木元
目次
(1) 合併時の『密約』を根拠に元附属校長夫人・足羽史衣に支払ってならない1億円近い特別手当を支払ってきた
(2)川本八郎前理事長は足羽慶保の学歴詐称に組織的に手を貸し、長田豊臣理事長、森島朋三常務理事はそれを追認しようとしている。
(3)違法支払いの上に、さらに「1億円近い和解金」を支払おうとしている
(1)合併時の『密約』を根拠に元附属校長夫人・足羽史衣に支払ってならない1億円近い特別手当を支払ってきた
1995年立命館は北海道札幌にあった慶祥学園(札幌経済高校の設置母体)と合併した。合併に伴って慶祥学園の理事長であり札幌経済高校の校長であった足羽慶保を学校法人立命館の理事ならびに合併によって発足した立命館慶祥高校の校長に就任させた。ここまでであれば全国の多くの私立学校にある話であり、私学の経営戦略に関わることであり、賛否両論があっても当然である。
合併は1995年11月13日の理事会で決定された。ところが当時の川本専務理事のイニシアチブで理事会に諮られていない『密約』と『公正証書』があつた。それは足羽慶保の死亡後、その妻である足羽史衣に対して生涯月50万円の特別手当と一般教職員と同様の一時金(両方を合わせると年間一千万円近い報酬)を支給すると言うものであった。
1998年に足羽慶保死亡後、常任理事会にも諮られず、当時の財務次長高橋英幸等が稟議書を作成し、川本八郎理事長の決済で実行に移され今日までに1億円を超えるお金が足羽史衣に支給されていたのである。
私立学校は非営利の公益法人であり寄付や合併を根拠に特定の人に対して便宜を支払ってはならない。また非営利の公益法人だから固定資産税を含めて非課税の扱いを受けている。2010年1月この事件が発覚した時、私は、長田豊臣理事長や久岡康成常勤監事ならびに佐上善和コンプライアンス室長にそれぞれ一時間以上に渡って「これは私学法違反であり直ちにやめるべきである」進言した。
佐上善和コンプライアンス室長は「これはダメだな、せめて死後、半年間とかの過渡的措置であればわからないこともないが、生涯支払うなどはありえない」「しかし、この件は役員の問題なので久岡康成常勤監事の職務なので、私から提案したりはしない」「久岡康成常勤監事から『手が足りないので調査などを手伝ってほしい』との提案があれば、その範囲で動く」との回答であった。久岡康成常勤監事は「ああでもない、こうでもない」と明確な対応は示さなかった。長田豊臣理事長は「当時の覚書が出てきたので助かった」と言ったので私は、「そのような文書があれば、より問題です」「これは私学法違反であり直ちにやめるべきです」と進言したが「対応は森島朋三常務理事に任せている」と回答した。
ところがその後2010年3月末の理事会におい長田豊臣理事長ならびに森島朋三常務理事は「一部に問題にする人がいますが、何ら問題はありませんので支払いを継続します」とした。これに対して久岡康成常勤監事も佐上善和コンプライアンス実室長は何も指摘せずに黙認した。両名は常勤監事、コンプライアンス室長の職務を果たさなかっただけではなく違法行為を知っておりながら黙認したのである。
以上、見てきたように、この問題は1995年に『密約』を交わした当時の川本八郎専務の背任行為に端を発し、その後1998年に足羽慶保が死去した時に、再び常任理事会に諮らず
稟議書だけで支払いを開始した犯罪行為であった。
ここまでであれば、川本前理事長等の背任行為である。しかし2010年3月の理事会決定において「何ら問題はありませんので支払いを継続します」という対応を行った段階で両名は川本八郎前理事長の背任行為を追認し、その支払いに手を染めたのである。
その後、事態を掌握した文部科学省は、2010年5月に「ただちにやめなさいと」指導した。にもかかわらず立命館は支払い続けていた。そこで2011年2月、文部科学省は再度の指導を行い2011年3月から支払を取りやめた。これに対して足羽史衣は2011年5月「債権を支払え」との訴訟を京都地裁に起し、今にいたるも裁判が続けられている。
(2)川本八郎前理事長は足羽慶保の学歴詐称に組織的に手を貸し、長田豊臣理事長、森島朋三常務理事はそれを追認しようとしている。
ところが最近になって大学としては絶対に行ってはならない二つの事が明らかになっている。足羽慶保については予てから「立命館を中退らしい」と言ううわさがあったが、特に調査されることはなかった。ところが最近になって戦後の立命館の立役者と言うか、戦後の日本を代表する知識人の一人である民法学者・末川博氏が総長であった時代の議事録(昭和31年5月25日)」が出てきた(資料NO.1)。そこでは足羽慶保は「当初、自ら本大学の中途退学者であると言っていたのに、後には卒業証明書の写しを送付してきたり、卒業者であると称し、また文部省提出の履歴書に本大学卒業の旨を記載するなど不審な点が多いので、経済学部において充分調査したが、本大学の卒業者でないことはもちろん、一時在籍の事実もないことが明らかになった・・」との事実を確認し、彼からの寄付を返還するとともに、功労者名簿からの除籍措置を取っていた。
ところが慶祥学園と合併した立命館は1995年12月25日の理事会において足羽慶保を理事に選任した。その時、足羽慶保によって経歴書が提出された(資料NO.2)。
そこには「立命大学法経学部経済学科卒業」との学歴詐称をするだけではなく、経済学博士(1995年取得)、法学博士(1967年取得)、商学博士(1973年取得)と記載している。三つの学位をいずれの大学の研究科で取得したかも明記されていない。立命館大学卒業の学歴詐称だけではなく、三つの博士学位取得も学歴詐称である疑いがきわめて強い。
当時の理事の人々は、当時は「附属校長・理事制度」を取っていたこともあって、足羽慶保が理事に就任するのは「当然の事」と思って賛成したのであろうから、特段その責任を追及することは妥当ではないだろう。しかし古くから立命館の職員であり、学生課長、総務部長、専務理事を歴任していた川本八郎理事長は、末川博総長時代の理事会決定を知っていた。
それだけではなく彼は1995年の合併当時、文部省への手続き文書を作成するために調査していた複数の職員から「足羽慶保は立命館大学法経学経済科卒業どころか法学科、文学科を含めて立命館大学のいずれにも在籍した事実もありません」との報告を受けながら無視して抑え込み、先の経歴書を理事会に対して提出させていたのである。ここに足羽慶保による個人的な学歴詐称にとどまらず、川本八郎前理事長が「慶祥学園との合併の功」の評価を得る為に、足羽慶保の学歴詐称を知りながらも、それを黙認し、理事選任後その経歴書を文部省に提出している。
ところが今年(2012年)の7月になって、末川博総長時代の議事録が学園関係者に明らかになった直後の7月18日の理事のみ会議において、森島朋三常務理事は「足羽慶保氏は立命館大学を卒業していました」「足羽家から足羽慶保氏の立命館大学卒業証明書と教員免許書が出てきて届けられました」「末川総長時代の理事会決定は誤解に基づくものでした」と説明した。これに佐上善和コンプライアンス室室長も言動を共にし、足羽家から提出されたとする足羽慶保の「立命館大学卒業証明書」なるものを学部長理事等に提示した。
足羽慶保が立命館を卒業していたかどうかの証明は、足羽家が持ってきた卒業証明書ではなく、立命館大学において経済学部などで学籍を調査し、卒業に必要な単位を取得しているかどうかを調査して証明しなければならない。森島朋三常務理事は末川総長時代の理事会決定を否定したが、それは、どこの機関で、何を根拠に、どのような権限で確認したのかを明らかにしなければならない。そして足羽慶保が卒業に必要な単位を立命館大学において取得したことを証明しなければならない。それが出来なければ森島朋三常務理事は学歴詐称を偽証しただけではなく、末川博総長を含む当時の理事会の名誉を傷つけたものとして少なくとも社会的に見て常務理事の解任もしくは懲戒解雇の対象となるだろう。
そもそも大学は学位を授与できる唯一の教育機関である。その大学に在籍し所定の単位を取得することによって学位が授与される。その大学が学歴詐称に関わるなどは自らの社会的存在意義を否定することである。今日、末川総長時代の議事録が広く学内において流布されているにもかかわらず、それを否定し、足羽家から出されたとする「卒業証明書」を根拠に「足羽慶保は立命館大学卒業生である」との森島常務報告を理事会が黙認するなら、世間の人は「立命館の首脳陣は腐りきっている」と考えるだけではなく、立命館の学位を信用しなくなるだろう。
つまり「寄付か何か立命館が喜ぶことを行えば、学位をくれる大学」との評価が定まり、立命館30万校友は言われなき屈辱を味わうだろう。また同時に立命館は自ら教育機関の立場を否定することになる。
学部長理事を含めた立命館の理事会の今後の対応に世間は注視している。このまま黙認すれば理事全員の進退問題となるだろう。
なお7月26日の部次長会議において総務部長から「来週(8月1日)の常任理事会において足羽慶保氏の学歴問題の調査委員会を設置するとの提案が行われます」との報告があった。調査委員会の設置にあえて反対はしない。ある意味では当然のことである。しかしこの問題はあえて調査委員会など作らなくとも副総長と該当する経済学部長など複数者が学籍を調べれば直ぐに明確になることである。足羽慶保は1933年法経学部経済学科卒業と称している。「立命館百年史第一巻」のページ399に記載されている1928年の卒業生数は法律学科46名、経済学科23名としている。1933年当時の経済学科の卒業生も多くて50名程度であろうから学籍簿を調べれば在籍していたか、卒業に必要な単位を取得していたかは直ぐにわかることである。
調査委員会を設置する場合は夏休みを挟んだ時間稼ぎにさせてはならない。またこの問題のごまかしに深くかかわってきた森島朋三総務担当常務理事や佐上善和コンプライアンス室長などの関係者を排除し、第三者を含めた厳正な調査委員会としなければならない。そして調査の結果に基づき、偽証の疑いのある森島朋三常務理事などに対し厳正な処分が必要である。なお森島朋三常務理事は、文部科学省やマスコミにも「足羽慶保氏は立命館を卒業していました。その卒業証明書も出てきました」との対応をしている可能性がある。それどころか役員室の関係者などに「弁護士に相談したが『問題が無い』との回答を得ている」などと虚勢を張っている。色あせた「証明書」で騙そうとしたいように、時間稼ぎや新たな嘘や詭弁に乗せられてはならないだろう。
(3)違法支払いの上に、さらに「1億円近い和解金」を支払おうとしている
先に足羽史衣が立命館の「特別手当支払い停止」措置に対して「未払い手当」の支払い訴訟を起こしていることを記した。ところが最近になって長田豊臣理事長ならびに森島朋三常務理事は理事会議において「裁判長から和解の提案があり、足羽史衣と和解したい」と提案している。
民事事件であるから裁判所が和解を提起しても不思議ではない。和解は問題の性格に応じたものでなければならない。支払ってはならないものを『密約』に基づき支払ってきた川本八郎前理事長、それが誤りであることを知りながら彼に後継者として推挙された長田豊臣理事長、ならびに総務担当常務理事に任命された森島朋三常務理事は、川本八郎前理事長に追及の手が及ばないように、そして2010年段階でも既に3000万円を支払いを行ってきた責任から逃れる為に、足羽史衣に莫大な和解金を支払い、鉾を収めようとしている。
しかし、そもそも非営利法人である学校法人が合併した時の元理事長・校長の夫人に対して「理事長・校長亡き後は、その生涯を面倒看る」との「密約」の下に、年間1000万円を10年以上に渡って支払ってきたことが間違いであったのである。だからこそ文部科学省は2010年5月と2011年2月の2度に渡って「直ちにやめなさい」と指導し、立命館はしぶしぶ従い2011年3月から支払いを停止したのである。
途中2010年12月、川本八郎前理事長は長田豊臣理事長、森島朋三常務理事の依頼に基づき足羽史衣と面談し「3000万円で和解する」との合意を得ていた。しかし文部科学省は「支払ってはならないものを止めるのに学校法人のお金を使ってはならない」とし、この和解話は成立しなかったのである。当然のことであった。
支払いは違法である。しかし支払いを約束した公正証書がある。この下での和解をするためには答えは一つしかない。違法行為の端緒を作った川本八郎前理事長、誤りとわかりながらあえて支払いを続けてきた長田豊臣理事長と森島朋三常務理事らこの問題と深くかかわってきた人間で相応の負担をして支払うべきである。同時に学校法人立命館としてはこの三名らに背任行為の損害賠償を求めることである。
2011年5月にこの裁判が始まった当初に立命館側が提出した準備書面(1)では「支払ってはならないものであるので支払わない」としていた。これは文部科学省の「支払ってはならない」との指導趣旨を受けたものであった。ところがそれでは支払を開始した川本八郎前理事長や、それを受け継ぎ支払ってきた長田豊臣理事長、森島朋三常務理事の責任が問われることになる。そこで準備書面(2)においては「支払いは退職金の分割払いであった。ただし当初想定された1億5千万円を既に2011年2月時点で支払ったので、3月から支払いを止めたのである」とした。これは既に税務署から指摘を受け特別手当(源泉徴収)から雑費(所得税)に切り替え、追加支払いをしたこととの整合性をどうするのか。
今回の和解内容は森島朋三常務理事などの説明では、「裁判長は立命館側が主張する『退職金の分割払いであっと』することも経過から理解できる。しかし足羽史衣側が主張する『生涯支払うとの公正証書』も事実であり、これを和解するにあたっては①生涯払い続けるのではなく、向こう10年とかの期限をつけて支払う。もしくは、その額を一時金として支払う」と言うものである。しかしこの「裁判長による和解案」は裁判所における閲覧資料のなかには綴じられておらず真偽のほどはわからない。
この「和解案」で和解することは、立命館が新たに1億円余りを支払いとなる。既にこの十年間で1億円を超える金額が支払われてきた。これに上乗せしてさらに1億円余りを支払うというのである。相手は80歳を超える高齢者である。この和解案は拒否することはないだろう。来る8月9日に京都地裁において非公開の当事者協議が行われることになっている。常任理事会ならびに設置される調査委員会は、協議内容をチェックする必要がある。
ところで「支払ってはならない、直ちにやめなさい」と指導してきた文部科学省はどう対応するのか。私は、これらの一連の事件について文部科学省に実名で証拠資料をつけて調査と指導をお願いしてきた。もしも文部科学省が今になって立命館が言い出した「退職金の分割払いであった」との主張を「追認」し法人のお金、つまり学費と国民の税金から新たな支払いを黙認するなら、大津市をはじめとする「いじめ問題」の対応に遅れ、警察が動き出して漸く対応し始めた同様の社会的批判を受けるだろう。もしも文部科学省が既に調査と実行力のある指導に入っていたのなら私の疑問については失礼をお詫びする。
このようなでたらめな支払いが常任理事会、一般理事会において黙認されるなら、学校法人立命館は理事長や常務理事などの犯罪的行為が明らかになっても、責任は問われず、処罰もされず、それどころが学校ぐるみで蓋をしてしまう組織へ転落することになる。
厳しい経済情勢の下で、年間100万円を超える学費を納めている父母ならびに学生たちの目の前で、このようなやり方で自分たちの学費が使われたり、厳しい入学試験を突破し、努力して卒業必要単位を取得してこそ卒業できるのに、入学もせず、単位も取得していないのに、大学の幹部に上手に対応すれば卒業として扱われるということを目にすれば、大学に対して根本的に信頼を失い、自らが立命館大学卒業であることに誇りを持てなくさせることになる。
学部長理事をはじめとする立命館の幹部は、理事会内部の和をおもんばかり、川本前理事長、長田豊臣理事長、森島朋三常務理事の犯罪行為を曖昧にして和解金を立命館のお金で支払ったり、学歴詐称を黙認すれば社会正義に反するだけではなく、どれほど非教育的なことになるかを真摯に考え、毅然とした対応を取らなければならない。今が立命館の今後を決める正念場であることを心してほしい。
元附属校長・足羽慶保の学歴詐称に手を貸し、違法な特別手当1億円余りを支払ってきた川本八郎前理事長等。
長田豊臣理事長、森島朋三常務理事は末川総長時代の理事会決定を否定し、組織的に学歴詐称を追認し、さらに「1億円余りの和解金」を支払おうとしている。
常任理理事会が、これらを黙認すれば立命館は自ら教育機関として使命を投げ捨てることになる。
2012年8月1日 元立命館総長理事長室室長 鈴木元
目次
(1) 合併時の『密約』を根拠に元附属校長夫人・足羽史衣に支払ってならない1億円近い特別手当を支払ってきた
(2)川本八郎前理事長は足羽慶保の学歴詐称に組織的に手を貸し、長田豊臣理事長、森島朋三常務理事はそれを追認しようとしている。
(3)違法支払いの上に、さらに「1億円近い和解金」を支払おうとしている
(1)合併時の『密約』を根拠に元附属校長夫人・足羽史衣に支払ってならない1億円近い特別手当を支払ってきた
1995年立命館は北海道札幌にあった慶祥学園(札幌経済高校の設置母体)と合併した。合併に伴って慶祥学園の理事長であり札幌経済高校の校長であった足羽慶保を学校法人立命館の理事ならびに合併によって発足した立命館慶祥高校の校長に就任させた。ここまでであれば全国の多くの私立学校にある話であり、私学の経営戦略に関わることであり、賛否両論があっても当然である。
合併は1995年11月13日の理事会で決定された。ところが当時の川本専務理事のイニシアチブで理事会に諮られていない『密約』と『公正証書』があつた。それは足羽慶保の死亡後、その妻である足羽史衣に対して生涯月50万円の特別手当と一般教職員と同様の一時金(両方を合わせると年間一千万円近い報酬)を支給すると言うものであった。
1998年に足羽慶保死亡後、常任理事会にも諮られず、当時の財務次長高橋英幸等が稟議書を作成し、川本八郎理事長の決済で実行に移され今日までに1億円を超えるお金が足羽史衣に支給されていたのである。
私立学校は非営利の公益法人であり寄付や合併を根拠に特定の人に対して便宜を支払ってはならない。また非営利の公益法人だから固定資産税を含めて非課税の扱いを受けている。2010年1月この事件が発覚した時、私は、長田豊臣理事長や久岡康成常勤監事ならびに佐上善和コンプライアンス室長にそれぞれ一時間以上に渡って「これは私学法違反であり直ちにやめるべきである」進言した。
佐上善和コンプライアンス室長は「これはダメだな、せめて死後、半年間とかの過渡的措置であればわからないこともないが、生涯支払うなどはありえない」「しかし、この件は役員の問題なので久岡康成常勤監事の職務なので、私から提案したりはしない」「久岡康成常勤監事から『手が足りないので調査などを手伝ってほしい』との提案があれば、その範囲で動く」との回答であった。久岡康成常勤監事は「ああでもない、こうでもない」と明確な対応は示さなかった。長田豊臣理事長は「当時の覚書が出てきたので助かった」と言ったので私は、「そのような文書があれば、より問題です」「これは私学法違反であり直ちにやめるべきです」と進言したが「対応は森島朋三常務理事に任せている」と回答した。
ところがその後2010年3月末の理事会におい長田豊臣理事長ならびに森島朋三常務理事は「一部に問題にする人がいますが、何ら問題はありませんので支払いを継続します」とした。これに対して久岡康成常勤監事も佐上善和コンプライアンス実室長は何も指摘せずに黙認した。両名は常勤監事、コンプライアンス室長の職務を果たさなかっただけではなく違法行為を知っておりながら黙認したのである。
以上、見てきたように、この問題は1995年に『密約』を交わした当時の川本八郎専務の背任行為に端を発し、その後1998年に足羽慶保が死去した時に、再び常任理事会に諮らず
稟議書だけで支払いを開始した犯罪行為であった。
ここまでであれば、川本前理事長等の背任行為である。しかし2010年3月の理事会決定において「何ら問題はありませんので支払いを継続します」という対応を行った段階で両名は川本八郎前理事長の背任行為を追認し、その支払いに手を染めたのである。
その後、事態を掌握した文部科学省は、2010年5月に「ただちにやめなさいと」指導した。にもかかわらず立命館は支払い続けていた。そこで2011年2月、文部科学省は再度の指導を行い2011年3月から支払を取りやめた。これに対して足羽史衣は2011年5月「債権を支払え」との訴訟を京都地裁に起し、今にいたるも裁判が続けられている。
(2)川本八郎前理事長は足羽慶保の学歴詐称に組織的に手を貸し、長田豊臣理事長、森島朋三常務理事はそれを追認しようとしている。
ところが最近になって大学としては絶対に行ってはならない二つの事が明らかになっている。足羽慶保については予てから「立命館を中退らしい」と言ううわさがあったが、特に調査されることはなかった。ところが最近になって戦後の立命館の立役者と言うか、戦後の日本を代表する知識人の一人である民法学者・末川博氏が総長であった時代の議事録(昭和31年5月25日)」が出てきた(資料NO.1)。そこでは足羽慶保は「当初、自ら本大学の中途退学者であると言っていたのに、後には卒業証明書の写しを送付してきたり、卒業者であると称し、また文部省提出の履歴書に本大学卒業の旨を記載するなど不審な点が多いので、経済学部において充分調査したが、本大学の卒業者でないことはもちろん、一時在籍の事実もないことが明らかになった・・」との事実を確認し、彼からの寄付を返還するとともに、功労者名簿からの除籍措置を取っていた。
ところが慶祥学園と合併した立命館は1995年12月25日の理事会において足羽慶保を理事に選任した。その時、足羽慶保によって経歴書が提出された(資料NO.2)。
そこには「立命大学法経学部経済学科卒業」との学歴詐称をするだけではなく、経済学博士(1995年取得)、法学博士(1967年取得)、商学博士(1973年取得)と記載している。三つの学位をいずれの大学の研究科で取得したかも明記されていない。立命館大学卒業の学歴詐称だけではなく、三つの博士学位取得も学歴詐称である疑いがきわめて強い。
当時の理事の人々は、当時は「附属校長・理事制度」を取っていたこともあって、足羽慶保が理事に就任するのは「当然の事」と思って賛成したのであろうから、特段その責任を追及することは妥当ではないだろう。しかし古くから立命館の職員であり、学生課長、総務部長、専務理事を歴任していた川本八郎理事長は、末川博総長時代の理事会決定を知っていた。
それだけではなく彼は1995年の合併当時、文部省への手続き文書を作成するために調査していた複数の職員から「足羽慶保は立命館大学法経学経済科卒業どころか法学科、文学科を含めて立命館大学のいずれにも在籍した事実もありません」との報告を受けながら無視して抑え込み、先の経歴書を理事会に対して提出させていたのである。ここに足羽慶保による個人的な学歴詐称にとどまらず、川本八郎前理事長が「慶祥学園との合併の功」の評価を得る為に、足羽慶保の学歴詐称を知りながらも、それを黙認し、理事選任後その経歴書を文部省に提出している。
ところが今年(2012年)の7月になって、末川博総長時代の議事録が学園関係者に明らかになった直後の7月18日の理事のみ会議において、森島朋三常務理事は「足羽慶保氏は立命館大学を卒業していました」「足羽家から足羽慶保氏の立命館大学卒業証明書と教員免許書が出てきて届けられました」「末川総長時代の理事会決定は誤解に基づくものでした」と説明した。これに佐上善和コンプライアンス室室長も言動を共にし、足羽家から提出されたとする足羽慶保の「立命館大学卒業証明書」なるものを学部長理事等に提示した。
足羽慶保が立命館を卒業していたかどうかの証明は、足羽家が持ってきた卒業証明書ではなく、立命館大学において経済学部などで学籍を調査し、卒業に必要な単位を取得しているかどうかを調査して証明しなければならない。森島朋三常務理事は末川総長時代の理事会決定を否定したが、それは、どこの機関で、何を根拠に、どのような権限で確認したのかを明らかにしなければならない。そして足羽慶保が卒業に必要な単位を立命館大学において取得したことを証明しなければならない。それが出来なければ森島朋三常務理事は学歴詐称を偽証しただけではなく、末川博総長を含む当時の理事会の名誉を傷つけたものとして少なくとも社会的に見て常務理事の解任もしくは懲戒解雇の対象となるだろう。
そもそも大学は学位を授与できる唯一の教育機関である。その大学に在籍し所定の単位を取得することによって学位が授与される。その大学が学歴詐称に関わるなどは自らの社会的存在意義を否定することである。今日、末川総長時代の議事録が広く学内において流布されているにもかかわらず、それを否定し、足羽家から出されたとする「卒業証明書」を根拠に「足羽慶保は立命館大学卒業生である」との森島常務報告を理事会が黙認するなら、世間の人は「立命館の首脳陣は腐りきっている」と考えるだけではなく、立命館の学位を信用しなくなるだろう。
つまり「寄付か何か立命館が喜ぶことを行えば、学位をくれる大学」との評価が定まり、立命館30万校友は言われなき屈辱を味わうだろう。また同時に立命館は自ら教育機関の立場を否定することになる。
学部長理事を含めた立命館の理事会の今後の対応に世間は注視している。このまま黙認すれば理事全員の進退問題となるだろう。
なお7月26日の部次長会議において総務部長から「来週(8月1日)の常任理事会において足羽慶保氏の学歴問題の調査委員会を設置するとの提案が行われます」との報告があった。調査委員会の設置にあえて反対はしない。ある意味では当然のことである。しかしこの問題はあえて調査委員会など作らなくとも副総長と該当する経済学部長など複数者が学籍を調べれば直ぐに明確になることである。足羽慶保は1933年法経学部経済学科卒業と称している。「立命館百年史第一巻」のページ399に記載されている1928年の卒業生数は法律学科46名、経済学科23名としている。1933年当時の経済学科の卒業生も多くて50名程度であろうから学籍簿を調べれば在籍していたか、卒業に必要な単位を取得していたかは直ぐにわかることである。
調査委員会を設置する場合は夏休みを挟んだ時間稼ぎにさせてはならない。またこの問題のごまかしに深くかかわってきた森島朋三総務担当常務理事や佐上善和コンプライアンス室長などの関係者を排除し、第三者を含めた厳正な調査委員会としなければならない。そして調査の結果に基づき、偽証の疑いのある森島朋三常務理事などに対し厳正な処分が必要である。なお森島朋三常務理事は、文部科学省やマスコミにも「足羽慶保氏は立命館を卒業していました。その卒業証明書も出てきました」との対応をしている可能性がある。それどころか役員室の関係者などに「弁護士に相談したが『問題が無い』との回答を得ている」などと虚勢を張っている。色あせた「証明書」で騙そうとしたいように、時間稼ぎや新たな嘘や詭弁に乗せられてはならないだろう。
(3)違法支払いの上に、さらに「1億円近い和解金」を支払おうとしている
先に足羽史衣が立命館の「特別手当支払い停止」措置に対して「未払い手当」の支払い訴訟を起こしていることを記した。ところが最近になって長田豊臣理事長ならびに森島朋三常務理事は理事会議において「裁判長から和解の提案があり、足羽史衣と和解したい」と提案している。
民事事件であるから裁判所が和解を提起しても不思議ではない。和解は問題の性格に応じたものでなければならない。支払ってはならないものを『密約』に基づき支払ってきた川本八郎前理事長、それが誤りであることを知りながら彼に後継者として推挙された長田豊臣理事長、ならびに総務担当常務理事に任命された森島朋三常務理事は、川本八郎前理事長に追及の手が及ばないように、そして2010年段階でも既に3000万円を支払いを行ってきた責任から逃れる為に、足羽史衣に莫大な和解金を支払い、鉾を収めようとしている。
しかし、そもそも非営利法人である学校法人が合併した時の元理事長・校長の夫人に対して「理事長・校長亡き後は、その生涯を面倒看る」との「密約」の下に、年間1000万円を10年以上に渡って支払ってきたことが間違いであったのである。だからこそ文部科学省は2010年5月と2011年2月の2度に渡って「直ちにやめなさい」と指導し、立命館はしぶしぶ従い2011年3月から支払いを停止したのである。
途中2010年12月、川本八郎前理事長は長田豊臣理事長、森島朋三常務理事の依頼に基づき足羽史衣と面談し「3000万円で和解する」との合意を得ていた。しかし文部科学省は「支払ってはならないものを止めるのに学校法人のお金を使ってはならない」とし、この和解話は成立しなかったのである。当然のことであった。
支払いは違法である。しかし支払いを約束した公正証書がある。この下での和解をするためには答えは一つしかない。違法行為の端緒を作った川本八郎前理事長、誤りとわかりながらあえて支払いを続けてきた長田豊臣理事長と森島朋三常務理事らこの問題と深くかかわってきた人間で相応の負担をして支払うべきである。同時に学校法人立命館としてはこの三名らに背任行為の損害賠償を求めることである。
2011年5月にこの裁判が始まった当初に立命館側が提出した準備書面(1)では「支払ってはならないものであるので支払わない」としていた。これは文部科学省の「支払ってはならない」との指導趣旨を受けたものであった。ところがそれでは支払を開始した川本八郎前理事長や、それを受け継ぎ支払ってきた長田豊臣理事長、森島朋三常務理事の責任が問われることになる。そこで準備書面(2)においては「支払いは退職金の分割払いであった。ただし当初想定された1億5千万円を既に2011年2月時点で支払ったので、3月から支払いを止めたのである」とした。これは既に税務署から指摘を受け特別手当(源泉徴収)から雑費(所得税)に切り替え、追加支払いをしたこととの整合性をどうするのか。
今回の和解内容は森島朋三常務理事などの説明では、「裁判長は立命館側が主張する『退職金の分割払いであっと』することも経過から理解できる。しかし足羽史衣側が主張する『生涯支払うとの公正証書』も事実であり、これを和解するにあたっては①生涯払い続けるのではなく、向こう10年とかの期限をつけて支払う。もしくは、その額を一時金として支払う」と言うものである。しかしこの「裁判長による和解案」は裁判所における閲覧資料のなかには綴じられておらず真偽のほどはわからない。
この「和解案」で和解することは、立命館が新たに1億円余りを支払いとなる。既にこの十年間で1億円を超える金額が支払われてきた。これに上乗せしてさらに1億円余りを支払うというのである。相手は80歳を超える高齢者である。この和解案は拒否することはないだろう。来る8月9日に京都地裁において非公開の当事者協議が行われることになっている。常任理事会ならびに設置される調査委員会は、協議内容をチェックする必要がある。
ところで「支払ってはならない、直ちにやめなさい」と指導してきた文部科学省はどう対応するのか。私は、これらの一連の事件について文部科学省に実名で証拠資料をつけて調査と指導をお願いしてきた。もしも文部科学省が今になって立命館が言い出した「退職金の分割払いであった」との主張を「追認」し法人のお金、つまり学費と国民の税金から新たな支払いを黙認するなら、大津市をはじめとする「いじめ問題」の対応に遅れ、警察が動き出して漸く対応し始めた同様の社会的批判を受けるだろう。もしも文部科学省が既に調査と実行力のある指導に入っていたのなら私の疑問については失礼をお詫びする。
このようなでたらめな支払いが常任理事会、一般理事会において黙認されるなら、学校法人立命館は理事長や常務理事などの犯罪的行為が明らかになっても、責任は問われず、処罰もされず、それどころが学校ぐるみで蓋をしてしまう組織へ転落することになる。
厳しい経済情勢の下で、年間100万円を超える学費を納めている父母ならびに学生たちの目の前で、このようなやり方で自分たちの学費が使われたり、厳しい入学試験を突破し、努力して卒業必要単位を取得してこそ卒業できるのに、入学もせず、単位も取得していないのに、大学の幹部に上手に対応すれば卒業として扱われるということを目にすれば、大学に対して根本的に信頼を失い、自らが立命館大学卒業であることに誇りを持てなくさせることになる。
学部長理事をはじめとする立命館の幹部は、理事会内部の和をおもんばかり、川本前理事長、長田豊臣理事長、森島朋三常務理事の犯罪行為を曖昧にして和解金を立命館のお金で支払ったり、学歴詐称を黙認すれば社会正義に反するだけではなく、どれほど非教育的なことになるかを真摯に考え、毅然とした対応を取らなければならない。今が立命館の今後を決める正念場であることを心してほしい。