2012年10月下旬に、フランス、ニエヴル県クラムシーで開催された「セガン生誕200周年記念シンポジウム」会場に展示さえていた写真の数々のうち、明確な史実として確信することができていなかった2葉の写真の被写体の具体を特定することができた。(今頃、なんだよ!)
ビセートル救済院内の精神病棟エリアには児童病棟がある。白痴、癲癇、精神病などの子どもが収容されていた。白痴と転換は混住、精神病他と区別されている。写真はその児童病棟の全容。19世紀末のものと思われる。この児童病棟には「セガン棟」と名前が付けられていた。
そして、セガンが働いた主要な場である「白痴学校」。その正面写真。
児童病棟と白痴学校との位置関係の具体はわからない。それを明らかにするのも、セガン研究の宿命なのだろうか?白痴学校は精神病治療の一環とされていたから、ビセートルの治療部門(第1セクション)内の「児童部門」で当て、管理対象としては、「児童病棟」ではない。今後詳しくしていく課題である。
「ビセートル史」記述に、次のようなことが書かれている。精神病棟エリアが第1セクションから第5セクションまである。その第1セクションにかかわって。
「十分な広さの1つの中庭の両端には、2つのホールがある。1つは36床があるホールである。そこは回復期にあって労働をしている人たちの寝るところである;もう1つは、石塀で囲まれており、塀に添って道が通っている。ただ、不衛生故に、患者を通行させることができない。つい最近、このホールは利用されるようになった。そこに食堂と学校とが一つずつ設置された。」
つまり、「白痴学校」はホールの利用であり、児童病棟との関係はないようだ。不潔で通行できないようなところ。要するに日陰であり、治療等に要する「水」などが垂れ流されていた、ということだろう。ヴォアザンがこの不使用建築物に目を付けて、「学校」を設置した。1839年のことである。
さあ、こうなると、当時のビセートル救済院の見取り図が欲しくなるなあ。
ビセートル救済院内の精神病棟エリアには児童病棟がある。白痴、癲癇、精神病などの子どもが収容されていた。白痴と転換は混住、精神病他と区別されている。写真はその児童病棟の全容。19世紀末のものと思われる。この児童病棟には「セガン棟」と名前が付けられていた。
そして、セガンが働いた主要な場である「白痴学校」。その正面写真。
児童病棟と白痴学校との位置関係の具体はわからない。それを明らかにするのも、セガン研究の宿命なのだろうか?白痴学校は精神病治療の一環とされていたから、ビセートルの治療部門(第1セクション)内の「児童部門」で当て、管理対象としては、「児童病棟」ではない。今後詳しくしていく課題である。
「ビセートル史」記述に、次のようなことが書かれている。精神病棟エリアが第1セクションから第5セクションまである。その第1セクションにかかわって。
「十分な広さの1つの中庭の両端には、2つのホールがある。1つは36床があるホールである。そこは回復期にあって労働をしている人たちの寝るところである;もう1つは、石塀で囲まれており、塀に添って道が通っている。ただ、不衛生故に、患者を通行させることができない。つい最近、このホールは利用されるようになった。そこに食堂と学校とが一つずつ設置された。」
つまり、「白痴学校」はホールの利用であり、児童病棟との関係はないようだ。不潔で通行できないようなところ。要するに日陰であり、治療等に要する「水」などが垂れ流されていた、ということだろう。ヴォアザンがこの不使用建築物に目を付けて、「学校」を設置した。1839年のことである。
さあ、こうなると、当時のビセートル救済院の見取り図が欲しくなるなあ。